第2話 迷惑()をかけるな!
妹尾くんが出て行った後、教室には何とも言い難い微妙な空気が広がった。
クラスメイトの大半は、顔を見合わせて愛想笑いを浮かべあう。
妹尾くんと仲の良い男子二人が、慌てて彼を追いかけていなくなった。
彼に名指しで吐き捨てられた二人は完全に固まっていて、後の三人は黙ったまま目線だけを示し合わせ、長迫さんにだけ声を掛けると、彼女を慰めながら教室を出て行く。
宮野さんは悲壮な顔で周囲をキョロキョロと見渡していたけど、誰も視線を合わせない。
……こういうときはそれなりにある光景だ。
担任の笑顔は盛大に引き攣っていて、だけどその顔のまま、何事も無かったかのように生徒たちの退出を促していた。
研修だか何だかが重なって、顧問の先生の二人ともが不在のために、部活が休みなのは知っていたから、トボトボと校門を出る。
今日のような日だからこそ、思いっきり体を動かしてこのモヤモヤを発散してしまいたいのに……、ツイてない。
いつもは億劫な準備体操の時間さえ羨ましく、運動場から響いてくる号令には、聞こえない振りをした。
気分が晴れないまま夜まで過ごし、さっさとお風呂に入って寝てしまおうと脱衣所で服を脱ごうとしたら、ズキっと左肩から背中にかけて痛みが走った。
出そうになった悲鳴は、学校での騒動が思い出されて、くぐもった呻き声にしかならなかったけど、タイミング悪くバスタオルの束を持ってきたお母さんに聞かれ、昼間の騒動のことを洗いざらい話す羽目に……。
恥ずかしさと情けなさでかなり軽く端折って話したのに、お母さんは真剣な顔で聞いてくれ、私が驚くアドバイスまでしてくれた。
「無理に仲良くしようとか思わなくてもいいけど、明日からその子たちを無視したりしないようにね。
挨拶だけはするとかでいいから。とにかく、周囲から険悪になっていると見られないように。
琴音から聞いた感じだと、宮野さんがその子たちから仲間外れにされそうだからね。
もしそうなってクラスでも孤立したら、そのうち琴音がそうするように言い出したとか言われそう。だから、その子たちに関係する噂は特に注意して聞くように心掛けなさい。
グループ内の、しかも直前まで仲良くしていた一人に自分たちの罪もなすりつけて、知らん顔が出来る子たちだもの。
そんな性根の腐った子たちが、このまま大人しくなるなんて有り得ないから。ほとぼりが冷めてきたら、思い通りにならなかった仕返しで琴音にちょっかいをかけてくるわよ?
気をつけなさいね。」
……少し意地の悪いアドバイスだったけど。
……いつもは私の友人関係に対してとやかく言うことなんか無かったから、言葉選びがかなり辛辣で驚いた。
……普段から、人の悪口なんて全くと言っていいほど言わないのに。
でもよく思い返してみると、これまで私がイジメの標的になったり、そういう騒動に巻き込まれたりしたことが無かったので、聞く機会が無かっただけで、そう言えば、家族にはいつも言いたいことはキッパリハッキリ言っているなあと思い直した。
……言ってること自体は、なるほど、ありそう……、と納得もしてしまったし。
どうやら長迫さんに叩かれた背中に、それなりの大きさのアザが出来ていたらしく、お母さんのスマホで写メを撮られた。
本当は病院へ行って診断書を貰いたかったらしいけど、それこそ大袈裟すぎると私が嫌がったのでそうなった。
これからの学校生活で何もなければ、『証拠』を使って何かをしたりはしないけど、もし怪我をしたと言った長迫さんや彼女の保護者、そして彼女の周囲の人間が、自分たちの都合の良いように吹聴して因縁をつけてくる事態になったとき、言い返す材料が無ければ私が悪者にされてしまうから……、って。
問題が起きたとき、時間が経っていればいるほど、そのときは私の味方をしてくれんた人も、もしかしたら相手の味方になってしまうかも知れない。
嘘か本当かは関係無く、相手が怪我をして、私はしていないとみんなに認識された事実を、揉め事を起こそうとする人は私の弱みとして責めてくるから、って。
……言われれば、それはそうなんだろうって思っちゃった……、けど!
……お母さんって、私や弟に怒ってるときなんかより、実はめちゃくちゃ怖い人なんじゃ?
