第20話、西麻布隊の遭難Ⅳ

 目の前の光景に、西麻布が呆然としていると、やがて蒸気とダイヤモンド片で出来た霧が晴れる。

 その向こうに佇んでいたのは、黒いジャージ姿をした青年、眠士郎だった。

 ダンジョン報酬として出現した大量の魔素が白煙となって、彼の体にまとわりついている。


「……ずいぶん強そうな奴だったけど、通常モンスターだったか。

 さすがにボスがこんな弱いはずないもんな。

 ってことはヤバい。

 辺りを警戒しないと……!」


 眠は呟くと、不安そうに周りをキョロキョロし出した。

 やがて彼は、放心状態で座ったままの西麻布と目が合う。


「え……西麻布さん? なんでこんなところに……!?」


 眠が疑問を口にした。


 一方、西麻布は声すら出せないでいる。

 絶体絶命の窮地から脱したことで安堵していたからだ。

 やがてその目から、ポトリと涙が零れ落ちる。


「……ッ!!」


 だが西麻布は、すぐに涙を流している自分の姿に気付いた。

 自分は気高く美しい、日本一の女子高生探索者である。

 そんな自分が他人の前で涙を流すなどあってはならなかった。

 しかも、よりにもよってあの眠士郎の前である。

 その事が屈辱に感じられて、彼女は即座に普段の強気さを取り戻した。


「ハアアアアアアア!? それは私のセリフよ! アンタこそなんなの!! なんでこんなところにいるのよ!?」


 西麻布が甲高い声を上げながら立ち上がって、眠に詰め寄った。

 ナイフのように鋭い目つきで眠を睨みつける。


「えっ……えっ!?」


 突然敵意をむき出しにして詰め寄ってきた西麻布のあまりの剣幕に、眠はすっかり怯えてしまった。

 以前グリーンスライムと戦った時のことを思い出したせいもある。

 あれ以来彼は西麻布を苦手に思っていた。


 それで彼が視線を逸らすと、凍り付いた吉良たちの姿を見つける。


「……あ!

 よく見たら吉良くん!?

 ってか、ほかの人も凍り付いてる!?

 このままじゃヤバイですよ!!

 た、た、助けなきゃ!?」


 眠は慌てて西麻布の下から逃げ……もとい、吉良たちを助けるためにその傍に駆け寄る。

 そして肩に担いでいた使い古しの学生カバンの中から、赤い液体が入ったペットボトルを取り出した。


 中に並々と入っていたのは『紅蓮鳥ぐれんちょう』の魔香水。

 紅蓮鳥は神奈川県にあるDランクダンジョン『炎熱のチェイサー』深層に出現するモンスターで、倒されるとごく稀に魔香水を残す。

 振りかけると筋力STRのステータスが2アップする代わりに、素早さAGIが2ダウンして一定時間体温が上昇するという効果がある。

 眠は自身のレベリング中にかき集めたそれを寒さ対策のために持って来ていた。

 10mlあたり市場価格で1万円はくだらないそれを、惜しみなく凍ったメンバーの頭に振りかけていく。

 どんなに高価なアイテムも、命には代えられない。

 みるみるうちに、西麻布隊メンバーの全身を覆っていた氷が溶けていった。


 だが、誰も目覚めない。

 死んでいるのではなかった。

 スタミナ値が下がり過ぎて全員気絶しているのだ。


 そんな皆の容態に気付き、西麻布が慌てて皆の下に駆け寄る。


「まずい……!

 一刻も早く地上に戻らないと……!

 全員死んでしまうわ……!」


 西麻布が一人ごちる。


 パーティメンバーを全滅させたリーダーなど、プロ失格だった。

 一流の探索者を目指している西麻布としては、それだけはなんとしても避けたい。


(……今から救援を呼んだとして、到着するのには最低三日はかかる。

 このままじゃ全員凍死するのは確実。

 どうする事も出来ない……!)


 西麻布が焦っていると、


「あ、これスタミナ値がヤバイやつですね……!

