銀のピンヒール1

 厳しい寒さが続く冬の校舎に、そのニュースは瞬く間に広まった。


 十四歳の異例の編入生――アリア・セプテント。地方の魔法学校に通っていた彼女は、膨大な魔力量に目をつけられ、今になってオブシオン魔法学校に入学を許された。


 つまり、ヒロインの編入。小説『サイハテのオズ』のはじまり、はじまり。


 ヒロイン、アリアはオズパレードの魔法爆発事故をきっかけに王都を離れ、田舎で暮らしていた。彼女は十四歳――四年生も終盤に差し掛かったある日、オブシオン魔法学校への入学を許可され、王都に帰ってくることになる。


 アリアはレオンハルト王子と出会い、二人は惹かれ合う。


 事故で兄を亡くし心に深い傷を負ったレオンハルト王子に寄り添い、様々な障害――主にカノンやブランの嫌がらせ――にも打ち勝ち、二人が結ばれるシンデレラストーリー。


 講堂の窓から見下ろせる中庭に、彼女の姿を見つけた。教材を両手に抱え、一人で歩いている。プラチナブロンドのふんわりとした長髪がなびく。胸元では、水属性の青いリボンが揺れていた。瞳は青とも緑ともとれる、ターコイズブルーのような不思議な色をしているらしく、話題になっていた。


「カノン、こっち」


 手を振ってくるレオンは、もうヒロインと出会ったのだろうか。呼ばれるまま、彼の隣に腰を下ろす。レオンの隣には、アックスが座っていた。この並びで座る私は、他の女子生徒たちにどう思われているんだろう。考えるだけでゾッとする。


 学内で一番大きな講堂に、続々と生徒たちが入ってくる。この授業に、クラスも、学年も、関係ない。希望者は誰でも受講できる特別授業だ。まだ授業開始まで時間があるのに、満席になりつつあった。


 それもそのはず。宮廷魔術師による特別授業なのだ。それも――稀代の天才、ドロシー・メリディエスの。


 オブシオン魔法学校に入学するや否や、全ての授業で優秀な成績を修め、魔法の発展に貢献する論文を次々発表し、史上最年少記録を更新し飛び級で卒業した。現在は十七歳で、通常であれば学生の年齢だけれど、宮廷魔術師として働いている。そこでも史上最年少記録をいくつも塗り替えていて、宮廷魔術師の中でも特に優秀な者にのみ着用を許されている、銀の靴を履いている。この年齢にして、次の宮廷魔術師長は彼だ、とも言われている大大大大大天才。


 当代の南の魔女、と呼ばれているお方だ。


 そんな規格外の天才がわざわざ講義をしてくれるとあっては、学生が詰め掛けるのも無理はない。


「宮廷魔術師って、気難しい人が多いって本当?」


 レオンにこっそり耳打ちすると、曖昧な笑みを浮かべていた。つまり、本当だと言うことだろう。


「人によるかな?」

「話しやすい奴はいない」


 フォローを入れるレオンを、アックスがバッサリと切り捨てた。


「ここの教授と似たような、魔法にしか興味ない変人ばっかり」

「アックス、言い過ぎ」

「違うところといえば……教授たちより強い」

「アックスは、人を強いか弱いかで評価してるの?」


 宮廷魔術師の仕事は多岐にわたり、いろんな部署があるそうだ。オブシオンの先生たちのように魔法を研究している部署もあれば、王族など要人の護衛を専門とした部署もある。有事に備えて全員が戦闘訓練を受けていて、いわば、魔法のスペシャリスト集団だ。魔法学生憧れの職業筆頭である。


