サイハテの部屋1

 翌日からオキデンス邸内サイハテの部屋捜索が始まった。


「それで、どこから探しましょうか?」

「そうね……」


 オキデンス家の敷地は広大である。邸宅だけでも広いのに、別館まで存在する。気の遠くなりそうな話だ。


「とりあえず、屋敷の中から探してみましょうか」


 屋根裏部屋から地下室まで、全ての部屋を一通り見終わった頃には、数日が過ぎていた。サイハテの部屋も、何の手がかりも見つからない。

 夜遅くまで探し続け、へとへとになってソファーに沈み込む。今日ばかりは、ブランも同じだった。


「サイハテの部屋なんて、本当にありますかね」

「オズワルド殿下があるって言うんだもの。あるわ」

「そうですか……」

「明日から別館ね、何も無かったら……あの庭を、隅々まで探す?」

「休暇中に終わりますか、それ」


 気の遠くなるような話だ。答えに窮して、誤魔化すようにブランから目を逸らす。その先に――机と、壁にかけられた黄金の薔薇の絵画があった。


「――あ」

「姉さん?」


 突然立ち上がった私に、ブランが怪訝そうに声をかけてくる。机の上に立って、絵画を眺め始めたものだから、ブランも慌てて駆け寄ってきた。


「姉さん!? 遂におかしくなってしまったんですか?」

「――ここ、まだ探してないわ」


 額縁を撫で、ゆっくりと引く。その先には、石煉瓦の空間があった。


「これは?」

「有事の際の、脱出用の隠し通路よ」


 杖先に火を灯し、隠し通路に入る。ブランはランタンを片手に持ち、後に続いた。通路はすぐに下りの階段になり、足元を照らしながら、慎重に下りていく。


「昔……ブランが来る前に、一度だけお父様に教えてもらったの」


 それはオズワルド殿下の葬儀が終わって、数日経ったある日のことだった。その頃私は、毎日のように部屋で泣きながら暮らしていた。お父様は時折、私の部屋に来てくれた。お父様は悪戯をする子どものような顔をして、教えてくれたのだ。


「カノンがこれを使う日が来ないように、毎日、祈っているよ」


 優しい声でそう言って、骨折していない左手で、私の頭を撫でてくれた。

 その時も、中には入らなかった。扉を開けて、閉めただけだ。それ以降、一度も使ったことが無かったから、すっかり忘れていた。


「よく思い出せましたね」

「自分でもびっくりよ」


 今更になって、高揚感のせいか心臓がバクバクし始めている。


「それにしても、かなり急な階段ですね」

「うん」

「姉さん、踏み外さないように気をつけてくださいよ」


 彼のランタンは、さっきからずっと私の足元を照らしていた。


「大丈夫よ。ブランこそ――」


 ずるり、と足が滑る。


「あ」


 体が宙に浮いていた。


「姉さん!」


 あまりの恐怖に、悲鳴すら出なかった。

 ――落ちる!

 襲い掛かってくる痛みに備えて、ぎゅっと目を閉じた。






「……あれ?」


 いつまで経っても、痛みはない。浮遊感だけが、ただただ続いている。

 叩きつけられることも、どこかに体をぶつけることも――、冷たい床の感触もない。それどころか、ふわと暖かいものに包まれている。


 おそるおそる――薄っすらと目を開けた。


「……勘弁してくださいよ」


 目の前に、金色の瞳。相当焦ったのか、額には汗が滲んでいた。


「え、ブラン――」


 気づけば、お姫様抱っこの体制でブランに抱えられていた。

 私がブランより下に居て、足を滑らせて落ちたはずなのに、どうしてブランが私を抱きとめているんだろう? 首を傾げ――右手に握られた杖を見て、ようやく合点がいく。


「……そっか。ブランの魔法ね?」

「ええ。そうです。間に合ってよかったです」


 トゲのある言い方だ。


「ありがとうブラン。死んだかと思った」


 ぎゅうっと抱きしめると、ブランの体がよろめく。


「あっ! ごめんね! 重いよね! 下ります下ります」

「……もっと鍛えておきます」

「今のままで十分よ! 私を抱き上げられるなんてすごいわ! 紳士! 未来の女泣かせ!」

「泣かせませんよ」

「ひっ。そ、そうですよね……」


 思わず悲鳴が出た。

 そんな私なんておかまいなしに、ブランは前方へ目を走らせた。彼は私を抱き止める腕に力を入れると、そのまま階段を下り始めた。


「ブラン!? 大丈夫よ! 歩けるわ!」

「危ないから、じっとしていてください」


 そう言われたら、何もできなくなる。せめて少しでも負担にならないように、ブランに密着して、体を小さくする。ただでさえ一人分ほどしかない狭い階段なのだ。壁に足がぶつかって、邪魔になってしまったら大変だ。


