銀のピンヒール2
「なんっですか、あのひと!」
授業終わり、ブランがダンっと机を叩く。
「ブランくん、手が腫れちゃうよ……」
アリアがおろおろとブランを宥め、
「気にするな、カノン」
レオンは心配そうに眉を下げ、慰めてくれた。
「えっと……大丈夫よ。ありがとう」
授業中に失敗するのはいつものことで、こんな空気も慣れている。だからそんなに気にしてない、とは言いづらい空気だった。
「オレたちにとってはこんなの、日常茶飯事だから」
「堂々と胸を張って言うことか?」
ブランはなおも、怒っていた。口を尖らせ、文句を言い続けている。
「そうだとしても、この大勢の前では、納得いきません。おかしいです。姉さんあの人に何かしたんですか?」
教壇で先生方と何やら話しているドロシーを睨み、ブランが言う。
「何もしてないけど……?」
「それは、どうでしょう」
ふいに、背後で声がした。
「えっ」
アリアが目を丸くする。
先ほどまで教壇にいたはずの彼が、何故か私の背後に立っている。何が起こったかわからず呆然とする私の手を、レオンが引いた。自然にアックスが間に入ってくれる。
「姉さんに何の用ですか」
レオンに掴まれていない方の腕を取りながら、ブランが声の主を睨んだ。
「これは、これは。随分警戒されてしまいましたね」
ドロシーは飄々としていて、全く気にした様子もない。彼は腰を折り、頭を下げた。
「オキデンス嬢、先ほどはすみません。まさか、出来ないとは思わなくて」
その口元は笑みを浮かべていた。これは謝罪じゃない。煽ってきている。
「貴方がそんなのだったら、奪い返すのは簡単そうです」
彼の言葉に、目が丸くなる。
「――え?」
奪い返す? 奪い返すって、何だ。私、人から何かを奪ったことなんて、一度も――。
「ブランは返してもらいますよ」
ドロシー・メリディエスは、にっこり笑ってそう言った。
「何で僕の名前を……」
呆然とするブランの前に、ずいっと彼は歩み寄った。
「おや、ブラン。兄の顔を、忘れてしまいましたか?」
私の腕を掴むブランの手が、ぎゅっと強くなる。
「同姓同名の他人ではありませんよ」
ブランは大きく目を見開いていた。食い入るように、ドロシーを見つめている。
「仕方ありませんね。子供の頃から、ずいぶん変わってしまいました。背格好も、声も、昔とは違います」
ドロシーは、するりとフードを下ろした。ふわ、と白い髪がなびく。
「髪の色も変わってしまいましたが……」
色が抜け落ちたような真っ白の髪は、ブランと同じような癖毛があった。
「目の色は、お揃いのままです」
自身の目元を指し示し、にっこりと笑う。
目の下にひどい隈があり、不健康そうな印象を受けるけれど、端正な顔をした人だった。
その瞳は彼が言うようにブランと同じ金色だった。ブランが丸く、きらきらゆらめくような瞳だとしたら、――彼は、鋭く、ギラギラと光を放っているようだった。
「ブラン、お久しぶりです」
◇◆◇
「オズワルド殿下あっ! 聞いてくださいよぉ!」
扉を開くや否やそう言った私を、殿下はいつも通り出迎えた。
「こんにちは、カノン」
「うっ……こんにちはっ」
いつものように殿下の拘束を外し、いつものように現れたソファーに腰掛ける。
「今日はですねっ、宮廷魔術師が学校に来て講義をしてくれたんです。飛び級で学校を卒業して、史上最年少記録を塗り替え続けているすごいお方で――ドロシー・メリディエスって人なんですけどっ」
「うん」
ずうん、と心が重くなる。
ドロシーの話が本当だとしたら、ブランの実のお兄さんが生きていたということになる。それはすごく、ものすごーく、嬉しいことだ。私にとってもブランにとっても、大はしゃぎで諸手を挙げて喜びたいところだ。
――それなのに。
はああ、と深い深いため息が漏れる。ドロシーの、私のことを完全に敵だと認識しているあの態度、殺意を隠す気すらないあの冷たい眼差し。