 三人でおしゃべりをしつつ授業開始を待っていたら、横から声をかけられた。


「姉さん、ここ空いてますか?」

「ブラン! もちろんよ。どうぞ」

「ありがとうございます」


 ブランは腰を下ろす前に、私の奥に座る二人に向かって会釈した。


「レオン殿下、アックスさん、こんにちは」

「ブランも受講するんだ」

「もちろんです」

「ブランって将来、宮廷魔術師になりたいの?」


 訊ねた私に、ブランが眉を寄せた。信じられないものを見るような顔だ。


「何言ってるんですか。僕は次期オキデンス公爵の補佐をします」

「それって私のこと言ってる?」

「他に誰がいるんですか?」


 それもそうだ。でも、私がオキデンス公爵――何故だか想像できない。そのためのブランか。弟におんぶに抱っこなんて、姉としてどうなのかしら。


「あの……」


 モヤモヤとした思考が、ふいに聞こえてきた可愛らしい声に遮られる。


 見るとそこには――渦中の人、アリア・セプテントが立っていた。


 噂の通り、青にも緑にも見える不思議な色をした大きくて丸い瞳が、じっとブランを見つめている。


 さすがヒロインと拍手したくなるほど、愛らしく整った顔立ちの少女だった。


 近くで見ると、プラチナブロンドの長髪は、内側がターコイズブルーになっている。この世界が色彩豊かといえど、初めて見る髪色で――彼女が特別な存在だということが、よく分かった。


「ブランくん、隣、座ってもいい?」


 おずおずと尋ねる姿は小動物を連想させるほど可愛らしい。


「どうぞ」


 ブランはにこやかに応じてから、すぐに私たちの方を向いた。


「こちら、僕の学年に編入してきたアリア・セプテントさんです」

「アリアさん、こちら、手前から――姉の、カノン・オキデンスです。怖いのは見た目だけですから、安心してください」

「ブラン、それどういう意味?」

「それから、ご存知とは思いますが、レオンハルト・エスメロード殿下です。毎日追いかけられている、やたらとキラキラしたお方です」

「やたらとキラキラって何かな?」

「一番奥が、アックス・ウッドヴィルさんです。こう見えて人間です」

「そうだね」


 アックスがこくりと頷く。


「それはどうかな……」


 これには首を傾げざるを得なかった。


「アリア・セプテントと申します! よろしくお願いします!」


 彼女はぺこぺこと頭を下げた後、ブランの隣の席に腰を下ろした。隣で話しているブランたちは、和やかに会話を続けている。小説の通り、二人は友人になったらしい。


 物語の通りの出来事が起こると、少しだけ緊張するけれど――二人は仲が良さそうで、ほっとした。私なんて未だに友達がいないのに、ブランはすごい。社交的で友達が多いし、誰とでも仲良くなれる。


「ドロシーさんってどんな人かな」


 現実逃避に、教壇の方を向いてぽそっと呟く。


「実は僕、少しだけ親近感、みたいなものがあるんです」


 耳ざとく私の声を拾ったブランが、こっちを向いた。


「えっ?! 天才宮廷魔術師に? もしかして知り合い?」


 ドロシーも平民出身だ。もしかして、オキデンス家に引き取られる前に出会ったのだろうか。


「いいえ、全く。会ったこともありません。ですが――亡くなった兄さんと、同姓同名なんです」

「そうなの?」


 オキデンス家に引き取られる前の名字が「メリディエス」だったことは知っているけれど、ブランのお兄さんの名前を聞くのは初めてだった。


 メリディエスといえば、セプテントと並んで平民で一番多い名字だ。たいてい、学年に何人かいる。


「初めて名前を聞いたのは、史上最年少で宮廷魔術師になった頃でした。その時は、ずいぶん驚きました」


 ブランは照れているようで、少しだけ辿々しく言葉をつづける。


「兄さんでないことは分かっていますが、名前を聞くたびに懐かしくて。だから、なんとなく、ずっと親近感があって。史上最年少記録を塗り替えるたび、勝手に喜んで、応援しています」

「……そうなんだ」


 ブランの横顔が嬉しそうで、私もほっこりした気持ちになった。




 授業のはじまりを告げる鐘が鳴り始め、ざわざわとした喧騒が止んだ。気づけば、生徒のみならず先生たちまで講義を聞きに来ているようだった。


 しんと静かになった講堂に、カツンとヒールの音が響く。宮廷魔術師が二人、講堂に入ってきた。どちらがドロシーかは聞かなくても分かる。


 彼らのうち一方は、銀の靴を履いていた。宮廷魔術師の精鋭、優秀な者のみに着用を許された、銀色のピンヒール。慣れた者でなければ体勢をくずしそうなその靴で平然と歩いているのは、長身で、細身の男性だった。


