第二章 デレ期

第16話 Tシャツスースー事件

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セラフィーラ様の回想は正確性に欠けるので、一部注釈が入ります。

ご容赦ください。

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 ベランダで吐息を白い雲にしながら、外を見つめます。

 天と下界の境界が曖昧になり、金青に溶け込んでいきました。


 もうすぐ、はやとさんがご帰宅するお時間です。



 ◇ 



 私は駄目な女神です。


 初めは、はやとさんが天寿を全うするまで不自由なく生活できるよう、魂を温存しながらお仕えするだけのつもりでいました。


 しかし私はいつの間にか、下界での暮らしを謳歌するようになっていたのです。

 下界への憧れを封じることはできませんでした。


 未調律の魂で普通に暮らしていては、すぐに尽きてしまいます。


『死にたくなくば、水谷颯人を殺めよ』


 というのが、天界の真意でした。


 しかし私は、己の死を受け入れることを選びました。

 それが下界を謳歌した一つの罰だと考えたのです。


 最初の数日は、仮眠をとって温存していましたが、罪の意思からすぐに辞めました。魔法の出し惜しみもしませんでした。


 ですが、はやとさんはそのような許されざる女神を、二度も救ってくださったのです。


 一度目は、自害を止めてくださいました。


『セラフィーラさん、あなた自身はどうしたいんですか!』


 頭から翼の先へ電撃が走りました。それくらいの衝撃でした。


 私は......私のために生きても良いのでしょうか。


 押し潰していた思いが溢れました。


 もっと、もっと、下界を知りたいです。

 直接この目で見届けたいです。

 この魂が尽きるまで。


 特に、はやとさんが私に抱いてくださっている、『愛』という物を理解したかったのです。


 ですが、すぐに限界が来てしまいました。


 だんだんと体が重くなり、深い闇に魂が溶けていく感覚がしました。

 私が解かれ、輪廻の輪から切り離されていきました。


 私は、私のために生きました。

 私は十分、下界を謳歌しました。

 私は責任を取らなくては。

 私は死を受け入れなくては。


 一人は得意なはずでした。下界を訪れるまでは。


 生まれる前から持っていた感情に突き動かされ、私は手を伸ばしていました。


 その手を掴んだのは、はやとさんでした。


 二度目は、その身を賭して私の魂を下界に繋ぎ止めてくださったのです。

 おかげさまで私は下界に適応することができました。



 はやとさんはどうして、私にそこまでしてくださるのでしょうか。


 思い返せば、転生に失敗してしまった日も、私の身を案じて同棲をご提案してくださり、佐々木公園の素敵なお家で暮らすことができました。(※段ボールテント)


  初めての食事の際は、人間と同じ食事をとることを遠慮していた私に、神人共食という言葉を教えてくださり、野菜のお鍋をご馳走してくださいました。


 神々に食事は不要なので、私に味覚があるかは不安だったのですが、その心配は必要ありませんでした。

 涙が止まりませんでした。

 初めての食事の暖かみは一生忘れせん。


 はやとさんの戸籍の再取得のために岐阜県へ伺った際は、伝統について教えてくださり、私のために薄浅葱の着物をお借りしてくださいました。

 着物に描かれていた野菜も、とても美しかったです。(※菊)


 佐曽利家のみなさまはお元気でしょうか。

 佐曽利家は、はやとさんのお母様のご実家で、岐阜県の温泉旅館を経営しています。

 宿のなかった私たちを暖かく迎え入れてくださいました。

 

 露天風呂も気持ちよかったですね。

 はやとさんも一緒に入浴したのですが、あのときはいつもより口数が少なかったです。なぜでしょう。

 

 佐曽利 楓様は受験生だそうです。東京の鉱工を受験するとのことでした。東京は鉱工業が栄えているのでしょうね。


 あら、いけません。考えが脱線してしまいました。

 なぜ、はやとさんが私の世話を焼いてくださるのか、を考えていたのでした。


 愛を理解する一環として、ペアルックを買いに原宿へ行った際は、私の選んだ服を3着も買ってくださいました。

 ゲームセンターでは、UFOキャッチャーを教えてくださいました。

 居酒屋では、酔っ払ってしまった私を家までおぶって介抱してくださいました。はやとさんのお背中、暖かかったです。

 イルミネーションを見た際は、魂の消耗で、はやとさんの肩に寄りかかって眠ってしまいました。はやとさんとくっつくと、とても落ち着きます。


 幻想的なイルミネーションの光は美しかったはずなのですが、はやとさんのお顔ばかり思い出します。 


 いくら考えても、はやとさんが私の世話を焼いてくださる理由が分かりません。

 私、後遺症でどこかおかしくなってしまったのでしょうか?


