第二章 サイハテのオズ

アリアの入学

 十年ぶりの王都は、久しぶりだというよりも、初めて訪れる場所のようだった。


 ここで暮らしていたのは、顔も覚えていない両親が生きていた頃までだ。その後は、私を引き取ってくれた叔母の家がある、長閑な田園地方で育った。裕福ではないけれど、貧しくもない、のんびりとした平穏な暮らし。私はこの暮らしが気に入っていたのだけれど。


 窓から見える景色は既に見慣れぬ都会の風景だ。所狭しとお店が建ち並び、活気が溢れている。


「はぁ……」


 乗合馬車の中で、溜息を吐く。隣に座っていた見知らぬ婦人がぎょっとしたのが分かった。


 ――どうして私が、溜息を吐きながら王都に向かっているのかというと。


 先日届いた一通の手紙のせいだ。それは、エスメロード王国最大の魔法の学び舎、オブシオン魔法学園の入学許可証だった。


 国に住む十歳の魔法使いは、魔法学校に入学しなくてはならない。私も、地方の小さな魔法学校に通っていた。そんなある日、突然、オブシオンからの入学許可証が届いたのだ。


 編入生なんて異例だ。私はもう十四歳で、その上、四年生も残すところあと三ヶ月というくらいの終盤。同級生たちはグループが出来上がっているどころの話じゃない。私が入り込む余地なんて、あるかどうかすら怪しい。せめて新入生にまぎれ込めるかもしれない春に編入させてくれればいいのに、こんなに寒い冬。


 入学許可証を見下ろして、溜息を飲み込む。


 ――学校生活は、正直、不安でいっぱいだ。


 住み慣れた家を離れ、王都で一人寮暮らしをしなくちゃいけない。それに、オブシオンの生徒たちは、ほとんどが貴族だという。学校の中で身分差はない、と謳ってはいるけれど、平民は肩身が狭いと聞いた。


「わっ」


 馬車が止まって、思わず声を上げてしまった。田舎者だと思われただろうか、と顔が熱くなる。もちろん、馬車に乗るのは初めてのことではない。ただ考え事をしていて、驚いてしまったのだ。


 大きな鞄を片手に、馬車を下りる。王都の中心部、メインストリートは、大いににぎわっていた。何かお祭りがあるわけでも無いのに、たくさんの人々が行き交っている。小さな子どもたちがすぐ目の前を駆けて行って、体がよろめいた。


「えっと……オブシオンは……」


 地図を広げる。方向音痴の私の為に、叔母さんからのメモもついていた。


「ええと、なになに……」


 そのメモによると、私は一つ前の停留場で降りるべきだったらしい。そういえば、出発するときにそう言われた気がする。不安で考え込んでいるうちに、頭から抜けていた。


 溜息を吐きそうになった口を閉じ、しゃんと背を伸ばす。


 ――広いと言えど、王都は王都! 歩けばきっと、そのうち辿り着く! 田舎育ちの脚力を舐めないで頂きたい!


 一人意気込んで、地図を見ながら歩き続けること数時間。


「……ここ、どこ?」


 そうだ。私は方向音痴だった。それも、どうしようもないレベルの。地図なんて意味ない。


 叔母さんからのメモをよく見てみれば、下の方に、「自分を信じず、道は人に聞きなさい」と書いてある。一度手荷物を地面に下ろし、はあと深く息を吐いた。


 ここは何だか薄暗いし、人はいないし、不気味だ。変な路地に紛れ込んでしまった気がする。自分が今どこに居るのかも分からないのに、地図が役に立つはずがない。折りたたんで、鞄の中に仕舞った。


 とにかく一度、人通りが多い場所に出て、優しそうな人に道を聞こう。それしかない。


「……とりあえず、真っ直ぐ進んでみようかな」


 その先から、賑やかな声が聞こえてくる気がするから。


 鞄を持ち上げた私の後ろから、カツン、と音がした。


 カツン、カツンと――それはゆっくり、近づいてくる。一瞬びくりと肩を跳ねさせたけれど、その足音は石畳をヒールで踏む、高い音だ。


 ――女の人、だろうか。少しだけほっとして、後ろを振り向く。


「……あ」


 口から息が漏れた。


 カツン、カツン、と音を立てながら私に向かってくるのは、長身の男だ。銀色のピンヒールを履いて、真っ白なローブを着込んでいる。


 その人は、私の目の前で足を止めた。深くかぶったフードから零れ落ちる髪はローブと同じくらい真っ白で、一瞬、老人かと思った。そうではないと気付いたのは、身長差のせいで覗き込むようになってしまい、その端正な顔が見えたからだ。影の落ちた顔の中で、金色の瞳が妖しく光る。彼の口が、弧を描いた。


「もしかして、迷子ですか?」


 揶揄うような口調だ。


「え……、あの……。はい……」


 彼の態度に腹を立てることもなく、恐縮してしまったのは、田舎者だということへの負い目からでもなく、迷子の恥ずかしさからでもなく、彼の服装のせいだった。


 その真っ白のローブは、宮廷魔術師の制服だ。本では読んだことがあるが、実際に見るのは初めてだった。――それに銀の靴は、その中でもとびきり優秀な人にのみ履くことが許されるもの。


