ホットミルクとランタンの夜1
オズワルド殿下の葬儀が終わってから、何日が、何週間が、何ヶ月が、過ぎたのだろう。毎日泣きながら、ぼうっと暮らしていた。日付も曜日も、その日の天気すら分からなくなったある日の昼過ぎ、お父様が部屋のドアをノックした。
「カノン、今いいかい?」
「はい。どうぞ」
久しぶりに耳にした私の声は、掠れていた。
私の答えを待ってから、ゆっくりと開かれたドアの向こう、お父様の後ろには、愛くるしい男の子がいた。お父様の服の裾を掴んで、おどおどと私を見上げている。
「お父様……この子は?」
私が今みっともない格好をしているだとか、涙で腫れた酷い顔をしているだとか、そんなことは一瞬で頭から吹っ飛んだ。
緊張で体が強張るのを感じながら、やっとそれだけ口にする。じとりとした私の視線に、お父様がこほんと咳払いをした。
「……そうではない」
眉間にしわを寄せて、少しだけ気まずそうにそう言った。思わず表情が険しくなって、お父様がびくっと肩を跳ねさせる。
「ついに子どもを拾ってきたのですか?」
「違う」
「お父様、いけません。人間の子どもはダメです! 誘拐になってしまいます!」
「……カノン。話を聞いてくれ」
お父様は顔を青くしているけれど、ここは心を鬼にしなくては! 身内から犯罪者を出すわけにはいかない。お父様なら尚更だ。
オキデンス家の未来が危ういわ!
父、ニコラ・オキデンスには、妙な悪癖がある。
仕事についでは優秀であり、若くして次期宰相候補に名が上がっているほどの父だが、こればっかりはお手上げだった。
何かと、拾ってくるのだ。
謎の魔道具に、日々元気に庭を走り回っている犬たち、屋敷内を自由に歩き回る猫たち、果ては使用人まで。「一番の拾い物はお母様だよ」と冗談っぽく言っていたのも、ここまでくると真実ではないかと思えてくる。
「私も一緒に、親御さんのところへ謝りに行きますから。お返ししましょう。お父様、人間の子どもはダメです」
「カノン。違うんだ。だから話を聞いてくれ。この子は君の弟だ」
「……はい?」
頭一つ小さい少年を見下ろした。
癖のある、燃えるような赤毛。丸くて大きな瞳は金色で、きらきらと輝いている。頬はふっくりと丸く、愛嬌のある顔つきだ。
うん。家族の誰にも、似ていない。強いて言うなら、瞳の色がお母様と似ているくらいだけど――お母様はもっと儚げで、彼のように爛々としていない。
首を傾げ、一つの可能性に気付いた。
――まさか、お父様の隠し子?!
ばっと顔を上げた私に、その意味を察したのか、「いや違う」と遠い目をした。
でも確かに、彼とお父様は、あまりにも似ていない。お父様と似てないってことは、私とも似てないということだ。
くすんだ薔薇色の髪も、つんと吊り上がったグレーの瞳も父親譲りだった。まわりに冷たい印象を与える容貌だって、お父様そっくりだと言われている。
どこをとっても愛嬌たっぷりの可愛い顔をしたこの子が、お父様の実子だとは思えない。
「正式に養子として引き取った」
「え?」
お父様が? 正式に? 養子として?
