罪人のピアス1
入学式の日だった。
階段を上っていた。杖先の灯りを頼りに、薄暗い中を手探りで進んでいく。ずいぶんと埃っぽい。隙間から差す真昼の日差しの中で、塵が舞っていた。
「ここから先は、君一人で」
道案内をしてくれたイーストエッグは、そう言って手を振った。
オブシオンの時計塔は、魔法学校が作られたとき、建国王オズ様が建てたとされている。文字盤も、針も、鐘もない時計塔。老朽化が進んでいて、いつ朽ち果ててもおかしくない。天高くそびえる石造りの塔は今や、外観も中身も不気味な、誰も近づかない廃墟と化していた。
その危険性を考えても、歴史的価値から見ても――生徒はおろか、教師ですら立ち入りを固く禁じられた場所。
その階段を、上っていた。中は吹き抜けのようになっていて、壁に沿って螺旋階段が上へ上へと伸びている。天辺は、暗くて見えない。
入学早々、いったいいくつの校則を破ってしまったんだろう。怯んで止まりそうになるのを堪えて、一段一段、上っていく。
心臓が早鐘を打っていた。うるさいほど、耳に、体に、頭に、響く。恐怖と興奮と、たくさんの言葉に出来ない感情を抱えたまま、進んでいく。
この先に――あの人が、いるかもしれない。
天辺には、案外すぐに辿り着いた。そこにはぽつんと、扉があった。木製の、アンティークな造りの緑色の扉。薄暗い石煉瓦の中で、そこだけ鮮やかに浮いている。
手をふれると、扉を削るように炎の文字が浮かび上がった。爆ぜるような音がして、木の燃える匂いが鼻先をかすめた。
《サイハテの部屋》
そう書いてあった。ジュッと音を立てて、文字はすぐに消えていく。
一度、固く目を閉じた。深く深く息を吐く。心臓の音はうるさいまま、静かになってくれない。――そっと、目を開く。
この先に、いるかもしれないんだ。
覚悟を決めてゆっくりと扉を開くと――、まず目に入ったのは光だった。小さな裸電球から落ちる白い光が、暗い部屋を頼りなく照らしている。
「……おや。いつもの子じゃないね」
穏やかな声がした。
「こんにちは」
柔らかくて、それでいて、心をきゅっと掴まれるような。ずっと聞いていたくなるような心地いい声。
「……こん、にちは」
その人は電球の真下――粗末なソファーに腰かけていた。白い光がスポットライトのように落ち、シルバーブロンドの長髪が流れるようにきらめく。
――そうして、晒し出された姿に、息を呑んだ。
彼の目は、黒い布できつく目隠しがされていた。杖を持てないようにするためだろうか――両腕には、肘までの長さのグローブをはめていて、体の前でコルセット状に締め上げられている。どう考えたって、まともに動かせる状態ではない。極めつけは首の、大きな首輪。犬を繋ぐように取り付けられた紐が、部屋の奥へと続いている。
「……オズワルド殿下、ですか?」
声は震え、掠れていた。
「うん。そうだよ」
あっさりと認めた彼が、首をかしげる。
「君は……もしかして迷子かな?」
彼が動くたび、銀の髪がサラサラと零れ落ち、瞬くように揺れた。
「ここは罪人の牢獄だ。来ちゃいけないよ」
左耳で、黄金のピアスが、ちかちかと光を反射する。
「ずっとここに、いらっしゃったんですか?」
「そうだね」
「オズパレードの事故から、ですか?」
「うん」
そうだとしたら彼はもう、五年もここに居ることになる。こんな、太陽も月の光も届かない、朝も昼も夜もない暗い部屋に。
頼りない電球の明かりしかない闇の中で、次第に目が慣れてくる。
部屋は思っていたより広かった。天井は高く、石煉瓦が積み上げられた壁がぐるりと部屋を囲んでいる。部屋の中央には、殿下が腰かけているソファーと、テーブル。その上には水差しが置かれていた。
「あの、オズワルド殿下」
「うん」
「その……お傍に、行ってもいいですか?」
部屋に一歩足を踏み入れたその状態から、時が止まったかのように少しも動けていなかった。
「僕が怖くないのなら」
目隠しの下で、彼の口元だけが笑みをかたどる。
一歩ずつ、ゆっくりと彼に近づいた。石造りの床を踏むたび、カツンと靴音が鳴る。ソファーの手前で足を止めた。
「触れることを、許して頂けますか?」
彼は黙った。何か考えているような沈黙に、ヒヤリとする。もしかして、気分を害してしまったのだろうか。
彼は、青ざめる私を見上げた。目隠しをしているはずなのに、私の目を見つめているような錯覚に陥る。
「どうぞ」
――もしかして、私の声の位置から目線の高さを割り出したのだろうか。そう気づいて、返事が少し遅れてしまった。
「……あっ、ありがとうございます」
見えてないと分かりつつも礼をして、それからゆっくりと手を伸ばした。あまりの緊張に指先が冷たくなって、震えていた。本当は、さっきから足も、声も、震えている。
「失礼します」
彼の後頭部――黒い布の結び目に触れる。固く結ばれているように見えたそれは、意外なほど簡単にするりとほどけた。
目隠しがほどけて、そのかんばせが露になる。
エメラルドグリーンの瞳が、私を見つめていた。頼りない照明だけの薄暗い部屋の中にあっても、木漏れ日のような優しい光を湛えている。
「……っ」