 目の前にいるこの、口だけはにこやかに私を見下ろしてくる男は、まだ若く見えるのにかなり優秀な魔術師ということになる。


「そう怯えないでください」


 白い手袋に包まれた彼の手が、ゆっくりと伸びてくる。それは私の目を指差した。そのまま触れることなく、目をなぞるようにくるりと円を描く。


「貴方の瞳、綺麗な色ですね」


 顔を覗き込まれて、思わず一歩後退る。


「知っていますか? 緑の目は縁起がいいんですよ」

「……は、はい」


 こくこくと頷いた。


 私はターコイズブルーのような、緑にも青にも見える瞳の色をしている。曖昧なところだけれど――緑の目は縁起がいいと、小さなころから何度も言われていた。


「ま、迷信ですけどね」


 彼は軽い口調で言う。


 相変わらず、笑みの形になるのは口元だけで、目だけはじっと私を見下ろしていた。


「十年前だって、この国で一番美しい緑の目を持っていた人が、あっさり死んでしまいましたから」


 何でも無いことのようにさらりと言われて、ぞっと背筋に悪寒が走った。


 宮廷魔術師の制服を着ている。その上、銀の靴。身分は間違いなく保証されている人。――だけど、怖い。


 私の怯えを悟ったのか、彼は表情を和らげた。今度は目元も、少し穏やかになった気がする。


「おや。怖がらせてしまいましたか?」

「そ、そんなことはありません」


 何とか首を横に振る。明らかに体が震えている私を、彼はくすくすと笑った。


「すみません。久しぶりに緑の瞳を見たものですから。怖がらせてしまったお詫びに、目的地まで送って差し上げますよ、迷子のお嬢さん」

「……本当ですか!」


 ぱっと顔を上げる。ぱああっと表情が明るくなってしまうのが、自分でもよく分かった。


「オブシオン魔法学校に行きたいんです!」


 行き先を告げると、彼はじっと私を見つめた。


「初めての王都で迷子になる新入生を度々目にしましたが……」

「やっぱり迷子になる人、他にもいるんですね!」

「さすがにこんな裏路地で見かけたのは初めてですよ」

「……うっ」


 やっぱりここ、変な路地なんだ。なんてところに迷い込んでしまったのだろう。


「それに、新入生といった年頃ではありませんね。――もしかして、異例の編入生というのは、あなたのことですか?」

「ど、どうしてそれを?!」

「そんな話を耳にしただけですよ」


 入学前から噂になっているのかと顔を青くする私をよそに、彼は杖を取り出した。宮廷魔術師の、大きな杖だ。背丈より高い杖を軽々持ち上げ、トン、と石畳を突いた。


「目を閉じてください」

「……はい」

「目を開けたら、正門の前ですからね。学園の中も広いですから、寮までは誰かに案内を頼んだ方がいいかもしれません」


 彼が笑ったような気配がした。それからすぐに静かな路地とは違う、人々の騒めきが聞こえてきた。


 ――ゆっくりと、瞼を持ち上げた時、そこにあったのは見上げる首が痛くなるほどに大きな鉄の門だった。


 門の前で――教師だろうか、白衣を着た若い男の人が、目を丸くして私を見つめている。


「……えーっと、君が例の編入生かな?」

「は、はい! 寮まで、道案内をお願いしたいですけど」

「それは構わないけど……既に転移が使えるの? これはまた、恐ろしいのが来たな……」

「い、いえ! 違うんです! 今のはその……迷子になった私を、親切な宮廷魔術師の方が送ってくれて……!」

「宮廷魔術師があ?」


 それこそ信じられない、とでも言いたげなリアクションだった。


「……変ですか?」

「変だね。親切さの欠片も無い奴らだ」


 この教師風の男の人がひねくれているのか、一般的な宮廷魔術師がそんな態度なのか、いまいち判断が付かない。


「私を送ってくれた人は、優しくて親切ないい人でした」


 ちょっと、怖かったけれど。


「ちなみにどんな奴だった?」


 思いつくだけの彼の特徴を上げていく。


「白いローブで」

「そうだね」

「フードで顔を隠していて」

「ふむ」

「金の目で」

「ふむ」

「白い髪で」

「……え?」

「銀の靴を履いていました」

「はあ?」


 彼は驚愕に目を見開いて、ぶるりと体を震わせた。


「明日は嵐か……?」

「え?」

「……いや何でもないよ。寮までの道案内だったね。付いてきて」

「はい! お願いします!」


 先導してくれる彼は、この学校の養護教諭なのだそうだ。「入学して一ヶ月くらいはまだ可愛いんだよなあ」「あいつらも見習ってほしい」「医務室は溜まり場じゃない」とかなんとか、ごにょごにょ言いながらも女子寮まで案内してくれた。そこからは寮母さんに部屋まで連れて行ってもらって、真っ先にベッドへ飛び込んだ。ベッドはふかふかで、洗いたての清潔な匂いがした。


「疲れたああ」


 ごろんと寝返りを打ち、天井を見上げる。右手を持ち上げて、その手のひらをぼんやりと眺めた。


 王都で暮らしていた頃の記憶はない。両親の顔だって、覚えていない。けれど、時折まぶたの裏で、緑が光った。手がじわりと熱を持った気がして、胸がずきんと痛む。


 断片的な、幼い頃の記憶が蘇る。緑の光。悲鳴。瓦礫の山。差し出された、小さな手のひら。握った手から伝わる体温。


 あの小さな手を思い出すと、胸が苦しくなる。


 きっと、私は王都で、今となっては顔も思い出せない男の子に、恋をした。




「…………あ。これ、『さいはてのオズ』だ」

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