その10

「神の池」と呼ばれる池を目の前にして、思わず息を飲んだ。広大な池一面に青々とした葉を広げ、咲き誇る真っ白なスイレン。その池の真ん中に建つ、真っ白な五角形の建物。物音一つしない静寂な空間は、自分たち以外の生きているものの存在を感じず、不気味ささえ感じる。いったい、どれぐらいその場に立ち尽くしていたのかわからないが、長い事その光景にただただ圧倒されていると、ふと建物の隣にある東屋に人影が見えた。ここからでは、少し遠くてよく見えないが、藍色の着物を着た黒髪の男性のように見える。誰かから呼ばれたのだろうか。その人は建物の中を振り返ると、すっと中へ入っていってしまった。

 人影が気になって、中央の建物につながる白い橋を渡ろうとしたとき、小梅が私の腕をつかんで引き留めた。振り返って彼女を見ると、無言で必死に首を横に振っている。

「そういえば、スイレンの池の建物には近づいてはいけないんだったね。」

ごめんと彼女に謝りながら、後ろ髪惹かれる気持ちを抑えつつ、私は小梅とスイレンの池から離れた。

 そのあと、小梅に書庫の場所を案内してもらったが、庭の一件で疲れてしまったのか、本を読む気になれず部屋に戻ることにする。夕飯を運んでもらうまでの間、部屋でぼーと畳に寝転びながら、庭で聞こえた声と、あのスイレンの池のにいた人の事を考えていた。

 夕飯が済むと、入浴の許可が先生より出ているからと、小梅が浴場まで案内してくれた。久しぶりの湯舟をしっかり堪能している間、ふと、この村に来てからスマホを確認していなかった事を思い出す。湯船から上がり、脱衣所に置かれた浴衣に着替えて廊下へでると、小梅が水の入ったコップと水差しをもって待っていてくれた。彼女から水を一杯貰うと、部屋で充電をしても良いか聞いてみる。

「勿論、構いません。ただ、ここは山奥なので電波が届かないかもしれません。私達も基本的には電話は有線の固定電話を使っていますし、インターネットが使えるのも、村長のご一家と薬師寺先生ぐらいなんです。」

と、申し訳なさそうに教えてくれた。今の時代、小梅ぐらいの年齢でスマホはおろか、インターネットを使ったことがない人もいるのかと驚いたが、彼女はそのことをさして不満を抱いている様にも見えない。思ったことは心にとどめて小梅にお礼を言って部屋に戻る。スマホを確認すると、思ったとおり電源は入らないため、確認をあきらめて充電器につなぎ、今日はもう寝ることにした。

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