颯【巨大ゾンビ】

 颯は【巨大ゾンビの大地】と刻まれた銅製のプレートが掛かった中央のドアへと入っていった。だがそこは室内ではなく、渺茫たる荒漠な大地に続く細長い一本道だった。


 颯が立つその道の両端には、夥しい数の腐敗した屍(しかばね)が横たわり、右へ200mほど距離を隔て、同じ道がもう一本続いている。


 もしかしたら、自分の他にプレイヤーが来るのかもしれない。案の定、その道に二十代の桃葉が現れた。桃葉も颯同様に腰に拳銃を収めていた。


 颯は桃葉から視線を切り替え、遠くを望む。霧がかった灰色の空間に腐敗した屍だけが果てしなく続いており、数百メートル先の道が途切れているように見えた。その途切れが崖でないことを祈った。途切れの向こうは霧が深くて窺い知ることができなかった為、不安が募る。


 颯はふと思う。


 【巨大ゾンビの大地】のドアを選択したのに、一匹も巨大ゾンビがいない。腐敗した死体だけが転がっている。


 どうしてだろう?


 颯と同じ事を考えていた桃葉が大声で話し掛けてきた。

 「ちょっとー! どうして巨大ゾンビがいないの!」


 桃葉と距離が離れているので、大声を張らねば会話のやり取りができない。颯も大声で返事を返した。


 「今のうちに先に進んだ方がいいかもー!」


 「そうだね!」


 颯も桃葉もラッキーだと思って進んだ。しかし、彼らの幸運も長くは続かなかった―――


 横たわる屍の指先がピクリと動き、ゆっくりと背を起こし始めたのである。屍は立ち上がり、両腕を突き出してのらりくらりと歩き出した。


 ゾンビは動きが遅く、一匹や二匹なら斬り殺すことも十分可能だが、数が半端じゃない。優に数千万を超える数だ。


 油断していた二人は血相変えて走り出した。その後、各々自由に歩いていたゾンビが数カ所に集まり、腐敗した肉体を合わせて巨大化していったのだ。


 スクリーンの巨大ゾンビのステータスをちらりと見る。


 【Xmonster・status】

 【name 巨大ゾンビ】

 【sex 不明】

 【length 15m】

 【HP・6000】

 【MP・890】

 【speed・★★★☆☆】


 咆哮しながら大地を蹴り上げる巨大ゾンビが二人を追う。その数を確認する余裕もないが、十匹以上はいるであろう気配を感じた。凄まじい地響きが足の裏に伝ると、巨大化する前のゾンビと掛け離れた足の速さに焦る。


 (なんでこんなに速いんだよ!? これじゃあ追い着かれてしまう!)


 脚に自信がある颯は、100m11秒ジャストで走り抜く脚力の持ち主である。そんな颯でも絶体絶命のピンチを感じた。渾身の力を振り絞り、とにかく必死に走った。


 インストラクターの桃葉は運動神経には自信はあるのだが、走る速さは普通だ。巨大ゾンビの太い指先が桃葉の背中を掠める。


 凄まじい形相で悲鳴を上げた。

 「きゃあぁぁぁぁぁぁ!」


 巨大ゾンビにとって二人は小人。その小人が餌になるのも時間の問題。桃葉は腰から拳銃を抜いて、巨大ゾンビに発砲した。しかし、拳銃など扱ったことがない桃葉は狙いを大きく外してしまう。


 もう一発放とうとしたが、それより先に巨大ゾンビの手が桃葉の体を捕らえた。大きな手で桃葉を鷲掴みにし、上半身と下半身を真っ二つに引き裂いた。即死の肉体から溢れ出す血の滝が、荒漠な大地に流れ落ちる。


 巨大ゾンビは一口で上半身を喰らい、下半身を颯目掛け、投げ飛ばした。しかし、颯は間一髪で躱す。自分の横を通過する下半身を見て、戦慄を覚えた。


 『フリータイム』で見た顔面爆破死体。そして『椅子取りゲーム』で見た処刑。


 自分が置かれたこの状況も、自宅でコーラを飲みながら鑑賞するホラー映画のようだ。だが、それは偽物で、ここで目にしている死体は全て本物。


 マジで……肉料理一生食えなさそうだし、全てがトラウマになりそうだ……


 必死に走る颯の背後に迫る巨大ゾンビ。焦燥に駆られた颯の行く手に道の途切れが見え始めた。やはり、嫌な予感は的中し、断崖絶壁の崖だったのだ。


 生きたまま喰われる恐怖が頭を過った時、偶然なのか必然なのか、天から一本の鎖が下りてきた。

息を切らしながら、助走する颯の背中に巨大ゾンビの指先が掠めた。


 颯は裂帛の気合を叫び、高く飛翔して、その鎖を掴んだ。勢いよく反動をつけ、向かい側の大地に降り立つ。颯の背中に触れた巨大ゾンビは大きくバランスを崩し、断崖絶壁へと転落した。


