その16

 今の仕事は3月でやめる事になっていた。新しい仕事は、9月から外資系の企業で勤める事が決まっており、3月の後半から有休消化をして少し長いバケーションを楽しむつもりでいたので、ここに滞在する期間が少し延びる事は大きな問題じゃない。新しく住む場所を決めなければいけないが、少しばかりこの村でバケーションをしても良いかもしれない。村長さんの話を聞いて、そんな考えが一瞬頭をよぎったため、彼女の誘いを断り切れなかった。

 だが、無償でここに長期泊めてもらうのも気が引ける。せめて宿泊代を払いたい。そのことを村長さんに伝えると、彼女は笑顔で首を横に振り

「久しぶりのお客様ですから。どうぞお気になさらず、ゆっくりとしていってください。」

と譲ろうとしない。

「いえいえ、ただより高いものはないと言いますし、無償でと言われると落ち着けません。せめて、何かお手伝いできることはないでしょうか。」

ここは譲れないという気持ちで、少し強気に主張してみると、孝之さんから

「それならば、一つお願いがあります。日記を毎日綴って、ここを去る日に譲って頂けないでしょうか。外の方の体験記として、村の貴重な資料になりますので。」

と、なんとも簡単なお願いをされた。

「本を読むのは好きですが、文章を書くセンスがないので、良い資料にならないかもしれません。それでも良ければ。」

と答えれば、体験記だから感じたままの言葉で綴ってほしいと言われる。他に手伝えることはないか聞きたかったが、村のしきたり等を知らない自分がしゃしゃり出るのも迷惑か、と思い直して日記を綴る事を引き受けた。

「ありがとうございます。この部屋は好きにお使いください。紙とペンは後ほど小梅に運ばせますので、どうぞよろしくお願いします。」

そういって、孝之はまた頭を下げる。親子が部屋を出る時に、ふと村長が私の右手に目をやったような気がしたが、何も言わずに立ち去って行った。

 その夜、小梅が持ってきてくれた綺麗な和紙で装飾がしてある日記帳に、早速、この日記を綴ることになった経緯と、その日体験したことを綴った。

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