88.クワィエット・システィマ号

「もどったぞ、システィマ」


 アルテムは、何故か議長官舎には泊まらず。

 その裏のフリースペースに停泊している、黒塗りの卵を押しつぶしたような形の、宇宙商船の中に入って行って。

 スーツを脱ぎ、ネクタイをほどいて、リラックスした様子でリビングホールのソファーに腰かけた。


「あら? アルテム。お帰りなさい。今日は戻らないのじゃないかと思っていたわ。いつも戻らないことが多いから。大変なのでしょう? 色々と」

「ふん。全くだな。あの効率性をどうしても呑み込めない、古い官僚や議員共は。私が精神汚物を吸ってやって、万事処理してやらねば。使い物になったものではない」


 黒い滑らかな長髪を持つ、白いロングドレスに身を包んだ女性。システィマという名らしい。アルテムは、その女性と言葉を交わし続ける。


「ふう。議長官舎などでは落ちつけぬ。やはり、昔からの家と言っていいこの船でなければな」

「そう言ってくれるのは嬉しいわ、アルテム。何と言っても、このクワィエット・システィマ号は私そのもの。私はこの船のAIナビゲーションドールだもの」

「……うむ」

「でも、貴方。アルテム。あの日から本当に笑わなくなった。全く笑わなくなったわ。貴方が20歳の時にあの顔のあるブラックホールが、私たちの商船隊の前に現れて。ジルガドというあの男が、貴方と話して『何か』をあなたにしてから」


 少し悲しそうな顔をする、システィマだが。アルテムは無表情な顔を少しだけ歪めて、無感情に言い放った。


「その話を哀しそうな顔で、するな。システィマ。あの一事が無ければ、今の私の地位は有り得なかったのだからな」

「わかってる。あの男と会ってから。貴方は、何をされたのかはわからないけれど、鋼の心を手に入れた。いえ、むしろ永遠に変わらないダイヤモンドに心臓を入れ替えてしまったかのよう……」

「心配をするなシスティマ。いや、心などという、不確かなものに動かされるな。あれは、目的を持つ者にとっては大きな毒や障害となるものだ」

「人間のあなたが……、そんなこと言うなんて。私たち疑似心理しか持たないAIは、何よりも本物の心というものに憧れて焦がれ続けていると言うのに……」

「そんなにいい物ではないぞ、心とは。嫉妬に恐怖に絶望に無気力。これらすべては心の働きである心理がもたらすものだ。私は、そんなものに動かされぬ。目的を為すために、効率的に、不動の意志を持って。ただ作業を行うのみだ」

「作業……? 貴方、違う。あのジルガドと会うまでは、貴方は作業などを行ってはいなかった……。貴方は、夢に向かって歩んでいたのに」

「……システィマ。お前も無駄口が過ぎるな。うるさいぞ?」

「……御免なさい、アルテム。そうよね、心を持たないAI如きに。人間のあなたに向かってこんなことをいう資格はないわ。本当にごめんなさい。わたし、もう休むわ」

「そうだな。機能にエラーが出ているようだ。キリアンの奴、初期設定に不備があるぞ、このクワィエット・システィマ号は……」

「……本当にごめんなさい。ポンコツなのね、私」

「うるさいから、もうさがれ」


 アルテムは、最初にシスティマに向けた表情に比べて。

 僅かではあるが不快な表情を浮かべて、彼女を追っ払い。


 ソファーに座り直して強い酒をタンブラーに手酌で注いで。

 何かの憂さを晴らすように、煽るのだった。


   * * *


「旧カルハマス星系、現アンゼルリング星系に到着。第四惑星の旧惑星アーナムは、現在は惑星エルデンと改名されているようです」


 さて、イデスちゃんとシオンさんと。

 何でか、ついてきているマルテロと。

 それから、もう一つの命。


「すいません、シオンさん。イデスちゃんは船から出られないものですから……。もし、おじいちゃんが変わらずに惑星アーナムにいるものならば、娘のミリアムを抱かせてあげたいと思って……」


 二歳になる、僕とイデスちゃんの娘のミリアムを。シオンさんがあやしてくれている。


「いいのよー、ユハナス君。この子可愛いじゃない。流石に、そこそこイケメンのユハナス君と、超絶美少女から美女にクラスチェンジしたイデスちゃんの子ねー」


 口の中で溶ける喉に詰まらない、動物の形をした色とりどりの低カロリーグミの袋を、ミリアムの手から受けとって、その口を開けて中からグミをつまみだして、ミリアムの口に入れてくれるシオンさん。


「何かスイマセン……。僕もシオンさんには15歳の頃から面倒を見ていただいているのに、娘まで……」

「おっほほ。中年女ってものはね? 若い男や幼い子供が大好物なのよ? 発散しているエネルギーを受けて、アンチエイジングができるからね♪」

「……シオンさんって、化物だったんですか? 歳の割には、妙に若いし……」

「たとえ話よぉ。本気に受けとるんじゃないの!!」

「いや、シオンさんだったら本当に精気吸いそうだなって……」

「こらぁ!!」


 僕と冗談を言い合っていたシオンさんが、戯れに杖で僕の頭を叩く。


「シオン様。主人が失礼をいたしまして……」


 イデスちゃんが、突然黒のロングドレスの裾を引いて、シオンさんに謝る。


「? どうしたの? イデスちゃん。シオンさんと僕は、冗談を言い合っているだけだけど?」

「そう思っているのは、ユハナス様。貴方だけですわ」

「え?」


 僕がその声に、シオンさんを見ると。

 シオンさん、ちょっと泣いてたんだ。


「シオン……さん? どうしたの?」

「えへへ……、あっは、我ながら未熟。ニレディアの高司祭ともあろうものが……」


 シオンさんがそう言って、手首で涙を拭いていると。


「ユハナス君、君は無神経だな。シオン殿とて、美麗可憐な女性。高司祭の座にずっとあり、子を生してこれなかった彼女が。己の年が既に子を身籠れぬ年になった時、君の子のようなかわいらしい子供を見てみろ。嫉妬はせずとも、幾ばくかの悲しみは感じるものだろう、己の人生に対してな」


 そんな言葉をマルテロが放った。

 なんだよ、このマルテロ。

 人の心理の分析が鋭すぎるじゃないか。

 まだ僕らの仲間では新参者の癖に。


「マルテロ、黙って。私は、生臭坊主だけどさ。これでも、信仰心は強いんだ。神に誓って、一生異性と交わらないって。誓いを立てたのは私自身。変な情けは心に不快。黙っててよ」


 シオンさんがそう言うと、マルテロはきょとんとした顔を一瞬した後。

 余裕に満ちた表情になってこう言った。


「承知いたしました、レディ。ミス・シオン・カデュス、お茶でもいかがですか?」


 そんな事を言って、ティーポットにお湯を入れて。

 人数分の紅茶を淹れ始めるマルテロだった。

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