オズパレードの魔法爆発事故4

「こんにちは、カノン」


 緊張しながらゆっくり、ゆっくりと開けた扉の向こうで、オズワルド殿下は微笑んだ。痛々しい拘束に、一瞬、眉を顰める。きっと、この光景に慣れる日は来ないだろう。


「こんにちは、オズワルド殿下」

「久しぶりだね」

「えっと……はい。その、ご無沙汰しています」


 彼のことを、怖い、と思ってしまった。


 それから気まずくて、足が遠のいていた。イーストエッグに頼まれていたのに――気がつけば、あの日から三ヶ月が過ぎていた。


 荷物を置いて、殿下の後ろに回る。目隠しと手枷を外すと、気づいたときには座り心地の良さそうなソファーが、初めからそこにあったかのように鎮座していた。


 彼の正面に座る。殿下は穏やかに微笑み、私は俯いたまま、居心地の悪い沈黙が降りた。


 ブランと一緒に来ればよかった。ブランがいない一年間は、二人きりで会っていたはずなのに、気まずくて仕方ない。


 意を決してちら、と殿下の方を見ると、目の前に湯気の立つティーカップが置かれていた。


「どうぞ」


 カップを片手にして、殿下がにっこりと微笑む。怖いと思ったはずなのに、彼の微笑みは穏やかで、優しくて、美しくて、胸のあたりが締め付けられるようにずきっと痛んだ。


「ありがとうございます」


 カップを持つ殿下の手は、病的なほど白く、細かった。陽の当たらない牢獄での生活を余儀なくされている彼が、そうなってしまうのも無理はない。


 それなのに――損なわれない、この美しさは何なんだろう。


 お茶を飲むことも忘れたまま、たたぼうっとオズワルド殿下に見入ってしまった。


 殿下はそんな私を咎めることもなく、穏やかに微笑んでいる。見惚れられるのは慣れているのだろうか。この美貌だもの。納得だ。


 小説の中の彼は、幼さゆえの魔力の暴走で事故を起こして亡くなった、悲劇の王子様だった。


 事故も、彼の死も、多くの人の心に深い傷を残した。憧れの兄を喪ったレオンハルト王子もその一人だ。心の傷を癒し、支えてくれるのがヒロイン。『サイハテのオズ』は二人のラブストーリーだ。


 だけど私は、オズワルド王子が好きだった。誰かの思い出の中にだけ現れる、美しくて、優しい、小さな王子様。


 出番も台詞もほとんどないのに、彼のことが好きだった。


 物語を読む時はいつも、彼のことばかり考えていた。


 目の前のオズワルド殿下の方を向く。目が合うと、彼はいつものように優しく微笑んだ。


 この人は――底知れぬ恐ろしさを持っている人かも知れない。それでも私は、オズワルド殿下を外に連れ出したい。冤罪だったことを認めさせて、罪人のピアスだって外して。美味しいものを食べて、暖かい布団で眠って、本来彼が送るべきだった生活を送ってほしい。


 小説の中では亡くなっていたオズワルド殿下。


 罪人として幽閉されているオズワルド殿下。


 ――どちらにも、思うことは同じだった。


 好きの気持ちの始まりは、同じだもの。


 どうか、幸せであってほしい。


「オズワルド殿下、外に出られたら何がしたいですか?」


 出られないよ、と彼が現実を見せてくる前に、言葉を続ける。


「きっと殿下も、オブシオンの学生ですよね。そしたら、先輩ですね」


 制服のオズワルド殿下を想像する。レオンやブランと同じように、着崩しなく、きっちりと着こなして。白い制服、銀の髪、エメラルドグリーンの瞳……想像しただけで堪らない気持ちになった。見たい。見たすぎる。


