第6話 なるほど、たしかに

 初めての体育の授業は体育館で実施された。


 中学の時とは違い初めから男女に分かれ、それぞれ担当の先生から軽く挨拶が行われた後、準備体操をする生徒たち。


 ペアになって背中合わせの運動を行う。片方がペア相手を背負うことで、背負われた方の背中が伸びていく。


 そのため、上向きになった胸は強調される。


「くそ……男女で分かれていなかったら橘さんのをバレずに見れるのに……」


 そんな小言が男子の中から聞こえる。


「人気だなぁ」


「おい長瀬……お前の身長高すぎて伸ばせてる気がしないんだけど……てか重すぎ……」


「そんなの仕方ないだろー。ほら、今度はオレが背負ってやるよ」


「あぁそうしてくれ……いや待て。お前にやられたら引き伸ばされすぎて拷問みたいにならないか」


「お前の柔軟性なら大丈夫だろ。ほらよっ」


「おいおいおいおいおいおい」


 涼の足が地面から離れ、完全に宙に浮いた形になる。その上左右に揺らすものだから、涼の体はぐにゃんぐにゃんとほぐされていく。


「ちょっ、マジで、長瀬おい。ちょっとしたアトラクションになってるから!」


「すげえな涼ー。全然抵抗がねえぞお前の体ー」


「聞いてねえなこの木偶の坊!」


 必死に抗議の声を上げる涼。それをガン無視し、笑顔で涼をぶん回す長瀬。


 騒がしいこともあって、二人は生徒たちの注目の的になっていた。


 それは少し離れたところにいる女子も例外ではなく。


「おりゃ、仕上げいくぞー!」


 威勢のいい掛け声と同時に、長瀬は勢いよく前屈みになった。すると必然的に涼の体もつられて更に仰け反りになる。


「うおぁあああ」


 バレーボールの挟まった天井を経て、景色は反転していく。


「——──あ」


 そんな中、涼は何かを見つめ声を漏らした。


 いや、見つめたというより、目が合った、というべきか。


 多く注がれる視線の中から、たまたま、偶然。


 こちらをじっと見つめる彼女の視線とぶつかった。


 だけどそれは一瞬のことで、涼の回転は止まる様子を見せず、


「——っと」


 そのまま一回転した涼は見事着地して見せ、まばらに賞賛の拍手をもらう。


「すげえな涼。大道芸人かよ」


「お前はいつから柔道家に転向したんだ」


「バカ、オレはバスケ一筋だが?」


「皮肉だバカ」


「バカはお前たちだ!」


 言い合っていた二人だが、体育教師の怒声が飛んできて一瞬で静かになった。


 なんだかコントみたいで、二人の様子を見て周りはくすくすと笑う。


「ふふっ。面白い人たちだね」


 口元を手で隠しながら小さく笑う金子。そんな彼女に同意を求められた瑞姫は、


「ばかみたい」


 とだけ言って、彼から視線を逸らした。




 * * * * *




 準備運動を終え、男女それぞれでレクリエーションが行われる。


 緑のネットのカーテンで分けられた半分側では男子がバスケを、もう片側では女子がバドミントンを始める。


 男子は教師の指示のもと適当に2チームに分けられ、5on5をすることに。1チーム5人以上いるのだが、自由に交代してやれとのこと。


 運がいいのか悪いのか、涼は長瀬、そして野中と同じチームとなった。さっそく出場する二人に対し、涼は控えスタートを選んだ。


「よっしゃ! バスケ部の実力を見せつけるぞ長瀬!」


「おーう」


 意気込み十分な野中とは対照的に、長瀬は間延びした返事をする。


「長瀬、本気でやんの?」


「やるわけないだろ。オレが本気を出しちまったら場が白けちまうっての。こういう時はな、チームプレーを重視するのがいいんだ」


「さすがモテ男、そういったテクニックはお手のものだ」