 宮廷魔術師の白い制服と、白いローブ。目深に被ったフードのせいで、顔ははっきりと見えない。分かるのは――彼の髪が、老人のような、色の抜け落ちた白色をしていることくらいだった。


「――あっ」


 アリアが息を呑む。


 彼は教壇の中央に立ち、生徒たちをぐるりと見渡した。


「オブシオン魔法学校の学生のみなさん、こんにちは」


 室内に緊張が走ったのが分かった。目の前にいるだけで身の竦むような、威圧感がある。


「ワタクシ、ドロシー・メリディエスと申します」


 薄い唇から紡がれる声は、意外にも柔らかく、丁寧だった。それなのに誰一人、緊張を緩めることができない。気を緩めれば喉笛を噛みちぎられそうで、目が離せないのに、動くこともできない。まるで――蛇に睨まれたカエルになったようだった。


「どうしてあんなに殺気を放ってるんだ、あいつ」


 訂正。緊張してないのが一人だけいた。レオンを挟んだ席から手を伸ばし、私の背中を小突いてきた、アックス・ウッドヴィルである。


 レオンもそれで緊張が解けたのか、私の方を向いて「カノン、大丈夫?」と尋ねてくる。彼らにこくこく頷いてから前を向くと――一瞬だけ、ドロシー・メリディエスと目があったような気がした。フードの奥で、その目は影になって見えないはずなのに。


「ワタシはそれほど大それた者ではございませんが――当代の南の魔女、とも呼ばれているそうです」


 そう言うや否や、彼の手に杖が現れた。背の高い彼よりも大きい、宮廷魔術師の杖だ。


「みなさんに、南の魔女と呼ばれている理由をお見せしましょう」


 杖を一振りすると――まず現れたのは、火だった。火の球のようなものが、彼を取り囲むようにいくつも浮かんでいる。


 そうかと思えば、彼はまた、杖を振った。呪文はない。彼の周りで水が湧くように溢れ、火の球はジュッと音を立てて消えた。


 また杖を振ると、今度は講堂中に強い風が吹き荒れた。目も開けていられないほどの強風に、あちこちから悲鳴が上がる。ノートや教科書が飛んで、バサバサと音を立てた。


 最後に彼は、とん、と杖で床を叩いた。途端に、唸るような、地鳴りのような音が聞こえてくる。岩の柱のようなものがいくつも生え、広い講堂をぐるりと取り囲んでいた。


 誰もが、固唾を呑んでいた。動くこともできず、ただ、その光景から目が離せななかった。


 最初は火属性の魔法だった。続いて、水属性、風属性。最後に、地属性の魔法。全ての属性の魔法を、一人で次々に繰り出したのだ。


 ――こんなこと、ありえない。


 信じられない気持ちと、興奮とか、せめぎ合っていた。心臓がうるさいくらい音をたて、息を整えるのもやっとだった。


 全属性の魔法を使うなんて――歴史上、一人しかいない。


 オブシオン魔法学校の創設者にして、南の魔女と呼ばれていた――シアン・オブシオン。


「みなさんもご存知の通り、南の魔女シアン・オブシオンも、全ての属性の魔法を使っていたそうです。だからこそ全属性の魔法の理論を編み出せた。みなさんが今日学習していることの、基礎を作られた方です。ですから、全ての魔法の母とも呼ばれていますね」


 講堂に飾られた、いつもはそれほど気にもとめない彼女の肖像画が、特別な存在感を放っていた。黒い髪をきっちりと結い上げた真面目そうな女性の、聡明な黒い瞳がこちらを向いているような心地になる。


「魔法とは……ここにいる皆さんのように、選ばれた人間のみが行使できる奇跡です。――でも決して、魔法は万能ではありません。たとえば――、そうですね。せっかくですから、どなたかにやってもらいましょうか」


