罪人のピアス2

 十歳を迎えた朝、私の枕元に天使が舞い降りた。


 その天使はイーストエッグと名乗り、オブシオンの時計塔でオズワルドが待っている、と言った。


 今思えば、イーストエッグのあの姿は、オズワルド殿下の子どもの頃の姿なのだろう。亡くなった、十歳の頃の姿。それほどまでに、オズワルド殿下とイーストエッグはそっくりだった。




 オブシオン魔法学校の入学式の日、再び、目の前に天使が現れた。


「入学おめでとう」


 天使がにっこりと微笑む。


 周りの生徒たちも、先生たちも、イーストエッグなんていないみたいに通り過ぎていく。私だけが、呆然と立ち竦んでいた。


 彼はくすっと、幼い少年の姿にそぐわない、大人びた笑みを浮かべた。


「おいで、カノン」


 彼が手を伸ばす。掴もうと伸ばした手は、空を切った。


「オズワルドのところまで、案内してあげる」


 彼はそう言って、くるりと背中を向けた。彼が向く先には、学校で――エスメロード王国で一番高い建物、オブシオンの時計塔があった。




   ◇◆◇




 カラン、カラン。


 ――硬い音がしてそうっと瞼を持ち上げる。


 ぼんやりとしか明かりしかない、暗い部屋だ。寝ている場所だって、ふかふかで暖かく、清潔に整えられた私のベッドじゃない。――これは、ソファーだろうか。ずいぶんと硬い。これでは寝心地どころか、座り心地も悪そうだ。


 カラン、とまた冷たい音が響く。


 誰かが、ソファーを背もたれにして床に座っている。私が身じろぐと、人影がくるりと振り向いた。


「気がついた?」


 優しい光を湛えたエメラルドグリーンの瞳が細められる。長いまつ毛が頬に影を落としていた。すっと通った高い鼻に、形のいい唇。小さな顔に、芸術品かと思うほどバランスよく配置されている。肌は透き通るほど白く、陶器のようになめらか。長い銀の髪が、光を受けてきらきら輝いている。


「かおがきれいすぎる……」


 見惚れるどころか、口に出ていた。


「顔が綺麗すぎる?」

「あっ」


 私の言葉を復唱しながら柔らかく微笑む、このお方は――……、


「わっ! あああっ! おっ、オじゅワルド殿下ぁっ?!」


 あまりの驚きに噛んでしまった。ついでに声も裏返っていた。


 意識が覚醒すると同時に、がばっと勢いよく起き上がって、ソファーから飛び降りる。オズワルド殿下は、冷たい石の床に座っていた。


「大変なご無礼を……! 私ってば! どうしてこんなことに」


 思い出せ、思い出せ――そ、そうだ! 私、気絶したんだ。オズワルド殿下の唇が、頬に触れて――その感触が生々しく蘇って、思わず頬を押さえた。


 泣かないで、と。そう言った。私の涙を掬うみたいに、口付けた。きっとそれは、彼の手が塞がっているからで。別に、それ以上の他意は、もちろん、無くて!


 ――でも! だからって! 驚かないわけないじゃない!


 そもそも、オズワルド殿下のあまりの美しさは、人間が耐えられるものではない。見ているだけで、悪いことをしているような、そんな気にさせられるほどの美貌なのだ。並大抵の精神力では保たない。


 それに加えて、私はオズワルド殿下が大好きである。


 そんな殿下の唇が触れたらどうなるか。


 答えは簡単。私の細胞全てが耐えられなくなり、ぶっ倒れた。気絶だ。


 それで、オズワルド殿下は……私をソファーに横たえ、自分はこの冷たい床に座っていたと……?


 スッと床に腰を下ろし、頭を深く下げる。深い謝罪の意を示すにはこれしかない。


 ――土下座だ。


「大変申し訳ありませんでした」


 オズワルド殿下からは何の言葉も返ってこない。やっぱり、不愉快にさせてしまったのだろうか。おそるおそる、ゆっくりと顔を上げる。殿下と目があった。彼は、不思議そうな顔をしていた。


「何してるの?」


 失念していた。この世界に土下座はない。


「オズワルド殿下にご迷惑をおかけしたことを、誠心誠意謝りたくて、その……」

「迷惑してないよ」


 そう微笑む彼からは、後光が差しているようだった。神様か、天使か。何かそういう尊い存在なのかもしれない。


 ぼうっとオズワルド殿下に見入っていると、彼の手のひらから何かがコロン、と転がり落ちた。石の床におちて、カランと音を立てる。


 そうだ。さっきから響いている、不思議な音。これは一体なんだろう。首を傾げてから、あれっ? と気づく。


 オズワルド殿下の、両手の拘束具が外れている。陽の光を知らない指は白く、痩せて骨張っていた。爪先はエメラルドグリーンに塗られていて、そういえば、彼の裸足の足もそうだ、と今更ながらに気づいた。


