魔女と罰
手を引かれながら、ブランと階段を上っていた。
「姉さん、知ってますか? アリアさん、最近、アックスさんを追いかけてるみたいなんです。それが、アリアさん一人なのに、レオン殿下より大変みたいで……」
ブランは楽しそうに、アリアの話をしていた。
「あのアックスさんを追いかけているんですよ。ある意味、トレーニングじゃないですか。あれに付いていけるアリアさん、ただ者じゃないですよ」
体が鉛のように重い。気づけばブランと距離が生まれるから、時計塔に入ってからずっと、手を引かれていた。
「怖がるアックスさん、初めて見ました。行く先々にいるし、しつこく追いかけてくるし、行動パターンが把握されてるって」
「アッくん、大変なんだね」
「姉さんそのアッくんって何ですか」
「何だろう……」
アックスをそう呼んだら、「誰がアッくんだ」と冷たく返されただけだった。
――アリアはすごい。異例の編入が認められるくらい膨大な魔力があって、成績優秀で、可愛くて、先生からも生徒からも人気があって、その上、アックスに付いていける体力まであるのか。
ずるい、なあ。
小説でもゲームでも主人公なのだ。やっぱり、ずるいんだろうか。ラスボスとかいうオズワルド殿下がずるいくらいの存在なんだ。殿下を倒さなくちゃいけないアリアだって、ずるいに決まってる。そうじゃなくちゃ、ハッピーエンドは迎えられないんだもの。
「カノン、今日は元気ないね?」
「そうですか?」
「最近ずっとこんな感じなんです」
首を傾げる私とは対照的に、ブランはきっぱりと言った。
「明日から長期休暇で、またしばらく来れなくなりますから、今日は無理矢理引きずって連れて来たんです」
「そう」
オズワルド殿下は私の方を向いて、にっこりと微笑んだ。
「カノンが来るようになってから、一年が過ぎるの、早く感じる気がするよ」
それから私の隣に目を向けて、「もちろんブランもね」と優しく言う。
オズワルド殿下は――アリアが言うように、また王都を爆発させようとか、そんな恐ろしいことを企んでいるようには見えない。
「――あ。そういえば、オズワルド殿下」
ふと思い出して名前を呼ぶと、殿下は微笑みを湛えたまま私に目を向けてくれた。
「次のオズの日から、お祭りを再開するみたいなんです」
「――再開? 今までしてなかったの?」
「あっ」
そうか。オズワルド殿下はずっと時計塔にいたのだ。オズの日のお祭りが慰霊祭になったことだって、知る由もない。
「はい。事故があった年からは、慰霊祭になっていて」
次のオズの日で、事故から丸十年経つ。復興が進み、王都はすっかり以前の姿を取り戻していた。
あの悲劇が起こってから――オズの日に、華やかなものも、楽しいものも無くなった。傷ついた人がたくさんいたから、そういう気持ちになれなかったというのもある。でも一番は――多くの人が亡くなったのに、生き残った自分たちが騒ぐのは不謹慎のように思えて、誰もが自粛していた。
喪服を着て、献花と黙祷をする慰霊祭が、九年続いた。時が経っても癒えない傷があることを、誰も彼もが知ってしまった。
以前のように楽しいだけではいられないかもしれない。もちろん、献花も、黙祷もする。けれど、十年の節目に今ようやく国は、人々は、建国記念日を――オズの日を祝おうとしていた。
「この十年やってなかったの?」
オズワルド殿下の表情から、笑みが消えていた。少し焦っているようにも見えて、ぴりっとした緊張感が走る。
「は、はい。ずっと、慰霊祭をしていて」
「パレードは?」
「ありません」
首を横に振る。
「パレード、やってないの?」
オズワルド殿下は真剣な顔つきで、確認するように言った。
「はい」
私とブランが頷くと、彼は眉間に皺を寄せ、ため息を吐いた。殿下はいつも微笑んでいて、険しい表情を見るのは初めてだった。
「ただのパフォーマンスのようになって、形骸化してしまったのか」
オズワルド殿下が、小さな声で呟く。
「たったの、千年だろう。人間は、情報を正しく伝えることすら出来ないのか」
それは、ゾッとするほど冷たい声だった。殿下の方から冷気が漂って来そうなほどの迫力があった。静かだけれど鋭い怒りに当てられて、体が硬直する。ひりひりとした緊張感が部屋中に満ちていた。
「――オズワルド殿下?」
そう言ってくれたのはブランだった。平静を装っているけれど、少しだけ声が掠れていた。
