第3話 バレンタインデー間近、妖怪探偵社に依頼あり

「雪華ちゃん、君は花と蝶と戯れてる。その花は俺の咲かせた花なんだよ」


 先輩の声は優しく私を誘う。


 あたし、生徒会室にいるはずだよね?

 眼の前に花畑が見えてくる。

 ああ、コレは幻――だ。

 甘い香りはその花々から漂ってくる。

 ずっと嗅いでいたい、……美しい誘惑の花。


「俺といればこの美しい花の世界から出ることなく誰からも邪魔されずにここにいられる。君はフフッ……一生俺のとりこ」


 美しく咲き誇る花畑から香る甘い世界にはたぶん苦痛も困難もない、心地よさだけが広がる。

 ここは茨木童子の作り出した幻想の世界。

 本物じゃない、偽りの居場所。


「あたし、ここは好きにはなれません」

「どう……して?」

「何も感じない、喜びも苦しみも……。ただ心地よさだけに溺れるなんてあたし、生きてるって実感がないっ」


 あたしが叫ぶと体中から冷気がほとばしる!

 雪が吹雪いて、花畑は凍り砕け散った。

 両耳に響くガラスが割れる音に似たその音――。


「うわあっ! ……へえ、やるじゃないか」


 夢から醒めたような感覚に体中から冷たくも安堵の蒸気が噴き出す。

 あたし、茨木先輩の術を破ったんだ。


「そうそう簡単には僕の妖術世界に落ちないってことか」

「あたし、茨木先輩のことはキライじゃありません。だけど、無理矢理他人を操るとかは許せません」


 あたしはギッと瞳に力をこめて茨木先輩を睨む。

 茨木先輩は悲しげな顔をした。


「いくらあたしが鈍くても騙されませんよ?」

「じゃあどうしたら良いの? 俺は人から好きになってもらったことなんてないんだ。家族同然の酒吞童子しか俺は好かれた記憶がない」


 泣いている……?

 茨木先輩の片目から涙が伝って頬を落ちた。


 いつも余裕の微笑みを浮かべている先輩の顔に寂しげで苦しそうな表情。

 あたしはどうしたら良いの?

 こんな時、ママは……。


「茨木先輩、泣かないで」


 あたしは先輩を一度そっと抱きしめて、頭をぽんぽんと撫でた。

 あたしのママなら心細い時にこうしてくれるんだ。

 だから、真似してみたの。

 あたし、ママにこうしてもらえると落ち着くから。

 あたしは茨木先輩が元気になれるように思いを込めて抱きしめる。

 密着した体から震えが微かに感じられた。

 茨木先輩が泣き声をこらえているのがわかる、伝わる。


「俺は鬼だ。泣かないって決めたのに……、君にはどうしてか本心をさらけ出してしまうんだ」

「うん、あたしと先輩は友達ですから。泣きごとを言っても良いんですよ? あたしの前でなら泣いたって弱音を吐いたって良いんだよ」


 先輩がぎゅっと抱きしめてきたけど、あたしはそのままじっとしている。

 声にして、上げた頼りない嗚咽を聞くと小さな子供が抱きついてきてるようで、無碍むげには出来ないんだ。


 いつも自信満々な茨木先輩がひどく頼りない姿を晒している。

 ああ、きっと先輩は弱さをみせられる相手がいないんだ。誰もいないんだ。

 ……それがあたしだけなら、あたし先輩を突き放したり出来ない。

 そんなひどいこと出来ないよ。


「ごめん、ごめんね。雪華ちゃん、俺、酒吞童子を取り戻したいだけなんだ。……世界征服は本当はどうでもいい。そりゃあ、妖怪が支配する世界なら潜んで生きる必要もないけどさ。妖怪が人間に虐げられたり殺されずに生きられる世界が欲しいっていうのは酒呑童子の夢だったから」

「茨木先輩が望んだことじゃないんですか?」

「……酒呑童子が望むものは叶えたいと思っていた。彼が欲するものを手に入れるのが俺の生き方だったから。酒呑童子の夢が俺の夢……、そう思ってた」


 信じるのは馬鹿だろうか。

 あたし、あたしって銀星のいうようにお人好しで。

 分かってる。

 たとえ騙されていても、信じてあげたい。そう思うのはいけないことで愚かだとしても。


 この流れ込んでくる悲しみだけはほんとうのものだって分かる。


 温もりは悲しみを癒やすと思う。

 たとえいっときでも。

 ハグとか手を握ったりとか……友達でもしてもいいよね?


 バレンタインデーのチョコは頑張って作るから、先輩、手作りチョコを食べたら元気になってくれないかな〜。

 私はぼんやりと考えていた。


 ――その時っ、大声がした!


「あんた、いい加減にしろー! 雪華から離れろ、馴れ馴れしく触んなっ! 抱きつくなハグすんな」


 がらがら〜っと扉が開かれ、銀星が飛び込むように生徒会室に入ってきた。

 怒った顔の銀星がバリバリッ、ベリベリーッと、まるでマジックテープを剥がすみたいに私と茨木先輩を引き離す。


「銀星っ!?」

「フフッ、……やれやれ。相変わらず君の鼻はよく利くようだ」

「茨木先輩、僕のいない隙を狙うのはたいがいにしろ。雪華をお前なんかの鬼の餌食なんかにしない」


 ぷりぷりっ! と怒っている銀星に手を引かれて、あたしは生徒会室を出る。

 そっと振り返ると寂しそうに笑う茨木先輩が小さく手を振っていた。


 チクリッ……と、たしかにあたしの胸がかすかに痛んだ。


 銀星に握られた手から熱さが伝わる。

 あたしのことすごく心配してくれてるんだなあ。


「銀星、心配して来てくれたんだ?」

「……雪華のばか。僕があれほど茨木先輩には気をつけろって言ったじゃないか!」

「ご、ごめん。でもっ! でもね、だってね、生徒会の人たち皆都合が悪くて。茨木先輩一人っきりだったんだよ? ……先輩一人ぼっちで寂しそうだった」

「だから? はあ――っ。寂しそうだったからって、雪華は男で茨木童子と抱き合ってたの? あいつ、魅惑術遣いの鬼なんだよ? 分かってるよね」

「う、うん……」


 あたしはシュンッてしちゃった。




「ねえ、銀星……。茨木先輩のためにね、たった一人の家族の酒呑童子を封印から解くのっていけないことなの?」


 あたしがふと聞いたのは、答えがわかりきった質問だった。

 危険な酒吞童子を封印から解き放てば、人間世界はもとより妖怪世界だって大混乱になってとんでもないことになるのは想像がついてる。


「……雪華、なに? 茨木先輩の妖力にあてられたの?」


 銀星の声はとてつもなく厳しいものだった。

 想像よりもはるかに、銀星は怒っている。

 仕方がないよね、銀星は神の使いの妖狐で特別な神狐の妖怪なんだから、世界を脅かす者を許すわけがない。


「酒呑童子が出てきたらこの世は地獄の様相になるだろうね。……雪華はさあ、封印されて大妖怪の鬼が改心するとでも思ってるの? 憎悪の炎を増してるに決まってる」

「封印した妖怪たちを復讐しに来るのかな」

「呑気だね……、当たり前でしょ。だから雪華は酒呑童子の仲間である茨木先輩には安易に近づいちゃだめなんだ」


 酒吞童子を封印した妖怪たちっていうのは他でもない。

 それがうちのママの雪女一族や銀星のパパの妖狐たちだって、あたしも銀星も知っている。

 それはあたしたちが生まれるずっとずっと前の大昔の出来事だとしても。

 寿命の長い妖怪は現在も生きているから。


 茨木先輩の悲しみをどうにかしてあげたいけど、今のあたしには無理だ。

 この身を捧げても良いと思えるほど鬼の茨木童子を好きになったら別だろうけれど――。


「なに、考えてるの? ごめん、雪華。僕が不甲斐ないばっかりに不安な思いをさせてる」

「銀星のせいじゃないよ。……あたしね、頑張ってもどうしようも出来ないことがあると思ったらちょっと切なくなっただけ」


 銀星は手をぎゅっと握ってきた。


「全部がね、上手くいく世界なんてないと思うんだ。だけどさ、僕は雪華が楽しいって思える世界にしたい。雪華には笑っていてほしいから」


 銀星の言葉はあたしの心を軽くした。

 そうだ、ベストを尽くそう。

 ママが言ってたもん。

「あきらめないって決めたらね、雪華。あんがい道が拓けるもんよ」って。


 あたしと銀星が自分たちの教室に向かって歩いていると、足元に狛犬がまとわりついてきた。

 狛犬のわん太だ!

 わん太は普通の人間には見えない。あやかしを見たりする能力が高いかそういう感じやすい体質の人間以外には見えないんだ。


「雪華さま、銀星さま。大変です! 事件です」

「「事件?」」


 待って、もうすぐ一時間目の授業が始まっちゃう。


「妖怪探偵社に依頼が来ました。校長先生からの依頼です。急いで校長室に来てください」


 校長先生から?

 実はうちの中学校の校長先生って私たちと同じ半妖なんだよね。

 校長先生はあやかし女天狗と人間のハーフ。


「どうする? 雪華」

「どうしよう、銀星?」


 あたしと銀星は顔を見合わせた。

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