 彼の長く美しい指が、裸電球の頼りない光の中で浮かび上がるように照らし出されているのを見ていたら、彼の手のひらの中にぼうっとした光が生まれた。緑色の光は輝きを増し、一瞬強く光る。次の瞬間、手の中には美しいエメラルドグリーンの宝石があった。きらきら輝くそれは――ちょうど、魔法石のエメラルドみたいな。宝石は殿下の指先を滑り落ち、床にぶつかって、カランと音を立てる。


「オズワルド殿下、えっと……」


 何から聞けばいいのかわからない。混乱した頭で、一つ一つ、なんとか言葉にしていく。


「手の拘束具が外れているようですが……」

「これ?」


 ひどく暴力的で、恐ろしい形をしたグローブを、殿下はひょいっと片手で持ち上げた。


「これね、夜になると外れるんだよ」


 また殿下の手の中で、緑色の宝石が生まれ、床に落ちていく。床には、たくさんの宝石が散らばっていた。殿下の周りは足の踏み場がないくらいだ。


「ええと……この宝石は一体何なのでしょうか」

「エメラルドだよ」


 さらりと殿下が答える。


「エメラルド」

「うん」

「エメラルドって、魔法石の?」

「うん」


 え?

 魔法石って手作りできるの?


 食べるのがもったいないくらい可愛いスイーツを目にしたときみたいな感想が出た。


「ど、どうしてそんなことを……」


 彼の指が、つん、とピアスをつついた。


 黄金のそれが――ゆらゆら、ゆらゆら、と嫌にゆっくり揺れる。


 心を、まっくらに塗り潰されるような、そんな心地がした。どうにかなりそうなほどの、恐怖と怒りと、絶望が襲いかかってくる。


「僕の罰だよ」

「ここでエメラルドを作り続けることがですか?」

「うん」


 オズワルド殿下は頷いて、続けた。


「魔力が枯渇するまで永遠にね」

「そんな……」


 目を見開く。冷たいものが、ぞっと背中を伝っていった。


「いつからですか……」


 震える手を叱責するように、爪が食い込むほど強く、ぎゅっと握りしめる。


「十歳の頃から、ずっと、ですか……?」


 オズワルド殿下の手から、またひとつエメラルドが産み出され、床に落ちる。


「十歳の子どもであればとっくに死んでいてもおかしくないけれど、僕の魔力はそう尽きないから」

「五年も、ずっと……?」

「これからもだよ。――死ぬまでね」


 何でもないことのように、穏やかな表情で、声音で、言う。


「そんなのって……」


 なんて、酷い話なのだろう。


「……ここから、出られないんですか?」


 思わず口から出ていた。


 無理だと分かっているのに。私はなんて、残酷なことを言ってしまったんだろう。サアッと血の気が引いていく。


「それは難しいかな」


 オズワルド殿下は、怒った様子もなく――穏やかに微笑んでいた。


「ここはサイハテの部屋。普通の牢獄じゃない」


 サイハテの部屋――確か、ここに入ってくるときに扉に浮かび上がった文字が、そんなのだった気がする。


「ここはね、魔女を飼い殺しにするための部屋なんだ。強力な魔法がかかっていて、この部屋から外に向かって魔法は届かない」

「でも……」


 縋るように、彼を見つめる。


「オズワルド殿下は……オズ様の再来と言われるほどだったと、聞いています。殿下ならば――」


 彼はやっぱり、首を横に振った。


「ただの魔女じゃないんだよ」


 彼は変わらず、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべたまま、続ける。


「ここは、東の魔女と、西の魔女を閉じ込めるために作られた部屋だから」


 千年前――エスメロード王国が建国されるより前に、人々を苦しめていた非道の魔女。ここが、その魔女たちの牢獄――……?


「それにね、この首輪には、僕の力を封じるための強い魔法がかかっている」


 オズワルド殿下が、じっと私を見下ろした。


「君に、これを外せる?」


 首輪の金具が擦れ、冷たい音を立てる。


 喉の奥から、ヒュッと空気が漏れた。



 ――だって、無理だ。


 オズワルド殿下にも出来ないことだ。


 私に――私みたいな落ちこぼれなんかに、出来るわけない。



 ゆるゆると首を横にふる。殿下は美しい笑みを浮かべたまま、ただ私を見下ろしていた。

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