第3話 是非ともよろしくお願いします!

マジョリティーのススメ③


本当になのか……、はわからなかったけど、お母さんから直接聞いたのもあって、そうなのかも知れない怖さが、私の長迫さんたち五人への警戒心を引き上げていた、と思う。


(……普通に。……なるべく自然に。あからさまに嫌ってるような態度を取らない。でも関わりは最低限の挨拶だけにして距離を取る。)


お母さんに何も話さないままだったならしただろう反応とは全く違ったことをするために、何回も心の中で呟いては、頭の中でシュミレーションをした。

表面上で大切なのは『建前』で、本当のことを馬鹿正直にペラペラ話してしまうと反感しか買わない。

心の中でどんなに酷いことを思っていても、その本心を実際に口に出し、誰かに聞かれた時点で負け。

逆にどんなに薄ら寒い建前の綺麗事でも、それが自分の本音で間違っているのは相手なのだと周囲の人間を味方にできれば、それを主張する人間がどれだけ酷いことをしても、それは間違いを正すためだからしょうがない。……相手が間違ったことをする悪い人間だから、多少は酷いことをされてもしょうがない。……と、本当は間違っていても、印象操作次第で結果が真逆になるのは珍しいことじゃないんだから。


『よく“みんな”がって言うけど、たかが一つの学校の中のみんなって、そんなに大した人数じゃないでしょう?

その少ない数の人間が決める良いも悪いも、大抵は適当なものよ。

一見“正しい”と決まった結果が、大事になって世間に暴露されたとき、その問題が起きた元凶は、声高に正しさを訴えて周囲の賛同を集めていた人物だった……、なんてのよくあるわよ?

そのときに大切なのは正しさでも何でも無くて、どれだけ相手より早く、多くの人間を味方に引き込めるか。

クラスで見れば一年。小学校は六年。中学高校ならどちらも三年。

しかも同じような問題は何度も起きる。

みんないつかはわかってくれる?

ないない。そんなことは殆ど無い。

一回でも貼られた悪いレッテルは長く後を引くの。事あるごとに誰かが蒸し返してくる。当事者とは全く無関係で、関わりも何も無い赤の他人が尾びれ背びれのついた噂を広めてたりね。

後でそれが間違いだってわかっても、疑いの目で見てくる人は絶対いるし、人の腹の底は見えないんだから、味方してくれていた人が実は……ってことも。

余計な苦労がふえるだけで良いことなんかないわ。

同じようなことが起きたときに、悪いことだってわかってるのに、なんでまた同じことをする人が出るんだろうな?って悪人として思い出されるだけよ。』


……そんな話を当然のようにするお母さんの後ろで、一週間くらい前に同級生を滅多刺しにして騒がれていた子が、実は事件の被害者から何度もカツアゲされていたというニュースをテレビが淡々と流していた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆


朝から心臓をドキドキバクバクさせながら登校して、拍子抜け。


宮野さんがグループから追い出されていたのと、昨日騒動を起こした五人に対する妹尾くんと彼の友だち数人の視線が冷ややかなのを除けば、私への態度は何も無かったみたいに普通だった。


……いや、違う。前より少しだけ気安い……、というより、妙に馴れ馴れしくて、自然と身体が身構えてしまう。


グループのリーダー的な木戸さんなんか、挨拶以外では離れている私のところまでわざわざ来て、ドラマやアーティストの話を振ってくる。

あまり興味無さそうに相槌を打ったりはしたけど、なんか、気持ち悪い。

昨日のことを反省した。とかじゃ無いのはわかってる。


……だって、


残った四人で、私じゃない知らない誰かの悪口を、得意げに延々と喋りまくってたから。

昨日の今日だったのもあってか、彼女たちの話に同調する人は少なかったけど、全くいないって訳でもない。

……聞く気は無いのに聞こえてくる会話で、次のターゲットが木戸さんのご近所さんの家へ里帰りしてきた娘さんだとわかってしまった。


「ブクブク太ってみっともないと思って見てたら、なんかその女、双子を妊娠してるんだって。しかも臨月!

