第19話 ダークエルフが築いたもの

『スコックさんには、わたしとしかハグしてほしくない……』

 

 あの後、わたしはリスナーのみなさんに断りを入れて、すぐさま家を飛び出しました。ウルに留守番を任せて、マギアサイクラーに飛び乗り、教会に向かって一直線に。

 わたしの家から教会まではそれなりの距離がありますが、森の上空を走ればその距離がよくわかります。こんな距離を、スコックさんは自らの多忙を切り詰めて、足しげくわたしの家まで来てくれていたのだと、いまさら理解しました。しばらく走って、教会に到着したわたしを、すぐ近くの信者さんたちが不審そうな面持ちで見遣ります。


「蔦の魔女様? 教会に何かご用でしょうか?」


 そんな彼らを掻き分けて、奥から一人の祈り手がわたしに声をかけてきました。彼はどうやら、わたしの素性をご存知であるようで、彼の口から「蔦の魔女」という言葉を聞いたとたん、周りのみなさんの警戒心も解かれたようでした。


「スコックさんにお会いしたいのですが、彼は今どちらに?」

「ドレイシーでしたら、ほんの少し前に教会を出立し、王都に向かいました」

「遅かった……! いえ……まだマギアサイクラーなら……! ありがとうございます。突然の訪問、申し訳ありませんでした」

「いえ、ドレイシーの……お二人の歩む大地の先に森の祝福があらんことを、お祈りしております」

 

 祈り手の彼に背を向けて、わたしはすぐにスコックさんの辿った道を追うのではなく、まず先に家に戻り、ウルを連れ出しました。

 ウルは――ワイアームを含む竜種は総じて、精霊の気配に敏感です。そして、わたしはこの『薄闇の森』の精霊に祝福を受けた魔女。ウルと共に精霊の声を辿れば、スコックさんの居場所まで導いてくれるかもしれません。


「精霊のいざない、時のはこび、星のこえ。魔導のひらめきにより、蔦の魔女が命じる。森のさざめきと木々のゆらぎを以て、わたしと彼とをつなぐ蔦となれ!」


 わたしの魔導の求めに、森がざわめき、木々がゆらぐ。そして、まるでその道を示すかのように、森の木々がその身をかきわけ、ひとすじの道しるべとなりました。

 そんな道しるべを辿るように、わたしはマギアサイクラーの高度を下げて、かきわけられた木々の間を通ります。少しでも森に近付くことで、森の精霊たちの声を聞き洩らさないように。

 すると、不意にウルがわたしの頬をつつき、その視線を下げたので、わたしも同じように視線をそちらにやりました。

 花……おそらくはアイリスと思われますが、こんな時期に、こんな湿気の多い森の中に咲く花ではありません。きっと何か、精霊からの意図があるのでしょう。


「アイリス……。確か花言葉は、「よい便り」「メッセージ」「希望」……なるほど、さすがに恋路までは世話を焼いてくれない、ということですか」


 ですが、それで十分。わたしのこの想いにまで、精霊のみなさんのお力を混ぜてもらっては本末転倒。

 必死にマギアサイクラーのスロットルを開けて森を抜けた先は、ひたすら見通しのいい草原とヴィットレェヴ山から流れる小川。

 薄闇の森を抜けてしまえば、わたしが森との契約を守っている限り、精霊はわたしに過干渉しないことが大自然の鉄則。逆に、わたしも精霊に極力頼ってはならない。

 よって、今のわたしにできることといえば森と風の力を行使するだけ――ではありません!


「精霊のいざない、時のはこび、星のこえ。魔導のひらめきにより、蔦の魔女が命じる。わたしの愛しき想い人のささやきを、めぐりさえずる風を呼べ!」

 

 風のうわさ、なんて言葉が此の世にあるように、風とは声と音の運び人。

 スコックさんのほんの小さなささやきだとしても、風がそれをわたしの耳まで届けてくれる。


 ――『    』



「……ッ! あっち!」


 滞空したままアイドリング状態でそっと耳を澄ましていれば、わずかに、小さく、だけど間違いなく、スコックさんの呟き洩らすような声が聞こえた。

 必死に、必死にスロットルを回して、そして――見つけました! 霊宝教会所属の白馬二頭が曳いた豪奢な馬車を!