「ふっ。まあ、帰宅部の涼くんは本気を出しちゃっていいかもだけどなー?」


 ニヤニヤとした表情で煽ってくる長瀬。涼は嘆息で返した。


「ほら、始まんぞ」


 涼は長瀬をコート内に送り出し、コートの端に寄る。


 コート内に十人が揃い、ピッという笛の音を合図に試合が始まった。


 体育教師が上に放り投げたボールを各チームそれぞれの代表が跳んで奪い合い、 見事キャッチした男子は周囲のチームメイトにパスをする。


 空中戦から地上戦へ。短い切り返しが多く発生するため、シューズが床と摩擦を起こしてキュッキュッと音を鳴らす。


 ダムダム。ゴム製のボールが弾み、シュッと放たれたボールはキャッチされずにコートを出る。


 出たところからスローインで試合再開。スムーズとは決して言えないが、なんとかボールは前へと運ばれていき、ついにゴール手前。


「うりゃっ!」


 同じバスケ部員である長瀬とは違い全力でプレイする野中が放ったシュートはリングに当たり、何度かバウンドした末、ゴールネットを揺らした。


「っしゃー!」


 喜び叫ぶ野中。大声を上げるものだから女子の注目は野中に向けられる。野中はそれを狙っていたみたいで、チラチラと女子の方に視線をやっており、その中間地点にいる涼は顔を歪ませる。


 ……しかし、この感じ。懐かしいなと涼は思う。


 ゴール下で突っ立っている野中をよそに試合は再開しており、今度は反対側のゴールが攻められている。


 ダムダム。キュッ。ダムダム。シュッ。シュタッ。


 野中が合流してきたところで同点のゴールが決まり、またボールと一緒に生徒たちは反対側へと向かう。


 シーソーゲームだなぁと胸中で呟いていると——


「いたっ」


 涼は後頭部に軽い衝撃を感じ、つい声を漏らす。


 後頭部をさすりながら振り返ると、そこにはラケットを持った瑞姫がいた。


 ネット越しで見る彼女の表情は真顔だ。


「ごめんなさい。打った羽がそっち行っちゃった」


 そう言って、瑞姫は涼の足元を指差した。その先を辿るとたしかにバドミントンの羽が落ちており、これが後頭部に当たったのだなと涼は察する。


 屈んで羽を拾い、前に出しながらぼやくように言う。


「コート、あっちなんだけど。さすがに下手すぎない?」


「むしろ自分のセンスの良さを疑っているところよ」


「……なるほど、たしかに」


 羽をカーテンの網目に対して垂直にし、ギリギリ通して瑞姫の手元に返した涼は納得の声を漏らす。


 これで用事は済んだだろうと思った涼だが、瑞姫がその場から離れる気配を見せないことに首を傾げる。


 瑞姫は下の方でラケットを小さくぶんぶん振り回しながら、視線はバスケの試合に置いて話し始めた。

 

「出ないの?」


「へ?」


「試合。あんたは出ないの?」


「あー……まあ、出るけど」


「いつ?」


「今出てるやつら次第じゃないか。疲れたタイミングで声が掛かれば交代するから」


「ふーん」


 そこで会話は止まった。しかし依然として瑞姫は動こうとせず、涼のそばでバスケの試合の観戦を続ける。


「なあ——」


 痺れを切らした涼が問いかけようとしたその時、


「仁科! 交代、交代! 俺と代わってくれ!!」


 野中が腕を上げ、涼に呼びかけた。昨年まで球児だったからか息を切らしておらず、周囲と比べても疲れた様子はない。


「声、掛かったよ」


 小さく、だけどしっかりと涼に届く声量でそう伝える瑞姫。


「あぁ」


 と涼も小さく口を開いて答え、コートの中に向かって歩き始める。


 ボールがデッドになったタイミングで涼はコート内に入る。野中とのすれ違いざまに涼はハイタッチを要求したが無視され、代わりに「橘ちゃんと喋るのは俺だ!」と言われてしまいこの交代の真意を悟った。