 ドロシーは杖を構えると、自身の右手側――教卓のある方に向かって、まっすぐに振り下ろした。


「えい」


 意外にもお茶目な掛け声と共に――教卓が、バラバラに粉砕される。


「は?」


 教室の誰もがポカンとしていた。生徒たちを置き去りに、ドロシーはぐるりと講堂を見渡した。


「これを、元通りに修復してください」


 彼の視線が、一点でぴたりと止まる。


「そちらの、お嬢さん」


 ――信じられないことに、目が、あっていた。

 フードの影に隠れた目が、確かに、鋭くこちらを見つめている。


「私、ですか?」


 おそるおそる声を上げると、彼はこくりと頷いた。


「ええ、貴方です。立ってください。杖を構えて」


 講堂の中には百人を優に超えるほどの学生たちがいるはずなのに、恐ろしいほどしんと静まり返っていた。

 ゆっくりと立ち上がり、杖を構える。手が少し、震えていた。

 ――うまく、できるだろうか。

 ただでさえ実技はダメダメなのだ。それをこんな、大勢の前で。


「姉さん、落ち着いてください」


 ブランがそっと、私の背に触れる。


「う、うん」


 こほんと咳払いをして、杖を振った。


「《元の形に戻って》」


 散らばった木片たちは――元の形に戻るどころか、ぴくりともしなかった。


「……うっ」


 弁明の余地もないほどの、失敗である。室内の気まずい空気に、居た堪れない気持ちになる。

 沈黙を破ったのは、ドロシーだった。


「――おや」


 彼は口元に手を当てて、馬鹿にするようにくすくすと笑った。


「オキデンス公爵家のご令嬢のくせに、こんなこともできないのですか?」


 口元を歪め、嘲るようにそう言う。

 どうしてドロシーが、私のことを知っているんだろう。そう疑問に思うと同時に――ブランがばっと立ち上がった。


「身分が関係ありますか?」


 レオンが立ち上がり、ドロシーに食ってかかろうとするブランを宥める。


「ブラン! 気持ちは分かるが、落ち着け」

「レオンも落ち着いて」


 二人の腕を掴んで離さないアックスから、生暖かい視線が送られてくる。目は口ほどに物を言うらしい。――分かるよ、じゃない。


「ブラン、大丈夫だから。レオンも気にしないで。アックスはその目を止めて」


 アックスがブランとレオンを席に戻している間に、ドロシーは一瞬で教卓を元に戻していた。最前列の生徒たちを指名し、教卓を見せている。


「どうでしょうか?」

「きれいに……元通りに、なっています」


 その回答に、ドロシーは首を振った。


「そうでしょうか」


 ドロシーが杖でつんつんと突くと、彼の魔法が解けた教卓はすぐにガラガラと音を立てて崩れていった。


「このように、壊れた物を、完全に元に戻すようなことはできません。治癒魔法で怪我や病気を治療することは出来ても、死者を蘇らせることはできません。どれだけ願っても、時間を巻き戻すようなことは、できないんですよ」


 ドロシーのその言葉に、息を呑む。顔を俯かせる人もいた。


 この教室にいる大半の人は、オズパレードの魔法爆発事故を経験している。当時はまだ子どもだったけれど――その場にいた人もいるし、家族や大切な人を亡くした人もいる。彼に言われるまでもなく、不可能だとは分かっている。それでも、その言葉は、傷口に沁みた。


「現段階では、ですがね!」


 今までずっと黙って授業を見守っていた宮廷魔術師が教壇に登り、明るく声を出す。


「魔法の進歩はめざましく、研究次第でこの先どうなっていくか分かりません。優秀な学生の皆さん、是非、宮廷魔術師を目指してくださいね!」


 その後はドロシーが使い魔(やたらと可愛い小さなリスが、フードの奥からぴょこんと出てきた)を見せてくれたり、二人が学生たちの質問に答えてくれたりして、和やかに授業は終わった。

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