ボテ腹って一人ぶんだけでも醜いのに、腹押さえながらヨタヨタ歩いててさ〜?顔も大したことない癖に畜生腹って、もう女として終わってる。ってか、人間として終わってるよ、あれ」


あんなのが近所を徘徊してるのを何ヶ月も見ないといけない私かわいそー。


って嘲笑ってた。

……度が過ぎるスラングと不快な言葉のオンパレードで、聞いてるだけで気分が悪くなりそうだった。……意味がわかるから、余計にそう思うのかも知れないけど。

……けど。彼女たちはそう思わないみたい。

本気か冗談かは別にして、そうだそうだとヤジを入れる人もいるからか、どんどん言葉もエスカレートしていって、キャハキャハはしゃぐ声がすごく下品で、不快。そこには悪気しかなくて、気分だけがどんどん悪くなっていく。


(『畜生腹』って、意味はわかるけど、今じゃドラマとかの創作でもそうそう出てこない言葉なのに、本当に言う人いるんだ……。私も聞いたのなんか初めてだし……。

実際に聞くと本当に酷い……。

……確か、子どもを一回の出産で二人以上産むことを、多産が普通の動物に例えて蔑んで罵ること……、だったっけ?

昔は双子が不吉とか言われてこともあったから……。)


……聞いてるだけでも苦痛でやめて欲しかったし、思わず静止の言葉が出そうになったりもしたけど、そうしたらまた絡まれて騒動に巻き込まれるのがわかってたから、知らないフリをして近づかないようにだけ気をつけた。

昨日の彼女たちのことを怒っくれた美奈が、あまりの酷さに我慢できなくなって、何度も悪口を止めようとしたのを宥めて彼女たちから遠ざける方が大変だった気がする。

美奈には『何で止めるの!?』って言われたけど、今は特に関わりたくないから、とだけ返したら、しぶしぶ納得はしてくれた。……本当にしぶしぶだったけど。

『不本意です』ってのがモロに顔に書いてあった。ごめんね?でも美奈にも私みたいな思いはして欲しくなかったから……。

一番は彼女たちと関わるのが嫌でそうしただけだったど、美奈が私と同じことを思ってくれていたのは、少し嬉しかったな。


耳に嫌な話題が入ってくる以外には問題が起きることもなく放課後になって、部活もいつも通りに始まって、終わった。

梅雨に入る前の、晴れて明るい道中をすっきりしない気持ちのまま帰り、まだ暗くはなっていないけど、日が落ち始めて気温が落ち着いた家の外にお母さんがいて、何か作業をしているところへ声をかけた。


「ただいまお母さん。何してるの?

今日はお婆ちゃん、ガーデニングしてないんだね。」


お婆ちゃんはお父さんのお母さん。

一年ちょっと前にお爺ちゃんが亡くなって、七十歳を過ぎたお婆ちゃんの一人暮らしを心配したお父さんがお母さんと相談して同居になった。

お母さんの方のお婆ちゃんも一人暮らしだけど、私たちの家とお婆ちゃんの家がそこまで遠くないことと、お婆ちゃん本人が一人の方が気楽だからという理由で、お母さんは勿論、お母さんのお兄さんとの同居話も出なかったらしい。


ミニ脚立に乗って植木の枝を弄っていたお母さんが振り返り、お帰りなさいと返してくる。

手には軍手じゃなくて、百均でも売ってる使い捨て手袋を嵌めていて、その中には茶色っぽくて丸いものが握られていた。

大きさは……、テニスボールより小さいかも。

枝を切るときに必要な剪定ばさみは持ってないみたいで、だったら何をしてるんだろう?と気になった。


「ああ、さっき宅急便を受け取ったときに蜂が飛んでいるのが気になって出てきたら、小さいけど植木に蜂の巣を作られていたから取ったのよ。」

「え゛。そんなの素人が取って大丈夫なの?刺されたりしたら危ないよ!」

「今回のは大丈夫よ。アシナガバチだし、まだ働きバチがそんなにいない蜂の巣だから。流石に蜂がうじゃうじゃいる巣を見つけたら、プロに任せるわ。刺されて病院送りになりたくないし。蜂を刺激してご近所に迷惑もかけたくないからね。」


