罪人のピアス4

 ぐつぐつ、ぐつぐつ。


 薬草の匂いがつんと鼻をつく薬学室で、真っ赤な鍋が煮えている。


「カノン、また新手のテロ?」


 滅多に表情を変えないアックスが、眉間に皺を寄せて鼻を摘んでいる。


「違うわよ」


 これは薬でもなんでもない、ただの激辛鍋だ。涙腺に染みてくるほどの刺激臭が、薬草の匂いをかき消していく。


「自分で自分の機嫌をとっているの」

「ふうん。オレはそんな面倒なことしないけど」

「でしょうね」


 スプーンで一口掬って、ふうふうしてから口に入れる。うん、辛い。そして痛い。おいしい。幸せだ。


「アックスも食べる?」

「殺す気?」


 オズワルド殿下は、オズパレードの魔法爆発事故を起こした罪で、廃墟のような時計塔に幽閉されている。罪人のピアスを付けられ――もぐもぐ――エメラルド製造マシンにされて――もぐもぐ――ああ。お腹の辺りがムカムカしてくる。そのことを知っていて、何もできない無力な私が嫌になる。


「うわ。本当に全部食べちゃうんだ」


 からっぽになった鍋を覗き込んで、アックスが引いた顔をした。


「調合用の鍋で激辛鍋作って食べる令嬢、カノンぐらいのものだろうね」


 額に滲んだ汗を拭って、冷たいお水で鍋を洗う。


「唐辛子の調合はしたわ」


 真っ赤になったすり鉢もよく洗う。こんなことに魔法を使ったら魔力が勿体無いから、極力自分でやることにしていた。


 オブシオン魔法学校内では、生徒に身分差はない、ということになっている。貴族も平民も同じ学生。使用人を連れてくることも禁止されているから、洗い物なんかも全部自分でやらなくちゃいけない。


 ……まあ中には、そんなの知るかとばかりに雑用を平民に任せている貴族もいるけれど。


 公爵令嬢のカノンは入学するまで洗い物をしたことなんてなかったけれど、私には前世の記憶がある。こんなの、手慣れたものだ。


 小説のカノンは――誰かに頼んでいたのだろうか。それとも、魔法で簡単に済ませていたのだろうか。高嶺の花だったあの子は、誰に頼むわけでもなく、周りが進んでやってくれそうだ。


 ……私には声をかけてくれる子すらいないのに。


 貴族にも、平民にもどこか遠巻きにされていて――入学してから数ヶ月経っても、いまだに友達はいない。


 鍋とすり鉢、食器類をきれいに拭きあげて、アックスの正面に座る。アックスは読んでいた本――『魔道具の仕組み』から顔を上げて、私の方を見た。


「ねえアックス。オズワルド殿下と、レオンの違いって、どういうところだと思う?」

「突然どうしたの?」

「何だか気になっちゃって」


 レオンはオズワルド殿下の真似をしていると聞いた。実際に会ってみて、その柔らかな物腰や、常に讃えている微笑み、表情、似ているところはたくさんあった。でも、なにかひっかかるというか――変な、違和感がある。


