第1部エピローグ イーストエッグ
謁見室の重い扉から入ってきた人物を確認したとき、国王サイラス・エスメロードは玉座を降りた。
「オズ様」
息子であるはずの王子に向かって、跪き頭を垂れる。
「残念だったね、サイラス」
王子オズワルド・エスメロードは、微笑みを湛えていた。
王は傍観者であった。全てを知っていながら、見ているだけだった。
「オキデンス公爵家の関係者で、捕えられなかった人物が一人いるそうだね」
「はい。名はニーナ・エヴァレッタ――家庭教師をしていた者です」
「そうか」
「エヴァレッタ家に確認したところ、そもそもそんな人物はいない、と。偽名であった可能性が高く、現在も消息が掴めておりません」
「……そう」
サイラスは頭を下げたままだった。
「オキデンス公爵家の処遇については、どのようにいたしましょうか」
オズワルドは跪く王を通り過ぎると、その背後にあった玉座を懐かしむように見下ろして、そうっと撫でた。
「被害を受けたのは貴方様です。気が済むように、お好きになさってください」
サイラスは立ち上がり、オズワルドの方を向いた。
「カノンが悲しむだろうから、本当は無罪放免にしたいんだけど。それは、出来ないだろうね」
あれほどの事故を起こしておいて無罪では、民たちが納得しない。
玉座に腰を下ろし、オズワルドは困ったような笑みを浮かべた。
「考えておくよ。今はそれよりも――」
サイラスは玉座の隣――オズワルドの傍に突然現れた獣に、目を見張った。
「こんばんは、オズ。千年ぶりだね」
銀の毛並みと、エメラルドグリーンの瞳を持つ大きな狼。尻尾がゆらりと揺れる。その存在が光を放っているのではないかと思うほど、美しい狼だった。オズと並ぶと、拝みたくなるような神々しさがある。――記録に残っている、オズの使い魔だ。そう気づいて、サイラスは息を呑んだ。
「早速だけど、お前に仕事だよ。カノンを僕のところまで連れておいで」
「カノンって誰」
「そのままの姿だと驚かせてしまうから、僕に化けて」
「小さい! 目線が低い! これは何歳の時のお前なんだ!」
「まずは、レオンハルトの十歳の誕生日だっけ」
「ぼくの話を聞いてくれ!」
「いいから、さっさと行くんだ」
「この横暴な感じ! 千年経っても変わらない! オズだなあ!」
狼の体が、眩い光に包まれていく。オズワルドが使い魔を過去に――五年前に送ろうとしているのだ。
「――ああ。それと、お前に名前をつけよう」
「名前?」
「イーストエッグだ」
その言葉を最後に、銀の狼は姿を消した。その、直後だった。謁見室の扉が、音を立てて乱暴に開かれた。
扉の方に向かって、オズワルドが微笑む。
「おかえり」
そこにいたのは、おそらく、先ほどの銀狼だ。見事な毛並みは乱れ、返り血を浴び、手足は泥で汚れ、ボロボロの姿になっている。尻尾もしょんぼりと垂れ下がっていた。
「狼使いが荒い!」
「レオンとアックスを助けてくれたそうだね。ありがとう」
「あんなの、見て見ぬふりできないよ!」
レオンも、アックスも、民たちも危険な状態だった。自爆する少女たちだって、イーストエッグが時を止める他なかった。
千年前、イーストエッグは主人である神に命じられ、建国のために走り回った。他の使い魔たちに同情されるくらいの、重労働だった。オズへの信頼は地に落ちそうになった。
けれど、その分、エスメロード王国には愛着があった。
「それより、お前! オズ! どうして時計塔に入れてくれないんだ! 命令の意図を聞こうにも、お前に話すら出来ないじゃないか!」
「時間の流れが違うものを、時計塔に入れるわけないだろう」
「オズのバカ野郎!」
イーストエッグは毛を逆立て、ぎゃんぎゃん吠える。主従関係にあるとは思えないほどに、ひとしきりオズワルドを罵倒した後、ひとまず落ち着いた。
「ところで、イーストエッグって名前、何なの?」
「知らない」
「何だよそれ!」
再び、イーストエッグがぎゃんぎゃんと吠え始める。
オズワルドだってカノンから聞いた言葉なのだ。意味も、誰が付けた名なのかも知らない。ただ、カノンがそう言うのだから、この銀狼はイーストエッグだ。
「――カノンに会いたいなあ」
その少し前、カノンが国から姿を消したことを、オズワルドはまだ知らない。
悪役令嬢カノンは推しを死なせない よひら @isisisiii
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