第25話 平穏は異変の味

「エドワールさん、ありがと。これで私たちピセナ農村の者は、毎日を穏やかに暮らせます」


「もうグッチャネの恐怖におびえる必要もない。なんと感謝を述べればよいか」


「いや、むしろ三人に謝らなければいけない。からかってやろうと、カッパたちを中途半端に泳がせたせいで、三人たちを危険な目に遭わせてしまった」


「気にしないで」


「だって私たち、死闘を一緒に乗り越えたおかげで、ようやくクレナさんと仲良くなれたんですもの。ね、クレナさん?」


「……え、ええ。でもエルネットさん、さっきからエドワールの腕にくっつきすぎじゃありませんか。それじゃあ歩きずらくありません?」


「たしかに、そうですけど……クレナさんこそ、エドワールの股間ばっか見すぎじゃないですか。なんだか見てるこっちが恥ずかしくなってきますわ」


 相変わらずの調子で、エドワール、エルネット、アメリエル、聖女クレナの四人は、薄暗いあぜ道を歩んでいた。


 カッパ討伐も済んだことだし、これで正真正銘、村には平和が訪れることだろう。


 湿った苔を踏みしめながら、これから先のことについて、考えを巡らせる。


 エドワールは、しばらくの間、この村に留まることに決めていた。

 村長に頼めば、喜んで家に泊めてもらえることだろう。

 それに、村の美女たちとも、より交流を深めていきたい。

 それからのことは……追々考えていけばよいだろう。


 この世界には、伝説のダンジョンが存在していると噂に聞く。そこへ向かうのもよい。

 正反対に、放浪の旅に出て、自由気ままにまったりと村々を渡り歩くのもよい。

 なにせ、レベルはカンスト。

 おまけに特殊スキルはチート並に強力。くいっぱぐれることも、生き方に困ることもないだろう。


「……エドワールさん、どうしたんですか?」


 エルネットが、心配そうにエドワールの顔をのぞき込む。


「平気、ちょっと考え事をしていた」


「……そっか」


 さく、さく、と四人の軽快な足音だけが、夜の暗がりに響いた。


 すると、前を歩く聖女クレナの様子が、徐々におかしくなってきた。

 

 まるで振り子みたいに、右へ左へ、体を揺さぶりながら、足を進めているのだ。

 

 次第に、足がふらつき始めた。

 酒に酔いつぶれた人間みたいに、歩行が不安定になると、やがて、バタッと地面に倒れ込んでしまった。


「クレナ、どうしたっ!」


 エドワールは、弾かれたようにクレナに駆け寄る。


 クレナは浅い呼吸で、ヒュウヒュウと息苦しそうに、喉からか細い笛のような音を鳴らしている。


「なにが、一体なにが……」


 先の戦闘で、異常に体力を消耗してしまったのだろうか。いや、だがしかし。


 聖女クレナは、華奢な女性に見えて、ダンジョン攻略の経験者だ。

 ぶっ倒れて呼吸もままならなくなるほど、貧弱なはずはない。

 

 では、クレナの身体に一体、なにが起こっているというのだ?

 

 医学知識のないエドワールは、クレナの頭を両手で支えながら、ただオロオロすることしかできなかった。

 

 すると今度は、エドワールの体に、異変が起こり始めた。

 

 喉元に、なにか大きな飴玉でも詰まらせたかのような、非常に不快な違和感を覚えるのだ。

 奇妙な違和感は、またたくまに喉元から上半身、下半身へと広がってゆく。

 神経が、筋肉が、得体の知れない魔物に浸食されていく。喰い荒らされてゆく。

 

 ……息ができない。新鮮な空気を吸うことも、吐くこともできないのだ。

 

 全身の血液を鉛に置き換えてしまったかのように、体が重い。声を出せない。

 非常事態を周囲に知らせることも叶わない。

 

 金縛りに遭ったのか? 分らない。

 自分の体だというのに、まるで言うことを聞いてくれないのだ。

 

 今やエドワールの体は、氷漬けにされてしまったかのように、頭のてっぺんから、指先、足先まで、微動だにすることができなかった。

 

 ああ、意識が遠のいてゆく。夢と現実の境が、曖昧になってゆく……。

 

 エドワールは薄れゆく意識の中で、かろうじて動かすことのできる眼球だけをキョロキョロさせて、周囲の様子をうかがった。

 

 今にも泣きだしそうな、悲痛な表情を浮かべて、エルネットとアメリエルが、こちらを見下ろしていた。




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