第4話 雑学好きなハルピュイア

 今日は久方ぶりの完全オフ。といっても、8年かけてようやくチャンネル登録数1万人を突破した弱小配信者であるわたしは、特に案件があるというわけでもコラボが頻繁なわけでもなく、配信自体がそもそも100%趣味ということもあって、休みを取ることに躊躇も抵抗もありません。SNSには本日の配信を休む旨を投稿しましたし、季節も冬はとうに超えてうっかり冬眠をしてしまう危険性もなし。いえ、この数年間まったく冬眠をとっていないので少し眠気があるのは否定しませんが。

 実はダークエルフには「冬眠」という概念があります。長命種によくあることなのですが、そもそもわたしたちは生命のサイクルが一日ずつさっくり区切れている人間とは異なるので、けっこうな時間を起きっぱなしでいるわけですが、寒い時期・食べ物を確保しづらい時期である冬には、ベッドの近くに大量の保存食を確保して、春になるまで眠り続けることで寒さと空腹を凌ぐわけですね。しかし、配信業を始めた最初の一年目で冬眠した時、数少ないリスナーさんたちが「何か月も配信してないから心配」「何かあったんじゃ?」とたいそう心配されてしまったので、リスナーの方々には冬眠の必要性は説明した上で、それ以降は冬眠を避けているわけです。その分、できるだけ眠る頻度を上げているわけですが、ついつい3徹、4徹くらいはしてしまうこともあり、冬は気を抜くと冬眠しそうになるのが恐ろしいところです。

 ――が、既に季節は春。森の木々も若々しい新緑を湛え、わたしとしても日課の散歩が捗る頃合いです。


「ウル、散歩に行きますよ」

「クァ」


 幼い頃から弟のように時間を共にしてきた愛竜ウルは、わたしの首元に巻き付いて散歩にならない散歩をするのが大好き。わたし自身、軽い運動と気分のリフレッシュを兼ねて歩いているのですが、ウルはその振動が楽しいみたいで、たまに首元で眠ってずり落ちそうになることもしばしばです。

 気ままに鬱蒼と暗んだ森の中を歩き続けていると、暗がりの奥にキラリと光る一対のなにかが見えました。この森が「薄闇の森」と呼ばれるのは、通常よりも遥かに多くの木々が密集していることによって、太陽の光がほとんど届かないことが由来です。そのため、空から地上の餌を狙うトンビやタカの類は、この森の上空をほとんど飛びません。そして、その恩恵を受けているのは昆虫や小動物に限らず、小型の鳥類も同じこと。そう、大型の猛禽類と餌を取り合うことがないよう夜行性となったフクロウは、この薄闇の森では昼でも活発に動き回ります。あの暗がりの向こうからこちらを凝視しているのも、おそらくはフクロウか、あるいは――。


「……無視して構いませんか?」

「いやいや、こちらに気付いているのならせめて少しくらい付き合いたまえよ。暇を持て余しているのはお互い様だろう?」


 わたしがその小さな光に向けて声をかけると、その光は徐々にこちらに近付き、その姿を明らかにしました。

 わたしの丸眼鏡とはまた違う細い角フレームの眼鏡をかけ、腕がない代わりに巨大な翼を生やした彼女は――フクロウ型のハルピュイアであり、わたしの友人の一人でもあるシーベット・エクルース。ハルピュイアの中でもとりわけ警戒心の高いフクロウ型ということもあって、こう言ってはなんですが友達の数はわたしといい勝負なのですが、ダークエルフであり魔法士としてもそれなりだと自負するわたしにも追随、ものによっては越えるほどの知識量を誇ります。――雑学では。

 

「ここ最近あまり来なかったから、何かあったんじゃないかと心配していたんだ。その憂慮に報いようとは思わないのかい?」

「最近、そういう人を「杞憂民」と称することを知ったんですが、シーベットは知っていましたか?」

「いや、知らないな。キユーミン……杞憂と、ミンとはなんだ? あー……民か? なるほど、杞憂民。ありがとう、これでまたひとつ雑学が増えた」


 そうそう、異世界配信をして最初に驚いたことが、これです。

 彼らの世界の言語体系は、我々が使うアマルガム統一語と非常に似通っていました。アマルガム統一語というのは、もともと国・種族ごとに違っていた言語を約2万年前に統一し、世界中のあらゆる生命が同じ言葉を交わし合うことでコミュニケーションの簡易化と、各国の友和を願って行われた世界規模改革です。