「アックスの目から見て、レオンとオズワルド殿下はそっくりだった?」

「まあ、雰囲気はね」


 アックスは本を閉じ、テーブルの上に置いた。


「中身は全然違うと思う」


 アックスは人間離れした――野生の勘みたいな、変な鋭さがある。貴族令息が野生だなんてそんなことはありえないから、本人にも、誰にも言えないけれど。


「レオンは、オズワルド殿下の良いところしか見えてないんだよ。そもそも、殿下のことを完璧な存在として見ているから、全ての面がよく見えてる」


 アックスは小さくため息を吐いて、続けた。


「レオンはさ、顔も性格も、態度も優しいでしょ」

「うん」

「オズワルド殿下が優しいのは顔だけで、本当は優しくないよ」


 ……そう、なのだろうか。私が見たオズワルド殿下は、優しかった。気絶した私にソファーを譲ってくれたし、訊ねたことには丁寧に答えてくれる。


「そもそも他人に興味なんてなさそうだし」


 ……言われてみれば、話しかけたり、何かを尋ねたり、話題を振るのはいつも私からかもしれない。入学式の日だって、突然時計塔に押しかけても、何も聞かれなかった。


『公爵家の令嬢が、よくこんな所まで来たね』


 彼はそう、言っただけだ。何故来たのかとか、どうしてここが分かったのかとか、そういう――普通なら気になりそうな所は、何一つ聞かれなかった。


「……もしかしたら自分にも興味ないのかも」


 アックスがぽつんと言う。


 それはすとんと腑に落ちた。時計塔に閉じ込められて、罪人のピアスなんて付けられてエメラルドを作り続ける毎日を強制されている。一国の王子が、世間的には亡くなったことにされているのに、本人は大したことないみたいに過ごしている。


 オズワルド殿下の口ぶりからは、諦めとか、悲壮感だとかは感じなかった。事実を淡々と述べる姿は、他人事みたいだった。


「オズワルド殿下って、何も喋らなくても、ただそこでニコニコ微笑んでいるだけなのに揺るぎない存在感みたいなのがある。天才だし。只者じゃない風格みたいのが、生まれた時からあるんだって」


 最後だけ、やけに皮肉っぽい口調でアックスが言った。


「オズ様の再来って言われてたんだよね」

「……そうだけど。まあ、でも、オズワルド殿下は王の器じゃないって、そう言う人もいたよ」


 驚愕に目を見開く。何てことを言うのだろう。偉い人の耳に入ったら、ただじゃ済まない。アックスは「オレじゃなくてね」とか付け加えながら、いつも通りの顔をしていた。


「そんなこと、私に言っても良いの?」

「良くないね」


 そうだよね。私なんて、話を聞いているだけなのに、なんだか心臓がドクドク嫌な鳴り方してるもの。恐怖で。


「でも、オレに怖いものなんて無いし」


 無表情のまま堂々と言い放った。ちょっと引いた。友人ながら、このふてぶてしさ、凄まじいものがある。


 でもアックスは、レオンが危険な目にあったり、逃げ出したくなるくらいつらい目にあったら、王立騎士団を一人でボッコボコにして他国に連れ出せそうな実力と、奔放さがある。


 魔法の実技はダメダメで、私と一緒に補修ばっかりしているけど――本当は、今の段階で騎士団からも宮廷魔術師からもスカウトがきている逸材なのだ。


 まじまじとアックスを見つめていたら、突然ガチャッと薬学室のドアが開いた。


 疲れ切った様子のレオンが教室を覗き込む。私たちの姿を認めると、ほっとした様子で教室に入ってきた。


「新手のテロ? 外まですっごい匂いしてる」

「もう全部カノンが処理した」

「処理って言わないでくださる?」


 レオンはアックスの隣に腰を下ろし、にっこりと良い笑顔を浮かべた。


「でもおかげで、この辺りには誰もいなくて助かった」

「殿下のお力になれて何よりですわ」


 おほほ、と貴族令嬢らしく口元を隠して微笑む。


 我らがレオンハルト殿下は、きゃあきゃあ言われながら毎日毎日、女の子たちに追い回されている。理想の王子様みたいな顔した、本物の王子様が歩いてるんだ。無理もない。


「最近は男の追っかけもいるよね」

「そうなの?」

「レオンのファン、身分も性別も学年も関係ないよ。そのうち先生たちも入るかもね」

「それはない」


 レオンが顔を青くして、疲れ切ったように言う。


 全然ありそうだけどな、とは言わなかった。


「そういえば、カノン」


 生暖かい視線を向けていたら、レオンが私の方を向いた。その顔がやけに真剣で、お説教の前みたいな、嫌な緊張感が走る。


「この前、時計塔に行かなかった?」


 んん??


