オズパレードの魔法爆発事故1
瞬く間に一年が過ぎ、ついに、ブランの入学式の日がやってきた。
馬車の動きに合わせて、私の右耳と、ブランの左耳で、グレーパールのピアスが揺れる。
私の誕生日にお父様が贈ってくれたものを、ブランと分け合ったのだ。私たちが似ていなくたって、こうしていれば姉弟であることが一目でわかる。
白い制服を規定通りきちんと着こなしたブランは、まだループタイをしていない。属性ごとに違う色を身につけるから、クラスごとに別れてから配布される。入学前から属性は分かっているものの、伝統みたいなものだ。
私の胸元には、火属性を示す赤いリボンのループタイがある。金の留め具も学校から支給されるもので、中央には小ぶりながら本物のエメラルドが嵌め込まれている。テストや授業中の使用は禁止されていて、緊急時に身を守るための保険らしい。
ちなみにアックスは私と同様の赤いリボンが支給されているはずだけど――入学式の日以来、一度も留めているところを見たことがない。それどころかジャケットも着ていない。動きやすい格好でいないと落ち着かないらしい。
水属性のレオンは青で、ブラン同様に着崩しなく着た制服に、きっちりと留めている。
それから、地属性のループタイは黄色だ。寂しい学校生活を送っている私には、まだ黄色のループタイの友人も知人もいない。
正面に座っているブランは、落ち着いているように見えて、どことなくソワソワしていた。
彼には風属性の白いリボンが支給される。帰りの馬車では、白いループタイを留めた姿が見られるだろう。
――さて。こほん、と咳払いする。
「ブランくん」
「……何ですか急に」
わざわざ敬称を付けた私に、ブランが訝るような視線を向けてくる。
「私、この一年、ブランに隠していたことがあります」
しゃんと背筋を伸ばす私を前に、ブランはこめかみを押さえた。
「また激辛テロでも?」
「違います!」
いや――違うとも、言い切れないのだろうか。激辛鍋の翌日、大変なことになって――でもそれは……別の話だ。
こほんと再び咳払いをして、口を開く。
「実はね、オズワルド殿下が生きていて」
「――え?」
「今はオブシオンの時計塔に幽閉されてるの」
「はい?」
ブランがぎょっと、目を丸くする。
「魔法学校の時計塔って、今はもう廃墟みたいな、立ち入り禁止の場所ですよね?」
「そうよ。私ね、この一年、誰にも内緒でこっそり通ってたの」
「は?」
ブランが鬼のような形相になった。
「一人で? そんな危ないところに?」
「え、ええ……」
「何を考えているんですか?」
怒りを隠さない、低い声だった。その一瞬、車内の温度は氷点下まで下がった。この春の日に、凍えるんじゃないかと思うほどのゾッとした寒気が襲ってくる。
「い、イーストエッグ――いや、レオンの誕生祭で、私が見かけたって言ってた、オズワルド殿下のオバケみたいな、そっくりさんの話をしたでしょう」
「……ええ」
「その子が、私が十歳の誕生日と、入学式の日にまた現れたの。それで、教えてくれた」
「そのオバケみたいな存在の話を信じて、時計塔に登ったんですか?」
「そうよ」
当然だ。オズワルド殿下の話を、私が信じない訳が無い。嘘だったとしても、確かめずにはいられない。
「……姉さんは、オズワルド殿下のことになると盲目にも程がある」
ブランは頭痛を堪えるような顔をして、ため息を吐いた。
「オズワルド殿下の名を騙られたら、簡単に詐欺に遭いそうですね」
「そんな無礼な人いないわよ」
「いるから詐欺がなくならないんですよ」
ぼそぼそ呟いているブランの手を、両手でぎゅっとにぎった。
「ねえ、ブラン。今日、一緒に時計塔に行ってみない?」
イーストエッグ曰く、塔に認められなかった場合は、そのまま外に出されたり、階段を登り続けさせられるらしい。
「ブランが塔に入れるかは分からないけど、物は試しよ」
「人で実験しないでください」
ブランが言うことは尤もだけど――でも。思わず、口を尖らせる。
「……私が一人で行くって言ったら止めるくせに」
「それは……そうですけど」
「だからブランには、正直に話しておいた方がいいと思ったの」
「もっと早く言って欲しかったですけどね……」
ブランが肩を落として呟く。
――一緒に来てくれるだろうか。
ハラハラしながら見つめていると、彼は顔を上げた。切り替えることにしたようで、「それで」と切り出した。
「僕をオズワルド殿下の前へ連れて行って、姉さんは何をして欲しいんですか?」
予想外の言葉だった。咄嗟に言葉が出てこず、ブランをまじまじと見つめることしかできなかった。
「姉さんは、誰かの手を借りたいんでしょう?」
確かに、そうかもしれない。ブランにはっきり言われるまで、気づかなかった。
――私、ブランに助けてもらいたかったんだ。
「オズワルド殿下を塔から連れ出したいんですか?」
ブランの問いかけに、首を振る。
「出来ればそうしたいけど……出来ないの」
「どうしてですか?」
「オズワルド殿下は、罪人として塔に閉じ込められてるの。それで――罪人のピアスを付けられてる」
彼の、痛々しい姿を思い出すと胸が張り裂けそうになる。人としての尊厳を踏み躙るようなあの姿は、何度見ても慣れない。
「罪人のピアス、ですか」
