かのんの輪1
「杖、捨てようかな」
アックスがそう呟いたのは、期末テストの近づいたある日のことだった。医務室で治療を受けていたアックスは、いつもの無表情で平然と言った。
「杖を……捨てる……?」
確かに、杖を使う人が一番多いけれど、中には杖を使わない魔法使いもいる。魔力が流せるものならば何でもいいのだ。
「確かに君は、短い杖を使うのを辞めた方が火傷しなくていいかもね」
養護教諭のモス先生が、アックスの手から杖を離す。またもや授業中に、アックスが火傷をしてしまったのだ。授業終わりに医務室に寄って、そのまま居座ることが多々ある。モス先生には「医務室は溜まり場じゃない」と苦言を呈されるけれど、何だかんだ一緒に雑談をしてくれていた。
「やっぱり、先生もそう思う?」
「代わりに何を使うの?」
「オレの剣」
「殺傷力増してる……」
私とモス先生の声が重なる。二人して引き攣った顔をしていた。
「オレの将来はレオンの護衛だからいいんだ。杖は使わない」
などと、アックスは完全に開き直っていた。
「将来はそれでよくても、学生のうちは杖を持っていないと。単位出ないよ?」
「その気になれば出させられる」
「それは法的に大丈夫な手段かな?」
アックスはしばらく間を置いた後、こくりと頷いた。絶対大丈夫じゃない。
「あ。それだったら、宮廷魔術師みたいな大きな杖は?」
宮廷魔術師は私たちが使っているような短い杖ではなく、自分の背丈より大きな杖を使っている。
提案してから、頭に怪しい宮廷魔術師の姿がよぎり、ギリッと歯軋りした。
「ドロシー・メリディエス?」
アックスは私の考えていることなどお見通しらしい。
「何で分かったの?」
「最近のカノン、護衛みたいにブランに張り付いてるでしょ」
「おかげさまで、ブランにはうんざりされています」
だって、ドロシーがいつブランを奪いにくるかわからないのだ。
「カノンがブランの護衛をしたところで、何をどう頑張ってもドロシーには勝てないのにね」
「……どうやったら勝てると思う?」
「どれだけ強いか知らないけど。――まず俺とレオンとブランが組んで」
「うん」
「カノンが見学に徹してくれれば」
足手まとい宣言をされた。
「そもそもブランは簡単に攫われないよ」
「うん……まあ。それは、分かってるけど」
ブランがお兄さんのところに帰りたいって言うのなら、それでもいいと思う。
私が不安なのは――知らないうちにブランがいなくなって、気づいたら離れ離れ、なんて事態になってしまうことだ。
座っていたソファーに深く沈み込む。
「そういえばドロシーっていえば」
モス先生が口を開く。
「講義なんて、絶対しないと思ってた」
「学校から頼んだんじゃないんですか?」
宮廷魔術師による特別講義は、年に一度の恒例行事だ。
「個人を指名したりしないよ。だから大体、その日に都合がつく宮廷魔術師が来るんだけど――それがまさかの、ドロシー・メリディエス。学校側も驚いて、一番大きな講堂を用意したんだ」
「はあ……なるほど……。ブランに会いに来たのかな?」
「カノンを見に来たんじゃないの?」
「えっ」
ありそうで怖い。
私をバカにしにきたと言われても信じられるくらい、生き生きしてたもの。
「この前もドロシーが学生を学校まで送ってきて、天変地異の前触れかと思った」
「えっ? 学生をですか?」
「そう。転移魔法で。誰だったかな、あの編入生の――」
モス先生が首を傾げたとき、ガラッと医務室の扉が開いた。
「あ。そうだ、あの子」
先生の視線の先、開いた扉から入ってきたのは――アリア・セプテントだった。
纏う空気はピリピリとしていて、機嫌が悪いことが一目でわかる。彼女はつかつかと音を立てて歩き、私の目の前で足を止めた。
「カノン・オキデンス様」
「――は、はい」
「少しお話ししたいことがあるのですが――ご同行いただけますか?」
それは、任意で? なんて言える空気ではなかった。
◇◆◇
アリアに連れていかれたのは、人気のない校舎裏だった。ひゅううっと冷たい風が吹く中、先導していた彼女はくるりと振り向いた。
