ホットミルクとランタンの夜2
ベッドの中で、ぼんやりと天井を見上げる。サイドテーブルに置いてあるランタンの灯だけが優しく揺れ、室内を暖かく彩っていた。
お父様の部屋に呼び出され、二人きりで聞かされた話が、頭から離れない。
「ブランは、あの事故で家族を亡くした子だ」
やはりそうか、と胸が痛む。言葉が見つからない私を前に、お父様は言葉を継いだ。
「彼の両親にブランを託された。彼らは絶望的な状況だった。この子だけでも、と託されたんだ」
その様が浮かんでくるようで、視界が滲む。
「ブランも大怪我をして、ずっと入院していたんだよ。その間に諸々の手続きを済ませて、退院と同時に我が家へ来てもらったんだ」
「……経緯は、わかりました」
しかし、「この子の命だけでも救ってほしい」という意味だっただろうブランの両親の言葉をうけて、公爵家に引き取ってしまうとは。
お父様らしいといえば、お父様らしいけれど……。
私の視線に気付いたのか、公爵は苦笑した。
「孤児院に預けるとか、使用人として家に置くとか、他にも方法もあったけれどね、ブランには魔力があった。魔力がある子どもなら、私たちの養子にしてもおかしくない」
「そうでなくても、お父様は何とかして養子にしそうよ」
「……そうだね」
遠縁の子どもだったとか、ありもしない事実をでっち上げそうな父である。
小説でも、そんなふうにブランを引き取ったのだろうか。悪役二人の過去の描写は、そこまで詳しく書かれていなかった。
ごろんと寝返りを打って、溜息を吐く。
小説のブランは、どうして忠犬なんかになっちゃったんだろう。カノンは一見淑やかに見えて悪辣だった。昔からそんな性格だったとするならば、ブランは姉に逆らえなかったのだろうか。
「……私、いいお姉さんなるわ」
おふとんの中で、ぎゅっと握りこぶしを二つつくる。
うんと、仲良くなろう。ブランが、好きも嫌いも、イエスもノーも、何だって言えるくらいに。
それからは、多くの時間をブランと一緒に過ごすことにした。
お父様は多忙で家を空けることが多く、お母様は病弱ゆえにほとんどの時間を自室で過ごしている。もともと、家にいる時間の大半を一人で過ごしていたし、悲しいことに仲のいいお友達もいない。だから私にとって無理なんて一つもなかったし、ブランの存在が嬉しいくらいだった。
家庭教師の先生も同じ人を付けてもらった。私はしばらく復習になるけれど、それだっていい勉強になる。ブランは飲み込みが早く、すぐ私に追いついてしまいそうだった。
学問や一般教養に加えて、礼儀作法やダンス。習うことはたくさんあった。ブランはその全てに真面目に取り組んでいたけれど、とりわけ集中していたのは、魔法の勉強だった。
魔法史担当のニーナ先生が杖を一振りすると、教科書がパラパラとめくられていく。
「今日は我が国の建国の歴史について学んでいきましょう。エスメロード王国は世界有数の魔法の国ですから、もちろん、建国にも魔法が大きく関わってきます。魔法史と建国は、切っても切り離せない関係です。さて、カノン様、復習です。エスメロード王国建国以前の世界のことを、ブラン様に説明できますか?」
ブランの方を向くと、金色の目がきらきらと好奇心に輝いていた。
「かつて、世界にはたくさんの国があったの。平和に暮らしている国もあれば、戦争している国もあったわ。――でも、あるとき、強大な魔力をもった四人の魔女が現れたの。彼女たちは、どこかの国の王族だったとも貴族だったとも言われているし、一方で孤児だったとも言われている。姉妹だったとも、赤の他人だったとも。とにかく、どこで生まれ育ったとか、どんな関係だったかとか、詳しいことについてはよくわかっていないの」
ニーナ先生が頷きながら聞いてくれているので、そのまま続ける。
「魔女たちの力は圧倒的で、彼女たちに敵う者はいなかった。魔女に降伏した国もあったし、魔女を王にした国もあったし、魔女に支配された国もあった。彼女たちはそれぞれが暮らしていた地域から、南の魔女、北の魔女、東の魔女、西の魔女って呼ばれてるの」
「悪いことをしたら西の悪い魔女が食べにくるよ、ってよく言われてました」
「そう、ブラン! その魔女! それはね、西の魔女と東の魔女が、たくさんの国を支配して、多くの人を苦しめたからなの。だから未だに、そういうふうに言ったりするの」
がぉお、と怪獣のようなポーズをとると、ブランが目をぱちくりさせた。ちょっと恥ずかしかったので、お行儀よく手は膝の上に置く。
「はい、よろしいでしょう」
パチン、とニーナ先生が手を叩く。ぴっちりまとめた黒髪の下で、金縁の眼鏡が光った。
「続きは私からお話しいたしましょう」
杖を一振りすると同時に、一枚ページがめくられた。大陸の地図が大きく描かれている。エスメロードは、大陸のちょうど真ん中にある山と森に囲まれた国だ。