「止まってください!」

「え?」

「なんだあの機械に乗った女は?」

「敵襲、というわけでもなさそうだが」


 こちらを訝しげに見上げるのは、あの馬車の御者と……武装したご様子のお二人はスコックさんの護衛でしょうか。

 少なくとも、どちらもわたしの記憶の限りではあまり面識のないお三方です。


「わたしは薄闇の森の魔女、アイヴィー・グレンヴィルです。王都への道程をお邪魔して申し訳ありませんが、スコックさんと少しだけお話をさせてもらえませんか?」

「薄闇の森の……蔦の魔女様か!」

「これは失礼。ドレイシー殿にご確認をとるので、少々お時間をいただく」


 わたしが名乗ると、御者が馬の歩みを止め、護衛のお二方が対応してくださいました。

 スコックさんは現時点ではまだ一介の祈り手に過ぎませんが、王都の許しを経て修行を経れば『聖祈者』となり宝具の正規所持者となるかもしれないということもあって、いくらわたしの名が知れていたとしても顔パスというわけにはいかないようです。というか、ここまでほとんど勢い任せだっただけに、実際にこうして「その時」を直前に迎えてしまうと、何を言葉にすべきかも迷い惑うというものです。


「アイヴィーさん?」

「スコックさん!」

「うわっと!? えっなになに! どうしたのアイヴィーさん!」


 いつもの祈り手としての修道服ではなく、牧師でさえほとんど着る機会のない教会最上位の聖礼服は、多くの者に一定の緊迫感を与える厳かな雰囲気を放っているものの、それを身に纏ったスコックさんの柔らかな笑顔に打ち消されて、わたしは僅かにも躊躇うことなく彼に抱き着きました。

 スコックさんの「どうしたの!?」「御者の人も護衛の人も見てるから!」「あっ大丈夫です事件性とかはないです!」という慌てた様子も聞こえないフリをして、とにかくわたしはスコックさんを抱きしめて、そして……ちゃんと理解した。やっぱりそうだ。彼を抱きしめるほどに得られる温もりと、何にも替えられない安心感。これが、きっと……。


「すき」

「え?」


 やっと、わかりました。


「スコックさん。やっとわかりました。わたし……スコックさんを抱きしめていると胸が温かくなって、安心できて……スコックさんが他の人を抱きしめるのを想像すると、すごくもやもやして……悲しくて、寂しい。ひとつひとつ、読み解くだけじゃ解き明かしきれなかったけれど、全部の気持ちが揃ったから、導き出せました。やっと、スコックさんと向き合える」

「え、っと……それって……」


 戸惑いか、あるいはわたしではまだ理解できないものなのか、スコックさんは顔をほのかに熱く染めていく。

 わたしは抱きしめていたスコックさんから少し離れて、身を正して彼の瞳と向き合った。


「わたし、スコックさんが好きです。5年でも、20年でも、100年でも待ちます。だから……あなたをハグしてもいい、たったひとりにしてください」


 森がざわめき、木々がゆらぎ、風がわたしの想いを運ぶ。

 スコックさんがわたしにぶつけ続けてくれた気持ち。にぶちんなわたしを許してくれた優しさ。そして、わたしの中で築き上げたこの想いの構築式。

 すべてがひとつになって、この答えへと辿り着いた。わたしは、この言葉と行動に後悔はない。

 

「は、はは……。いやぁ、ほんとに……アイヴィーさんには敵わないなぁ……」

「と、いうと?」

「僕、アイヴィーさんにだけじゃなくて、ファングさんにもシーベットさんにも、出発は明日だって伝えたんだ。もしも明日、今まで通りの様子でお見送りに来てくれたアイヴィーさんを見てしまったら、僕はたぶん耐えられなかっただろうから」


 それを口切りに、スコックさんは話し始めました。

 今まで、何度もわたしへの想いを諦めようとしていたこと。そして諦めきれなかったこと。

 わたしがスコックさんをハグしたあの日、宝具が反応したこと。本当はもっと早くに王都に行くよう言われていたけれど、気持ちに整理がつくまで待ってもらったこと。

 修行を始めると同時に、わたしへの未練を断ち切ろうとしていたこと。そしてもうあの森の教会には戻らず、どこか遠くの霊宝教会に異動できるようお願いしようとしていたこと。

 

 ――今でも、諦めきれないでいること。


「初めてアイヴィーさんに会ったあの日、僕は本当に言葉を失うほどあなたに見惚れた。木々の新緑のように鮮やかなその瞳に、風をくすぐるその声に。見上げるような背丈は頼もしく、優しく柔らかな物腰に胸をときめかせた。君と旅を共にしたファングさんに、祈り手にあるまじき妬みや羨みを覚えた。何より、君が笑顔になるたびに、僕こそがそれを最も間近で見られる存在でいられたら、と願い焦がれた」


 僕は、とスコックさんは一拍おいて。


「……僕は、やっぱりあなたが好きだ。だから僕を抱きしめていいのはいつまでもあなただけだし、僕だけがあなたを抱きしめる男でありたい」


 そう言って、今度はスコックさんの方からわたしを抱きしめると、耳元で小さく「五年後に、また」と告げて、馬車へと乗り込んでしまった。

 護衛のお二人がわたしと馬車に視線を往復させると、一礼して馬車が離れていく。


 わたしは森で待ちます。

 あなたが風と共に帰ってくる日を。

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