オズワルド殿下は私たちの方を向いて、青ざめる私に気づいたのか、ぱっといつも通りの微笑みを浮かべた。彼の纏う空気が一瞬で和らぐ。それでも私たちは強張ったまま、続く言葉を待った。
「国中の全ての路が魔法陣になっているのは知ってる?」
「はい。存じています。オズ様が国を守るためにかけた魔法ですよね」
「そう。あの道路の一本一本が、国を守る結界の役割を持っているんだよ」
あの事故でも、道路にはほぼ損傷がなかった。千年続く、オズ様の魔法。――みんなそう思っているのだ。
「オズパレードは一年に一度、その結界を強化するために行うんだ。王族がパレードに参加するのはその為で、重要な義務の一つなんだよ。もちろん王都だけではなくて、各領地でも結界強化のためにエメラルドを新しいものに交換する」
アリアの言葉が脳裏を過ぎる。
「ま、待ってください、殿下」
焦りが湧き上がる。だって、彼女は言っていた。
『バッドエンドの一つに、みんな死んでしまうエンディングがあるの』
『十年前の事故なんて比じゃないくらいの、大爆発が起こるわ』
『王都全部、ふっとばすくらいの大爆発よ』
サアッと体中から血の気が引いていく。
「それじゃあ、もしも、もしもですよ。今また以前のような事故が起こってしまったら、どうなってしまうんですか」
私の剣幕に、ブランが驚いたような顔をしていた。オズワルド殿下はじっと私を見つめて、それから、口を開いた。
「万全では無い状態の結界で、あの事故が起こったら――王都どころか、国一つ滅んでもおかしくない」
「――え」
信じられない気持ちで、目を見開く。背中を冷たいものが伝っていた。心臓がどくどくと、嫌な音を立てる。
「あの事故は、あれでも僕が抑えたんだ。多くの人が亡くなってしまったけれど、僕や、殉職した魔術師たち、騎士の力で王都の中心部だけに抑えたんだよ」
「そんな……」
アリアが言うには、その事故を起こすのはオズワルド殿下だ。でも、殿下は塔から出られないし、この様子だ。また事故を起こすとは考えられない。
罪人のピアスを付けたのは王族の誰かだけれど――それだって、国を滅ぼすような爆発を、起こすだろうか。そんなことして、何になると言うのだろう。
また事故が起こるなんて、ゲームだけの話だ。
――事故は、もう、起こらないはずなんだ。
それなのに、どうしてこんなに、胸騒ぎがするんだろう。
「オズワルド殿下に罪人のピアスを付けたのは、誰ですか? 殿下をここに幽閉した人を、見ましたか? 世話役は、いったい、誰なんですか?」
殿下は首を横に振った。
「見てないよ。目が覚めたら拘束されて、ここにいた。世話役も――いつも目隠しをさせられているから、顔は分からない」
「でも殿下は、こんな企てをしたのが誰なのか、分かっているんじゃないですか?」
ブランが尋ねると、オズワルド殿下は目を細めた。
「エメラルドって本来、爆発するようなものじゃないよね」
「は、はい」
「そのエメラルドを爆発させるほど、強力な魔力を持っている魔女なんて、四人しかいない。北の魔女、南の魔女、東の魔女、西の魔女――の誰かだ」
いつだったか、ブランとした会話が頭をよぎった。
『ものすごーく遠く離れたところから、ブローチだけを狙って正確に魔法をかけたってこと?』
『そんなこと不可能ですよ』
『――あ。でも一人、それができる魔女がいますね』
暗く沈んだ空気を吹き飛ばすように、私たちはふざけて笑ったのだ。
『西の悪い魔女』
エスメロードの国民なら、誰だって知っている。
北の善い魔女は 善い子を呼んで 守りのキスを贈ってくれる
南の善い魔女は 善い子を知ってる 素敵な魔法を教えてくれる
善い子のところには 善い魔女がくるよ
東の悪い魔女は とっても耳がいい どんな悪口も聞き逃さない
西の悪い魔女は とっても目がいい 悪い子供を見逃さない
悪い子のところには 悪い魔女がくるよ
子どもを叱るときに、褒めるときに、眠る前に、言い聞かせる歌だからだ。
「誰かって、それは千年も前の話で――魔女はもう、死んでいます」
オズワルド殿下は声をひそめた。
「魔女はね、生まれ変わるんだよ」
「生まれ変わる……?」
「それも、記憶を持ったまま、何度も、何度も、生まれ変わる。前世の記憶を持ったまま生きていくのは、あまりにもつらいこと、らしい」
――どくん、と心臓が跳ねる。
「それが、神々から、原初の魔女四人に与えられた罰だ」
