第17話 ネずmi


 「ふー。終わったぁ。今日も疲れた」




 一人の女性の姿が路地裏にある。


 それはアラヤ達が聞き取りをした女性であり、彼女はシフトで午後七時をまわった現在まで働いていたのである。




 「寒いなぁ」




 日はすっかり沈み、夜が星空の天蓋をかぶせている。冬の夜は言わずもがな寒い。


 肌を撫で、去っていく風は無情だ。冷たい風は冷たく、硬いと感じさせた。


 だが、今日の寒さは普段よりももっと寒いと感じられた。




 「血獣・・・」




 視線の先には、光があまり入らない暗闇の道が続いている。


 僅かに漏れる店の明かりだけが頼りのその路地はいつも見ているはずだというのに、今日はひどく怖かった。


 背中がひどく物寂しく感じられ、同時に恐怖の種が体を這い上がってくるのがわかった。




 「は、はやく帰ろ・・・」




 自身を支配しようと這い上がってくる恐怖の根をその場で断ち切るように、思考を切り替えて店の中へと戻ろうとする。




 その時である。




 「ちゅ・・・」


 「え・・・?」




 一匹のネズミらしき影。


 闇に包まれその全貌はわからず、その存在を伝えてるの辛うじて聞こえた鳴き声と、朧げな影法師のみ。




 


 そして、次の瞬間、女性の視界は恐怖の光景で埋め尽くされる。


 並ぶ鋭利で歪な牙。肌を撫ぜるは生暖かい吐息。


 余りに唐突かつ一瞬の出来事であったため、幸か不幸か女性には思考をはさむ隙すら無かった。


 ただそこにあるのは、エサと捕食者の関係だけだった。




 厄災の夜が始まる。






 ***






 夜の路地裏というのは、昼間とはくらべものにならないほどに不気味な場所である。


 先がうまく見通せないほどの暗さは、人としての恐怖心を大いに掻き立てた。




 「いませんね」


 「うん。反応すらしないね」




 そんな闇の中を歩く影が二つ。


 アラヤとミハルだ。


 二人は一度アサヒとリュウヤのチームと合流した後に再び路地裏に入り、血獣の捜索にいそしんでいた。




 「はい。少なくとも生物の反応が端末に送られてくるはずなんですけど、それすらも反応無しとは・・・」


 「おかしいな」




 アラヤ達は、夜になって本部から生体反応を察知する特殊なセンサーを借り、それを使って捜索してるのだ。


 だが、今現在その結果は芳しくなく、携帯端末に映し出されたのは何の変哲もない地図のみである。




 「もしかしたらこのセンサーの範囲から外れているのかもしれません」


 「このセンサーってどこまでの生体反応を拾えるの?」


 「半径十メートルですね」


 「じゃあ、少なくともその範囲にはいないと」


 「はい、なので、次の曲がり角をどの方向に進むかによって、見つけられるか、そうじゃなくなるかが決まっちゃいますね」




 血獣を発見できるか否かはそのまま命が救えるか救えないかに直結するだろう。


 その緊張感をもって、アラヤは十字路に到達したのだった。




 「どうする?」


 「難しいですね。はっきりってどの道を進んでもただの賭けにしかなりません。もっと情報が欲しいところですね」




 究極の選択だ。


 三択の中から一つの正解を導かなければ、誰かが死ぬのだ。


 容易にことなどできない。さらに言えば、悠長に探している時間などない。


 いつどこに血獣が現れ、再び人を喰らうのか予想すらもつけられないのだ。


 時が選択を迫り、緊張が選択の自由を蹂躙していくなかで、アラヤ達は必死に思考を巡らせる。




 そして、その時、アラヤ達の思考を断ち切るように鳴り響いたのは、耳に装着された通信機からの着信音だった。




 「?!」


 『アラヤ君!ミハルちゃん!聞こえるかい?!』




 イヤホン型の通信機から聞こえるのは知っている声。


 ただ、いつもは呑気な声が今回に限って少しの焦りをにじませていた。




 「聞こえてます!」


 『よかった!


緊急事態だ。君たちのいる地点から東に進んだところに血獣の反応が現れた!例の血獣と思われるものだ!