「よー。意外と早く来たな」


 カラカラと笑う長瀬からはかなりの余力を感じる。今日の長瀬のプレイ内容を振り返り、まあ当然かと涼は考える。


「俺のパス先が代わってくれたからな。あれ、俺の役目なくないか?」


「一人で持っていけばいいじゃないか」


「バカ言え。やったら白けんだろ」


「帰宅部がほざいてら」


 短い会話を終えたところで、コート内にボールがスローインされる。


 涼や長瀬の相手チームボールでスタート。スローインを受けた男子はボールを前に持っていくために味方へのパスを決行。


 しかし、それを長瀬が軽々とカット。先程までの動きとは異なり、かなり機敏に動いていた。


 そして、そのボールは即座に涼に渡された。


「……長瀬」


 涼が長瀬を睨む。


 けれど長瀬はニヤニヤと笑みを浮かべており、まるで涼がどうするかを楽しんでいる様子。


 はぁ、とため息を漏らし。感覚を確かめるように、ダム、ダムと二度ボールを突く。


 表面の革は擦り減って滑りやすく、空気も若干抜けていてテンションが低い。


 でも──把握さえすれば、そんなものは些細なことだった。


 涼はボールを突きながら、前方を見据えた。


 相手チームの男子が壁のように立ちはだかるが、涼は右手でボールを強くドリブルしながら左にフェイントをかけ、相手の重心がずれた一瞬を逃さず、素早く右へと切り返す。足元でボールはまるで生き物のように跳ね、手から離れない。


 ゴールまで残り十メートル。次なる男子が両手を広げて待っているが、今度はクロスオーバーで相手を翻弄し、一気にスピードを上げて抜き去った。


「————!」


 堂々とセンターをぶち抜き、ゴール目前までやってきた涼は視線を感じて目を向ける。


 緑のネットのカーテン。その大きく手前、同じくコート内に入っている大きな体躯の男が生暖かい目でこちらを見ていた。


 一瞬で涼の表情がげんなりとしたものに変わり、勢いをなくしたまま立ち止まり、近くに立っているチームメイトにボールを投げた。


「え、え?」


「シュートだ! 打て!」


 ボールを受け取った男子は困惑していたが、涼の指示を素直に聞き「えい!」と下投げでボールを放った。スタッとボールがネットを揺らす。


「ナイッシュー!」


 シュートを決めた男子は涼にハイタッチを要求され、照れ臭そうにそれに応えた。


「交代交代交代! 交代だ!」


 二人の間に割り込むように入ってきた野中。男子を追い出し、残った涼を睨みつけた。


「仁科お前、バスケ嫌いって嘘だったのかよ」


「嫌いとは言ってねえよ。苦手だって言ったんだ」


「変わんねえだろ! だー、この際どうでもいい! いいか、今からお前は俺にパスを回しまくれよ。注目されるべきは俺なんだ!」


 野中は決定事項なんだとばかりに言い放ち、より一層のやる気を見せる。


 涼は、


「接し方が分かんねえんだよ」


 とポツリと呟き、試合に戻った。


 それから。涼は溢れてきたボールを拾ってはひたすら野中にボールを回し続けた。


 最初のシュートはまぐれだったのか、それともどこか焦っているからか、野中のシュートは一向に決まらず、リバウンドを拾った相手チームにカウンターを決められる。


 そして。授業終わり間際には、涼たちのチームは24対25と接戦ながらも負け越していた。


 涼はゆっくりとドリブルをしながら周りを観察する。


「こっちだ! 仁科! 俺にパスをよこせ! ブザービート決めてやる!」


 ポスト下で叫ぶ野中。これまでにボールを集めすぎたせいか、その周りには三人もマークが付いている。

 

 他の二人にも一人ずつしっかりと付いており、長瀬は両腕でバッテンを作ってパスを拒否。


 パスを出す先がなく、困り果てる涼。もうこのまま試合を終えてもいいか、なんて思ったその時。


 また、視線を感じ取った。


 たしかに、はっきりと。横の方から——


「……ふぅ」 


 息を吐き、片手で突いていたボールを両手で持ち直す。


 体育館を半分に切った小さめのコート。センターラインからわずか前のポジション。


 折り曲げた膝を一気に伸ばし、涼はボールを宙に放った。


 曲線を描きながらゴールに向かっていくボール。


 照準はバッチリだ、そう思えた。


 しかし。


 横に逸れたボールはリングとぶつかり。


「——っしょ!」


 そのままゴールから離れていってしまいそうなボールは、高く飛び上がった長瀬の大きな手に掴まれ——強引にゴールにぶち込まれた。


 …………。


 一瞬の、静寂を経て。


 ワッと歓声が湧き上がった。女子もバドミントンを中断して観戦しており、中には顔を赤くしている子もいる。


 そして、その賛美の声は皆、ゴールを決めた長瀬に向けられている。


「やっぱり、身長は正義ってことかぁ」


 ざわめく会場の中、涼は呟く。


 その声は誰かに届くこともなく、喧騒にかき消された。

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