「魔女が現れてから、世界は混乱していました。とりわけ、東の魔女と西の魔女は恐ろしい存在でした。戦った国や、人々、魔法使いもいましたが――敵うものはいませんでした。多くの国が滅び、多くの人が殺されました。人々は、魔女に従うか、殺されるか、そのどちらかでした」
また、ぱらぱらとページがめくられる。そこにあったのは、オズの肖像だ。色褪せ、輪郭もほとんど分からない絵の中で、瞳のエメラルドグリーンだけがはっきりとわかる。
「その混沌の時代を終わらせたのが、建国の王、オズ様です。オズ様は、魔女の力を凌ぐほどの魔力を持っていたそうです。ゆえに、南の魔女は協力し、北の魔女は降伏した。東の魔女と西の魔女は倒され、世界は魔女の恐怖から救われた。世界を救った英雄オズ様が建国されたのが、エスメロード王国です」
ニーナ先生の「分かりましたか?」視線を受けて、ブランがこくこくと頷く。
「そんなオズ様を慕って、エスメロードには多くの人々が集まりました。南の魔女が魔法の教育機関――オブシオン魔法学校を設立したこともあり、今でもエスメロードは世界一の魔法の国と言われています」
魔法の国、というのは、魔法使いの国、という意味ではない。エスメロード王国には、魔法が使える人も、使えない人もいる。他国に比べれば格段に魔法使いが多いが、人口の大半は魔法が使えない。世界には、魔法を異端扱いする国もある。西の魔女や東の魔女に苦しめられた地域は、根強い恨みや苦しみが、未だに残っている。
魔法を尊重し、保護するという点において、エスメロードは世界一だ。
「あの、ニーナ先生。質問してもいいですか」
「ええ。構いませんよ」
口を開こうとして、ブランは少し困ったような顔になった。どう言えばいいものか、考えあぐねているらしい。
「ぼくは、その、ここに引き取られるまで、自分が魔法を使えるって知らなかったんです。父さん……いえ、父も母も兄も、魔法を使っていたところを見たことがありません。だから、どうしてぼくだけ魔法が使えるのかなって」
何度か詰まりながら、そう言った。その口調はまるで、悪事を白状しているかのようだった。
ニーナ先生はブランの表情に気づいているのか、気にしないのか、いつも通り生真面目に答える。
「ブラン様もご存じの通り、魔法は誰にでも使えるものではありません。生まれもっての稀有な能力なのです。生まれつき魔法が使える人と、使えない人とがいて、努力して後に獲得できるようなものではないのです」
オキデンス家でも、お母様は魔法使いだけど、お父様はそうじゃない。親族でも、魔法使いの方が圧倒的に少ない。
「魔法で発展してきたこの国にとって、魔法使いの存在は貴重です。ですから、魔法使いたちには魔法を学ぶ義務があるのです。――これは以前にもお話しましたね?」
「はい。だから、魔法が使える子どもたちは、十歳になると魔法学校に通わなければならないと聞きました」
「その通りです。その貴重な能力を守り、育て、そして受け継いでいくために、魔法学校は存在しているのです」
ニーナ先生が、ブランと私を交互に見る。二人そろって、こくりと頷いた。
「少し脱線してしまいましたね。ブラン様の質問に話を戻しましょう。――研究者たちは努力を続けていますが、魔法について明らかになっていないことも多くあるのです。魔法使いの発現については未だ解明されていません。ブラン様が疑問に思っているような、遺伝――親から受け継がれるものではないのです。魔法使いの両親から一般人が生まれることもあれば、その逆もまたありますから」
「……そう、ですか」
「はい。他に質問はありますか?」
「いえ、ありません」
「では、授業に戻りましょう」
机の下で、ブランは拳を硬く握りしめていた。その手は、何かを堪えるように震えていた。
◇◆◇
今日のブランは様子がおかしかった。いつもは集中して授業を聞いているのに、どこか上の空で。
時折、何かを堪えるような顔をしていた。泣きたいのを、我慢するような。やっぱり、家族のことを思って寂しくなったのかしら。
オズパレードの魔法爆発事故で両親を亡くしたのだ。ブランはまだ小さい。ものすごく悲しくて、つらいはずだ。両親のことを思い出して、泣くのを堪えていたのかもしれない。――けれど、あの様子は、それだけではないように見えた。
あの震えは、悲しみを堪えるためだけのものではなかったような気がしてならないのだ。
こればっかりは、ブランに直接聞いてみるしかない。踏み込み過ぎて、嫌われてしまうかもしれないけれど……。
でも、仲良くなるには、まずお話から! そうよね!
目指せ、何でも言い合える仲良し姉弟!
夕食の席で、こぶしを握り締める私に、ブランが不思議そうな目を向けてくる。その時にピンときた。これしかない。
「ブラン、今夜はお泊まり会よ!」
正面に座っていたお父様とお母様が、ぱちぱちと瞬きを繰り返したあと、二人同時に「羨ましい」と呟いた。
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