危険度はまだBだ。だけど、急激に反応が強くなってる!このままじゃ、Aに到達しかねない!そうなると甚大な被害が出かねない!


早急に向かって討伐に当ってくれ!』


「「・・・!!了解です!」」




いきなりの事態。


ターゲットであろう血獣は発見されたが、安心していい事態でない。


 アラヤとミハルは頷き合うと、同時に東、アラヤ達から見て右方向の通路へと全力で駆けた。


 走る速度は次第に早くなり、ついには人域を出るに至る。


 二つの影が、闇を切り裂くように路地を駆けていく。




 その先に待つのは災厄の種である。








 瞬きの間に視界をすべて埋め尽くしたケモノの大きな口内。


 余りに急激な変化を脳は思考を挟む余地すらない。このまま、何が起きたかも理解できずにケモノの顎によって咀嚼されるだけの運命のみが横たわっていた。


 思考を挟む間もなくその生を終えるというのは、女性にとって幸運だったのか、それとも不幸なのか。




 だが、それも第三者の介入がないとの前提条件があっての話である。




 ギィィィン。と甲高い音が当たりの空気を電波し、それは女性の鼓膜も揺らす。




 大きな口は開いたまま閉じられていない。女性と血獣の間に割って入った人物が閉じるという行為を阻止しているのだ。




 「大丈夫ですか?!」




 女性の前に現れたのは昼間見た討伐隊の少年。


 白い隊服を着たその少年に声を掛けられて止まっていた思考が動き始める。




 「え、あ、はい!」




 丁度その時。




 「アラヤさん!」




 遅れてやってきたのは、同じく白い隊服を着た少女だった。


 白髪の長い髪を後ろで結んだ美しい少女だ。




 「ミハル!その人を避難させてくれ!」


 「わかりました!大丈夫ですか?立ち上がって歩けますか?」


 「はい・・・」




 恐怖でうまく動けないが、隣に隊服を着た人間がいるだけで少しは心強く思えた。


 女性は支えられて立ち上がり、少女に促されて退避したのだった。




 夜の街に銃声と金属が叩きつけらる音が鳴り響く。








 アラヤは安堵していた。


 とりあえずは目の前の人を救うことが出来たからだった。


 だが、油断はない。


 なにせ、一寸間違えればそこは死に直結する。


アラヤは緊張感をうまくコントロールし、集中した状態で臨戦態勢に入れていた。故に油断して死ぬことは無いだろう。




 (ミハルと女性はちゃんと避難できた頃かな?)