「カノン様。『さいはてのおず』と聞いて、何のことか分かりますか?」
彼女の言葉にぎょっと目を見開く。その反応で彼女には伝わったらしい。
「そうでしょうね」
彼女は頷き、両手をぎゅっと握り締めた。その体が震えている。寒さのせいじゃないことは、はっきりと分かった。
「言いたいことは色々あるけれど――まず、これだけは言わせて」
彼女の尋常ではない怒りのオーラに圧倒され、ごくりと息を呑む。アリアはすうっと息を吐くと、叫ぶように言った。
「カノン・オキデンスは、補修なんかうけないっ!!!!!」
それにはもう、ぐうの音も出なかった。
「ご、ごもっともです……」
がくりと頭を俯かせ、全面的に同意する。
「ブランにいじられたりしないし、レオンハルトに呆れられたりしないし、公式で魔法が苦手なアックスと同等なんてありえないし、ドロシーに恥をかかされることもない!」
「う……その、すみませ……」
「アリアにぺこぺこ謝ったりしない!」
「はいっ! ごめんなさい!」
じとっと彼女が私を睨む。
「あなたも、転生者ですよね?」
「は、はい……」
「断罪されたくないからって、手を抜かないでください! カノンは優等生のはずでしょうっ?!」
「手を抜いているわけではなくて……」
杖先に、ぼうっと小さな火を灯して見せる。
「こちら、私の実力になります……」
「中身が転生者だとこうなっちゃうの……?」
アリアはヒロインにあるまじき驚愕の表情をしていた。
「あの、アリアさん。学校でそんな話……誰が聞いているか分かりませんよ」
「乙女ゲームの校舎裏に、イベント以外で人は来ません」
アリアの圧がすごい。身分で言えば、私が公爵令嬢で、彼女は平民のはずなのに、私の方がぺこぺこしてしまっていた。
「はあ。悪役がこんなぽんこつじゃあ、今後のイベントにも期待できそうにないなあ」
もう言われたい放題である。
「この前のドロシーの講義だって、本当はアリアが指名されるイベントだったのに」
――というか、なんだろう。彼女の言っていることが、ところどころ理解できない。
乙女ゲームって何のこと? イベントって、何の話?
「カノンさんは、アックス推しですか?」
「えっ」
「よく一緒にいるじゃないですか。さっきも、医務室で二人っきりで……」
「モス先生もいましたよ」
「モブはカウントしなくていいんですよ?」
モブって、モス先生のこと?
彼女は、いったい何を言っているんだろう。
「――分かりました。協力プレイといきませんか? 私、あなたの推しは攻略しません。それでどうですか?」
彼女の言葉に目をパチクリさせる。言いたいことは色々あるけれど、まずは――、
「その、推しって何ですか?」
アリアが目を見開いた。
「推しも知らないんですか? 転生者のくせに?」
「……ええ。あの、ごめんなさい」
「日本人ですか?」
「はい」
「オタクじゃなかったとか? いや、推しなんて言葉、オタクじゃなくても知ってるでしょう」
首を傾げながら呟く彼女の言葉に、冷や汗がダラダラ出てくる。
「本当に日本人なのかな……」
――どうしよう。
目の前が、ぐるぐると回っているような心地がした。
――私、ダメかもしれない。
怖い。
このひとが、こわい。
この世界では、普通に生きてきたつもりだったのに。
「ごめ……なさ、わ、私ずっと、学校とか行っていなくて……友達も、いなくて……その」
こんなふうに、元いた世界の話をされたら……。
私、昔の――。
「引きこもりってこと?」
「は、はい……」
昔の、私に、戻ってしまう。
「はあ。そうですか。確かに、カノンさんみたいなおどおどした人に、悪役令嬢は難しいかもしれません」
彼女が言っていることが、ほとんど頭に入ってこなかった。
「誰も彼もが、転生したからって完璧な悪役令嬢になれるわけじゃないってことですね……」
「あの、ごめんなさ――」
ぐらり、と視界が揺らいでいくのが分かった。
「カノンっ?!」
アリアが慌てて駆け寄ってくる姿を最後に、意識を手放した。
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