「あっ!」


 突然声を張り上げたから、少しだけ、オズワルド殿下が驚いた顔をした。


「レオンの話って、もうしましたっけ?」

「いつも追いかけられてるっていう?」

「そう! それです! 女の子たちに大人気で。いや最近なんてもう、女の子だけじゃなくて。性別も、貴族も平民も、学年だって関係なくなってきて。すごいんです」


 もう、モテ過ぎてファンクラブみたいな感じだ。レオンは格好いいし、優しいし、無理もない。先生たちの中にも隠れファンがいるそうだ。


「オズワルド殿下も、追いかけられてそうです」


 オブシオン魔法学校は満十歳の春に入学し、八年生――十八歳の冬に卒業する。本来ならば、殿下は六年生だ。


 白い制服姿の彼の周りに、人の波がどっと押し寄せる。私は話しかけることも、近寄ることすらできず――遥か彼方から彼を見つめ、キーッと唇を噛むのだ。


「オズワルド殿下が幽閉されていなくて、私たちがこんなふうに出会えなかったら、私もそのうちの一人だったかもしれません……」


 どうして妄想の中でもこの体たらくなんだろう。しょんぼり肩を落とす。


「追いかけてくれるの?」


 殿下が微笑む。その表情が嬉しそうで、私は――己の妄想を恥じた。


 妄想の中でくらい、全てを掻き分けていくくらいのガッツを見せてほしい。いや、オズワルド殿下が目の前にいるんだ。妄想じゃなくっても、やらなきゃ!


「もちろんです! 人波、掻き分けてみせます!」


 ガッツポーズを決める私に、「人波……?」と殿下が首をかしげた。


「はい! 絶対、一番前でオズワルド殿下を見ます!」

「そう」


 殿下がくすくす笑う。


「カノンと学校生活を送るのは、楽しそうだね」


 その言葉に、胸が温かくなった。


「私が補修を受けていたら、殿下も手伝ってください」

「ふふ。いいよ」

「その時は大抵、アックスもいます。落ちこぼれコンビなんです。――あ。落ちこぼれなんて言うと、レオンに怒られちゃうんですけど」


 オズワルド殿下は穏やかに微笑んで、相槌を打ちながら話を聞いてくれた。


「レオンがたまに、私のこと隠れ蓑みたいにするんです。私とレオンが話している時は、アックスとブラン以外、誰も話しかけてこなくて」


 考えてみれば、これは、何故だろう。


「私の顔が怖いからかな?」


 首をかしげる。目尻のつんとしたツリ目に、冷たい印象を与える容貌――歳を重ねるたびに、悪役らしさが増している気がする。


「そういえば薬学室で激辛鍋を作った時も、あまりの匂いに誰も近づけなくて、レオンが喜んでいました。激辛テロなんて、失礼なこと言われましたけど」

「辛いものが好きって言ってたよね」

「はい! そうなんです! オズワルド殿下もいかがですか?」

「食べたことないな」

「是非一度お試しください! 今度、持ってきますから!」


 これは気合を入れて、厳選した唐辛子やスパイスを持ってこなくちゃ。


「試験勉強も一緒にしたいです。実技がダメな分、学科で点を取ろうと思って頑張ってるんです。殿下のような、頼れる先輩がいたら捗りそうです」


 想像する。教室に、中庭に、図書室に、食堂に、オズワルド殿下がいる風景。あったかもしれない、学校生活。


「あとは……放課後に、おいしいものを食べに行ったりとか。たまに、ブランと寄り道するんですよ。ブランがケーキをいくつも食べるんです。私は紅茶を飲みながら、おいしそうにぱくぱく食べてるブランを眺めるんです。見ているだけで、お腹いっぱいです」


 そんな日が、きたらなあ。


 想像する日常は眩しくて、いっそ、切ないくらいだった。


「カノン?」


 突然黙り込んだ私に、オズワルド殿下が声を掛ける。スカートをぎゅっと握って、口を開いた。


「……実は、私、この前オズワルド殿下と会った時、怖いって思ってしまったんです」

「怖い?」

「はい。殿下のことが、よく分からなくて、怖いなって」


 自分の身に起こったことを他人事みたいに言うし。他人に対しての物言いは、遥か遠くの――まるで神様みたいな視点から話す。私には到底理解の及ばない存在だってことしか、分からなかった。だから彼から逃げた。


「――私」


 だけど。今日また彼と過ごして――やっとひとつだけ、分かった。


「あなたがどんな人だろうと、きっと、殿下のことが大好きです」


 どうか、幸せになってください。


 この気持ちだけは、絶対に変わらない。


 オズワルド殿下は驚いたみたいに目を丸くしたあと、やっぱり、いつものように穏やかに微笑んだ。

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