 アラヤは血獣が顎を閉じようとする力に拮抗するように込めていた力を一瞬にして弱めた。そのとき、足には力を込めて、後ろに後退する。


 BCWを瞬時に確認し、傷などがないかを確かめる。なにせ、血獣の牙を受け止めていたため、傷による破損で戦闘に支障がないか確認しておく必要があるのだ。




 「おっし」




 傷も無ければ破損もない。内部に異常がない限りは戦闘を継続しても問題は無いだろう。


 アラヤは真正面の血獣に目を向ける。


 一瞬アラヤの視界には血獣の姿が目に入っていなかった。なにせ、その血獣があまりに小さく、思っていた位置にいなかったのだ。




 「・・・ネズミ?」




 地面にちんまりと座る赤い影は血獣のそれで間違いはないだろう。


 だが、おかしい。先ほどの大口はこの血獣の仕業なのだろうか。


 それを確認する暇もなく血獣は動き出す。


 食欲以外の本能を放棄したケモノは目の前のエサに狙いを定める。


 全身に筋肉を躍動させた小さなケモノは、アラヤからむかって右の壁へと大きく跳躍した。


 そして、壁に接着した瞬間再びその体を跳躍させ、アラヤに高速で迫った。




 「速いな」




 そう呟くアラヤにはわずかながらの余裕はあった。人間離れした動体視力のおかげで難なくその攻撃は回避できる。


 そう思っていた。




 「・・・!?」




 油断はしていなかった。


 だが、いきなりのことでアラヤは少し驚いたのだ。




 アラヤの目の前には巨大な口がアラヤを丸のみにしようと迫っている。




 ネズミ型の血獣が口を開けたかと思えば、その口は一瞬の時で肥大化し、人を軽々飲み込めるほどの大きさになった。


 不揃いの凶悪な歯が顔を並ばせている口内は、飲まれれば瞬時にひき肉と化すことは想像に難くはない。




 「なるほどな」




 香月アラヤにはいまだ攻撃をかわせるだけの余裕がある。


 なにせ、彼は対峙するケモノと同じ血を持っているのだから。


 そして、アラヤは今の状況になる事をある程度予測しながら動いていた。




 左側に転がりこむようにしてアラヤは大きな口を紙一重で回避する。それが出来たのはアラヤの人域を超えた身体能力とそれをサポートするシステムのおかげだろう。


 回避行動を行いながら姿勢をすぐに起こし、すぐさま構えを取った。


 アラヤ以外の隊員が回避できないなんてことは無い。彼らは戦闘経験からそもそも血獣が動いた瞬間に動いている。




 「危なかった・・・」




 ほんの少しの危機感がアラヤの動き始めの遅さを後ろから指さす。


 それに頭を振って思考を切り替えると、アラヤは血獣が着地したと思われる位置を見た。


 回避を行っている際に聞こえた破壊音。それがもたらされた惨状は、血獣の破壊力の高さを物語っていた。




 「喰らったら一巻の終わりだな」




 抉られたコンクリートの地面。ケーキを食べるかのような気軽さでコンクリートを砕き、


さらには、元に戻った小さな体躯で咀嚼していた。




 「スナック菓子かよ・・・」




 恐ろしい破壊力を前にアラヤの警戒度が跳ねあがる。


 アラヤは構えたまま動けない。下手に動き、補足されてしまえば、自分から血獣の口に中へと入ることになるだろう。


 そうならないように、アラヤは不服ではあるが、後手に回る判断を下さざるを得なくなった。




 (リュウヤ達の到着はまだか?)




 つーっと、アラヤの頬を汗が伝う。




 静かな均衡を破ったのはもちろん血獣側だった。


 正直な突進、からのおおきく跳躍。


それに合わせてアラヤも動く。


巨大な口の間合いも見切り、右手側へと移動する。


 アラヤのすぐそばを暴食の権化が通り過ぎる。


 アラヤもやられっぱなしではない。すれ違いざまに三発の弾丸を撃ち込んだ。




 「ちっ、ダメか」




 絶大な破壊力を持つ銃の弾丸はむなしく血獣の体表によってはじかれる。


 これは予想できてはいた。なにせ、アラヤは初めに攻撃を受け止めた際、剣は血獣に傷一つつけてはいなかったのだ。


 予想できていたが、銃弾が通らない事実を目の当たりにやるせない気持ちになるが、すぐに次の行動へと移る。


 血獣も同様に着地したとたんに再びアラヤに襲い掛かってくる。


 攻撃が通じないアラヤは思考しながら、とびかかってくる血獣に体をかがめるだけで回避する。




 (傷がつかない体。急激に大きくなる口。


 想像以上に厄介だが、まだ打つ手はあるな)




 冷静さを欠かない様子でアラヤは思考を続ける。


 血獣は相も変わらず愚直な動きでアラヤに肉薄し、アラヤを食らわんと大口を開ける。


 その攻撃の連続のなかでアラヤは期を伺いつつ、冷静に血獣の能力を判断する。




 (知能は低めか。いや、低いというより、正気を失っている感じかな。


 さっきから理性的な攻撃がない。ずっと愚直な突進からの噛みつきか、壁を蹴ってから噛みつきかの二択だ。これなら狙えるな)