どうやら手に持っている茶色の物体は蜂の巣で、よくよく見れば、地面に子ども用のミニ虫取り網が伏せて置いてあり、網の中には数匹の蜂がブンブンと暴れている。

お母さんは蜂の巣を持ったまま、使い捨て手袋で巣を包むように裏返して取り、それをまたもう一方の手に握って同じようにして手袋の中に蜂の巣を閉じ込めた。それを更にズボンの腰のところに挟んでいたビニール袋に入れて口を縛ると、それ地面に置いて代わりに虫取り網を手に取る。

そして蜂が入ったままの網を硬い地面にバシバシと叩きつけ始めたのだ!


「!ちょっ!!お母さん!」

「可哀想だけど、逃してまた巣をつくられても困るし、何よりご近所さんの敷地で作られたら、こちらからは何も手を出せないからね。

女王バチと働きバチ合わせて五匹しかいなかったから、巣の規模的にも、戻りバチもそんなに数いないでしょ。

……違う蜂にまた巣を作られることはあるかも知れないけど、小さいうちにまた取れば良いしね。」

「…… えっ。そんなに頻繁に作られてるの?」

「このくらいの巣なら、毎年少なくても二つ三つ処理してるわよ。作られなかった年がないから、見つけてもいちいち話したりしてないだけ。

一回も刺されたとか言って騒いだこともないでしょ?

でも、去年ややこしい場所に作られた巣の発見が遅かった所為で、三百匹越え四十センチサイズになった巣は、ちゃんと駆除業者さんに頼んだじゃない。

それは琴音たちにもちゃんと注意したし。

うちではまだ無いけど、スズメバチとかミツバチはアシナガバチよりずっと危ないから、見つけたら即駆除業者に任せるつもりだし。ね?」

「………」


お母さんは縛っていた袋の口をもう一度開いて、もうピクリとも動かない蜂の死骸を片付けながら、何でもないことのように言う。


そういえばそうだった……。

去年の夏休みの終わり頃、滅多に開けない物置きの中に蜂の巣があるとわかったときは、すぐに駆除業者を呼んでいたっけ?

あの蜂はアシナガバチだった筈。

洗濯物を干すときに周囲を飛び回る蜂は多いのに、肝心の蜂の巣が見つからないってお母さんがぼやいてて、見つかったときは自分で処理するのは無理って言って電話してた気がする。

長期間の腐食で錆びて空いた穴から出入りしてる蜂を、休日に庭の植木の剪定をしてたお隣の家の息子さんが見つけたとかで連絡が来たんだった。

穴から出入りする蜂の数がかなり多いから、物置きには絶対近づかないようにって注意された覚えがある。

そのときは物置きを開けたりせずに駆除を依頼したんだって。

……気になって尋ねてみたら、どれもアシナガバチだったらしいけど、毎年敷地内で見つけた蜂の巣を何個も処理してることを教えてくれた。

もぎ取って袋に入れて、可燃ゴミの日にポイするらしい。

多い年には五つも処理したって聞いて、ゾワ。

私は蜂どころか虫全般嫌いだから、聞いただけでゾクっとしてしまう。

……まあ、家族で平気なのはお母さんだけだけど。

お父さんは特にダメで、秋に開けた窓からカメムシが入ってきたときは、キャーと男の人が出したとは思えない甲高い悲鳴をあげて、部屋を飛び出していったことがある。

……百八十五センチ、八十キロの巨体とは思えない素早い速さで隣の部屋へ逃げていってた。

私とお兄ちゃんは、『うわっ』って声を出しはしたけど、後は無言で部屋を出たのに。

お婆ちゃんは自室にいて騒ぎには参加してなかった。

……お母さん?……お母さんは、壁にとまったカメムシをティッシュでサッと包んで、その上からガムテープを巻いてから外のゴミ箱へ捨てにいってた。


『……家のゴミ箱だと臭いニオイが漏れてくるから。』


……そりゃそうだ。

そういう訳で、家に出た害虫の駆除は、全部お母さんの仕事になってる。


虫取り網も持って、蜂の巣の入った袋を外のゴミ箱へ捨ててくると家の裏側に歩いて行ったお母さんを見送って、私は家の中へ先に入ってしまうことにした。

私たちが少し立ち話をしていた間に周囲はもうかなり暗くなっていて、あちこちから今日の夕飯だろう料理のいい匂いがひっきりなしに鼻を掠める。部活で酷使した体が補給を求めて、きゅーっと小さくお腹を鳴らした。


