ちいさな棺

 エメラルドグリーンの光の洪水が、部屋を染め上げていた。


 オズパレードの演出のひとつだろうかと思えたのは、ほんの一瞬だった。窓の外――王都の中心部から、何度も何度も爆音が響く。天井が落ちてくるのではないかと思うほどの激しい揺れ。飲みかけのティーカップが、音を立てて砕け散っていく。


 ――私はこの光景を、知っている。


 今あの場所で、お祭りの楽しい雰囲気は一瞬にして瓦解したのだ。人々の歓声は悲鳴へと代わった。あちこちから上がる火の手。立ち昇る黒い煙。倒壊した建物。見るも無残な瓦礫の山。助けを求める人の呻き声。今までそばにいた命が亡くなった人の、泣き叫ぶ声。


 パレードは一瞬にして、地獄へと叩き落された。


 それはとある少年が引き起こした歴史上最も凄惨な事故で、後に「オズパレードの魔法爆発事故」と呼ばれる惨劇である。




 美しい殺戮の光を目にして、私は、その死を鮮烈に理解した。




 オズワルド・エスメロードが死んだ。




   ◇◆◇




 五月十七日。エスメロード王国の建国記念日は、建国の王の名にちなみ「オズの日」と呼ばれている。


 オズの日には国中で祝祭が行われて、中でも、王都オズのお祭りはいっそう豪華だ。


 街並みは美しい花や魔法で彩られ、胸を躍らせる賑やかな音楽が響く。定番のお菓子から、珍しい飲み物、果ては謎の魔法薬まで――所狭しと建ち並んだ出店では様々なものが売られ、食欲をそそる香りが街中に満ちている。国民たちは、国のシンボルであるエメラルド石を模したブローチを付け、思い思いに祭りを楽しんだ。


 王都で開催される祝祭の目玉は、国を挙げてのパレード。オズパレードと呼ばれるそれは、城門から王都の中心部まで伸びる大通りで行われる。楽団が音楽を奏でる中、騎士団が行進し、魔術師たちが美しい魔法で花を添える。荘厳な馬車から、王族が手を振った……。




 王都の西端――城下町から遠く離れたオキデンス公爵邸にも、その熱気は届いていた。


 使用人たちのほとんどが休日で、がらんとした屋敷の中に、賑やかな音が風に乗って運ばれてくる。


 聞きかじったオズの日の話を思い出しながら、窓の向こうの王都の中心部――見えもしないお祭りの方へ目を向ける。


「ねえ、お母様。お父様ったら、はしゃぎすぎていないかしら」


 仕事で向かっているはずのお父様が、屋台に目を奪われて羽目を外している様が目に浮かぶようだった。


「そうかもしれないわね」


 ベッドに横たわったまま、同じように窓の外を見つめていたお母様が苦笑する。


「カノンは、本当に行かなくてよかったの?」


 お母様は、ひどく申し訳なさそうな顔をした。本当ならば今日、私もお祭りに行くはずだったのだ。


 母――イザベル・オキデンス公爵夫人は体が弱く、ほとんどの時間をベッドの上で過ごしている。今日も突然、高熱が出た。お母様が心配で、家に残ることにしたのだ。


「いいの」


 だって、家でエメラルドのブローチをつけて、お母様とふたりでひっそりとお祝いするオズの日だって、大好きだから。


「ほんとに?」

「ほんとよ」


 気を使ったわけでは無く、こくりと頷く。


 そもそも私は、外で体を動かして遊ぶよりも、部屋で本を読む方が好きなのだ。人が多い場所だって、あまり得意ではない。


「そう?」


 ベッドのそばに腰かけて、また、窓の外へと目を向ける。


 天気は良く、青空には雲一つない。ぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぎ、瞼がとろんと重くなった。


