第4話 「私に愛を教えてくれませんか?」

 セラフィーラ様は、誰もが見惚れる美貌の持ち主で、清楚で、寡黙で、完璧だった。


 私たち神々は通常、100歳で新神研修を終え、天随課に配属される。

 天随課では、天随使として毎日数時間に及ぶ、下界での過酷な情報収集の任に就く。

 私も天随使の一人だ。

 本当は誰も忌むべき下界になど、興味がないし行きたくもない。しかし、その後のキャリアのためには必要不可欠なのだ。


 実績が認められた天随使は主に、異界転生課か輪廻転生課に転属される。

 特に、異界転生課は花形で、専用の個室が与えられ、魂の異界への転生と、受け入れを担う。複数の世界を管轄しなくてはいけないため、最も高度な技量を求められる任である。


 そしてなんと、セラフィーラ様は天随使を経験せずに飛び級で、その異界転生課に配属されたのだ。


 人間は争いばかりだ。

 100年ほど前に繁忙期があり、人員不足のため当時、新神研修で歴代最高の成績を収めていたセラフィーラ様が、輪廻転生課をサポートすることとなった。

 そこでの働きが評価され、異界転生課に配属された天才なのだ。


 誰もやりたがらない必修の天随使を経験しなかったことで、陰口を叩かれたりもしたが、セラフィーラ様の実力は本物で、二度目の繁忙期も他の神々を先導し、仕事を完璧にこなしていた。

 

 セラフィーラ様は私たちの憧れだ。


 セラフィーラ様は異例の若さで「次にくる女神」「この女神がすごい!」などで大賞を受賞しているし、異世界転生・満足度アンケートの結果も常にトップであった。


 そんなセラフィーラ様が、追放された。


 【追 放】

 女神、セラフィーラの現職の任を解き、追放を命ずる。

 

 掲示が出されたのは、追放から一ヶ月以上経った後であった。


 天界中が大騒ぎになった。

 セラフィーラ様ロスで仕事に支障をきたす者もいた。

 抗議活動も起こっている。


 私は、掲示の内容の隅々にまで目を通した。


 原因は、水谷颯人という人間だった。


 今ごろ、下界で辛い思いをしているに違いない。

 天界規定を破ってでも、セラフィーラ様を助ける。

 私たちからセラフィーラ様を奪ったこの人間を、絶対に許さない。



 ◇



 セラフィーラさんが天使から俺を守る形で、槍を構えている。


「天随使ですね。弓を降ろしなさい」


 セラフィーラさんのいつもと違う声色に、背筋がピリつく。


「て、天随使のリリムです! セラフィーラ様、人間から離れてください!」

「お断りします」

「なぜ人間を庇うのですか! セラフィーラ様は、そいつのせいで追放されたではありませんか!」

「いや、俺はなにも……」

「そんなわけない! 異世界転生には、高度な魔法と精神統一が必要なのよ!」

「やめてくださいっ!」


 あのセラフィーラさんが、怒鳴った。

 それでもリリムは続ける。


「お前が転生前に、セラフィーラ様の集中を乱すようなことを言ったんでしょ!?」


 セラフィーラさんが小さく息を吸った。


 俺がセラフィーラさんを乱す?

 

『ずっとここにいて退屈ではないんですか?』


『もう二度と戻りたくないっていうのは嘘になりそうです。なんでですかね……』


 もしかして。

 セラフィーラさんが異世界転生を失敗したのは、俺が余計なことを言ったせい?


「追放が解除される条件は、水谷颯人の死」


 セラフィーラさんが、リリムに飛びかかり、槍を向ける。


「セラフィーラ様、私は続けます。私を口止めしたいなら殺してください」

「…………できません。ですが、それ以上は辞めてください」 


 セラフィーラさんは槍を動かせず、手を振るわせながら涙を浮かべている。


「水谷颯人を殺すことが、セラフィーラ様に与えられた使命」


 え。


 現代に転生した俺を見守るため、

 というのは表向きの理由で、天界の意図は、俺を始末することだった?

 俺のせいで。


「セラフィーラ様、弱みを握られているのですか? でしたら私が」

「違います!! 私は自分の意思で、はやとさんとご一緒しているのです! たくさん悩みました。天界の勤めを果たすべきか、憧れていた下界での暮らしのどちらを優先するべきか」

「セラフィーラ様はこんな所にいるべきではありません! こんなに長時間、下界にいるなんて、前例がありませんし、お身体に障りでもしたら」

「私はずるい女神なのです。本当は分かっていました。でも追放を都合よく解釈して……」

「下界なんかのどこが」

「みな、気づいていないだけなのです! 下界は忌むべき場所ではございません。はやとさんは、下界の素晴らしさを教えてくれました」


 俺が?


「私は今、幸せです。もっと、下界を知りたいです」


 セラフィーラさんがリリムから槍を離す。


「……ですが、それは私のわがままですね……」

「セラフィーラ様……?」


「はやとさん、いえ、水谷颯人様。私は、あなた様の優しさに甘えて、命令の意に反して、下界での暮らしを謳歌しました。そして、私には正当な滞在であると、天界に認めさせる力はありません。ですから、ケジメをつけなくてはなりませんが、あなた様を殺めたくはありません。なので……」


 セラフィーラさんは槍を自分の腹部に突き立てる。


「私は、自害します」


「えっ」


 リリムは弓を落とし、放心状態になった。


 そんなのダメだ。

 俺は、セラフィーラさんの元に駆けて、勢いよく槍を掴んだ。


 本当は俺は死ぬべきで、セラフィーラさんは俺を殺すべきなのかもしれない。でも違う。


「さっき、セラフィーラさんは言いましたね。下界の素晴らしさをみな、気づいていないだけなのだと。だったら、それをあなたが証明すればいいんです。セラフィーラさんは、以前にこうも言っていました。たくさんのことを教えてほしい。経験させてほしい、と。下界に居座って、経験したことを天界に広める役を担って、正当な滞在だと天界に認めさせるんですよ! 天随大使、大天使です!」


 俺の手が真っ赤に染まる。


「そのような役職はありま」

「本来の役目とか、使命とか二の次でいいじゃないですか! セラフィーラさん、あなた自身はどうしたいんですか!」


「......わ、わたく、しは下界をもっと、この目で……。ですが、はやとさんの、ご迷惑にも」

「俺が! いつ! 迷惑だなんて言ったんですか! 同棲を頼んだのも俺からでしょう!?」


 セラフィーラさんがぼろぼろと涙を流す。


 一度も口に出していない俺も悪い。

 あぁ、だからこの日だったのかもな。たまたま重なったわけではなく、必然だったのかもしれない。

 

 花束は逃げる道中で落としてしまったが、奇跡的に残っていた一輪の花をセラフィーラさんの手に渡す。


「セラフィーラさん、あなたを愛しています。あなたが許してくれるなら、これからも、ずっと一緒にいさせてください」


 セラフィーラさんはゆっくりと顔を上げ


「っは゛い……」


 と。

 そして、頬を緩めて、泣きじゃくった。


 俺は抱きしめて、息が整うのを待つ。

 

 しばらくの静寂ののち、セラフィーラさんは、好奇心旺盛ないつもの調子で一言。


「愛ってなんでしょうか? 私に愛を教えてくれませんか?」


 もっと下界のことを知りたい。経験したい。と願ったセラフィーラさんが、最初に選んだのは『愛』だった。

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