「あら琴音ちゃん。今帰り?」

「お婆ちゃん!」


七十歳を過ぎたなんて嘘みたいに、シャンと背筋を伸ばしたお婆ちゃんが、さっき私が通ってきた道の曲がり角から姿を見せ、足早にこっちへ向かってくる。


「うんそう。お婆ちゃんは?」

「お婆ちゃんが先生をしてた時代の知り合いから相談を受けたから、家まで行ってあげたの。

去年就職した息子さんなんだけど、希望の会社に就職できたのは良かったんだけど、お仕事が上手くいってないらしくて悩んでてね。

どうしたらいいか一緒に考えてあげたのよ」

「そうなんだ。退職してから何年も経ってるのに相談がくるなんて凄いね!」

「まあ、お婆ちゃんには長年の経験があるからね。助言しかできないけど、先生してたときも悩んでる親御さんの話を親身に聞いて、色んな相談にのってあげたのよ?」


にこやかに笑いながら話すお婆ちゃん。

お婆ちゃんは定年まで小学校の先生をしていて、今もそのときの友だちと旅行へ行ったり、教え子から招待を受けて何かの展覧会を見にいったりしている。


そうこうしていると、手ぶらになったお母さんが戻ってきた。


「お義母さんお帰りなさい。すぐご飯にしますね。」

「そうね。上着を脱いだら行くわ。

……それにしても、この時間に結衣さんが外へ出てるのは珍しいわね。宅配便か何かきたの?」


不思議そうに聞くお婆ちゃんに、お母さんは家の中へ入りながら私にしたのと同じ説明を始めた。

それを聞いたお婆ちゃんの表情が険しくなる。


「……結衣さん。蜂に刺されたりしたら危ないんだから、自分でとったりしないでちゃんと業者さんに頼みなさい。」

「はい。自分の手に負えないと思ったら、無理したりは絶対にしないので大丈夫です。」

「……そうじゃなくて、蜂の巣を自分でとろうと思わないの!

危ないし、何より気持ち悪いでしょ?」

「……でも、毎年何個も見つけるんで、毎回頼むのも、……ちょっと。」

「そんなの、面倒臭がらないで頼みなさい。」

「……いえ、面倒臭い訳じゃないんです。」

「じゃあ何が問題なの?」

「……一回くらいならしょうがないと思うんですけど、何回も頼むとなると出費がかなり大きいんです。……だから自分で処理できるようなら自分でしてるんですよ。」



はあ



ちょっと困った顔をしながらも、しっかりと反論するお母さんにお婆ちゃんが大きな溜め息を吐いた。

私にもわかったくらいに、呆れているのがわかる溜め息。

……だけどお母さんは『はい』とは言わないで薄く笑っている。


「一回や二回大丈夫だったからって、自分を過信しないの。

刺されて病院に行くことになったら、治療に節約した金額よりもっとお金がかかるんだから……。それに結衣さん自身が苦しい思いをするでしょう?