「もうすぐ、パレードの時間ね」


 祝祭で最も華やかなパレード。一度も見たことがないそれに、思いを馳せる。


「パレードは、少し、見たかったかも」


 気持ちのいい初夏の日差しが降りそそぐなか、優しく頭を撫でられて、ゆっくりと頭が傾いた。


「お母様、良いオズの日を」


 ベッドに頭を預けて、そのまま、少し眠ってしまった。




 そして、目が覚めた時――世界は一変していた。




「カノン!」


 ベッドから体を起こしたお母様が、庇うように覆い被さってくる。恐怖からか、その体は震えていた。


「カノン、大丈夫、大丈夫よ」


 背中を撫でる手は優しいけれど、恐怖を隠し切れないまま声は震えていた。


 エメラルドグリーンの光の洪水が、部屋を染め上げている。


 これは、この美しい光は、オズパレードの演出なんかじゃない。そう理解した瞬間、窓の外――王都の中心部から、何度も何度も爆音が響いた。天井が落ちてくるのではないかと思うほど激しく家が揺れる。飲みかけのティーカップが、音を立てて砕け散った。


 ――私はこの光景を、知っている。


 これは、王都を呑み込む殺戮の光だ。お祭りの楽しい空気は、一瞬にして、地獄へと叩き落とされた。


 昨日よりも明日よりも、明後日よりも、どんな日よりも、幸いであるべきだったオズの日に、よりにもよって、それは起こった。パレードを一目見ようと、多くの人が集まっていたその場で。


 オズパレードの魔法爆発事故。


 その言葉が自然と頭に浮かぶ。いま目の前で起こっている惨劇は、後にそう呼ばれることになるのだ。


「……ああ」


 口から、嗚咽が漏れる。体は震えていた。目からは、次から次へと涙があふれ、止まらない。


 だって、この事故が起こってしまったということは、私の大好きなキャラクターが死んでしまったということだ。



 エスメロード王国、第一王子――オズワルド・エスメロードが死んだ。






 これは、『サイハテのオズ』だ。


 昔――私が生まれる前に、別の世界で読んだ小説。その冒頭、プロローグで書かれていた事故そのものだ。国の名前も、王子様の名前も、全部同じ。


 オズパレードの魔法爆発事故で、オズワルド殿下は命を落とすことになる。


 それも――たった十歳で。


「うそよ……。こんなの、全部、うそだわ」


 だっておかしいじゃない、物語の中にいるなんて。小説の中に生まれ変わったとでもいうの? ありえない話だ。現実と物語は違う。そんなこと分かってる。


 ――分かってるのに。


 だったら、この記憶は何?

 うっすらと思い出せる十四年間は何なの?

 頭に響く警笛は? 胸に渦巻く不安は?


 ショックと蘇る記憶のせいで、おかしくなってしまいそうだった。ずきずきと頭が痛む。


 あの場所には、お父様だっている。知ってる人も、知らない人も大勢いる。怖くて怖くて、息がうまくできなくなる。どうにかなりそうだった。


 私を守るように覆い被さっていたお母様は、そのまま気絶していた。


 涙が止まらないまま、私の意識も遠のいた。






 神様、どうか!


