オズパレードの魔法爆発事故2
砂糖十個とたっぷりのミルクが入った甘ったるい紅茶を、ブランが一口飲む。かなりの甘さのはずだけれど、甘党のブランは表情ひとつ変えなかった。
「オズワルド殿下に、お聞きしたいことがあるのですが」
殿下はカップをソーサーに戻し、優雅に頷く。
「いいよ」
ブランの真似をしてまったく同じ分量の砂糖とミルクを溶かした紅茶を、オズワルド殿下は平然と飲んでいた。
どんな味覚をしているんだろう。疑問を口に出せないまま、話が進んでいく。
「殿下は、オズパレードの魔法爆発事故を起こした罪で幽閉されていると聞きました」
ブランは強い眼差しを向け、対する殿下は穏やかな表情のまま受け止めていた。
「それは、本当なのですか?」
ブランの声は静かだったけれど、強い怒気を孕んでいた。とてもじゃないけれど、私が口を挟んでいいような空気じゃない。
「うん。そうだね」
オズワルド殿下は微笑みを浮かべたまま、平然と頷く。ブランは眉間に皺を寄せ、続けた。
「オズパレードの魔法爆発事故は、災害のような、凄まじいものでした。事故から五年以上経った今でも、深い爪痕が残っています。――僕には、あれが、人が起こせるようなものだとは思えない」
ブランは悔しそうに顔を歪めていた。オズワルド殿下は、笑みを湛えたまま、ブランの話を聞いている。
「どうして、あんなことを……」
ブランが小さな声で呟いて、続きを呑み込む。首を振って、質問を変えた。
「あの事故は……未だに原因不明のままです。どうして事故が起こってしまったのでしょうか?」
事故現場が悲惨すぎて、どうして事故が起こったのか、何が引き鉄になったのか、特定できないままなのだ。魔法爆発だって、色んな属性の魔法が混ざり合っていて、どんな魔法によって爆発が起こったのか、なにも分かっていない。
「原因不明?」
殿下は首を傾げる。可愛らしい仕草だけれど、この不穏な空気の中にはそぐわない。ずっとにこやかに微笑んでいることだって――ここまでくると、少しだけ、怖い。
「あ。そうか」
何か合点がいったのか、殿下はこくりと頷いた。
「本当はね、簡単な話なんだよ」
にこりと微笑んで、内緒話でもするみたいに、唇に人差し指を当てる。
「事故が大きくなりすぎて複雑になっただけ」
彼が手のひらを上に向け、私たちの前に掲げた。いつか見たように――彼の手の上に、緑色の光が生まれる。一瞬の強い光の後、彼の手の中には、エメラルドがあった。
「……それは、エメラルドですか?」
驚いた表情で尋ねるブランに、殿下が頷いた。
「うん。よく見てて」
――パキンと、何かが砕けるような音がした。
石の床に落としたって割れないエメラルドが、一瞬にして砕けている。――それと同時、手の上で、小さな爆発が起こった。エメラルドグリーンの光が、ぼうっと部屋を緑に染めた。
「これが、事故の真相」
信じられない思いで愕然としていると、オズワルド様は燻っている煙ごと手を握り込んだ。――その手をくるりと下に向け、ゆっくり開く。
「エメラルドは砕けて消えてしまうから、何も残らない」
オズワルド殿下の手から、パラパラとエメラルドの欠片が滑り落ちていく。蓄えられていた魔力が尽き、エメラルドグリーンだったそれは透明に変わっていた。床に落ちる前に、霧散するようにすうっと消えていく。
理解が追いつかずに、きょとんとオズワルド殿下を見つめることしかできなかった。
そもそも、エメラルドは魔力の塊で――魔法の威力や効果を底上げするために用いられるものだ。私のように魔力量が少ない魔法使いが補助のために使うこともある。
「オズの日は、エメラルドを模したブローチを付けるよね」
「――え、ええ」
「だけどね、王族のブローチだけは飾りじゃなくて、本物のエメラルドなんだ」
――え?
そうだとしたら、つまり、殿下は。
口籠る私の代わりに、ブランが口を開く。
「殿下は、ご自分が付けていたブローチに魔法をかけ、爆発させたと言うことですか?」
オズワルド殿下は、手を組み、ゆったりと微笑んだ。
「――まさか」
穏やかな、声音だった。
ブランも、私も、目を見開き、言葉を失った。
背中を冷たいものが伝っていく。
――だって、オズワルド殿下が魔法をかけていないのだとしたら。
「ま、待ってください殿下!」
ブランが焦ったように言う。隣の私も、同じ顔をしていた。
「……それは、別の誰かが、殿下のブローチに魔法をかけたということですか?」
殿下は微笑んで、他人事のように言った。
「そうだね」
息を呑んだ。口から、声が漏れる。
「そうだね、ってそんな……」
それじゃあ、殿下は、冤罪でここにいるっていうこと?
