オズの時計塔1

 時計塔の天辺を――オズワルド殿下がいるサイハテの部屋を目指して、階段を上る。

 駆け上がりたいのに、体が言うことを聞かなかった。ブランに手を引かれ、鉛のように重い体を引きずるように足を動かす。


「ごめんなさい、ブラン」


 重たい足枷を外しているのに、うまく歩けない。歩くたびに、足枷のせいでできた痣が、ズキズキと痛んだ。


「仕方ありません」


 ブランが前を向いたまま答える。


「あんなに酷い牢獄だと知っていたら、もっと早く、助けに行ったのに」

「ダメだよ。そんなことしたら、ブランも罪人になっちゃう」

「ブランもって!」


 弾かれたように彼が振り向く。


「姉さんは、罪人じゃないでしょう!」


 凄まじい剣幕で、怒鳴り声を上げた。ブランの表情が泣きそうに歪んでいるのを見て、何も言えなくなる。


「……すみません。頭では分かっているんです」


 オキデンス一族も、使用人たちも、投獄された。オズパレードの魔法爆発より後に生まれた、私よりも小さな子どもだっている。ほとんどの人たちに何の罪もない。悪いのはお母様だ。お母様を連れ出した、お父様だ。


 それでも、私たちが死んで償ったって、許されないほどの罪だ。

 それほどの人が、あの事故で亡くなった。

 その命は、どうしたって取り戻せない。


「先を急ぎましょう」

「……うん」


 私たちは黙々と、階段を上り続けた。塔の中に、私たちの足音だけが響く。


「――ん?」


 ぴたりと、足を止めた。


「待って、ブラン」


 彼の服を引っ張って、小声で囁く。


「何か聞こえる」


 下から聞こえてくる。これは――足音だ。


「誰か、来る!」


 二人同時に、杖を構えた。ブランが私の前に立つ。


「姉さんは僕の後ろに」


 聞こえてくる足音は――階段を駆け上がっていた。私の鈍間な足では、絶対に逃げきれない。


「やっと追いついた!」


 明るい声が弾む。足音の主は――彼女は、杖を片手に、息を整えていた。


「どうして……」

「ブランくん、こんにちは。でもね、用があるのは後ろの人なの」


 にっこりと、彼女が微笑む。


「大人しく退いてくれないと、氷漬けにしちゃいますよ」


 チリチリと、肌が粟立った。この人は、アリアは、本気だ。


「姉さん、先に逃げてください。アリアさんは――」

「ダメですよ」


 アリアが杖を一振りする。呪文も何も唱えなかった。それだけで――足が凍りついていた。氷塊の中に閉じ込められて、動こうとしてもびくともしない。


「私のハッピーエンド計画の邪魔はしないでって言ったのに。エンディングより先に投獄されるなんて意味わかんないし、オズパレードで事故は起こるし、これじゃあもうバッドエンドよ」


