第7話 魔女の仕事
シーベットを配信に招いた翌日、わたしはプチ炎上していました。いえ、炎上とは違うのでしょうが……実はシーベットが帰った後、彼女からもらったケーキをいただきながら雑談枠もとったんですが、実はその放送を見た3DCG技術者がSNSに投稿したコメントによって、わたしが異世界の住人だということがとうとう本当に伝わってしまったようなのです。
問題のコメントがこちらです。
『○○○○【3DCGモデル/アニメつくるひと】@souwanaran3dmodeler
アイヴィー・グレンヴィルさんのライブ配信、今までもおかしいと思ってたけど、昨日の雑談配信で確信した。
彼女の配信は超性能の3DCGじゃない。現行の技術でケーキの断面をあんなにも精巧に再現することはできない』
本職の方のご意見は、SNSで繋がるフォロワーを中心に、わたしの放送にいらっしゃるリスナーの方々も見てくださったようで、特段これといって特別な枠でもなくいつも通りゲームをしているだけのライブ配信なのに、同接150人というアイヴィーチャンネル史上前例を見ない事態となっております。だからといってもう初めてしまった配信内容をいまさら変えるわけにもいきませんし、普通にプレイしていきますが。
「あー、このBGMいいですねぇ。ほどよく不気味で、それでいて耳障りでない……あくまでホラゲーではなくRPGのホラースポットに使う音楽としてひとつの完成系ではないでしょうか」
『恐怖に至るプロセスを冷静に分析するな』『恐怖とか不安を煽るBGMなのは間違いない』『ホラゲーの音楽じゃないのは確か』『でも今求めてるのはそういうことじゃない』
「あ、幽霊出ましたね。これ捕まえられます? ……無理そうですね。撤退イベントみたいなので、今はまだ進めないところなのでしょうか。ではひとまず次の街に向かいましょう」
『判断が早い』『切り替えが早すぎる』『もうちょっと調べよ?』『実際ここで今やれることはないから最適解』『初見で最適解は頭おかしいんよ』『これで初見ってマ?』
いえ、他にも調べられそうなところがあればわたしもそうしたのですが、この街この建物以外には回復ポイントとアイテムショップくらいで、あとは民家がいくつかありますが、特に看板らしいものもこれといってないのでスルーしていいものだろうと思いまして。実際、すぐ横の道を遮るNPCや障害物もありませんし、だとすればここに留まらなければならない理由もなさそうなんですよ。
そうして次へ次へと進んでいくと、関所のような場所まで数人のNPCと戦うことになりましたが、特に難もなく進んでしまったのでただでさえ薄いと不評のリアクションがとうとう無表情で突破の事態となりました。関所はまだ通れない様子なので周囲を見渡すと、地下通路があるみたいなのでそこを通って次の街へ。
「ここ、今まで出てきた街の中で一番栄えてますね。建物も多く、お店の種類も豊富で……もしかしてボスいます?」
『いるね』『相変わらず勘がいい』『ボスがいそうだと判断した途端に全部の建物を調べ始めた』『なんで隠しアイテムを即みつけるの』『当然のようにA連打しながら歩くな』
「建物が多いということは、アイテムの隠し場所も多いということ。画面に映らないアイテムが存在することは以前NPCも言ってましたし、実際あったのでA連打は当然ですよ」
『妖怪ゴミ箱漁り』『民家の棚とロッカーとゴミ箱は漁って当然』『不法侵入と窃盗はRPGの醍醐味』『RPG主人公こわ』
うーん、ひとまず何もせずに入れる場所は全部調べ終わりましたね。やたら大きなアイテムショップはまだ全ての階を調べてはいませんが。
あと、怪しげな場所というか……このゲームにおける悪の組織の下っ端を見かけましたね。今は話しかけても特にイベントは起こらなかったので、先にボス戦に挑みましょう。
「あ、ちょっと待ってくださいね。誰かお客さんが……」
『客?』『だれ?』『今日なんかコラボの予定とかあったっけ』『親フラ?』
「おや、ファングさん。今日はどうかしましたか?」
「スコックが、怪我をした。崖から、落ちたらしい。高さはないが、打ち所がよくない。里までは、まだ遠い。ここで診てもらっても、構わないか」