子ども同士の小さなトラブルにまで親が出てくると、色んな意味で嫌がられるし、その子どものほうが周りから遠巻きにされる。先生に告げ口することとはまた別だけど、大人の権力って言うか、そういうのを使いやがってって見下されて、たいていの子どもはその声に賛同する。
……誰から見ても“それ”は仕方がないと黙認されるのは、手遅れになってしまったときだ。
だから、今回のことでお母さんは何もする気が無いし、私もして欲しくない。
でも、ほとんどの人がそう思うことが多いからこそ、『大丈夫』だとタカを括って手を出されることもある。……というか、出してくる、って。
私におかしな嫌がらせが行われるようになったりしなければ、何も知らなかったことにするけど、多分そうはならないから、小さなことでも隠さずに話しなさい。対処なんかを一緒に考えてあげられるから。と言われた。
お母さんが言うには、親が出ていくとその子どもは、自分の力では何もできないのかと見下されるし、すぐ親が出てくるような人とは、面倒だからあまり関わり合いになりたくないと遠巻きにされるけど、表立った酷いイジメにまでは発展しにくいらしい。
……精々陰口を叩かれるくらいで、集団で無視まではされない。
何故かと言うと、子どもの喧嘩にすぐ入ってくるうるさい親は、学校へもすぐ苦情を入れてくると予想できるから。
それが『イジメ』だった場合、先生たちはどれだけ心の中でその保護者を鬱陶しく思っていても、保護者を納得させるため、一定の対処をせざるを得なくなる。
……と言うことは。その原因になった子どもは先生から呼び出されて注意なりなんなりの指導を受ける。
それは先生から目をつけられることと同じで、よっぽどじゃない限り、素行不良のレッテルを貼られたくない子どもは、自分にとって都合の悪い相手との関わりを避けるようになる。
結果、親の過保護な守りを持つ子どもは、イジメとは呼べない程度の余所余所しさの友だち付き合いしか出来ない代わりに、それなりに平穏な学校生活を送ることが出来る、んだって……。
……あくまで確率的に、そうなりやすい….、ってだけらしいけど。
ついでに言うと、そういう意味でうるさい親は、教育委員会とかへもすぐ苦情を入れるので、そこからのお叱りなんかをされたくない学校は、事が発覚する前までに、内々で処理してしまいたいと考えるから、先生たちは嫌でも、積極的に生徒間のトラブルを解決しようと介入するようになるらしい。
見て見ぬふりで知らぬ存ぜぬが通ってしまうのは、被害が小さいときに、被害を受けた側が事を荒立てたくないとか、まだ大したことが無いとかで、被害を受けた本人が我慢してしまい、それでも大きな事件になることはあまり無いので、余計な手間を嫌って、気づいていても手を出さないまま様子見することが多いため。時間経過で諍いごとの火種が消えてくれればなお良し。
そして、火種が消えずに燃え上がってしまい、いざ周囲に助けを求めなければどうしようもならなくなってしまうと、今度は『大きな』被害が『発覚』したその事実自体が、先生たち、しいては学校の指導力不足と見られ、評価を下げられてしまうため、何とかして『無かった』ことにしようと隠蔽を画策し始めるのだとか。
これは『イジメ』が起きたことが表に出た時点で評価が下がるような評価システムになっている弊害で、学校内で『イジメ』が起きたこと=能力が低いと判定されてしまい、その後にいくら上手く事態を収めることが出来ても、その部分は評価されるように出来ていないため、周囲の目を気にする人ほど、何も無かったことにしてしまったほうが楽な上に高い評価が貰えるので、『お互いにふざけていただけ』『被害者も一緒に楽しそうにしていた』発言が横行してしまう。そしてこれが通れば『イジメ』は無かったことになるし、被害者側より権力があり、発言力も強いことのほうが多い教育関係者たち、特に責任を取らなければならない人たちがこぞって乗っかり、無かったことにしてしまう。
良い学校、良い先生の元で『イジメ』が起きるなど有り得ない!
だから、『イジメ』が起きたということは、学校、先生が悪いから評価下げるね!
……違います!『イジメ』じゃなくじゃれあいです!勘違いした子がいただけで、我が校に『イジメ』などありません!
我が校は素晴らしい学校です!