疑いの眼差しを向けていると、お父様は少年の後ろへ回り、その肩に手を置いた。隠れるものがなくなって、おろおろと視線を彷徨わせたあと、観念したように私を見上げる。
「うちで引き取ることになった。ブランだ」
その言葉を、一瞬理解できなかった。
「今年五歳になる。カノンの一つ下だ。カノンは今日から、ブランのお姉さんだ」
言葉を発することができない私に、お父様が言いわけのように言葉を続ける。
「だからね、カノン。本当に、誘拐じゃない。断じて誘拐じゃないんだよ。正式に、君の弟だ」
「おとうと」
「そうだ」
「カノン・オキデンスの弟、ブラン・オキデンス」
「……う、うん。そうだとも!」
呆然と呟く私に、お父様が力強く同意する。カノン・オキデンスと、ブラン・オキデンス……。カノンの弟、ブラン。カノン。――カノン・オキデンス。
どうして今まで、こんな大事なこと、忘れていたんだろう。
眩暈がした。ぐらり、と体が傾く。
「そんな、わ、私たち……悪役じゃない!」
悲鳴じみた絶叫を最後に、ぷつんと意識を失った。
『サイハテのオズ』
架空の国、エスメロード王国を舞台にした恋愛小説。
ヒロインは平民の女の子で、恋のお相手は素敵な王子様。王都の魔法学校で二人は出会い、惹かれ合う。
もちろん、何事もなくハッピーエンド、とはいかない。恋に障害はつきものだ。恋愛小説にだって、悪役は登場する。
それが、私――カノン・オキデンスだ。
カノンは王子と同学年で、ヒロインにとっては先輩にあたる。
美しすぎるあまり冷たい印象を与える容貌に、公爵令嬢という身分。学業も優秀で、教員からの覚えもめでたい。まさに、高嶺の花。生徒たちは、上級生も下級生も関係なく、憧れの目を向けていた。
完璧な淑女たるカノンは、王子の婚約者の最有力候補とも噂されていた。もちろん、ヒロインが入学するまでは。
惹かれ合う二人をカノンが看過するわけもない。嫌がらせは日常茶飯事。主人公と王子の逢瀬を邪魔するためならば、誘拐まがいのことだってやってみせる。それも、自分の手を汚さずに。
表向きは優等生なのに、その実態は――裏で手を回し、ヒロインをあの手この手で蹴落とそうとする、陰湿な悪女。
その悪女のそばには、彼女の悪事を支える者がいる。悪事に手を染め、証拠ひとつ残さない実行犯で、彼女の手足。
悪女の弟、ブラン・オキデンス。
彼はヒロインの同級生で、初めての友人だった。貴族の多い魔法学校で、肩身の狭い思いをしていたヒロインに、初めて声をかけてくれたのがブランだった。
人懐っこく、分け隔てなく親切で、誰からも好かれるような存在。出自が平民である彼は、地位や家柄を鼻にかけたりしなかった。
初めは好印象な彼だけれど、物語が進むにつれ、卑劣な実態が見えてくる。カノンに命じられるまま悪事に手を染める様は、忠犬と呼ばれていた。
その裏切りが分かったとき、ヒロインはひどく傷ついた。泣いて、ブランに尋ねた。
「カノン様の言いなりになって、こんなことをして、恥ずかしくないの? ブランは、自分で考えるってことができないのっ!?」
対する赤毛の男は、いつもの、人好きのする笑みで答える。
「考えるまでもありません。姉の怒りが、僕の怒りですから」
ブランとカノンの関係は異様だった。ブランは、姉を崇拝しているようでさえあった。物語の最後まで、ずっと。
彼はカノンと末路を共にしていた。――つまり、一緒に投獄される。
「そんなのダメーーーーっっ!」
がばっと勢いよく飛びあがる。
私はベッドに寝かしつけられていて、傍らには、お父様とブランがいた。二人ともぎょっとした顔で、私を凝視している。
「か……カノン?」
容貌のせいで冷たい印象を与えがちだが、その実、表情豊かなお父様が赤くなったり青くなったり、ハラハラしながら私を呼ぶ。
だけど、今はお父様にかまっていられない。
ぐるんと目を向けると、ブランはぴくっと飛び上がって、お父様の後ろに隠れた。それから、そうっと少しだけ顔を出す。大きな瞳が、不安げに揺れていた。
じっとブランを見つめると、星を集めたように輝く金色の瞳が、じわじわと潤んでいく。今まで、こんなに美しい瞳を見たことがない。
無言で見つめてくる私に怖気づいたのか、とうとうブランが一歩あとずさった。
「え? あ! ま、待って!」
勢い余ってベッドから転げ落ちそうになった私を、間一髪のところでお父様が受け止めてくれる。手を借りながらベッドを下り、ブランと向かい合った。
「私はカノン」
ブランの両手を包み込むようにぎゅっと握る。
「約束する。私きっと、いいお姉さんになるわ」
投獄なんて、絶対させない。私があのカノンだというのなら、そんな未来、阻止してみせる。
それに、事故のあとの突然の養子。その意味が分からない訳ではない。
ブランはきっと、あの事故で一人きりになってしまった子なんだ。
手を放して一歩下がり、「初めまして」にちょうどいい距離をとる。それから、ブランに手を伸ばした。
「これからよろしくね、ブラン」
できるだけ優しく見えるように、にっこり笑う。
差し伸べた手を、ブランがおずおずと握った。
「よろしく、お願いします……」
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