「わかりました、ベッドに運んでください。応急処置と薬の処方はできますが、魔女では医療行為はできません。なので、彼を運んだらすぐに里のお医者さんを呼んできてください」
『え、急患?』『アイヴィーって医者だったの?』『いやでもここ家だろ』『個人の診療所?』『「魔女だから」の言い訳が通じるんか』『魔女なら薬の処方ができるのか』
わたしは私室とは別の部屋に用意されたベッドに運ばれた少年――スコックさんの様子を見ると、今すぐ配信を切りに私室に戻るのは難しいだろうと判断しました。
外観から判断できるのは左脚の裂傷と、全身の打撲痕。おそらく崖を落ちた際に石や岩にぶつけて出来たものでしょう。裂傷は枝や葉によるものかもしれません。これらは薬で対処可能な範囲です。次に、解析魔法による骨と内臓のスキャンですが……右前腕部の骨にヒビが入っていますね。
「スコックさん、スコックさん。意識はありますか? 声は聞こえますか?」
「だい、じょうぶ……。きこえるよ……アイヴィーさん。ごめんね、急に押しかけちゃって……」
「構いません。体の痛みは感じていますか? どこが痛いか言えますか?」
「いや、もう全身まんべんなく痛いけど……特に右腕かな。あと背中がすごくジンジンする」
「右腕の状態は把握しています。背中の様子を見るので、体を横にしますが、耐えられないほど痛かったら言ってくださいね」
右前腕部にヒビが入っているので、肩の位置と患部の高さが同じになるよう右腕を伸ばしてもらい、回復体位を取らせます。
そして、スコックさんが痛みを訴える背中を確認して――なるほど、これは痛むはずです。背中の皮膚をかなり擦りむいて、いくつかの裂傷からは出血も見られます。
この怪我を見ると、まず足を踏み外し、背中から滑るようにして崖を下り、途中から転がるように落下。落ちた先の木の枝か何かでさらに左脚を怪我、ということでしょう。
「なるほど。すぐに処置を行います、体を起こせますか?」
「うん。……だけど、自力だとちょっとしんどいかも」
「わかりました。肩に触れますが、痛みはありますか?」
「だいじょうぶ。……ん、ありがとう」
スコックさんはウサギ型の獣人です。フクロウ型ハルピュイアのシーベットもそうですが、獣人族はそれに輪をかけて派生モデルが多く、それによって適切な薬品が変化します。
ウサギ型を含め、小型哺乳類モデルに対する汎用薬もいくつか常備してありますが、今回の場合は皮膚の損傷がかなり重い。ウサギ型専用の自然回復力増強薬を用いるか、あるいは治癒魔法をかけて即座に修復を行うか。どちらであっても間違いにはなりません。しかし、だからこそ判断に困ります。
ひとまず、先に腕をどうにかしましょう。あちらは水嚢で冷やし、添え木を当てて固定、三角巾を支えて、あとはファングさんが呼んでくださるお医者さんに任せましょう。
問題は塗り薬です。一般的な小型獣人用ステロイドにもいくつか種類がありますが、今回はウサギ型専用となるとレプスコルテロイドで様子を見た方がよいでしょう。ただ、獣人の専用薬品にだいたい言えることですが、調合素材は揃っているものの薬品そのものは在庫がありません。理由はさっきも言った通り、派生モデルが多すぎるせいです。つまり、今から調合を始めなければならないのですが、ファングさんの俊足を考えると、里のお医者さんの到着までそう長くかかりません。
まずは綺麗な水に浸けた布で背中を拭き、殺菌作用のあるアルタール液をつけたコットンで消毒を行い、
「スコックさん。背中が痛むかもしれませんが、今のあなたに最適な薬はこれから調合しなければありません。なので、もうしばらくお待ちいただけますか?」
「うん、へいき。おねがいね、アイヴィーさん」
わたしは私室に戻ると、いくつかの薬草とポーションを手に取り、調剤用のテーブルに腰を落としました。
レピスコルテロイドの調合に必要なものは、小型獣人用の汎用皮膚薬にも用いるハイブリッドトリフィオフィルムが欠かせません。あとはアセトニンを含むいくつかのポーション原料と不純物をほぼ含んでいない水。これらを順番に調合する、と言葉では簡単なのですが……手間をそうそう簡単に省くことができないのが薬の難しいところです。
「…………」