それでも嫌だって言うなら、二、三千円くらい私が出してあげるから、ちゃんと頼みなさい。」

「……いえ、二、三千円で駆除してくれるなら頼みますよ。」

「えっ?」

「蜂の種類と巣の大きさ、後は巣がある場所なんかにもよりますけど、安い業者でも最低一万くらいはします。一度に二つ以上の巣の駆除を頼んだら、二つ目以上は割引きされますけど……。

……去年駆除を依頼した蜂の巣は大きかったし、蜂の数も多くて、更に狭い物置きの中で作業がしにくかったので、税込で二万近くしましたよ。」

「そんなに高いなんておかしいわよ。……結衣さん。貴女ちょっと大袈裟に言ってない?」

「言ってないです。そのときの請求書まだありますよ。見ます?」

「……まあ、それなら信じるけど。

でも、駆除を頼んだ蜂が特別だったから高かったんじゃないの?他の蜂だったらもっと安いでしょ?」

「いいえ。他の蜂で同じ規模の巣だったらもっと高額でした。アシナガバチは蜂の中でも比較的危険度が低いので安かったんです。」

「!二万で安いの!?嘘ついてるでしょ!」

「スズメバチだったらもっとしました。ミツバチもアシナガバチよりは危険なんですよ?」

「そんなのボッタクリじゃない!ちゃんとしたところに頼まかったの!?」

「ボッタクリじゃないですよ。普通です。むしろ大手の駆除業者じゃなくて、地域で依頼を受けている個人の専門業者さんを頼んだので、少し安かったくらいです。後処理もしっかりしてくれて、また頼むときはお願いしようと思ってるくらいですから。」

「えっ!?そんなよくわからないところの人を家に入れたの!信じられない!何かあったらどうするの!」

「お義母さん、それ偏見ですよ。

この辺は山も近いので蜂の巣を駆除するお家は珍しくないんです。

だから、私の頼んだ専門業者さんも、昔からずっと続いてる業者さんで、お子さんはうちの校区の小中学校に通っています。

おかしなことをして信頼を失うようなことは、地域に根付いてる業者だからこそ、絶対にしませんよ。」

「……私だったらもっとちゃんとしたところに頼むわ!」


話の内容が少しずつ逸れていき、だんだんと内容が不穏になっていく。

お母さんはお婆ちゃんと話をしながら今日の夕飯を温め始め、お婆ちゃんは持っていた鞄もそのまま、エプロン姿で台所を行ったり来たりするお母さんの横に立ってずっとダメ出しをしていた。


週末処理があって、お父さんの帰宅は遅い。

部屋着に着替えるのは夕飯の後にして、手洗いうがいの後は、次々と皿に盛られていくご飯を食卓に運びながら、終わらないお婆ちゃんのお説教をなんとはなしに聞いていた。


「……もういい加減にしてくれよ。ご飯だろ。」

「真一。お箸持っていってくれない?」

「……わかったよ。」


先に帰ってたらしい中学生の弟が二階から降りてきて、私の方をチラリと見てからお婆ちゃんを非難するように声をかけた。

蜂の巣駆除を業者に頼むのは私もお婆ちゃんに賛成だけど、他の話はちょっと言いすぎというか、押し付けがましい。

真一はダルそうにしながら人数分の箸を並べ、何も無かったかのように椅子に座った。

エプロンを外したお母さんが近づいてくるのを横目で確認して、手の中のスマホをポケットにそっとしまっている。

よくスマホ片手に動画を観ながらご飯を食べるなんて!……とか言われたりするけど、家では昔からご飯のときはテレビだけと決まっていたから、今も自然と手を止めてしまう。


今日の夕飯は、白米、さばの塩焼きにほうれん草のおひたし、具沢山のお味噌汁のザ・和食。皿の端の方に所在なさげに添えられている林檎が極端に小さいのは、黒ずんでいた部分を捨ててしまったから。