……となる。
……取り返しのつかない事態になってからさあ本番と、揉めに揉めるのは、これが原因。
もう被害者本人が反論も弁解も出来ないことをいいことに、被害者側に騒動とは全く関係の無い落ち度があってそれが原因だから、学校その他は悪くない!とされてしまったりもして、大紛糾するのは、私だって知ってることだ。……けど。
「……そんなの特殊な事例でしょ?」
「人権作文で賞取った生徒がイジメの主犯だった。とかよくあることよ?
お母さんと一緒の私立高校受けた子に、『私の良いところはいつも笑顔でみんなを明るくできることです!』って言ってた女がいたけど、その子、口が上手くて、人を使って常に誰かを虐めてたわ。自分では直接手を下さないようにしてた。
テスト前に教科書借りパクさせて困ってるのを見て笑ってたり、遊ぶ約束して、集合場所に一人だけ来なかったって数人で責めたてたり、よく次から次に悪だくみのネタが出てくるなあって思ってたもの。
……確かにいつも笑顔だったし、結構大勢で嫌がらせの被害で困ってるダーゲットの子を見ては、明るくせせら笑ってたけどね。……物は言いようようって言うでしょう?」
「………」
小学校なら六年、中学高校ならそれぞれ三年間しか関わらないだろう赤の他人より、自分の身が大事。……先生たちが保身に走るのはしょうがない、って。
そうじゃない先生もいるにはいるけど、そういう先生ほど現場主義で権力を持ってないし、権力を持つ地位にいても、周囲はそうじゃないことが大多数なので孤立しやすく、上手くいかない。
……具体的にどうなるのかと聞いたら、失望して辞めるか、身体を壊す……。
よって、必然的に事勿れ主義で保身の上手い人が多くなってしまい、悲劇が繰り返されていく。
初期のころに解決しておけば、かける労力も少なかっただろうに、それを怠って殺傷沙汰になったり、自傷騒動が起きたりしてしまった後では、事態が解決すらしないかも知れない状況で、とんでもない労力を費やした挙句に、事件が解決しようがしまいが、評価は確実に下げられて踏んだり蹴ったりを押し付けられてしまうデススパイラル。
しかも言葉にしないだけで、私も在籍してる公立校の学校は、明確にピラミッド組織であり、立場が上の権力者に逆らおうものなら、即座に『冷や飯』を食わされる。
だから、経験豊富な先生ほど、言動を取られないよう、丁寧でやんわりと、何重ものオブラートと八つ橋に包み込んで
……というか、そうならないとやっていけない。
「担任の先生から見た琴音は生徒で自分より下だから、逆らうな、ってことよ。多分、無意識だと思うけど。
教頭先生がそばにいた間は引き下がってたんだから、間違い無いわね。」
今回の騒動では姿を見なかった校長先生の方針何如では、今後私が窮地に陥る可能性もあるとのこと……。
……なにそれこわい。
……思っていても口に出す人が少ないことを、ズバズバ言うお母さん。
朧げに知ってはいたけど、実際に聴くと思っていたより何倍も酷く聞こえる。
そんなことをあっけらかんと言うお母さんを見ていて、鳥肌が立ってしまった。
クラスメイトから突然暴力を振るわれたことに対して、意図せずにやり返したのを担任から責められたと伝えたときは、『…ああ、そう。そういう先生。』と薄く笑っていただけ。お母さんが何を言いたいのかはわからなかったけど、担任への印象を悪くしたのは理解した。
話の中で、特に念を押して確認されたのは、長迫さんからの暴力に、私がどのように反撃したか……。
私から仕返しをする気は無かったけど、結果的にやり返した形になったと答えると、少し難しい顔をする。
慌てて本当にわざとでは無かったことを一所懸命伝えたら、逆に怪我さえさせなければ、私の意志で一発やり返していたほうが良かったと言われてビックリしてしまった。
「イジメが酷くなりきった後だと関係無いけどね。
『やり返さない』子だと思われたら、だんだん冗談じゃすまない、本当の暴力の的にされてしまう場合があるの。……琴音みたいなケースからが多いから、むしろ最初にやり返しておいたら、そこでやり返さない子にターゲットを移すのよ。
自分がされるのはみんな嫌だからね。だからイジメられる子って、殆どが大人しくて全部抱え込んじゃうような子が多いでしょう?」
「……お母さんは、経験あるの?」
「お母さんは背中じゃなくて頭だったわ。目に星が飛ぶっていうのを初めて経験したわね。」