 この大地にも屍は横たわるが、幸い巨大ゾンビの姿はない。


 崩れ落ちるように前屈みになり、息を整えた。

 「はぁ……はぁ……もうこれ以上走れない」


 つい弱音を吐いてしまうが、いつ巨大ゾンビに変貌するか分からないので、油断禁物である。

正面遠くにドアが三つ見えた。


 しかし、距離がありすぎてプレートに書かれた文字を読むことができなかった。足下に横たわる屍に目をやると、指先が微かにピクリと動いた。


 (マズい、ここの死体も巨大ゾンビになる!)


 颯は再び走り始めた。


 累々と横たわる屍が背を起こし、周囲の仲間と体を合わせて巨大化してゆく。颯は後ろを振り返り、様子を窺う。


 かなり足が速い巨大ゾンビの群れが追いかけてくる。ドアを選びたいが、その余裕はなさそうだ。暫く走り、正面のドアとの距離を縮めた。プレートに書かれたステージを見る。


 【巨大黒光り】


 ちょ、ちょっと、待ってくれよ!? 巨大ゾンビに追い掛けられて、また巨大なのかよ!? しかも黒光りってなんだよ!?


 「マジで勘弁してくれ……」


 腕を伸ばし、取っ手に触れた時、颯の背中に巨大ゾンビの指先が触れた。歯を食いしばって、負けじと取っ手に手を伸ばす。颯は取っ手を掴んだ。


 ホッと安堵した瞬間、巨大な手が颯の上半身を捕らえたのだ。

 「しまった!」


 闘うことより逃げることに集中していた為、刀を鞘に収めた状態で走り続けてきた。なんとか刀を抜きたいが、腰に収めた拳銃も、自分も、巨大ゾンビの手の中だ。颯はどうすることもできずに戦慄の渦に呑み込まれた。


 巨大ゾンビは大きな口で颯を喰おうとしていた。

 「うわぁぁぁぁぁ!」


 恐怖に負けてはダメだ!なにか、なにか、逃れる方法があるはずだ!


 巨大ゾンビに持ち上げられた颯の体は地上から10m以上離れていた。ここから飛び降りても死ぬだけだ。


 だったら、一か八かの賭けに出るしかない!


 『X』は一か八かの賭けに出なければならないことが多いのである。巨大ゾンビの手が緩んだ瞬間、なんと自らその大きな口の中へと飛び込んだのだ。そしてその中で刀を抜いた。



 颯は口腔内に留まらず、喉を通過し、鼻を刺すような腐敗臭が漂う食道に、刀を突き立てながら飛び降りた。血の雨の代わりに蛆の弾雨を浴びながら急降下する。


 巨大ゾンビは食道に走る激痛に悶え、地面に倒れた。体内に衝撃と激震が襲う。食道で転倒した颯は、運良く胃袋の手前で止まることができた。


 強い酸が流れてるかもしれない胃に落下する前に、巨大ゾンビが倒れてくれてよかった。さて……この化け物が立ち上がる前に、ぶっ殺さないと。こいつが立ち上がれば、確実に胃袋の中だ。


 颯は頭上に刀を突き刺し、勢いよく横に滑らせた。刀を強く握り締め、自慢の脚力で高く飛翔し、巨大ゾンビの朽ちた腹を突き破って、皮膚の上に着地した。巨大ゾンビの体内から脱出成功を果たした颯の頬に生温い風が掠める。


 服に滲みついた悪臭に顔を歪めた。

 「くっせぇ……」

 

 颯は息絶えた巨大ゾンビから降り立ち、急いで【巨大黒光り】のドアの中へと入っていった。本当は違うドアのプレートも見たかったのだが、周囲に蔓延る巨大ゾンビに襲われる可能性もあるので手前のドアに入ったのだ。



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