だから、塔から連れ出すのは困難だ。ブランもそれを分かってか、考え込むように口元に手を当てていた。
「怖くないんですか?」
「オズワルド殿下が?」
「はい。だって、罪人のピアスを付けられるほどの大罪人ということでしょう?」
「そうだけど……でも」
彼の姿を思い出す。力強く頷いた。
「怖くないわ」
「……そうですか」
ブランはちら、と窓の外へ目を向けた。もうすぐ、学校が見えてくる。
「殿下は何をしたんですか?」
「――え?」
「罪人のピアスを付けられるほどのことをしたんですよね?」
言ってしまっても……いいのだろうか。事故で、家族を失ったブランに。目が泳ぐ。ブランはじっと、私を見つめていた。
しばらく迷ってから、オズワルド殿下のところに行ったら分かることだと腹を括った。耳打ちでもするみたいに、声をひそめる。
「オズパレードの魔法爆発事故を、起こしたの」
ブランの目が、驚愕に見開かれた。
◇◆◇
放課後、私とブランは時計塔の前に立っていた。
レオンに指摘されてから、周囲に人がいないか念入りに確認している。今日もバッチリ、誰もいない。何せこの辺りは不気味なのだ。
「いい? ブラン。驚くことがたくさんあるから、覚悟してね」
「……朝からすでに一生分驚いているんですけど、まだあるんですか」
「話はあとでたくさん聞くから。何があっても、出来る限り、落ち着いてね」
「はあ……」
まずは私から、塔に一歩踏み入った。ブランに手を伸ばす。
「大丈夫」
ブランは私の手をとって、一歩、足を進めた。
「……うん。何も起きなかった」
とりあえず、いつも通り。後は、天辺に行けるかどうか。念のため杖を構え、一段一段、慎重に登る。
「姉さん、本当にこんな危ないところに何度も来ていたんですか」
「そうよ」
「こんな、今にも崩れそうな……?」
「崩れそうに見えるだけよ」
「オズワルド殿下に聞いたんですか?」
「そうよ」
後ろをついてくるブランが、ため息を吐く。
「あっ! よかった!」
私とブランは難なく塔の天辺――サイハテの部屋へと辿り着いた。
杖を仕舞って、今にも朽ち果てそうな塔にそぐわない、鮮やかな緑色の扉を開けた。
その先は、頼りない電球の灯りだけがぼんやりと光る、薄暗く、殺風景な部屋がある。
「こんにちは、カノン」
私たちを出迎える声は、いつも通りの穏やかなものだった。
粗末な裸電球の光に照らし出された彼の口元に、柔らかな笑みが浮かぶ。痛々しい目隠しと拘束具は、覚悟していても心を抉るものがあった。何度見ても、慣れるようなものじゃない。
「また来てくれたんだね」
「は、はい! もちろんです! オズワルド殿下!」
彼が動くたび、絹のような銀白の髪がサラサラこぼれ落ちる。
「君は?」
オズワルド殿下の顔が、ブランの方を向いた。目隠しをしていても、やっぱり分かるらしい。
「私の弟です」
「ブラン・オキデンスと申します」
「今日は入学式なんです」
殿下へ向かって、ブランが頭を下げる。私はいつものように、オズワルド殿下の背後へ回った。
「殿下、失礼します」
「うん」
硬い結び目をほどき、そうっと目隠しを外す。顕になったその顔に――ブランが、息を呑んだ。ブランの気持ちがよく分かる。私だって、この美しさは何度見ても慣れない。
続いて両手を縛り上げている紐を解き、手枷を外す。どうしても外せない首輪だけはそのままに、彼のそばを離れた。
「どうぞ座って」
オズワルド殿下がそう言うと同時に、テーブルを挟んだ向かい側に、突然ソファーが現れた。それも、牢獄に似つかわしくない、来客用の座り心地の良さそうなソファーだ。
「え?」
ブランが呆然とする。彼の手を引きながら、殿下の正面に並んで座った。
「え? ソファー? どこから?」
激しく混乱しているのか、考えていることがそのまま声に出ている。
「魔法……? 杖も、呪文も使わずに……?」
すごく、すごーくよく分かる。私も、初めてソファーを出してもらった時――二度目の訪問だったと思う――絶叫しそうになるほど驚いた。
「あ」
目を細めながら、オズワルド殿下が微笑んだ。表情や仕草の一つ一つが、目を惹きつける。存在自体が芸術作品なのかもしれない。
「客人が来たら、お茶を出さないといけないんだっけ」
「――え?」
あれ。これは、初めてのパターンだぞ。
「今までしたことないから失念していたよ。ごめんね、カノン」
カップが目の前に運ばれてきて、湯気のたつ、暖かい紅茶が注がれていく。杖も、呪文も、魔法を使う素振りもない。
「え、ええと。私はいつも補修終わりで、時間もあまりなかったので。気にしないでくださ……い?」
しどろもどろに答える。
ソファーは慣れた。なんとか、慣れた。でも、お茶。しかも暖かい。どこから出したんだ。この部屋に茶葉も、ティーカップもなかったはずだ。
魔法でできることには限度がある。何もないところからティーセットを出してくるなんて、普通、無理だ。
「砂糖は何個?」
シュガーポットが、私たちの目の前をふわふわ浮いている。眩暈がした。
ブランも、私と似たような顔をしていた。――かと思ったら、はっと我に返った。さすがだ。切り替えが早い。
「十個で」
あ。まだ動揺してた。
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