「……やり返した、んだよね?」
「振り向いたら、いつも誰かをイジメては喜んでる女がニヤニヤしててね……。
お母さんも何回かおかしな噂とか流されたことがあったから、一瞬で頭に血が上ったんだと思うんだけど、何かを考えるより先に手が出て、渾身のビンタでほっぺに手形ついたわよ。」
「……問題にならなかった?」
「琴音のときと同じで何人かで文句言ってきたけど、お母さん、その子たちに向かって吐いちゃったのよね〜」
「え…?」
「酷い眩暈がしてその場にへたり込んじゃって、立ち上がれないし、周りが騒いでるのはわかるんだけど何言ってるのかわからないし、目もうまく見えないしで、いつの間にか救急車呼ばれてて、一泊入院した翌日に、大騒ぎになってたことを母親が教えてくれたわ。脳震盪起こして倒れちゃってたんですって。」
「うわぁ。……で、相手はどうなったの?」
「卒業まで近づいてこなかったわよ。
頬っぺたについた手形と腫れがなかなか治らなくて、事情を知らない他の学年から色々言われてたのは覚えてる。
謝罪は——、あったかな?覚えてないけど、状況からしてあった筈。処分とかもあっただろうけど、関わりたくなかったから意識から締め出してたし、面倒事は親が全部処理してくれたから知らないなあ。」
「……酷すぎない?」
「ちょっと極端な事例だけど、そのことがあってからは、生徒間の普段のやり取りでも、相手を小突くとか叩くとかは、軽くでも冗談でする子がいなくなってたわね。実際に事が起こらないとなかなか変わらないものよ。」
「……流石にそうなるよね。そこまで大事になったら、先生も相手庇えないもんね。」
「そんなことないわよ。」
「えっ!?一人の生徒が一泊だけでも、入院までしたのに加害者庇う先生がいたの?」
「お母さんの学年を持ってない先生でね。
お母さんが引っ叩いた子の部活の顧問で、その子と仲の良い英語の先生が、女の子の顔に怪我をさせたんだからって、謝るように言ってきたわ。」
「……私と同じだ。」
「病院のお医者さんから、脳震盪の説明聞いてたから腹が立っちゃってね。
……変に吹っ切れてたときだったから、
『殺されそうになったので関わりたくありません謝るとか絶対無理です信じられない!』って叫んでやったわ。廊下で。」
「……いや、お母さんそれは話盛りすぎじゃ。」
「あら。本当のことよ?
精密検査受けたときにはもう止まってたけど、脳の毛細血管の末端で、少量の出血痕が見つかっててね。出血したままだったら緊急手術。脳内出血で死んでいたかもしれないんだから!
後遺症が見られなかったから、もう既に大変なことになってる相手へ、そのことを言って追い打ちをかけなかっただけで、カルテには書かれてたし、学校へも報告したわよ。
警察が来る事態にはなってなかったけど、はっきり言っちゃうと暴行による緊急搬送だったでしょ?
ただでさえ外聞が悪いのに、バレたら殺人未遂になりかねないから必死に隠したら、変な正義感か好奇心かで地雷を踏む人がいたってだけよ。」
「悪いことは重なるって本当なんだ……。」
「完全に被害者でしかないお母さんが、余計なことしてくる人に、それが例え先生だったとしても、遠慮する必要は無いと思ったの。
……まあこれは学校も悪いんだけどね。
救急車で搬送された生徒が、万が一が無いようにって、数ヶ月にわたる運動の全てにドクターストップが出ていることを、脳内出血の件と一緒に、先生たちにだけでも周知しておけば、あんな馬鹿なことを言う先生は出なかっただろうし。」
「……そう、かな?」
「そうよ。
『叩かれて頬が腫れてるのに、貴女が救急車で運ばれた所為で大勢から責められてる相手のほうが可哀想!だからせめて謝りなさい!脳内出血だのドクターストップだの、結局何も無かった癖に大騒ぎして!もっと他の人の迷惑を考えなさい!』
ってことなんだけど。どう思う?」
「あ。それは誰が聞いても人でなしだね。」
「そうでしょう?言葉の選びかたで誤魔化されてしまうけど、直訳したら此方が折れようなんて絶対に思わないわよ。」
………つまり。……担任が私に言いたかった本音、は?
お母さんがにっこり笑って答えた。
『泣き寝入りしろよ面倒くさい。』
そう言葉に出さなかっただけね☆
………。
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