 俺みんなを担いで帰りますよ」


 眠がさらりと言った。

 その言葉に西麻布は自分の耳を疑う。


「みんなを担ぐ……?

 みんなを担いだまま、あの絶壁を降りるってこと!?」


「そうですね。ちょっと怖いですけど」


 そう言って、眠は崖っぷちに立って下を覗き込んだ。


(何言ってるのこいつ……!?

 オーガを降りて登って、そのうえエクストラボスまで倒して……!

 そんなスタミナ残ってるわけないじゃない……!)


「……西麻布さんは1人で帰れそうですか?」


 やがて眠が尋ねた。

 その心配するような声音に、西麻布はカチンとくる。


「フン!?

 そんなの1人で帰れるに決まってるじゃない! 

 仕方ないわね!

 一人くらい私が担いであげるわ!」


 西麻布はそう返事をすると、気合と根性で吉良を担ぎ上げてみせた。

 スカートから伸びた白い足がガクガク震えている。


「……」


 そんな西麻布の姿に、眠がますます心配そうに彼女を見つめた。

 すると西麻布は、


「なに見てんのよオオオオ!? 

 いいからさっさと先行きなさいよオオオオオ!!」


 顔を真っ赤にして叫び散らす。

 今日一番の大声である。

 その声が「行きなさいよォ……行きなさいよォ……」と辺りの峰に木霊した。


『日本一の女子高生探索者である自分が、万年Fランクでスライム以下のゴミクラスメートごときに舐められるわけにはいかない!』


 その想いからの怒声だった。


 一方、眠はなぜ西麻布が怒っているのか分からない。

 いよいよ怖気づいてしまう。


「あ、えと……じゃ、また学校で」


 結局眠は言われた通りに立ち去ることにした。

 3人を背中に担ぐと、ぴょいと崖から飛び降りてしまう。

 山頂には西麻布と気を失ったままの吉良だけが残された。


「アイツ……!!

 なんなのよ……!?」


 西麻布がぼやいた。

 同時にその場に崩れ落ちる。

 眠が居なくなったことで、気力まで尽きてしまったのだ。

 必死に立ち上がろうとするが、吉良の体に押しつぶされ、手足しか動かせない。

 自分の弱さと情けなさに、涙が出てくる。


「っく……!

 ぐずっ……!」


 そんな調子で西麻布が泣き出してしまうと、


「あ、やっぱキツいですよね?」


 眠が戻ってきた。

 3人を崖下に置いて再び登ってきたのだ。

 慌てて西麻布が涙に濡れた顔を隠す。


「ごめんなさい、抱えちゃいますね」


 眠はそう言うと、西麻布の下に両手を差し込んで体を持ち上げた。

 いわゆるお姫様抱っこである。

 そのままだとバランスが悪いので、体の大きい吉良は肩に担ぐ。


「へ、変態!!? 何するのよオオオオオ!!!」


 途端に西麻布が暴れ出した。

 アッパーカットが眠のアゴに決まる。


「すっ、すみません西麻布さん!

 こうした方が多分安全なんで!

 すぐ降りるからそれまで捉まっててください!」


 言いながら眠が跳んだ。

 はるか上空、虹の上まで。

 彼はまるで虹でできた滑り台を滑るかのように、軽やかに落下してそのまま着地する。


「……」


 眠の凄まじい身体能力に、西麻布は絶句してしまっていた。


「……大丈夫ですか西麻布さん」


 眠がそんな西麻布に気付いて、心配そうに覗き込む。

 すると、みるみる内に西麻布の顔が真っ赤になる。


「はっはっ……! いいかげん放しなさいよド変態イイイイイイッ!! これ以上私に触れたら突き殺してやるんだからアアアアアアッ!!!」


 かつてスライム以下だと見下していた相手に助けられた挙句絶句させられて、西麻布はブチギレ寸前だった。


 一方眠は、


(や……ヤバイ人助けちゃったな……!!)


 彼女を助けたことを半ば後悔しているのだった。

 竜種より怖い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る