「ありがとう、ブラン」

「次からは、階段から落ちる前に報告してください」

「……善処します」


 階段を下り終えたところで、ブランの腕から下ろしてもらい、すとんと着地する。目の前には扉があり、ブランと頷き合ってから、ゆっくりと開けた。

 そこは先ほどのまでの窮屈で、急な階段からは一転し――広い空間になっていた。


「ここは――地下、でしょうか?」


 ブランが辺りをキョロキョロ見渡しながら言う。


「たぶん」


 辺りは階段と同様に石煉瓦造りだった。薄暗くてはっきりとは見えないけれど、通路は左右どちらにも続いているようだった。そして――、


「――え」


 無数の扉があった。色も形も、材質も様々な扉が、通路の両側に並んでいる。


「……この中のどれかが、サイハテの部屋の扉?」

「そうかもしれません」


 それにしたって、一体、いくつの扉があるんだろう。


「一つ一つ調べるしかありませんね」

「……うん」


 気が遠くなりながら、頷いた。手前の扉から、手分けして一つ一つ調べていく。

 新たな階段に繋がる扉、地下室に繋がる扉、どこにも繋がっていない、開かずの扉――いくつの扉を調べ、どれほど時間が経っただろうか。歩き疲れてきたころに、背中を向けて扉を見つめたまま、ブランが口を開いた。


「僕が……いえ、おそらく姉さんも、ずっと避けていた話をしても良いですか」


 ブランの問いに、すぐに返事が出来なかった。ブランはそれを見越していたのか、私の返事を待つことなく言葉を続けた。


「実際にサイハテの部屋があったら、どうすればいいんでしょうか」

「どうって……?」

「生まれ変わりというのが本当にあるとして――生まれ変わったというだけで、オキデンス家は人を監禁し続けてきたということでしょう?」


 次の扉に向かいながら、一度も、目を合わせなかった。また背中を向けて、扉に手を掛ける。


「そこに誰かいたら、一体誰が、そんな恐ろしいことをしたというのでしょうか。――お父様でしょうか、お母様でしょうか、お祖父様でしょうか」


 ――この扉も、違った。ブランもそうだろう。彼の方からも、扉を閉める音が聞こえてきた。


「オキデンス家は、あの事故に関わっているのでしょうか」


 考えたくなかった。

 次の扉に行って、また次の扉に行って――はっと、顔を上げた。


「この扉、時計塔のサイハテの部屋の扉に似てる……」


 それは木製のアンティークな扉だった。時計塔の扉はエメラルドグリーンだったのに対して、こちらは鮮やかなイエローだけど、ディティールはそのままだ。

 そうっと、手をふれる。


 ――木の燃える匂いと共に、扉を削るように炎の文字が浮かび上がった。


《サイハテの部屋》


 ジュッと音を立てて、文字はすぐに消えていく。


「ブラン! あったよ!」


 声を掛けると、ブランはすぐに駆けてきた。


「僕が先に行きます。姉さんは下がって!」


 そう言って、杖を片手に、ゆっくりと慎重に扉を開けていく。


 部屋はひんやりと冷たく、何の音も聞こえなかった。光も、何もない、ただの暗闇だった。ブランが持つランタンの灯りだけが、部屋を照らしている。


 部屋は広く、地下にあるとは思えないほど天井が高い。オズワルド殿下がいる部屋と、ほとんど同じ造りのようだった。違うのは――その高い壁一面を、大量の本が埋め尽くしていることと――、


「ピアノ?」


 その中で一際異彩を放ち、目を引くのは、透明な――クリスタルのグランドピアノだった。

 ブランと目を見合わせて、こくりと頷く。杖先に火を灯し、ランタンに近づけた。


「《部屋を照らして》」


 ランタンの光が強くなり、部屋がぱっと明るくなる。


「――あ、どうして」


 部屋に入った時から、本当は、気づいていたのかもしれない。

 誰もいないのに、必死で、人の気配を探していた。


 今になって気づいた。

 私は、ここに誰かがいることを、そんな残酷なことを――望んでいた。知らない誰かがいて、オズワルド殿下に濡れ衣を着せました、と罪を認めて。


 だってそうしたら、オズワルド殿下が救われるかもしれないから。


 ――そこには誰も、いなかったのだ。

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