誰かの濡れ衣で――こんな寂しいところに閉じ込められて、エメラルドを作り続けさせられているの?
「子どもの魔法が暴発したように見せたかったんだろうね」
オズワルド殿下の言葉が、頭に入ってこない。
「狙いは僕の失脚、くらいだったんだろうけど」
ブランも、私も、呆然としていた。
だって、こんなこと――はいそうですか、って簡単に受け入れられることじゃない。どうしてそんな、他人事みたいに話せるのか、分からない。
「爆発させられたエメラルドは、ブローチを身につけていた僕の魔力を吸い上げて、暴走した。きっとこれは、予想外だっただろうね。そこから色んな魔法が連鎖するように広がって、大爆発になった。――そんな感じかな」
殿下の口調は、至って穏やかだ。怒りも、悲しみも、何の感情もない。
「それって、オズワルド殿下は罪人じゃなくて、被害者じゃないですか……っ」
対して、私の声は震えていた。
頭がぐちゃぐちゃになって、どうにかなりそうだった。
「何も、悪いことしてないじゃないですかっ。罪人のピアスを付けられて、閉じ込められてっ」
涙を堪えながら、必死で口を動かす。
殿下は、首を傾げた。
「どうして?」
「どうして、って……!」
「僕の魔力のせいで大爆発になったのは、間違いない事実だよ?」
――ぽた、と堪えきれなかった涙が一筋、頬を伝っていた。見られたくなくて、気づかれたくなくて、咄嗟に俯く。もう涙が出てこないように、強く唇を噛んだ。
オズワルド殿下には、理解できないところがたくさんあった。彼は天才だから、常人の私には分からないんだろう、ってことが、たくさんあった。
でも、これは――今までで一番、分からない。
「殿下に魔法をかけた何者かは――あなたを殺すことも、生かしておくこともできない。だから、罪人のピアスを付けて、本来の牢獄ではなく――時計塔に幽閉した」
「僕が死んだことにするには、一番適した場所だろうね。まず見つからない」
ブランは冷静に、殿下と話をしていた。私は俯いたまま、静かに耳を傾けることしかできなかった。
「死体は偽装でもしたんだろう。あの事故で五体満足ではいられないだろうから、どうとでもなる」
殿下が分からない。――分かりたくなかった。
どうして、他の人のことを話すみたいに平然と、話すの?
自分の偽装された死体のこと、何でもないことみたいに言うの?
「オズワルド殿下は、平気なんですか?」
「平気って?」
「冤罪で幽閉されて悔しいとか、悲しいとか、つらいとか、思いませんか?」
ブランが心配そうに「姉さん……」と私を呼ぶ。だけど、止まらなかった。
「ここから出て、自由になりたいとか、思いませんか? 殿下をこんな目に遭わせた犯人を捕まえたいとか、思いませんか? こんなことされて、許せるんですか?」
オズワルド殿下は、うーん、と首を傾げた。
「思わないかなあ」
くすくすと微笑んで、オズワルド殿下は言った。
「どうして、ですか……?」
「どうしてって、そうだね……」
彼は少し考えてから、ぱあっと笑みを浮かべた。
「人がすることを、いちいち気にしたりしないよ」
人って、愚かなこともしちゃうでしょう? だからね、悔しいとも、悲しいとも、思わないよ。犯人のことも、どうとも思ってない。確かに生活は少し不便だけど、だからって許さないとか、復讐しようとか、そんなことは思わないかなあ。
彼の言葉が、通り抜けていく。
大好きだったオズワルド殿下の輪郭が、霞んでいくようだった。
一番好きな物語の、一番好きなキャラクターだった。誰かの回想でしか出てこない、亡くなった王子様は、いつも優しくて、暖かい存在だった。だから彼がいなくなった傷跡はあまりにも大きかった。
でも、目の前の――本物の、オズワルド殿下は。優しくて、穏やかで、――それでいて、怖い。
得体の知れない恐ろしい存在が、目の前にいるようだった。
足元から崩れてしまうんじゃないかと思うほどの、恐怖と、不安が込み上げてくる。
「カノン?」
たぶん、私の顔は真っ青だ。ブランがそっと、私の背中を撫でる。
殿下はいつも通り、穏やかなままだった。私の名前を呼んだのは、心配したわけではなくて――たぶん、私が突然、黙ったから。
「いえ、何でもありません」
だって、私がそう言えば、彼は微笑む。
「そう。よかった」
私の顔が真っ青でも。声が震えていても、そう、言える。
彼には分からないんだ。
人の心が、痛みが、伝わらない。
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