崩壊

 ぼろぼろと涙がこぼれ、それからようやく、母の言葉を理解した。


「お母様が、あの事故を……っ」


 ブランの瞳からも、つうっと涙が伝っている。


「あなたが、僕の両親を殺したんですか」


 ブランはお母様に掴みかかった。誰もそれを、止めなかった。


「どうしてっ! どうして、こんな残酷なことをっ!」


 私も、お父様も、何も言えなかった。ブランに何かを言える立場じゃなかった。

 母の頬に、ブランの涙が落ちる。彼女はそれを空洞のように暗い瞳で見上げながら、何も言わなかった。


 啜り泣く声だけが響く静かな部屋に、カツン、と靴音が響いた。


「――おはようございます。オキデンス家の皆様」


 暗く沈んだ部屋の中で、やけに上機嫌に声を弾ませながら、彼はやってきた。


「お話は聞かせて頂きました」


 顔面蒼白の父の背後――開かれた扉の向こうから、ゆっくりと姿を現したのは、ドロシー・メリディエスだった。


「オズパレードの魔法爆発事故の実行犯に」


 ドロシーが指を差すと、お母様の体に黒い蔦のようなものが絡みついた。


「西の魔女を外に出した考え無し」


 お父様にも黒い蔦が絡みついていく。

 次に彼は、汚いものを見るような冷たい目で、私を見下ろした。


「あなたは……どうせ一族郎党、捕まりますからね」


 私の胴と手足も、お母様たちと同じように、きつく縛り上げられた。


「あなた方はワタシが責任を持って、牢にブチ込んで差し上げます」


 彼はにっこり笑うと、くるりと、ブランの方を向いた。ブランに手を差し出して、優しく、声をかける。私と話した時とは全然違う、兄の顔をしていた。


「帰っておいで、ブラン」


 ブランはもう、オキデンス家の誰のことも、見なかった。私たちも、何も言えなかった。

 あるべき姿に戻るだけだ。


 ブランは、ドロシーの手を取った。




   ◇◆◇




 オキデンス公爵家が、一族郎党拘束されたことは、瞬く間に国中に広まるだろう。


 オズパレードの魔法爆発事故を起こした罪人なのだ。貴族用の牢獄ではなく、粗末な石造りの、じめじめとした冷たい独房に入れられた。建国から続いた由緒正しき家であろうと、ここまでのことをしたのだから、爵位だって剥奪される。オキデンス家は没落だ。