 最近、はやとさんを目で追ってしまいます。

 はやとさんの声を聞くと、ぼーっとしてしまいます。

 はやとさんの腕を見てしまいます。

 はやとさんの首を見てしまいます。

 はやとさんの指を見てしまいます。

 はやとさんと長く離れると動悸がします。

 魂が繋がった影響でしょうか?

 

 今も体が熱くて胸が苦しいです。

 

 まだ、はやとさんはお帰りにならないのでしょうか? 今日はいつもより遅いですね……。


 あとどのくらいでご帰宅なのかを、はやとさんの魂に直接語りかけ、いえ、いけません。お仕事中です。


「はぁ……はぁ……」


 呼吸が乱れてきます。


 いったん、室内に戻って落ち着きましょう。

 私は、最も早くはやとさんを見つけられるベランダから離れました。


 すると、鼻腔をくすぐられました。


 未洗濯のビニール袋から、はやとさんの匂いがするのです。


 恐る恐るビニール袋へ手を伸ばし、はやとさんのTシャツを取り出してしまいました。


 私はTシャツを掲げました。


 このTシャツから目が離せません。


 ダメですセラフィーラ、止まりなさい。


 袋へ戻そうとした刹那、布が風に煽られ、私の鼻を掠めました。


 私は体の主導権を失いました。


「すぅ〜〜」


 私は神生で一度も感じたことがないような、強力な多幸感に包まれました。


 これは、大変、危険です!

 

 ぎゅっと手に力がこもります。


 いけません! 離せません!


「すぅ〜〜〜」


 もう一度、吸ってしまいました。


 もう止まれません。


「すぅ〜〜〜はぁ〜〜〜」


 はやとさんの香りが、胸いっぱいに広がっていきます。

 私はこの香りを嗅ぐために生まれたのかもしれません。


「ただいまー」


 はやとさんの声がします。頭がぼんやりします。


「すぅ〜〜〜はぁ〜〜〜」


「え。何やってんすか」


 わ、わたくしは一体何を!?


「あっこ、これは! 誤解です!」

「何が誤解なんですか?」


 このままでは、はやとさんに嫌われてしまいます!


「せっ洗濯......そう、洗濯です! 洗濯したか否かを忘れてしまったので、匂いで判別、です!」

「未洗濯のビニール袋からわざわざ取り出した形跡がありますけど?」


 なぜ、こんなことをしてしまったのか、私にも分かりません。

 どどどうしましょう。そ、そうです! いったん香りで落ち着きましょう!


「すぅーーー」

「って、諦めて二吸目行くなしっ!」



 ◇



 俺はいつか、セラフィーラさんに振り向いてもらいたい、と考えていた。


 でもそれが甘えだったということを、先日のセラフィーラさんの衰弱で学んだ。

 セラフィーラさんが生きていてくれるだけでいい。

 セラフィーラさんと結ばれたい、なんて烏滸がましかった。

 当たり前が当たり前であることが幸せなんだ。何も変わらなくていい。


 そう思った矢先にセラフィーラさんが変調をきたした。

 セラフィーラさんは胸が苦しくなったり、熱が出てしまうことがあるようだ。


「そ、そんな......!! セラフィーラ様に後遺症だなんて……!!」


 駆けつけたリリムが泣き崩れる。


「リリム、すみません。私、ここまでのようです……」


 俺のスキル【賢者の目】は、セラフィーラさんを健康そのものと判定している。リリムも時間をかけて診断したが、体に異常は見られなかった。


「経過を見る、しかないようですね......」

「明日、エリス様にも相談してみましょうか」

「そうですね。俺も仕事を休みます」


 次の日、俺たちは女騎士エリスに呆れた表情で言われた。


「お前たちは、バカなのか?」

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