颯・脱落者 愛 【巨大黒光り】

 真っ暗で何も見えない。だが、夥しい数の虫が飛び交う音が聞こえる。顔にも虫がぶつかってきた。Tシャツの袖から虫が侵入し、腹の上で暴れている。慌てて虫を追い出す。


 スニーカーの下にも嫌な感触を覚え、軽く足踏みしてみた。


 ブチブチと塊が潰れてヌルヌルするような……見えないから余計気持ち悪い……


 突然、頭上からバツン!と音が聞こえた。それと同時に天井に設置された薄暗い蛍光灯が点灯し、室内の全貌が明らかとなった。


 天井、壁、床、黒光りした大振りのゴキブリが密集した巨大な銭湯が視界に広がる。四方八方に長い触角を蠢かせながら壁を跋扈し、宙を飛ぶ。


 左右の壁に沿って仕切りが六つ設けられ、シャワーとカランまで設置されていた。それから、正面遠くに木製のドアが三つ見える。そこまでの距離は、500mくらいだろうか。


 左右の壁の隔たりも300mはありそうだ。広い銭湯の中央には、お湯の代わりに大量のゴキブリが溢れ返る浴槽が二つ。


 颯の立ち位置から少し離れた場所に三十代の事務員 愛が現れた。大嫌いなゴキブリの大群に襲われ、尋常じゃない悲鳴を上げる。

 「ぎゃぁぁぁぁぁ! ゴキブリー!」


 金髪の頭がゴキブリの巣と化した颯は愛に目をやる。


 (確かに気持ち悪いけど、さっきの巨大ゾンビと違って命の危機はないし、気にせず前に進んだ方がいいと思うけど……)


 黙々と正面のドアを目指す颯は、横目でゴキブリが張った浴槽を見た。


 そして、ふと考える。


 【巨大黒光り】どこが巨大なんだ? 


 もし……ここにいるゴキブリがさっきの巨大ゾンビのように、一つの生き物が結集して巨大化するのであれば、ゴキブリはかなりヤバい。


 巨大になればスピードも増すはず。それに雑食性。巨大ゾンビに喰われたら即死。でもゴキブリは違う。


 マズいな……


 今度はドアを選ぶ余裕が欲しい。愛に注意を促した。焦っているせいか、早口になってしまう。

 

 「おい! 悲鳴を上げる暇があるなら早く逃げた方がいい! ゴキブリが巨大化するかもしれない!」


 「きゃあぁぁぁぁ!」


 悲鳴を上げながらなんとか前に進むが、足元が滑り、ゴキブリの浴槽に落ちてしまった。


 蠢くゴキブリが愛の髪に絡みつき、頭の上で羽を唸らせ、暴れている。

 「助けてぇぇぇぇぇ! いや―――! ゴ、ゴキブリが口の中に!」


 愛がどんな理由で『X』にログインしたのかは知らないが、助けられそうだったので見捨てないことにした。


 自分は“ワル”だけど、性根が腐った野郎じゃない。颯はUターンし、助けを求める愛がいる浴槽へと足を向けた直後、蠢動を続けるゴキブリの様子に変化が起きた。


 浴槽の中に飛び込んできた愛(エサ)に反応したゴキブリが一つに溶け合い、徐々に巨大化していったのだ。


 【Xmonster・status】


 【name 巨大ゴキブリ】

 【sex 雌・雄】

 【length 1m90cm】

 【HP・3880】

 【MP・900】

 【speed・★★★★★】


 ステータスの【speed】を見た颯は、浴槽から後退る。


 人間の脚力で敵う相手じゃない……


 愛を助けたかったが、もう自分にはどうすることもできない。


 音には敏感なはずだからゆっくりと足音を立てず、一時的に仕切りの奥に身を隠した。もう一つの浴槽でもゴキブリの巨大化が始まった。


 一つの浴槽に二匹づつ。計四匹。


 腰を抜かした愛は狂乱し、泣き叫んだ。

 「イヤ、イヤ! イヤ―――!」


 鋭い歯を持つ巨大ゴキブリが愛の上に覆い被さった。ジタバタする愛の脹脛にその歯を喰い込ませ、小刻みに動かし、細かく肉を喰らう。


 「ぎゃぁぁぁぁぁぁ! 痛い! 痛いよぉ!」


 餌が発する悲鳴は味に最高の旨味を与えるのか、満足気に柔らかな生肉に舌鼓を打つ巨大ゴキブリ。


 地獄の苦悶に白目をむいて、颯に助けを求めた。

 「助けてー! 置いてかないでー!」


 もし、助けに行ったなら、オレも喰われてしまう!