 この寒気は、氷のせいだけじゃない。彼女の怒りに、体が震えていた。


「でもね。私はプレイヤーだから、最後まで足掻くことにしたの」

「何をしようって言うの?」


 恐怖の中、声を絞り出す。彼女は笑みを消した。


「ゲーム通り、ここであなたを。その後は、天辺のオズワルドを」

「アリアさんが、どうしてそれを……?」


 ブランは私を後ろに庇い、アリアに杖を向けたまま尋ねた。


「さっきからアリアさんは何を言っているんですか? 喋り方も、いつもとは随分違うようですが――もしかして、そちらが本性ですか?」


 尋ねるブランを一瞥し、アリアは鼻で笑った。


「攻略しないキャラのことは、この際、どうだっていいわ。アッくんルートなら、好感度なんて上げないほうがいいし……。いやもう、それだって、関係ないか」


 アリアも杖を下ろさなかった。


「道を譲りなさい、カノン。事故を起こそうとしているのはオズワルドでしょう。頭を叩くのは当然よ」

「そんなことな……っ」


 反論しようとしたその時、カツン、とヒールの音がした。


「あ……」


 カツン、カツン、と階段を上ってくる。ゆっくりと、近づいてくる。

 ドクドクと心臓が嫌な音を立てた。冷や汗が滲む。


 ――どうしよう。アリアだけでも、手一杯なのに。ここにあの人が現れたら、私たちに勝ち目なんてない。


「オキデンス家なんかで育てられたから、ブランは悪い子になってしまったんですか?」


 アリアの背後から姿を表したのは、今ここで、最も対峙したくない人物だった。

 宮廷魔術師ドロシー・メリディエスが、制服越しに腕を掻く。


「はあ。前も言いましたが、ワタシ、オキデンスアレルギーがあるんですよ。そんな中、自ら出向いてあなた方を投獄したというのに――もう、脱獄なんて」


 ブランが叫んだ。


「姉さん!」

「大丈夫! 溶かした!」


 氷塊から、足を引き抜くと同時に、ブランが私を抱きかかえた。体がふわりと、宙を舞う。塔の吹き抜け部分を横切って、反対側の階段に着地した。


「あっ! ずるい!」


 アリアの喚き声が聞こえてくる中、ブランは私を抱きかかえたまま走り出した。


「先を急ぎましょう! あの二人には敵いません!」


 アリアとの会話をブランが引き伸ばしてくれているうちに、こっそりと、彼の背後で氷を溶かしていたのだ。最後は無理矢理引き抜いたせいで、少しだけ足が切れた。ぽたぽたと血が落ちて、階段に染みを作っていく。


「待ちなさい! 卑怯者!」


 アリアとドロシーが追いかけてくる中、ブランは走った。休むことなく、階段を上り続けた。


 それでも――天辺には、辿り着かない。


 普段であればもうサイハテの部屋に入っていてもおかしくない。塔の階段が、長いんだ。上っても上っても、辿り着かない。


「塔が、拒絶しているんだ……」


 呆然と呟くと、ブランは足を止めた。息は上がり、額には汗が滲んでいる。


「《斬り裂け》」


 ブランが杖を一振りする。対するアリアが素早く杖を振り、氷の壁で防いだ。


「姉さん、だけでも……っ」

「無理よ! ブランを置いていけない」


 目の前の氷の壁が溶けて、アリアとドロシーが姿を現した。


 アリアが杖を振る。鋭い氷塊が飛んでくる。ブランの前に立ち、制服のループタイ――エメラルドを、強く握った。


「《全て溶かして!》」


 杖先からごおっと炎が噴き出して、氷塊を溶かす。


「ダメです。姉さんは後ろに」


 ブランが私の肩を掴み、ぐいっと後ろへ押し戻した。

 ドロシーがとん、と杖で階段を叩く。私のすぐ真横の壁から吹き抜け側に向かって、岩の柱が生えた。私を、ここから落とす気だ。そう思った時には、ぐいっと体をひかれていた。ブランは私を抱きかかえて柱の上に立ち、そのまま、吹き抜けの反対側の階段へ飛び移る。


 素早くアリアの、氷柱のように鋭い氷塊が飛んできた。ブランが杖を振り、氷塊を撃ち落としていく。


「ブラン降ろして! 一人じゃ無理よ!」


 また壁から岩の柱が迫ってくる。ブランは飛び上がった。アリアの氷塊が、向かってくる。


「《溶かして!》」


 エメラルドを握りしめ、業火で焼き払った。なんとか上の階段に着地したところで――また氷塊が飛んでくる。きりがない。


「《すべて、溶かして!》」


 杖から炎は、出なかった。パキン、と音を立ててエメラルドが砕けていく。


「姉さん!」


 透明になった欠片がパラパラと手から滑り落ち、宙に溶けるように消えた。


「――あ」


 口から、ごぼりと血が溢れる。


「姉さん!」


 痛い。どうしてだろう。すごく、痛い。熱い。痛い。冷たい。怖い。痛い。痛い。恐る恐る、下を見る。お腹を、深々と、氷柱が貫いている。


「どうしよ、ブラン」


 くらり、と体が傾いた。


「姉さん! 姉さん! ダメだ!」


 ブランが泣き叫んでいる。なのに――何も聞こえない。


「待って! いかないで!」

「姉さん!」


 アリアが唖然とした顔で、私を見下ろしていた。

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