だって、どんなにカノンが笑っていても――私の心の奥底で、いつも、西原花心音は泣いている。確かに、前世で起こった悲しかったことや、忘れてしまいたいことまで覚えたまま、生きていくのはつらいかもしれない。私だって、そうだ。
花心音の記憶があって良かったこともあるけれど、思い出して、つらくなることの方が多い。
顔は青ざめ、体が震える。私の様子がおかしいことに気づいたのか、ブランがそっと手を握った。
「どうして殿下がそんなことを知っているんですか?」
繋いだ手に、ぎゅっと力が込もる。
「それに、四人に与えられた罰って。西の悪い魔女と、東の悪い魔女ならまだ、分かります。世界を支配して、多くの人を苦しめて、殺した。――ですが、北の魔女と南の魔女は、善い存在として伝わっています」
彼女たちは悪い魔女たちに対して、北の善い魔女、南の善い魔女、とも呼ばれている。
北の魔女は悪い魔女たちの脅威から人々を守り、国を作った。今やそれは、帝国と呼ばれるほどの大国だ。
南の魔女はオズ様に協力して、エスメロード建国に尽力した。世界一の魔法学校を建て――それがここ、オブシオン魔法学校である。
彼女たちが罰を受けていると言うなら――それは、何の罪で、何の罰なのだろう。
オズワルド殿下は何も答えなかった。ただその沈黙が、「君たちは知らなくてもいいことだ」と言っているようでもあった。
「前世の記憶を持つ、当代の魔女は、誰だろう?」
オズワルド殿下は、問いかけるようにそう言った。
「北の魔女は亡くなった。僕の母、メイジー・エスメロードが北の魔女だった」
淡々と語るオズワルド殿下の言葉に、息を呑む。初めて聞く話だった。
「南の魔女は宮廷魔術師のドロシー・メリディエス、かな?」
「兄は当代の南の魔女と呼ばれているようですが……」
「ドロシーさんは、全ての属性の魔法を使ったり、規格外な魔法使いでした」
「でも、事故の時は魔女じゃなかった」
「……はい。確かに兄さんは、以前は魔力を持っていませんでした。――その兄さんが今では南の魔女だなんて、意味がわかりませんが……」
考え込むように押し黙るブランの代わりに、口を開く。
「そうだとしたら、東の魔女か、西の魔女?」
ドロシーのことは気になるけれど、ここで話していても答えは見つからない。少なくとも、ドロシーは事故を起こしていないのだ。
「でも、二人が誰で、どこにいるのかなんて、さっぱりわかりません」
「そうよね」
首をかしげる私たちに、オズワルド殿下が静かに言った。
「その二人の居場所なら、分かるよ」
その言葉に、ぎょっと目を見開く。
「魔女と会ったことがあるんですか?!」
「そんな一番怪しい人たちを、どうして今まで教えてくれなかったんですか」
詰め寄る私たちに、殿下は困ったように微笑んだ。
「顔も名前も知らないよ。会ったこともない」
殿下はゆっくりと首を横に振って、話し始めた。
「サイハテの部屋ってね、本当は別のところにあるんだよ。本来は時計塔に無いもので、ここはね、模倣にすぎないんだ。本物のサイハテの部屋がどこにあるかというと――」
オズワルド殿下は私たちを見つめた。
「二大公爵家にある」
建国から代々続く、公爵家の中でも別格の歴史と格式を持つ家。それが二大公爵で――オリエント家と、オキデンス家だ。
「西の魔女と東の魔女は、発見し次第、サイハテの部屋に閉じ込めることになっている。東の魔女はオリエント家で、西の魔女は――君たちの家の、サイハテの部屋にいるだろうね」
「――え」
あまりの衝撃に、言葉が出なくなる。
ブランが私の方を見たから、慌てて首を横に振った。
だってそんなこと、今まで――お父様も、お母様も、お祖父様やお婆様だって、教えてくれなかった。そんなこと、知らなかった。
「転生した魔女は、初めの東の魔女や西の魔女のように、悪事を働いたわけじゃない。彼女たちのように疫病を撒き散らすことも、災害を起こすことも無かった。けれど、その能力だけは健在だったそうだ」
「能力、ですか?」
「うん。東の魔女は耳が良く、西の魔女は目がいい。千里先も、心の中さえも、見通してしまう。国や人々にとって、厄介な存在だ」
ここに初めて来たとき、オズワルド殿下は言っていた。
――ここはサイハテの部屋。普通の牢獄じゃない。
魔女を飼い殺しにするための部屋なんだ。強力な魔法がかかっていて、この部屋から外に向かって魔法は届かない。
東の魔女と、西の魔女を閉じ込めるために作られた部屋だから。
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