第9話 バスケバカ

 放課後。体育館。


 ダム、ダム。瑞姫はボールを床に突きながら、今日昼にあったことを思い出していた。


 入学して以来、彼女は幾人もの男性から告白を受けている。その相手は何気なく挨拶したクラスメイトから、顔も知らない上級生まで。彼女の整った容姿もさながら、その分け隔てない接し方によって多くの男が虜になっていた。


 だから今日の告白自体も彼女にとっては特別でも何でもなくて、最中にあったちょっとしたトラブルも引きずってはいない。


 ただ、その後の。彼が、涼が現れてからの時間は、彼女の胸と記憶に深く刻まれていた。


 逆上した男に腕を掴まれてしまった時に固まってしまった体が、彼の姿を見た瞬間に弛緩した。


 意外にも正面から啖呵を切って先輩を退かせた彼の目は真剣で、けれどその後はいつものように軽口を叩いていて。お礼を言ってすぐに去ればいいものの、瑞姫はしばらく彼との会話を続けていた。


『好きなのはバスケ。嫌いなのは隣の彼です』


 高校生活初日。そんなことを言っていたのに、彼女はしばしば涼に絡んでいる。その理由は彼女自身分かっていない。


 だけど、接していくうちに少しずつ知っていく彼の輪郭。それが自分の中の仁科涼と重ならないのを感じていた。


『勝ちたかったから』


 自分の中の仁科涼を形成したエピソードにまつわる質問をした時の、涼の返答。それを聞いた瑞姫は、形がぱちっとハマるような気がしたのに……その形を、自分が無理やり変えていることに気づいた。だから、出かかった言葉も、途中で詰まってしまった。


「聞いて聞いて、瑞姫ちゃん。さっき仁科くんがね〜」


 彼と別れて教室に戻った後に金子から聞かされた話。


 やれ、荷物を多く持ってくれただとか。


 やれ、気遣わせないように配慮してくれたとか。


 やれ、ゴミ捨てを率先してしてくれだとか。


 それらはやはり、瑞姫の中でハマらず。どちらかが間違っているのかもしれないという思考に至る。


 今までの瑞姫であれば、金子は彼に騙されているのだと思わないまでも、その違和感を無視していたように思える。


 だけど、瑞姫は気づいていた。そもそも、自分は仁科涼のことを詳しく知らないのだと。


「長瀬くん」


 瑞姫は、同じ体育館のもう一つのコートで練習している長瀬のそばに近寄り、声をかけた。


 長瀬はハンドリング練習をやめ、瑞姫の方を振り向いて「何?」と返す。


 少し、間を置いて。瑞姫は胸元に手を置き、口を開いた。

 

「仁科って……どういう人?」


 瑞姫から投げかけられた問いに、長瀬は一瞬ポカンとする。


 次第にその内容を飲み込んだ長瀬は、真剣な顔をして言った。


「それは、自分で知ったほうがいいんじゃないか」


 その返答に、瑞姫は喉を詰まらせた。


 何も言えずにじっと黙っていると、


「なんてな」


 と、長瀬はいたずらめいた笑みを浮かべた。


「へ……?」


 呆けた様子の瑞姫を無視して、長瀬は手元のボールをくるくると回しながら話し始める。


「オレと涼は小学からの知り合いでさ。と言っても学校は違って、相手チームとして試合の会場で出会ったわけなんだけど。あいつと初めて戦った試合の後、拗ねてるオレのところにあいつが来て、『お前すげえな』って嬉しそうに言いやがって」


 嬉しそうに涼と出会った頃の話をする長瀬。話を続ける。


「小六の引退試合以来会っていなかったが、中学で再会したオレたちは一緒にバスケ部に入って。……ちょっとした変化はあったが、間近で見るあいつのプレイはやっぱり熱く、相変わらずの点取り屋エース気質で、先輩ら含めてチームの士気が上がったもんだ」


 そこまで話したところで、長瀬は手の内で回していたボールを止めた。


「とまあ、オレと涼の思い出話はここで一旦終わり。で、質問の本題に対する回答だが……涼は、負けず嫌いで、不器用で、鈍感で、かっこつけで」


 そこで長瀬はふっと笑い、


「バスケバカ」


 と言った。


「そんな性格だからきっと、あの試合も意地になっちまったんだろうな。おかげで勝てたとはいえ、怪我までしたんだから」


「えっ……怪我……?」


「ん。あぁ、今はもう完全に治ってるよ」


 長瀬の補足を聞いて、瑞姫は一瞬ほっとした表情を浮かべ、「そう」と答えた。その反応を見て長瀬は目を細める。


「結局、県大会初戦、涼のいない俺たちは惨敗。そして、怪我が治っても涼は復帰することはなかった。おかげでオレの中学時代の実績は散々だ」


 涼を責めるようなことを言っているが、その口調から冗談だと瑞姫はすぐに分かった。また、長瀬がもっと涼と一緒にプレイしていたかったのは本心であることも。


「てな感じで、まあ、バスケを取ったらパッとしないやつだが……あの日の体育でのあいつの動き、橘も見ただろ。鈍ってるどころかさらに鋭くなっていやがった。……まあ、あっちの方はまだまだだったが」


 長瀬はそう言うとゴールの方を振り向き、その場で軽く跳ねてシュートを打った。放たれたボールは十数メートル先にあるゴールまで届いたが横に逸れており、リングに当たることもなく床に落ちた。


 長瀬はその結果に悔しさを一切見せず、「やっぱ入んねえか」とぼやいてゴールから視線を外す。


「今まで話したのは、あくまで客観的事実。これ以上知りたければ、直接あいつから感じ取るか、聞くしかねえよ」


 これで質問の回答は終わりだと暗に伝える長瀬に、瑞姫は「ありがとう」とお礼を言った。


「おう。それじゃあオレ、練習戻るから——」


「ま、待って」


 背中を向けて駆け始めた長瀬の動きを止めた瑞稀は、ふう、と一息吐いて問う。


「最後にもう一つ、聞いていい?」




 * * * * *




 瑞姫との話を終えた長瀬は、体育館の端に座り込んでスポーツドリンクを飲んでいる渡辺のところへ向かう。


「渡辺先輩。練習付き合ってくれませんか」


「え〜! 僕じゃ長瀬くんの練習相手になんないよ〜!」


「大丈夫ですよ。むしろ渡辺先輩じゃないとダメなんで」


「そ、そうかい? それなら、まあ、仕方ないかな。後輩のお願いを聞くのも先輩の務めだもんね!」


「あざっす。それじゃあ今から一時間、ノンストップでお願いしまっす」


「えぇぇぇぇぇ!? 安請け合いするんじゃなかった……うぅ。長瀬くん、いつも以上にやる気に満ち溢れてるね……?」


「えぇ、まあ」


 長瀬はにっと笑って答えた。


「戻ってきた時、あいつにガッカリされたくないんでね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る