 アラヤはそう心の中でつぶやくと攻撃に転じるため、突然剣と銃をだらりと下げて棒立ちになる。


 はたから見れば諦めたように見えるかもしれない。だが、決してそうではないことは明白である。


 この場に対峙していたのが血獣ではなく人間であったのならば、何かを企んでいると認識できたかもしれない。だが、アラヤが相対する血獣には理性のかけらもなかった。


 ゆえに、初手の攻撃と同じ。壁を使ってより早く、直線的にアラヤに肉薄してくる。


 だがしかし。




 「外は確かに硬い。


 だが、内側はどうだろうな」




 血獣はその大口をアラヤに見せながら高速でとびかかる。


 アラヤがそれに向かって人の域をはるかに超えた反応、筋力で瞬時に銃を構えた。そして、何度も練習した動作で狙いを一瞬で定めて発砲する。




 放たれる弾丸は風邪を切り、空間を抉り、対象へと飛来した。




 着弾した弾丸は再びはじかれる、なんて二の轍は踏まない。


 弾丸が炸裂し、血獣の口内が蹂躙される。




 『ギィィァァ!!!』




 圧縮された血液が一気に解放され、柔らかい血獣の口内を破壊するには十分な威力を発揮する。


 あまりの破壊力に、弾丸が貫通した血獣の体が大きく後ろへと吹き飛ぶ。




 「あたりだな」




 血獣の姿は一瞬で悲惨なものへとなっていた。


 大きな口を開けたままの状態で元の姿には戻らず、血を垂れ流している。もはやその血が血獣のものであるのか、弾丸の血液であるのかわからなくなっている。


 裂傷はひどく、弾丸に撃ち抜かれた上顎には大きな風穴があいていた。


 もはや、再起など不能。


 そう思われるほどの惨状がそこには存在していたのだ。




 「まだ生きてる。随分とタフだな」




 (まるで一か月前のあの血獣みたいだ)




 アラヤの脳裏に浮かび上がるのは一か月ほど前の、アラヤが半血獣となるに至った獣災だ。


 あのときの血獣も、ぼろぼろの姿であったにもかかわらず、倒れることなく生き続けていた。今回の血獣も例の血獣もどちらもが共通して生命力がかなり高いことにアラヤはわずかに違和感を感じていた。


 ただの血獣ではない。そう思える要素が共通して見つかるということなどあるのだろうか。


 深く考えようとしたその時。




 「アラヤ!」




 聞き覚えのある声がアラヤの耳に飛び込んできた。


 そちらの方向へと振り返ると、アサヒが腕を大きく振りながらこちらへと走ってきていた。その隣にはリュウヤも並走していた。




 「やっと来たな」


 「すまん!遅くなった!」




 片手をあげて謝るのはアサヒだ。




 「血獣は?」




 冷静に状況を判断しようとしているリュウヤには、リュウヤらしいなと思いつつ質問に対して返答ををする。




 「一応、かなりのダメージを与えてはおいた」




 その言葉にリュウヤが少し顔を顰めた。




 「とどめは?」


 「しようと思ったらお前らが来たんだよ」


 「そうか」




 すこしは納得したのか、表情がやわらいだ。その様子をみてアラヤは少し安堵すると、血獣に向き直った。


 血獣に近づいてみると、その惨劇がよく見て取れた。弾丸の威力はすさまじく、風穴を開けるだけではとどまっていない。上顎に関しては流れた血の量が多すぎてか、その姿が正しく見れないほどに血が流れていた。




 アラヤは剣を持ち上げ、強く握りこむ。


 血獣はいまだに動いており、どくどくと蠢くように脈を打っている。生にしがみつく生物の姿がそこにはあった。


 だからと言ってアラヤが情けをかけたりするということはない。


 ただ、弾かれぬように力いっぱい剣を一閃した。




 夜の路地裏に赤き花が咲き誇った。




 「終わったな」


 「なんか、呆気なかったぜ」


 「被害が最小限で済むのならそれに越したことはないだろ?」


 「まぁな」




 アラヤがとどめを刺したその後ろではアサヒとリュウヤがそんな会話をしていた。


 体にかかった返り血を気にすることなく、額の汗をぬぐうと、ほっと息を吐く。




 「アラヤさん!」




ちょうどミハルも帰ってきた。


どうやら非難を終わらせてこちらへと向かってきたようである。




 「もう討伐しちゃいました?」


 「うん。この通り」


 「おお、すみません、戻ってくるのが遅くなって。もっと早く帰ってこられれば良かったんですが・・・」


 「大丈夫だよ。無傷で倒せたし、そんなに強くはなかったから」


 「ならよかったです。


 アラヤさん、お疲れさまでした」


 「ありがとう」




 一行は警戒を解き、とりあえずは本部からの指示があるまでは待機することとなった。




 路地裏は不自然ともいえるほどに静かだった。


 それはまるで嵐の前の静けさのようで・・・。




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