 どこかの独房から、怒鳴り声が聞こえてくる。聞いたこともないくらい汚い言葉で、お母様を罵っていた。


 お母様は独房に入れられてから、あらゆる罵詈雑言に無言を貫いた。ただ一度、尋問中に悲鳴のような叫び声を聞いた。戻ってきたお母様の耳には、罪人のピアスが揺れていた。


 私たちも一人ずつ牢から連れ出され、尋問を受けた。憎しみのこもった目で睨まれると、頭が真っ白になった。


「いい加減何か喋ったらどうだ、魔女の娘」


 強く髪を引っ張られ、頭が引きちぎられそうな痛みの中、なんとか答える。手錠と鎖が擦れ不快な音を上げた。


「ほ、本当に何も、知りません」

「嘘を吐くな!」


 怒鳴り、机を叩く大きな音に体がビクッと跳ねる。こんなことが毎日続いている。昨日殴られた頬の痛みが蘇ってくるようで、我慢するつもりだったのに、じわっと涙が滲んだ。


 尋問する彼らの手も、震えている。目も眉も吊り上がり、平静を装えない。それほどまでの怒りだ。きっと彼らも、大事な人を事故で失ったんだ。


「何も知らないのは本当だろう。事故当時、彼女はまだ五歳だ」


 扉が開き、部屋にいた尋問官たちが立ち上がる。


「レオンハルト殿下!」

「どうしてこのような所に!」


 顔を上げると、レオンが表情の読めない顔で立っていた。私の正面に腰を下ろす彼の後ろには、アックスが控えていた。


「カノン・オキデンス」

「……はい」

「事故が起こった時、君はイザベル・オキデンスの隣で眠っていた。これは本当か? 何の異変にも、気付かなかったのか?」

「はい。本当です。目が覚めた時にはもう、爆発が起こっていました」

「母親が西の魔女だということはいつ知った?」

「ドロシーさんに拘束される直前、母から聞きました」


 ぼろぼろと涙が溢れる。レオンは顔色を変えないまま、じっと私を見つめていた。


「母はずっと、優しかった。父とも仲が良くて、いいお母様でした」


 思い出す姿はいつも、ベッドの上だ。私の名前を優しく呼んだ。宝物を見るように、私のことを見つめていた。頭を撫でられると嬉しくて、抱きしめられると暖かくて、ほっとして。


 私たちは仲のいい家族だった。一緒に過ごした日々が、次々と、頭の中を巡っていく。お父様も、ブランも、いつも笑っていた。一緒に食べる食事はおいしくて――あの温かい日々は、もう二度と戻ってこないんだ。


「お父様も事故のことは知りません。そうじゃなくちゃ、ブランを引き取るなんて、残酷なことはできません。ブランは――」


 はっとなって、俯いていた顔を上げる。


「ブランは、元気にしていますか? ドロシーさんと一緒に暮らしているんですか? 学校には通えていますか? 私たちのせいで何か、言われたり……」


 嫌な想像がぐるぐると頭を巡る。まともに学校に通えるわけない。白い目で見られ、暴言を吐かれている姿が、目に浮かぶ。


「ひどいことを、されたり……っ、うぅっ、していませんかっ」

「カノン・オキデンス。質問にだけ答えなさい」


 レオンにぴしゃりと言われ、体が強張る。体の芯から凍りついてしまいそうな、恐怖と、絶望感が押し寄せる。


「ご、ごめんなさい。――で、でも私は、本当に、正直に話しています。これ以上、お話しできるようなことはっ、ありません」

「……そうか」


 レオンが周囲に目を走らせる。


「聞いただろう。彼女は何も知らない。これ以上の尋問は無意味だ」

「殿下、そのような者の言葉を信じるのですか」

「罪人のピアスも不要だ」

「しかし……っ!」


 食い下がる尋問官を、アックスが取り押さえる。痛みに顔を歪めながらも、彼は叫んだ。


「魔女の娘の言うことなど! 信用できません! 罪人のピアスも付けずそのままにしておくなど、ありえません! 殿下、どうかお考え直しください!」

「何度も言わせるな。不要だ」


 レオンがアックスに目で合図を送る。アックスは喚き立てる尋問官を部屋の外へ連れ出していった。


「それに――彼女にも、他の者にも、不必要な拷問はするな」


 レオンに睨まれ、尋問官たちの顔が青ざめていく。戻ってきたアックスを見て、小さく悲鳴を上げる者までいた。彼らが逃げるように外へ出て、レオンが小さく息を吐く。眉間には、深い皺が寄っていた。


「――カノン」

「はっ、はい」


 名前を呼ばれて、ビクッと体が強張る。レオンの手が伸びてきて、思わず、硬く目を閉じた。


「怯えないで」


 彼は、ひどく優しい手つきで私の頬を撫でた。昨日殴られて――腫れ上がっている方だ。


「レオン?」

「ごめんね。今は、こんなことしか出来ない」


 彼の指輪がぽうっと光る。ゆっくりと手が離れた時、もう、痛みは引いていた。


「レオン。もう戻ろう」


 外に聞き耳を立てていたのだろうか――扉の前でじっとしていたアックスが、一言告げる。レオンは頷いて、私に背を向けた。

 アックスは一瞬だけ私を見て、何も言わずに部屋を出ていった。


 一人残された部屋で、ずるりと、体が力が抜ける。

 ――今のは、レオンとアックスは、助けてくれたのだろうか。


 もしかして私は今日、罪人のピアスを付けられることになっていたのだろうか。拷問を受けることになっていたのだろうか。


 体にぞっと悪寒が走る。机に顔を突っ伏して、声を押し殺して、泣いた。

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