 どうか、お願いします。オズワルド殿下を守ってください。


 私の記憶にあった物語が、ほんとうにただの物語で、この世界に一切関係が無くて、国の名前も、王子様の名前も、ぜんぶぜんぶ、単なる偶然で。


 オズワルド殿下は、きっと、生きていて。



 今まで意識したことのなかった存在に、この時ばかりは、縋るように祈らずにはいられなかった。


 けれど、私の祈りは、どこへ届くこともなく、無残に打ち砕かれた。


 事故の三日後になってようやく帰ってきたお父様は、開口一番、オズワルド殿下の訃報を告げたのだ。


「お父様、そんな……」


 大粒の涙がぼろぼろ零れ落ち、息が乱れる。立っていられなくなって、その場に崩れ落ちた。


 お父様は一瞬、目を見開いた。だって、私は今まで、こんなふうに取り乱したことはなかった。


 骨折していない左手が、私の頭をそっと撫でる。優しく抱き寄せられて、もう我慢ができなくなった。


 わあわあと、声をあげて泣いた。


「大丈夫だ、カノン」


 お父様が優しい嘘を吐く。大丈夫なことなんて、もう、ほとんど無い。


 大勢の人が死んだ。美しい街並みは瓦礫の山と化した。




 オズワルド殿下はいなくなった。




   ◇◆◇




 事故から一月後、オズワルド殿下の葬儀が執り行われた。それは事故で亡くなった多くの人々への追悼式でもあった。


 オズの日に起こった原因不明の大事故。この悲劇は「オズパレードの魔法爆発事故」と呼ばれ、エスメロード史上、最も凄惨な事故として歴史に刻まれることになった。


 王城前の広場では、多くの人の啜り泣く声が止むことなく続いていた。魔法使いたちは杖を持ち、哀悼の意を示す青白い光を空へ飛ばした。今にも降り出しそうな曇天の中、その光はまるで、空が泣いているようだった。


 その光を目で追いかけて、立ち尽くして、泣いていた。もう既に枯れ果てるまで泣いたと思っていたのに、涙は次から次へ溢れて、止まらなかった。


 豪華な装飾を施されたオズワルド殿下の棺は、小さかった。十歳になったばかりだった。


 優秀だと噂されていた。多くを期待されていた。これから先の未来は、きっと、輝かしいものになるはずだった。その早すぎる死に、誰もが涙を流した。


 それに、殿下のことばかりではない。あの事故は大規模で、多くの犠牲者が出た。親を亡くした人も、子を亡くした人も、恋人を亡くした人も、友人を亡くした人もいるのだ。誰も彼もが深く悲しんでいた。


 じっと、ちいさな棺を見つめた。


 噂話を聞く限り、遺体は無残なものが多かったそうだ。体はばらばらで、身元の特定にかなりの時間がかかったらしい。


 あのちいさな棺の中に、オズワルド殿下は、どのくらい残っているというのだろう。


 悲しくて、悔しくて、とうとうしゃがみ込んで、声を上げて泣いた。


「お嬢様」


 私を支えてくれている侍女の声も、涙に濡れている。あちこちから、すすり泣きや、嗚咽が聞こえてくる。


「大丈夫?」


 ふいに、そう言われた。声は幼い少年のものだった。涙でぐちゃぐちゃの顔を上げると、目の前にハンカチが差し出されていた。私のハンカチはもうびしょびしょで、使えたものじゃない。それを受け取って、目に押し当てた。


「ううぅ……っ」


 彼は、泣き続ける私の背中を、労わるように撫でた。その手が優しくて、かえって涙が出てくる。


「オズワルド殿下……っ」


 嗚咽交じりに漏れた声に、一瞬、ぴくりと手が止まった。


 手はもう一度だけ背を撫でて、ゆっくりと離れていく。手のひらの暖かな温度を感じなくなって、そうっと顔を上げた。


 まず目に入ったのは、目が覚めるような青だった。まばゆいほど青い瞳が、私を見つめている。時折吹く冷たい風が、彼のイエローブロンドの髪を攫うように撫でた。線の細い、美しい少年がそこに居た。


「……俺が死ねばよかったんだ」


 小さな声で呟く。何一つ、言い返せなかった。事故に巻き込まれたのか、体中の至る所に包帯を巻いていた。その姿があまりにも痛々しくて、何も言えなかった。


「兄上の代わりに」


 その言葉に目を見開く。


 ――何か言えたら良かったのに、涙が蓋をしてしまったみたいに嗚咽ばかりが口を出た。言葉が喉で絡まって、焼けるように熱い。


 だって、それは、私も思ったことだった。


 オズワルド殿下が生きられるのならば、自分がどうなったっていい。あのちいさな棺に入るのが、自分だって構わない。それで、オズワルド殿下が救われるならば。


 何度も何度も、そう、思ったのだ。

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