 ぎくっと肩が跳ねそうになるのを、なんとか堪えた。貴族令嬢の嗜みである。内心冷や汗ダラダラだけど、悟られないように首を傾げる。公爵令嬢なのでこういうこともできるのだ。


 時計塔には、入学式以降も何度か行った。そもそも立ち入り禁止の場所だ。頻繁には行けないけれど、行けそうな機会があれば足を運んでいる。


 もしかして、そのどれかを見られていた? いつだろう。どうしよう。


「迷子になった時に近くを通ったことがあった、かも?」


 学校広いし、まだ完全には道を覚えていないし。わたわたしながら説明を加える。


 レオン相手に嘘は通用しないと思いつつ、頼むからこれ以上聞かないでください、の圧を送る。


 私一人で何とかできる問題ではないことはわかっている。絶対に無理だ。けれど、オズワルド殿下のことを誰かに話しても良いのか――助けを求められるものなのか、まだ考えあぐねていた。


「一人で危ないところに行かないで。怪我するよ」


 私の必死さを汲んでくれたのか、レオンはそれ以上追求してこなかった。心配そうな顔で、忠告だけしてくれる。


「でも……もし怪我をしたときは、レオンが治してくれるでしょう?」


 確信を込めて言うと、彼は目をぱちくりさせた。


 レオンは国内有数の治癒魔法の使い手だ。まだ学生になのに、養護教諭も顔負けなのだ。


 そもそも、治癒魔法は水属性魔法の派生の一つだ。水属性魔法の中でも、特に難易度が高い。他国なら聖女だと持て囃されているところだ。もっとも、レオンはレディじゃ無いけれど。


 私に対して猫を被らなくなったレオンは、いつものキラキラを捨て、眉間に皺を寄せている。おまけに深いため息まで吐いた。


「……気が向いたらね」


 素気ないことを言うけれど、私が怪我をしていたら、絶対に治してくれる。レオンはそういう人だ。


 レオンの治癒魔法が先生を凌ぐレベルに達しているのだって、アックスが切り傷、捻挫、打僕、火傷、多種多様な怪我をしすぎるせいらしい。治療をしているうちに、いつのまにか得意になったのだとか。


「それで、カノンはどうして学校で劇物作ってたの?」


 もしかして、少し照れていたのだろうか。レオンは誤魔化すみたいに話題を変えた。


「劇物じゃなくて、ごちそうよ」

「自覚があるから薬学室で作ってるんじゃないの?」

「……うっ」


 アックスから援護射撃が飛んでくる。


「自分の機嫌を取ってたの」

「何か悩んでるの?」


 再びぎくり、となる。オズワルド殿下のことです、なんて言えない。


「実技じゃいつも、落ちこぼれだから」


 嘘は吐いてない。それだって日々悩んでいる。激辛鍋を食べなきゃやっていけないほどの悩みじゃ無い、ってだけだ。


「落ちこぼれって言い方、好きじゃ無いな」


 何故かレオンがムッとしていた。実技ダメダメの私とアックスは、「落ちこぼれコンビだ、わはは」くらいの気軽さで使っているのに。


「ええと、ごめんなさい」

「うん」


 頷くレオンを見て、ふと思う。


「……ちなみにレオンは、どうやって自分の機嫌を取ってるの?」


 レオンは自制の鬼だ。気になる。


 彼は少し考える素振りを見せた後、さらりと答えた。


「脳内で処罰とか……?」


 サアアアッ、と身体中から血の気が引いていくのがわかった。


「もしかして私、国外追放されたことある?」

「無いよ」

「首刎ねられた?」

「……無いよ。あのね、そもそも冗談だから」

「カノンはあんまり魔力ないから、罪人のピアスも意味ないだろうしね」

「こら、アックス。カノンも俺を何だと思って――」


 レオンの動きが、私を見つめたまま止まった。


「カノン?」


 自分でも青ざめているのがわかる。


 ダメだ。今回ばかりは、誤魔化せない。


「ご、ごめん。その、罪人のピアスって怖いから……想像しちゃった」


 罪人のピアスは大罪を犯した魔法使いに付けられる。魔法使いは稀有だ。だから、処刑じゃなくて奴隷にする。魔力が枯れ、命が尽きるその時まで、術者の奴隷にされる。


「……罪人のピアスって、誰が術者になるの?」


 口からぽろりと声がこぼれた。意図しないまま、自然と口から出た。


「どうしてそんなこと聞くの?」


 レオンの口調は、責めるようなものではなかった。不思議そうに、首を傾げている。



「カノンも知ってるでしょ? 王族だよ」

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