第5話 スカウト

「ちょっと、そこの君、良かったらモデルにならない?」


奈々が東京に来て2年目の夏、友達と渋谷で待ち合わせしていた時である。

突然見知らぬ男の人に声をかけられた。奈々は

「え?…私…ですか?…」

と恐る恐る返事をした。

「そう、君のこと。モデル、興味ないかな?」

「あ、あの、その…急に言われても…」

「雑誌 " Lovely " って知ってるかな?その雑誌モデルを探してたんだけど、君を見て何か光るものを感じたんだ。君、名前は?」

「あ、その…私、桜井奈々と言います」

「しばらく君のこと見ていたけど、とてもナチュラルだけどオーラがあったよ。これ、僕の名刺。真剣に考えてくれないかな」

そう言って男は奈々に名刺を渡した。

奈々は少し戸惑いながらも、名刺を受け取った。

確かにその名刺には、雑誌" Lovely " モデル事務所、営業【高舘 智明】と横文字で書かれていた。どうやら本物らしい。名前の下には電話番号が書いてあった。

「すぐにとは言わないけど、なるべく早めに連絡欲しいな。真剣に考えてくれる?」

奈々は名刺を受け取り、しばらくじっと見ながら考え、

「分かりました。少し考えさせて下さい」

と、答えた。

高舘は

「怪しいモデルじゃなく、ちゃんとした雑誌モデルだから、よろしくね」

と言い、立ち去って行った。

奈々はまだ状況を飲み込めなかった。私がモデル?と、まだ信じられずにいた。

ちょうどその時、待ち合わせしていた友達の、【成瀬 葵】が30分遅れでやって来た。

「ごめん、ごめん、遅くなって…。お詫びにランチご馳走するから」

奈々は慌てて名刺を持っていた手を後ろに回し、

「あ、ううん、大丈夫。私も少し遅れて来たから大丈夫…」

と、答えた。


「えー!スカウトー!」

「しー、しー!」

奈々は慌てて口元の前に、人差し指を立てた。

奈々と葵は待ち合わせからすぐに流行りのカフェに行き、ランチを食べることにした。

「葵、声デカいよ」

「ごめん、ごめん、つい大きな声でちゃった。でもさ、雑誌 " Lovely " なんてすごいじゃん。絶対本物だよ。どうするの?」

「どうするって…。まだ分からないよ。エステティシャンは私の夢の1つでもあったし…。」

「えー!もったいないよ。私だったらエステティシャンよりモデルを選ぶけどな」

葵はアイスココアをズッと飲む。

「だって私、田舎者だよ。自信無いな…」

「奈々の生まれは関係ないでしょ?今じゃ田舎出身でも有名人多いじゃん。言われてみれば奈々、身長高いし、髪はロングでサラサラだし、自信持ちなよ」

確かに奈々の身長は168センチと、みんなより高めである。髪の毛はただ伸ばしているだけだった。ちょうど、背中の半分くらいまではあった。

「んー、じゃあちゃんと考えてみようかな…。お母さんとも相談してみるよ」

「うん。そうしなよ。絶対イケるって」

奈々はアイスティーに入っているストローをクルクル回し、真剣に考えてみることにした。


夜になり、奈々はアパートに帰宅した。

8畳1間の1K。都会では申し分ない広さである。

几帳面で整理整頓が得意な奈々は、白を基調に淡いベージュ系で大人っぽい色味で部屋をまとめていた。

そこにベットが目立つように陣取っていた。

奈々は帰って来るさま、すぐにベットに横になった。そしてボーッとしながら、白い天井を見つめた。


(私がモデル?信じられない…。)


高3の時、進路を決める際に迷っていた時、たまたま新聞のチラシでエステティシャン募集を見た。

奈々はバスケを引退した後、少しぽっちゃりになった。もし自分がエステティシャンになれば、お客さんにも喜んでもらえるし、マシンとかのお試しも出来るかもしれない。サプリにも興味あるし、一石二鳥の可能性がある。良し!エステティシャンになろう!

という、単純な気持ちでエステティシャンを希望し、専門学校を選んだのである。


(私に出来るかなぁ…)


次の日の夜、桜井家に1本の電話が鳴った。

奈々からだった。

先に電話に出たのは乃々だった。

「もしもし、お姉ちゃん?久しぶり!都会暮らしはどう?」

「乃々?相変わらず元気そうだね。勉強頑張ってる?お姉ちゃんいなくて寂しいんじゃない?」

奈々は少しからかうように言った。

「乃々は大丈夫だよ。お姉ちゃんこそ帰りたくなったんじゃない?」

「ばーか。まだまだ帰らないよ。ところでお母さんいる?」

「お母さん?いるよ。ちょっと待っててね」

「奈々?電話なんて珍しいわね。何かあった?」

「うん、…。実はモデルにならないかってスカウトされた…」

「え!モデル?ちょっと待って…。モデルって…」

「びっくりだよね。私もびっくりしてる。ちゃんとした雑誌のモデルなんだ。乃々なら知ってると思うけど、" Lovely "っていう雑誌…」

「え?" Lovely " ?待ってね。乃々ー、雑誌の" Lovely "って知ってる?」

電話の向こうで好子が乃々に聞いた。乃々の

「ちょー有名じゃん!」

と答えた声が、奈々の電話越しにも聞こえた。

「急に言われても…。お父さんにも相談してみなくちゃ…。奈々自身はどうなの?エステティシャンは?」

「うん、考えたけど、モデルの方が興味ある。やってみたい。」

「そう…。それならお母さんは反対しないわ。でも一応お父さんにも相談してから、また後で連絡するわね」

「うん。それじゃ、また後で…。おやすみ…」

奈々は電話を切ってからも、まだ興奮していた。


(お母さんも乃々も驚いただろうな…。お父さんなんて言うかな…)


そう考えているうちに、いつの間にか眠りに着いていた。


✤✤✤


数日後、雅紀と好子と奈々は、高舘のいるモデル事務所を訪ねた。

「ようこそお父さん、お母さん。遠いところ、わざわざお越しいただき、ありがとうございます。奈々ちゃんは決心ついたかな?」

「あの、モデルとは…その…具体的にどういった感じのをするのでしょうか?まさか変な…その…」

雅紀が口火を切った。高舘は

「ご両親がご心配なさるのも当然です。中には悪徳のモデル事務所もありますからね。うちの事務所は数々の雑誌や、テレビ関係のお仕事が中心です。それと、ガールズコレクションというランウェイを歩いてもらう、れっきとしたモデルが数多くいます。奈々さんには初めは体重を少し絞ってもらって、歩き方、ポージングなど様々なエキスパートがおりますから、そちらの専門にお任せするつもりです。その後、本格的に雑誌モデルから初めてもらいたいと、考えております。」

高舘が説明すると、奈々の目が大きく見開き、光輝いていた。

雅紀と好子は、ちゃんとしたモデル事務所だということが分かり、安堵した。

「奈々ちゃんには、専門学校辞めてもらうけど、いい?」

高舘が奈々に確認した。奈々は

「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」

と、力強く答えた。


そして奈々は本格的にモデルをすることになった。


奈々の20歳の誕生日が、過ぎたばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る