その、あまりの美しさに息を呑んだ。
イーストエッグだってこの世の物とは思えないほど美しく、愛らしかった。けれど――目の前にいるオズワルド殿下は、その美しさを研ぎ澄ましたような、圧倒的な美である。ここまでくるといっそ美の暴力だ。
ぶわっ、と堪えていた涙があふれだしていた。次から次に大粒の涙がこぼれ、止まらなくなる。彼はそんな私を、ただ見つめていた。穏やかに微笑んだまま、驚いた様子も、慌てる様子もない。
「オズワルド殿下……っ」
――彼が、生きている。
生きていてくれたんだ。
十歳のあの日に、亡くなったわけじゃない。
「生きていてくれて、よかった……っ」
オズワルド殿下は、ほんの一瞬だけ驚いたような顔をした。自分のことを罪人だと言いながら、余裕たっぷりに微笑んでいた彼が、一瞬だけ表情を崩したのだ。
驚く顔もきれいだなんて思いながら、涙をごしごし拭う。
私は今、目隠しを外したことを後悔しそうになるくらい、酷い顔をしているだろう。涙に濡れてぐしゃぐしゃで、目も鼻も真っ赤で。誰にも見せたくないような顔を、この世で一番美しい人に見せている。
「オズワルド殿下、私……っ」
ぼろぼろ、ぼろぼろ涙がこぼれる中、なんとか口を開く。
「私っ、カノン・オキデンスと申します」
情けないほど声は震えていた。初めましての挨拶がこんなのになるなんて、信じたくない。
だけど、どうすることもできなかった。体は震えるし、涙は止まらない。喜びと、緊張と、恐怖と、色んな感情がぐっちゃぐちゃになって、襲い掛かってくる。
「そう。オキデンス家の」
オズワルド殿下がゆっくりと立ち上がった。首輪の金属が冷たい音を立て、繋がる紐が床を擦る。冷たい石の上を歩く彼は裸足だった。
「公爵家の令嬢が、よくこんな所まで来たね」
オズワルド殿下は背が高かった。私の頬を、彼の長い髪が撫でるように掠めた。下から見上げるような格好になって、彼の耳が――左耳で揺れるピアスの形が、はっきりとわかった。
魔女のとんがり帽子を連想させるような、細長い三角形の、黄金のピアス。
「その、ピアスは……」
「ん? ――ああ」
オズワルド殿下は何でもないことのように、首をかしげてピアスを揺らした。
「僕は大罪人だからね」
それは、この国の者ならば誰もが恐れる、罪人のピアスだ。
魔法で作られた呪いのピアスで――大罪を犯したものに付けられる。
一度付けられたら、二度と外すことはできない。居場所は常に把握され、罪から逃げることは許されない。
それから――一番恐ろしいところは、ピアスを付けさせた術者に絶対服従を誓わされるということだ。どんな命令も、受け入れなくてはならなくなる。――罪人のピアスを付けているということは、奴隷にされたも同然ということだ。
「あなたが……いったい、何をしたというんですか?」
小説では、オズパレードの魔法爆発事故は、オズワルド殿下が起こしたもの、とされていた。彼はまだ子どもだった。魔法学校にも入学していなかった。子どもの魔力が暴走してしまうことは、珍しいことではない。あの悲劇は、魔法が制御できなかったために起こった不幸な事故だった。
「オズパレードの魔法爆発事故を起こした」
殿下は穏やかな表情のまま――そう、言った。
分かっていた。知っていたはずなのに、唇を噛んで、俯くことしかできなかった。彼にかける言葉が見つからない。
「そんな……」
金のピアスが揺れ、私を嘲るように光を反射する。
死ぬことすら生ぬるいほどの大罪人が受ける、最悪の罰だ。
外すこともできない。逃げることもできない。死ぬまで、術者に絶対服従を誓わされる。
エスメロード史上最悪の、大事故。あの惨劇を起こしたんだ。罪人のピアスを付けられるのは、当然の罰だ。頭では分かる。たくさんの人が亡くなった。たくさんの人が悲しい思いをした。
ブランは家族を全員亡くした。お父様も、レオンも、怪我をしていた。
子どものしたことだからって――故意じゃなかったからって、許されていいことじゃない。そんなの誰も納得しない。許さない。
分かってる。分かってるのに!
――どうしてこんなに、涙が出るんだろう。
「ごめんなさい、オズワルド殿下」
私はなんて、無力なんだろう。どうして、何もできなかったんだろう。
前世の記憶が――物語の記憶があったのに。
「ごめんなさい」
オズワルド殿下は背をかがめ、私の顔を覗き込んだ。不思議そうな顔で、じっと見つめてくる。
「……どうして、君が謝るの?」
この暗闇にあっても、美しいことがはっきりと分かるエメラルドグリーンの瞳が、私だけに向けられている。
「……っ、うぅっ」
答えられないまま、何度も何度もしゃくり上げた。
「泣かないで」
頬に、ひんやりとした感触があった。それが殿下の唇だと気づいたのは、それが離れてからだった。
「え……っ」
――今、何が起こったの?
全身に響き渡るほど、うるさく心臓が暴れ狂っている。
声にならない悲鳴をあげながら、ぐらっと体が傾いていくのがわかった。
目を丸くするオズワルド殿下の姿を最後に、意識を手放した。
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