『戻ってきたけど仕事が終わった感じじゃないな』『なんか作ってる?』『なんかの植物の根っこみたいなのあるな』『薬品を作ってるみたいだけど』『薬の調合って魔女の仕事なんだ』
「……コルスチナ硫酸塩、そろそろ予備がなくなりますね……」
『コルスチナ……なんて?』『コルスチナ硫酸塩?』『なにそれ』『名前的にはコリスチン硫酸塩に近いけど』『傷とか火傷の化膿止めに使う薬品だな』『お前らもなんでそんなんわかるの?』
「……彼の肌質からして、通常のレピスコルテロイドだと強すぎますね……。ああもう、こうなる前にグラム単位をこちらの調剤研究に採用していれば……!」
『レピスコルテロイド?』『マジでなんもわからん』『薬品としても近い名前はないな』『肌質って言ってるから皮膚薬で合ってるみたいだが』
わたしは配信が続いていたこともすっかり忘れ、ひたすら手を動かし続けました。
昨日の配信で私が学んだ「グラム」という単位は、当然ですがわたしの世界にはありません。薬を調合する際も、使用する試験瓶に目盛りをつけて全体の量でバランスを考えるだけのものです。そのため、ほとんどの薬品は大人が使用する前提で作られているせいで、その種族的に見ても小柄な大人や、そもそも子供が相手である場合は、適切な分量を「だいたい半分」と定めています。しかし「グラム」単位があれば話は別。調合に最も適した配分はもちろん、体重比率から適切な分量の処方までできるはず――でした。
昨日の雑談配信の後からでも研究を始めていれば、すべては不可能だとしてもいくつかの薬品は体重と分量の適切な比率くらいは導くことができたはずですし、そのノウハウが今この調合を助けることもあったでしょう。自分の怠慢が、自分だけでなくスコックさんの首までもを絞めていると思うと、我がことながら肚に据えかねる思いです。
「…………できた」
『できた?』『長かったな』『一時間半くらいやってたね』『材料とか手元映してほしかった』『急患だし配信どころじゃないだろ』『というかたぶん本人も配信切ってないの忘れてる』
わたしはようやく完成した軟膏を持って処置室へと向かうと、スコックさんに駆け寄りました。
「お待たせしました。これはレピスコルテロイドという、ウサギ型獣人種専用の皮膚薬です。これは裂傷、火傷に用いるものですが、スコックさんの肌質に合わせて通常のものよりも効果を弱く調合しました。これを朝晩、患部に直接塗って清潔なガーゼを当てて過ごしてください。薬の余りに関係なく、一週間経過したら必ずまた来てください。患部の状態を確認しながら、徐々に効果を弱めていき、最終的にスコックさん自身の自然治癒力で完治を目指します。いいですか?」
「うん」
「では、痛むとは思いますが我慢してください」
スコックさんに断りを入れると、わたしは処置室で沸かしていた熱湯で手を洗い、アルタール消毒してから彼の背中と向き合いました。
彼の白く柔らかい肌に似合わぬ、痛々しい無数の傷跡。完全に皮膚がめくれてしまっている部分もいくらかあります。
「…………」
「うぁっ! いっ……!」
「
熱湯消毒とアルタール消毒によって、手から雑菌が入る可能性は出来る限り下がっていますが、それとは別に患部を直接触られる苦痛は耐えかねるものだということは理解できます。しかし、それでも軟膏を塗るには素手が確実です。スコックさんには酷だと思いますが……。
「はい、塗り終わりましたよ。家で塗る時はご家族の方に協力していただくか、処方薬を持ってうちに来てください」
「いたたた……。ああ、うん。しばらくは教会のみんなにお願いしてみるよ。ありがとう、アイヴィーさん」
「どういたしまして。腕の方はひとまず応急処置を行っただけですので、あとはお医者さんの言うことを聞いてください。お大事に」
その後、ファングさんが里のお医者さんを伴って来たため応急処置の内容と背中の傷に用いた薬品の情報を引き継ぐと、早々に我が家を去っていきました。
そしてひと息ついて部屋でお茶でも――と思ったところで、ようやく配信中だったことに気付き、リスナーさんからの質問責めに遭いました。
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