秘密
「いざ話そうと思うと、レオンって簡単に話しかけられないんだね……」
「まず、あの人波を掻き分けていくしかないですからね」
背伸びをしてようやく、レオンの頭が見える程度だ。どれだけ人気なんだ、あの王子さまは。
「レオンハルト殿下、次の授業の教室まで、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「わたくしも是非! ご一緒させてくださいませ!」
果敢にぐいぐい挑んでいくご令嬢から、
「レオンハルト殿下は今日も素敵ですわ」
「一度でいいからお話ししてみたいものです……」
遠くから見守っているご令嬢。果ては――、
「あの方、拝んでませんか?」
「拝んでるね……」
きっとレオンからは見えもしないであろう場所から、拝んでいる生徒までいる。
「こんなこと現実に起こるのね」
「いつものことですよ」
レオンがいつも追いかけられているのは知っているけれど、こんなに間近で見るのは初めてだ。まさかここまでとは思わなかった。
レオンが歩き始めたのだろうか――一団がぞろぞろと動き始める。
「レオンハルト殿下! わたくしも……っ!」
「あっ」
誰かと肩がぶつかって、足がふらついた。ぐきっ、と足に激痛が走る。
「姉さん!」
伸ばされたブランの手を掴む暇もなく――そのまま、派手に転んでしまった。
「……」
地面と向かい合ったまま、動けなくなる。辺りはしんと静まり返っていた。
「ね、姉さん?」
ピクリとも動かない私に、ブランがおそるおそるといった様子で声をかけてくる。
――ああ。どうしたらいいんだろう。公爵令嬢が、こんな風に派手に転んでしまうなんて、あまりにも恥ずかしすぎる。じんじん痛む頭が上げられない。
こんな場面、アリアに見られていたらまた、「カノンは無様に転ばない!」って怒られてしまう。
ううっ、と目に涙が滲んだ時だった。
「カノン、大丈夫?」
私の手に、優しい手が触れた。彼は私の手を引いて起き上がらせる。ブランも――周りにいた女の子たちも、固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
「え……」
信じられない思いで目を見開く。さっきまで人だかりの中心にいたはずのレオンが、いつの間にか私の目の前にいた。
「レオン……」
呆然と彼を見上げることしかできなかった。
だって、これは。
――サイハテのオズの、レオンとアリアの出会いのシーンそのものだ。
ヒロインが恋に落ちたのは、レオンが王子様だからでも、綺麗な人だからでもなくて、彼が、優しいからなのだ。いつも輪の中心にいる王子様なのに、転んだヒロインを見つけて、手を差し伸べてくれたから、憧れたのだ。
「捻挫かな? ここ痛む? ――あ、額も擦りむいてる」
そう言いながら、レオンは私の涙をそっと指で拭った。
「どうしたの、カノン。大丈夫?」
呆然と、彼を見上げる。彼のイエローゴールドの髪が、陽の光を浴びてキラキラ輝いていた。
「レオン、王子様みたい……」
私の呟きに、レオンは目を丸くした。
「――え」
レオンの手がばっと離れ、顔を隠すように口元を覆った。ちらりと見える頬が、ほんのりと赤い。きゃあああっ、と辺りから悲鳴にも似た歓声が上がった。
「……そもそも、王子様だけど」
「そ、そうだよね」
レオンは杖を取り出して、挫いた足にそうっと触れさせた。杖先がぽうっと光り、次第に痛みが和らいでいく。
それからその杖は手のひらの小さな擦り傷を癒やし、最後に額に触れた。
「大丈夫。傷、残らないから」
傷が残るかどうかなんて、気にもしていなかったのに。安心させるように微笑むレオンに、こくりと頷く。頷いて――俯いたまま、口を開いた。レオンにしか聞こえないくらいの小さな声で囁く。
「ねえ、レオン。私ね、レオンに話したいことがあるの」
「だからこっち見てたの?」
「気づいてたの?」
「カノンの方から来てくれるの、珍しいから」
顔を上げて、レオンの青い目をしっかりと見た。
「人に聞かれたくない話なの」
彼は目を丸くした後、こくりと頷いて微笑んだ。
「――うん。わかった」
レオンに先導され、ブランと共に連れて行かれた部屋は、めったに立ち寄らない研究棟の奥まったところにあった。部屋にはテーブルセットが一つと、大きな本棚と、整頓されたデスクがあった。
何故かそこには既にアックスがいて、当然のような顔でソファーに腰掛けていた。
「話っていうのは――その。レオンに前言われた、時計塔のこと」
以前レオンに、「時計塔に行かなかった?」と聞かれた時は、近くを通っただけだと嘘をついた。レオンはそれが嘘だと分かった上で、深く追求しないでいてくれた。
「私ね、時計塔によく行くの」
「うん。知ってるよ」
頷く彼は、少しだけ申し訳なさそうな顔をしていた。
「時計塔に入っていく姿を、何度か見かけたから」
「……嘘吐いて、ごめんなさい」
「いいよ。どちらにせよ、俺は塔に選ばれなかった。アックスも」
時計塔は人を選ぶ。イーストエッグが言っていた――塔に選ばれた人しか入れないということを、レオンは知っているんだ。
「あの中に何があるのか、教えてくれる?」
私を見つめる、まばゆい青の瞳が揺れていた。
「カノン?」
レオンの目をまっすぐ見つめ、意を決して口を開く。
「時計塔の天辺に、オズワルド殿下がいるの」
彼の青い目が、見開かれる。
「――オズワルド殿下、生きてるの」