「突然、レオンの真の兄はオレだ! ――みたいな人が出てきたらどうします?」
「真の兄……?」
オズワルド殿下は笑顔のまま、ちょっぴり困ったような顔をしていた。愚痴を交えつつ、さっき起こったことを説明する。
「やっぱり真の兄対決、やりますか?」
ドロシーと私の対決……。始まる前からもう負けてる。何をしても負ける気しかしない。
「いいなあ、オズワルド殿下は……。レオンの真の兄の座を、力でもぎ取れるんですから……」
「うーん。兄と姉は違うんだから、うまく分担したらどう?」
拗ねてぐずぐず言っていたら、殿下がやんわりと仲直りを勧めてきた。
「向こうがそういう感じじゃないんです。敵意剥き出しでもう、この泥棒猫! みたいな……。去り際のセリフなんてもう、最悪でした」
ドロシーの、あの、嫌悪感剥き出しの顔。
「ひどい蕁麻疹。オキデンスアレルギーがあるみたいです――って」
腕を掻きむしりながらそう言った。場が凍りつくとはこのことだ。初対面のはずなのに、レオンの笑顔が崩れていた。
「僕は蕁麻疹出ないよ。大丈夫」
オズワルド殿下がニコニコ微笑みながら言う。
一時期は怖いとまで思っていたのに、オズワルド殿下が可愛く思えてくる。末期かもしれない。
基本的に、オズワルド殿下は穏やかな人だ。たまにひやっとするようなことを言うけれど、当たり障りない会話をしている分には平和。触らぬ神に祟りなし、みたいな。
「――あ。そうだ。教卓みたいな大きいものは無理でも、紙とか軽くて小さいものならなんとかなるかも!」
ビリリ、とノートの一部を破って、杖を構える。
「《戻れ、戻れ〜》」
ノートの切れ端はびくりともしない。
「……はあ。ダメかあ」
私ってどうして、こんな簡単なこともできないんだろう。
「あの、殿下。お願いしてもいいですか?」
「うん。なあに?」
「お手本を見せてください」
「切れ端をくっつけたらいいの?」
「はい」
殿下はノートと破られた切れ端をぴたりと合わせると、すっと指でなぞった。
「こうかな?」
「わあ! すごい! 完璧です!」
殿下の魔法でくっつけてもらったノートは、よく見ると、一度破られた跡がうっすら残っている。完全に元に戻らないと言うのは、こういうことだ。
「時間は元に戻せない、かあ」
突然そう呟いた私に、殿下は目をぱちくりさせて、それから小さく頷いた。
「そうだね」
「それでも、ほとんど元通りです! 言われなきゃ分からないくらい。やっぱり、殿下はすごいです!」
うんうん頷く。
私の殿下はすごいのだ。同じ天才でも、ドロシーよりすごいに決まってる。ドロシーは当代の南の魔女かもしれないけれど、こちらはオズ様の再来だ。
自分のことのようにふふん、と胸を張る私を見て、殿下はいつも通りニコニコしていた。彼の顔を見つめていて――ふと、何かが胸に引っかかった。
――あれ、でも私、時間が戻ったような経験をしたことがあるような……。
そう、それは初めてオズワルド殿下に会った日だ。
『ここからは君に任せるよ。オズワルドのこと、よろしくね』
『ぼくの手助けはここまでだ』
そうだ。イーストエッグだ。
あの日、学校を出るときは夜になっていたはずなのに、屋敷に着いて――馬車を降りた時には外は明るくなっていた。
まるで、時間が戻ったみたいに。
じきに分かる、なんて言っていたけれど、未だに彼の正体は分からない。あれ以来、本当に、一度だって姿を現さない。
オズワルド殿下の元まで導いてくれた、不思議な少年。
「あの、オズワルド殿下」
「うん?」
「私のことを、この塔まで連れてきてくれた人がいるんです。イーストエッグ、っていうんですけど。ご存知ですか?」
私の問いに、殿下は首を傾げた。
「うーん。聞いたことないね」
「そうですか……」
――イーストエッグ。
彼は本当に、何者だったのだろう。
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