 当時はかなり大きな衝突……それこそ種族戦争・国家戦争も起きたそうですが、今となってはこのアマルガムに住まうみんなが使う言語になったわけですが――異世界配信をするにあたり、他の配信者の動画はいくつも見ました。見ましたが……彼らの使う「ニホン語」という言語体系はアマルガム統一語とほとんど同じでした。主語から始まり、修飾語、述語という連続性をとり、一人称が複数存在すること、独自の略語が存在すること、何より「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の使い分けや組み合わせは、アマルガム統一語の「ニグル文字」「ルベド文字」「アルブ文字」のそれと似ているのだと思いました。

 これはつまり、異世界配信にあたってなんらかの恩恵があるのではなく、そもそもニホン語とアマルガム統一語そのものがそっくりなのだろうということです。

 たまにニホン語独自の単語や、あちらの世界特有の固有名詞、あるいはそれの略語などがあると対応しきれないこともしばしばですが、異世界配信をするにあたって、わたしが彼らのコメントにまったくタイムラグを必要とせず会話が可能なのは、そういった言語の類似性が大きいように思います。


「いやぁ、あの時あの機械を君の友人に診てもらうよう進言アドバイスしたのは我ながらナイスアシストだったと誇るよ。君がやっている……異世界配信、だったか? それのおかげで随分と雑学の引き出しが増えた。いや、もはや引き出しというよりも棚と言っていいほどにね。当初の君はあれをインテリアにしようとしていたと今考えると……いやぁ、何度も言うけれど自分が誇らしいね」

「自分を持ち上げすぎですし、わたしをそのダシに使うのはやめてください」

「おっと、これは失敬。とはいえ君が異世界配信を始めて以来、私の知識は停滞の二文字を置き去りにし、今や奔流ともいえる好奇心を抑えきれないほどだ。だから君に感謝しているのは本当なんだ、信じてくれ」


 彼女は本来、それなり以上に寡黙な方です。しかしそれは彼女が静寂を好んでいるから、というよりも、ただ自分の興味を引き、興奮をもたらす「知識」が停滞してしまっていたからだというのは、比較的最近になって知ったことでした。我々ダークエルフほどではありませんが、ハルピュイアもまたそれなりに長命な種族です。人間を基準とした時、ダークエルフの寿命はおよそ60倍であるとされますが、ハルピュイアも人間の40倍の寿命を持つので、680歳である彼女は人間換算でおよそ17歳ということになりますね。


「そろそろ春も盛りという頃合いですが、今年も年中その格好でいるつもりですか?」

「その格好、とはずいぶんな言いぐさだね。確かに私たちハルピュイアは君らのように汗をかかない分、体温調節が得意ではないが、この薄闇の森では日光がほとんど届かない。確かに湿気の高さには参ることも多いし、冬場の寒さは堪えるけれど、これからの季節は幾分か過ごしやすくなるだろうし、この格好で構わないよ」


 そう言う彼女の服装は、冬場のわたしと同じようなタートルネックの上にチェスターコートを羽織り、いつだか彼女にプレゼントした水色のマフラーを巻いていて、夏場にこんな格好をしているハルピュイアを見かけたら、間違いなく死にたがりか何かかと勘違いするでしょう。それくらいに、ハルピュイアは温度の変化を苦手としています。


「これ100年くらい前から言ってますけど、夏場くらいうちで過ごしませんか? うちなら温度調整用の魔道具もあって快適ですよ」

「それについては100年くらい前から言っているけれど、人の家に寝泊まりするのは苦手なんだ。気遣いだけ受け取っておくよ」

「うーん、強情ですねぇ。これといって寝相が悪いわけでも、寝言がうるさいわけでもないでしょうに」

「こんな振る舞いをしていても心はきちんと乙女なのさ。人に無防備な姿を見せるという時点で、十分に恥ずかしいよ」


 確かに、彼女はその堂々とした言動や中性的な見た目に反して、心はとても女性的というか、かなり乙女的……いえ、少女的だと言えるでしょう。白馬の王子とまでは言わずとも、恋愛にあたって「運命の相手」という存在については肯定的な考え方を見せますし、時にはそれがどのような人物であるのか夢想に耽る時もあると言います。わたしはそもそも運命論について否定的ですし、恋愛に対する興味もさほど強い方ではないのですが、だからといって彼女の思想を否定する気はありません。個人の思想・理念は自由でなければなりませんからね。


「それはともかく、やはり君の異世界配信というのは興味深いな。一度、その様子を見せてもらうことはできないかい?」

「構いませんよ。今日はたまたまお休みしていますが、ほとんど毎日やっていますから、明日以降はまたしばらくやっているでしょうし、いつでも遊びにきてください」

「本当? ありがとう。じゃあ、明日のお昼ごろにお邪魔するよ。おみやげは茶菓子でいいかい?」

「お気遣いなく」


 ――と言ったところで、律儀な彼女のこと。必ず上等なお茶菓子を持ってきてくれることは想像に難くありません。こちらも相応のお茶を準備して待ちましょう。

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