 足が竦む。


 オレはこんなにも意気地なしだったのか!?


 颯は疑問を感じた。


 どうして拳銃を使わないんだ?まさか、もう銃弾を使い果たしてしまったのか!?


 自分の腰に収めた拳銃に触れた。

 「…………」


 これをぶっ放したとしても、彼女は助からない。


 愛の脹脛に喰らいついていた巨大ゴキブリが骨を砕き始めた。血に染まった白い骨の破片が浴槽へと落ち、遂に脛が脚から切り離された。


 発狂する愛。

 「脚が! 脚がぁぁぁぁぁ!」


 自分の餌を確保した巨大ゴキブリは、愛の脛をゆっくりと味わう。他の浴槽にいた巨大ゴキブリも愛がいる浴槽へと移動し、好みの部位に喰らいついた。


 小さく鋭い歯を当て、顔を喰らい、腹を喰らい、腕を喰らい。


 激痛に耐え兼ね、息絶えた愛の手首を銜えた一匹が、浴室を走り出した。


 その速さに息を呑んだ。まるでゴキブリ型スポーツカーだ……この仕切りからどうやって出ればいい……


 時速数百キロを超える化け物と、オレ。


 マジで喰われる……だけど……ずっと隠れているわけにはいかない。


 覚悟を決め、鞘に収めた刀を抜き、構えた。颯の頭に巣を作っていた普通のゴキブリが肩の上にコロリと落ちた。


 そのゴキブリを見て呟く。

 「お前が可愛く見えるよ……」


 強行突破できるだろうか……


 姿勢を低くし、足音を立てず、恐る恐る仕切りから顔を出し、後方を覗き見る。


 すると、驚いたことに後方の壁の手前に、刀を手にした『Xプレイヤー』の雪乃が立っていたのだ。愛とは違い、ゴキブリが群がっても表情一つ変えず、目だけで周囲を見回していた。


 走り回る巨大ゴキブリは口にしていた手首を放り投げ、猛烈な速さで雪乃に突進していく。雪乃は刀の柄尻を口に銜え、間一髪でその攻撃を躱し、触角を掴み取ったのと同時に、巨大ゴキブリの背に跨った。


 颯は目を丸くして小声で驚きの声を上げた。

 「ガチでスゲー」


 何とも軽い身の熟し。勇ましさすら感じる。あれがこのゲームを何度も生還した『Xプレイヤー』の実力……彼女は何が目的で『X』にログインしたんだろうか……


 触角をハンドル代わりにした雪乃は、巨大ゴキブリを制御しながら、あっという間に颯の横を通過した。


 その時、雪乃はチラリと颯の顔を見て、微笑を浮かべた。無言でありながら優しい笑みを浮かべる。生きててよかったね、と、言っているようだった。


 最悪の状況下、友人たちを助けなければいけないのに、何故か胸が、ドッキン……ドッキン……


 産まれて初めて異性を意識した颯は、嬉しさよりも、辛い気持ちが勝る。なぜって別の場所で出会いたかったから……こんな場所で出会ったって……どうすることもできない。


 ドアの手前で口に銜えた柄尻を手に持ち替えた雪乃は、巨大ゴキブリの背から降り立ち、素早く身を翻して、黒光りする顔を斬り落し、右側のドアの中へと入っていった。


 雪乃がドアに入ると、プレートに刻まれた文字が変化したように見えた。きっと同じドアを選んでも雪乃はそこにいない。もう今みたいに出逢うことはないのだろう……


 またどこかで偶然出会えたらいいのに……こんな時に何を期待しているんだ、と頭を軽くコツンと叩き、気持ちを切り替えた颯は仕切りから一歩足を踏み出した。

 

 愛がいたはずの浴槽にその姿はもうなかった。骨まで喰い尽した巨大ゴキブリが颯を凝視し、床の上に蠢くゴキブリを蹴散らしながら、こちらに向かってくる。凄まじい速さに圧倒され、身動き一つ取れずにいる颯の上に巨大ゴキブリが覆い被さった。


 鉛のような重い巨体に腹部が圧迫されていく。しかし、何故か巨大ゴキブリが動かない……

 「あれ?」


 目線を下ろすと、微動だにしない巨大ゴキブリの背中から刀の切先が飛び出していた。幸運にも握り締めていた刀が偶然巨大ゴキブリの腹を貫いていたのである。


 「死ぬかと思った。それにしても重い」重い巨体から抜け出した颯が息を切らす。「はぁ……はぁ……ガチでビビった」


 しかし、安堵する間もなく、他の二匹がこちらに向かってきた。一匹が大きな羽を広げて宙を飛んだ。


 しまった! 刀が巨大ゴキブリの腹に刺さったままだ!


 咄嗟に腰に収めた拳銃を抜き、宙を飛ぶ巨大ゴキブリの頭に狙いを定めて発砲した。テレビドラマで耳にする銃声とは別物だった。鼓膜が破れそうなくらい、けたたましい音が響き、思わず顔を歪める。


 その直後、頭を撃ち抜かれた巨大ゴキブリが落下した。初めて扱う拳銃。意外とコントロールがいい自分に驚く。


 床を走るもう一匹の巨大ゴキブリ目掛けて、発砲するが、背を掠めただけでダメージを与えられなかった。残り一発の銃弾だが、銃口を定め、引き金を引いた。


 頼む! 当たってくれ!


 忌々しい顔面に向かって放った銃弾は、巨大ゴキブリの体内を貫通し、茶色っぽしい臓物と糞を巻き散らかしながら、尾から飛び出した。銃弾が向かい側の壁にめり込んだ。颯は巨大ゴキブリの腹から刀を抜き、汚物を振り払って鞘に収め、三つのドアに目をやった。


 【モルモット研究所】


 これ最初にあったような……うん、間違いなくあった。


 【食品加工工場】


 【苦悶人柱】

 

 どれもやだ。


 重苦しい溜息をついて、銃弾を使い果たした拳銃を腰に収めた。鉄屑でしかないけど、一応。拳よりも強度もあるし、破壊力もある。闘う時に役に立つかもしれないし。


 どこが一番難易度が低いのだろうか……


 そう言えば、雪乃が言ってな。青木は難易度が高い『X』専門だって。と言うことは、今回はイージーってことなのか……


 颯は【モルモット研究所】の取っ手を握ったが、何となく嫌な予感がした。


 もう一度、考える。


 そーだ! ちらっと開けてみて、ヤバそうだったら他のドアを開ければいいじゃん!


 颯は【苦悶人柱】のドアをそっと開けてみた。


 そこは悍ましく不気味な迷路のような場所だった―――左右の壁を構成する不気味な人柱が敷き詰まっており、苦悶する声を漏らし続けていた。


 色白で性器も乳首もない、ぬるりとした肌。醜い容姿。虚ろな目。


 あの人柱は人間なのか……なんなんだ? もし、狭い道でこいつらが襲ってきたら……やっぱり……【モルモット研究所】に行こう。


 颯は進むステージを変える為、ドアを締めようとした。しかし、ドアは閉まらず、強い引力に引き寄せられ、【苦悶人柱】のステージに転倒する。


 一度でもドアを開けてしまったら、引き返すことはできないのだ。たった一度きりの選択。それなのに、よりによって、こんなにも気持ち悪いステージに突入してしまった。


 転倒した颯は背を起こし、ある事に気づいた。全身に這っていたはずのゴキブリが一匹も体についていない。このステージに突入した瞬間、消えてしまったのだろうか……もしかしたら、別のステージでは生存不可なんじゃ……そのステージ限定の敵なのかもしれない……


 颯が立ち上がると、人柱が細い通路に頭を出し始めた。無数の頭がニョッキリと突出した光景にぞっとする。


 こいつらは一体、どんなXモンスターなんだ!? スクリーンに目をやった。


 【BONUS☆STAGE】


 人柱の首を撥ねましょう。

 斬首刑、一撥ねにつき 10P


 100P―― 炎 

 200P―― 雷

 300P―― 水

 400P―― 風


 4つの属性のうち、あなたに必要な属性アイテムを手に入れてください。

 ※ポイントを貯めてゲッドしてください。手に入れることができるのは1つだけです。よく考えましょう。

 【END】


 「ボーナスステージだって!?」


 闘わずに済むのか? 颯は、安堵の一息をついた。


 300Pで水が貰えるのかな? 喉カラカラ。水飲みたい……


 刀を握った颯は人柱の首を撥ねようとしたが良心が咎め、一瞬躊躇してしまう。人間ではないけど、人殺しみたいでいやだな。


 仕方ない……意を決して、刀を振り下ろした。


 頭が通路に転がった。見開いた双眸と口が生々しい。もっと、穏やかな気持ちになれるボーナスステージならいいのに……


 「……。くそ」


 勇気と沙也加も苦しんでるんだ。弱音を吐いている場合じゃないよな……オレは絶対生還してみせる!


 颯は捕らわれた友達の安否を心配し、人柱の首を切り落し、前へと進んだ。


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