お母さんは、

『……まあ、もう収穫の時期はとっくに過ぎてるからしょうがないわね』

って笑ってた。

甘くて美味しい『蜜』の部分が変色するんだって。

お婆ちゃんがスーパーなんかで安いのを買うからだとか何か色々言ってたけど、

『外からはなかなかわからないので関係ないですね!』

と言われて黙ってしまった。

季節外れになるとよくあることらしい。

……まだ何か言いたげだったお婆ちゃんだけど、夕飯を全て食卓に運び終わったので、口を噤んで座り、食べ始めた。


人気のスイーツを紹介していく番組の話で盛り上がって、食べ終えた皿をシンクへ持っていく。

お婆ちゃんは食事中もずっと蜂の巣のことを色々言ってたけど、お母さんは曖昧に返事をするだけで、最後までお婆ちゃんの言うとおりにするとは言わなかった。

真一は食後のアイスを齧りながら片付いた食卓に肘をつき、スマホで動画を見始めたので、自分の部屋へ行くのはもっと先だろう。


脱いで椅子の背に掛けていた上着と、足下に置いていた鞄を持ち直したお婆ちゃんが、二階へ登る階段の一段目に足を置いた状態で、皿洗いを始めたお母さんへ声をかけた。


「……結衣さん。次に蜂の巣を見つけたら自分で駆除しないで絶対に教えなさい。私がちゃんとしたところへ連絡して駆除を頼むから。わかったわね?」


……まだその話続いてたの?

唖然とした私には気づかずに階段を登っていくお婆ちゃんへ、皿洗いの手を止めないままのお母さんが、声を大きくして返事をする。


「二階のベランダの軒先に、アシナガバチの巣がもう一つ作られているので、よろしくお願いしますね!」



『…………えっ!?』



バタバタと忙しく駆け上がっていく足音が、お婆ちゃんの部屋ではなく、ベランダに続く部屋の方へ向かっていくのを聞いた真一が、疲れたような息を吐いた。


「二階の蜂の巣って、少し高いとこに作られて踏み台いるから、休日に取るって三日くらい前に言ってたやつだろ?

まだ小さいからお母さんが取れるって言ってんのに、お婆ちゃん、何でわざわざ業者呼ぶって言ってんの?」

「蜂も場所も危ないからね。」

「お母さん毎年してるのに?」

「心配してくれてるのよ。」

「……絶対違う。業者にもケチつけてたし。

前に来てくれた人の何がダメなんだよ。ちゃんと駆除してくれて、その後の対応もちゃんとしてたんだろ?」

「前の人は知名度が無いからね。」

「それただの差別じゃん。」

「お婆ちゃんにはお婆ちゃんの美学があるのよ。」

「……俺があんなこと言われたらキレる自信あるわ。」

「お婆ちゃんが責任を持ってしてくれるって言ってるんだから、そんなこと言わないの。

お母さんだって、やりたくて毎回蜂の巣の処理してる訳じゃないんだから。

面倒なこと全部してくれるんだからありがたいわあ。

真一はお母さんより二十センチくらい背が高いけど、頼んでもしてくれないでしょ?」

「ぜっっったい無理!だって俺、蜂見るだけでも嫌だから。」


そんな会話をして、真一は納得したようだった。



———一夜明けて土曜日の朝。

朝一で大手駆除業者のフリーダイヤルに電話したお婆ちゃんが、


「電話して聞いたら訪問見積もりはこれからだけど、目安料金は消費税込みで二万二千円だって言われたの。本当に蜂の巣を駆除するのって高かったのねえ。手持ちが無いから結衣さんのクレジットカードで払ってくれない?」


とお母さんに言いにきて、


「でしたら依頼取り止めましょう。

まだ今日のゴミは回収されてないので、今すぐに蜂の巣取って捨ててきます。」


と笑顔で返したお母さんとの睨み合いが勃発した。

今日が可燃ゴミの日だったから、昨日蜂の巣を処理してたみたい。……そして二階の巣は、お婆ちゃんとの言い合いが長引いて諦めた……と。


………これは、お婆ちゃんが悪い、かな?


……結局、二階のベランダの蜂の巣は、でもでもだってとゴネるお婆ちゃんを放って、お母さんがさっさと処理してしまった。

昨日と同じくらいの大きさの蜂の巣を見せてもらったけど、巣にいる蜂は一匹だけだったみたい。

その蜂の運命も昨日と同じ……。

……本当に手慣れてる。

ただ、もう気温が上がっていたので、餌とりにいってる戻りバチが何匹もいる可能性があるって言ってた。

蜂は夜活動しないから、昨日わざわざあの時間に処理してたんだって。


『……やっぱり昨日取ってしまえばよかったわ。

朝の忙しいときに焦ってたら、怪我とかもしやすいし。』



これは、お婆ちゃんが悪い。

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