「本当に、私が何かしたわけじゃないの。私のこと、信じられないかもしれないけど――これだけは信じてほしいの。オズワルド殿下を閉じこめたのは私じゃないの。私はたまに殿下のところに行って、少しお話しして、それくらいしか、できないから……」
「レオンの誕生日の日、バルコニーで四人集まって話したでしょう。その時にね、オズワルド殿下そっくりの男の子がいたの。最初はね、天使かお化けだなって思って――その子、イーストエッグって名乗ってたんだけど。私の十歳の誕生日に家に来たの。それで、オズワルド殿下は塔にいるって、教えてくれたの」
レオンもアックスも、ブランも、何も言わなかった。
「イーストエッグが次に私のところに来たのは、オブシオンの入学式の日。塔の前まで案内してくれたの。自分は塔に入れないから、オズワルド殿下のことをよろしくって、そう言ってた」
相槌すらない、四人もいるとは思えないほどの静けさの中、一人で話し続ける。
「オズワルド殿下は――」
「兄上は」
レオンと私の声が重なった。
「兄上はどうして、そんなところに」
思わず、ブランと目を見合わせた。
「塔の天辺は、牢獄なの。オズワルド殿下は――オズパレードの魔法爆発事故を起こした罪人だからって、言ってた」
レオンがひゅっと息を呑んだ。
「そんな……。そんなの、嘘だ」
顔を覆って俯くレオンの肩に、アックスが手を乗せる。
「オレたちは、事故が起こる直前までオズワルド殿下と一緒にいた。事故が起こった時、殿下は魔法なんて使っていない」
きっぱりと断言した。私もブランも、分かっている、とこくりと頷く。
「――事故が起こったオズパレードの時」
俯いたままのレオンが、ぽつぽつと話し始めた。
「馬車に乗るのは父上と母上だけで、俺たちは遠くから見ているだけの予定だった。――でも、ついお祭りが楽しそうで、抜け出して、見て回っていたんだ」
それから、ひときわ小さな声で言った。
「――兄上のことも、俺が誘った」
その声が震えていた。
「それで……次に会った兄上は、冷たくなってた。兄上は、もう――」
口を閉ざしたレオンに代わって、アックスが口を開く。その目は冷たく私を見据えていた。
「カノンが初めてオズワルド殿下に会ったのは入学式の時なんだよね? それから五年も、どうして教えてくれなかったの?」
「それは――……」
思わず口籠る。
「それは、オズワルド殿下が罪人のピアスをしているからです」
私に代わって、ブランがはっきりと言った。
ゆっくりと、レオンが顔を上げる。その顔は青ざめ、言い表せないほどの絶望が浮かんでいた。
罪人のピアスは、一度つけられたら二度と外せない。耳を切り落とすことも、自らの意思で命を絶つこともできない。頭の先から爪先まで、全てが術者に隷属する。奴隷にされたも同然の、大罪人に科せられる罰だ。
「罪人のピアス……?」
「……はい」
――そして、その術者は王族だ。
「殿下にピアスをつけたのは、レオンじゃないってわかってるよ。でも――」
レオンの両親――陛下や王妃殿下を、疑うことになるのだ。
「ごめんなさい。今まで隠してて、本当に、ごめんなさい」
深く深く、頭を下げる。ぼろぼろ涙がこぼれて、足元に落ちていく。ブランも隣で、一緒に頭を下げていた。
しばらくそのままじっとしていたら、レオンが口を開いた。
「二人とも、頭を上げて」
その言葉に、おそるおそる彼を見上げる。
「カノンたちだって、巻き込まれただけじゃないか。カノンが兄上に危害を加えるわけがない。そんなこと、言われなくても分かるよ」
レオンは眉間に皺を寄せ、堪えるように言葉を続けた。
「王族といえど、誰でも罪人のピアスに触れられるわけじゃない。そんなことが出来る人間は限られている」
それに、とレオンが続ける言葉の、先を聞くのが恐かった。
「関係者以外立ち入り禁止のオブシオン魔法学校の――それも、あの時計塔に、秘密裏に兄上を幽閉できるなんて、もう二人しかいない」
レオンは泣きそうな顔で、ぽつんと呟く。
「――そして陛下は、兄上を傷つけるようなことをしない」
しん、と室内が静まり返る。
長い沈黙のあと、口火を切ったのは、意外にもアックスだった。
「王妃殿下があんな事故を起こすとは考えられない」
「でも――母上なら可能だ。動機もある。母上は言っていただろう――兄上は、王の器ではないと。だから兄上を消そうとしたんじゃないのか」
以前聞いた、アックスの言葉が蘇る。
『オズワルド殿下は王の器じゃないって、そう言う人もいたよ』
あの時から少しだけ、それが王妃殿下ではないのかと思っていた。
「だからって、あんな最悪の手段を取るわけがないだろう!」
初めて聞くアックスの怒鳴り声に、体がびくっと跳ねる。
「王妃殿下がレオンを王にしたがっていたのは、実の息子だからじゃない。国のことを、民のことを考えて、王にふさわしいのはレオンだって、本気で思っていたからだ。――そんな人が、どうして民を大勢殺すようなことをするんだ」
レオンも目を丸くして、アックスを見つめていた。
「……ごめん。大きな声を出した」
アックスは、ばつが悪そうに目を逸らす。
「頭冷やしてくる」
部屋を出ていく後ろ姿を見送って、レオンが深くため息を吐く。私とブランはちらりと視線を合わせ、何も言えずに黙り込んだ。
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