第5話 意味ないだろ
今日は入学後初めての体育の授業がある日。
初回はレクリエーションと称して球技を行うことが事前にアナウンスされていたため、一部の生徒はやる気に満ちた表情を浮かべていた。
女子が更衣室へ向かって男子のみになった教室で、涼は覇気のない顔で体操服の袖に腕を通していた。
「どうしたんだ、涼。勉強嫌いなお前が体育で喜ばなくてどうするんだよ」
「文武両道を行ってるわけだが」
「どっちも努力している場合を言うんだよそれは。お前は真逆だろ」
「耳が痛いな。……いや、久しぶりに体を動かすから怪我が怖いなって」
「へぇ」
涼の返答を聞き、長瀬は涼の体を観察し始める。
「なんかスケベな視線を感じるな」
「誰がお前に! 自称運動不足の割にはいい体をしているなって思っただけだ。……レクリエーション、どうも隣のクラスはバスケをやったみたいだなぁ」
長瀬の発言に、今度は涼が「ふーん」と返す。
その表情はどうも浮かない。そのため長瀬は次の言葉がすぐに出てこなかった。
その隙をついて、涼の後ろにいた男子が二人の会話に割り込んできた。
「おいおい長瀬。仁科は自己紹介で『バスケは苦手』って言ってたんだから、そりゃ乗り気にならねえって。なあ?」
同調を求めてくる男子に、涼は怪訝な表情を浮かべる。
「……誰?」
「
「あぁ、野中。うん、分かってたよ。ほんとうに」
「……ホントかよ」
野中からのジトッとした視線を受けながら、涼は長瀬から聞いた野中の情報を思い出す。彼も長瀬と同じくバスケ部だったはずだと。
「まあいいや。仁科、俺はお前にいい話を持ってきてやったんだ。バスケが苦手なお前でも活躍できる話だ。聞いて損はねえぞ?」
涼の肩に腕を回しながらそんなことを言ってくる野中。
涼は真顔のまま、長瀬にアイコンタクトを送りながら野中を指差す。
長瀬はそれを受けて苦笑を浮かべた。
「野中は今年から始めたんだよ」
「あぁ、そういうこと」
涼は納得したように頷く。
そんな二人のやり取りを野中は首を傾げながら聞いていた。
「よく分かんねえけど、舐めんじゃねえぞ。中学まで野球部で鍛えてきたこの肉体にかかればバスケなんてお茶の子さいさいなんだよ!」
「ふーん。なんで野球部続けなかったの?」
「そんなの……坊主だとモテないからに決まってるだろ!」
「そうか?」
「人によるんじゃね」
「うっせぇ! 現に俺は中学時代、丸坊主のせいで女子から告白されることなんてなかったんだぞ! だけど見よ、今のこの頭を。軽くパーマもかけてるんだ。女子ウケ間違いなしってわけ!」
そう言って野中はうざったいくらい長い髪の毛をかき上げる。
涼は長瀬に視線をやる。それを受け、長瀬は首を横に振るだけだった。
涼は嘆息し、野中の腕を退かしながら口を開く。
「で、話ってなんだよ」
「おっとそうだった……ってお前が話を逸らしたんだろ。——仁科。お前には俺を輝かせるためのパス係になってもらいたい!」
「パス係?」
「あぁそうだ。どうやら体育館を半面ずつ女子と分けてバスケを行うみたいなんだよ。つまり、あの橘さんが俺のプレイを見てくれるってわけだ! そこで、バスケが苦手な仁科には俺にボールを回す役目を任命したいんだ。パスぐらいならできるだろ? それに仁科は橘さんのことも苦手って言ってたし、別にアピールする必要なぞない。つまり、仁科は超うってつけの役者ってわけ! あぁ、俺のスーパープレイを見て恍惚とした表情を浮かべる橘さんの顔が目に浮かぶぜ!」
既に野中の頭の中には、自分のプレイを賛美する瑞姫の姿が映されているみたいで、ゲヘゲヘと下品な笑みを浮かべている。
「やべっ。もう時間ないじゃん。早めに行ってウォーミングアップするつもりだったのに。それじゃあ、仁科。よろしくな!」
そう言って教室から足早に立ち去る野中の後ろ姿を見届けた二人は、顔を見合わせ苦笑を浮かべる。
「やるのか、パス係」
「さあ。俺がいくらパスを回したところで、シュート決めてくれないと意味ないし。あいつ上手いの?」
「うーん。初心者にしては筋が良いって程度だな。今のところは」
さほど興味はないのか、涼は長瀬の回答を聞いても「ふーん」と淡白に返すのみ。
長瀬はそんな涼を揶揄うように笑う。
「ふっ。お前が気にしているのは橘さんの方だもんな」
「……別に」
「どうも野中の野郎は橘さんがバスケ部に入ると聞いて、バスケ部の入部を決めたらしいぞ。一目惚れみたいだ。まぁ橘さんに惚れてるのは野中だけじゃないけど」
「何が言いたいんだよ」
「いや? 既に橘さんは桜蓮高校のアイドルになっちまってるって話だよ。関わりのない先輩も目をつけてるらしいぞ」
「そりゃすごいや。おっと、そろそろ時間もやばいし俺たちも急ごうぜ」
時計を見ることなく、涼はそう言って話を切り上げようとする。
長瀬は苦笑を浮かべた後、「おう」と返事をして教室のドアへと向かう。
「……涼。お前にパス回してやろうか?」
長瀬が前を向いたままそんな質問を投げかけると、涼も前を向いたまま答えた。
「シュート決められないと意味ないだろ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます