十歳の誕生日
久しぶりに四人でお茶会をすることになったのは、少し肌寒く、冬の気配を感じ始めた日のことだった。応接室の暖炉の火が揺らめき、パチパチと爆ぜるのを聞きながら、お茶を啜る。
殿下の誕生日以来、四人で集まることが増えたけれど、基本的には私とアックスの魔法練習会だ。ブランに加え、レオンハルト殿下という心強い味方を得たのだ。殿下は時に苦笑しながら、時に容赦ない一言を添えながら、私たちを見守ってくれていた。
「あの、レオンハルト殿下は……」
「レオン」
「ええと……レオン殿下……」
殿下の笑みが、少し怖い。
「レオンって呼んでよ」
それは、何度も言われていることだ。この会話も何度繰り返したことか分からない。
「でも恐れ多くて……」
「唯一素で過ごせるのは、君たちの前だけなのに……」
うっ。今回はそう来たか。今までも、「アックスだけずるい」「俺だけ仲間外れだ」と難癖を付けられてきた。これは――最終手段じゃないだろうか。
しょんぼり肩を落とす彼は、少し儚げで、それでいてやっぱりキラキラした王子様のオーラをまとっていた。このキラキラの圧に勝てる人はいるのだろうか。いるわけない。私は秒で屈した。
「れ、レオン」
「うん。なにかな?」
こてん、と可愛らしく首をかしげてくる。あざとい。私に効果抜群だってこと、完全にわかっててやっている。
今度はブランと殿下の攻防が始まった。いい勝負を続けていて、折衷案の「レオン殿下」に落ち着くと見ている。ブランは強いのだ。
「そうだ、カノン」
少し離れたソファーから、アックスが私を手招きした。次の練習会のことかと思ったら――二人に聞こえないように、こっそりと耳打ちされた。
「招待客の中に、カノンが言っていたような子はいなかったよ」
誕生日パーティーの夜、バルコニーで見かけた少年のことだ。アックスに頼んで調べてもらっていた。予想していた答えではあるけれど、驚かずにはいられない。
「もちろん城に出入りする人間にも、そんな子はいない。そもそも、緑の目なんてかなり目立つ。そんな子が会場に居たらすぐに人目を引くよ」
「……うん。そうよね」
「俺だって、緑の目を持っていた人はオズワルド殿下しか知らない」
作りもののように美しいあの少年は、銀色の髪に、エメラルドグリーンの瞳を持っていた。それはオズワルド殿下と同じ色彩だ。それだけで十分人目を引く。
それに加えて、この国において、緑色の瞳は縁起が良いとされているのだ。その場にいるだけで、嫌でも目立ってしまいそうなのに、その少年に気が付いたのは、私一人だけ。
やっぱり、見間違いだったのだろうか。
「……もしくは、オバケ?」
「やめてよ。怖がるでしょ、ブランが」
「いや天使か……?」
「やめてよ。怖がるでしょ、オレが」
どういう意味だそれは。私の頭がおかしくなって怖いってことか。ジロリと睨む私を置いて、アックスが殿下たちのいるテーブルへ戻っていく。立ったままひょいっとお菓子をつまんで、行儀が悪いと殿下に叱られていた。
ソファーに沈み込んで、目を閉じる。
オズワルド殿下の姿絵でもあれば、確信が持てるのに。私は殿下の姿を知らないのだ。知っているのは、目の色と、髪の色と、誰もが口をそろえて言う美しさだけ。
あまりにも好きすぎて、ついにオズワルド殿下の幻覚を見てしまったのだろうか。
「カノン?」
「姉さん」
しばらく考え込んでいて、呼ばれていることに気付かなかった。慌てて立ち上がって、席に戻る。
「えっと、ごめんなさい。何の話だっけ?」
「もうすぐカノンも十歳だね、って話をしてたんだよ」
「ああ! そうね」
言われてみれば、誕生日はもう来週に迫っていた。
十歳を迎えた魔法使いは、魔法学校に入学しなければならない。オブシオン魔法学校への入学は、もうすぐだ。
「入学式、一緒に行ってくれないと困るからね。絶対迷子になるから」
外から見ただけだけれど、あの敷地面積は凄まじかった。
「会えたらね」
アックスが意地悪を言う。こいつは殿下と一緒に登校するのが決まっているから、余裕の表情だ。
「れ……レオンのキラキラオーラですぐ分かるんだから」
「キラキラオーラって」
「それに、アックスと私は同じクラスになるんだから。絶対後で合流できるわ」
エスメロード王国の魔法学校では、属性ごとにクラスを分ける。学習効率と研究のためなんだとか。オブシオン魔法学校で始まり、全国の魔法学校に定着した。
だから私とアックスは、絶対に同じクラスになるし、水属性の殿下は別のクラスになる。
「カノンは弱火クラスでしょ」
「何ですって!」
キーッと声を上げつつ、心の中は穏やかでいられなかった。
十歳、学校、入学……当然のことなのに、受け入れ難い事実みたいに頭の中をぐるぐる回っていく。
レオンに、アックス。心強い友達が二人もいる。次の年には、ブランも入学する。
なのに、不安で不安でたまらない。
「カノン? どうしたの?」
殿下が、心配そうに私の顔を覗き込む。彼は、他人の機微に敏感だ。私の心なんて見透かしてそうなほど鋭い。
「ほんとに、弱火クラスになったらどうしようって、不安になっちゃって……」
私の言葉に、殿下が目を丸くした。そのあとすぐに、ふっと微笑む。彼は優しいから、嘘だと分かって騙されてくれる。
「大丈夫だよ、カノン」
「う、うん……」
殿下に気を遣わせてしまった罪悪感と、押し潰されそうなほどの不安の中、なんとか微笑む。その不格好な笑みに、殿下だけが気づいていた。
「そうですよ姉さん。姉さんが弱火クラスなら、アックスさんは消し炭クラスです」
「ブランって可愛い顔して毒舌だよね」
ブランとアックスが軽い調子で言うから、一緒になって私も何とか笑う。
この不安は、魔力のことだけじゃない。落ちこぼれになりそうだからとか、それだけじゃない。
たぶん、前世から続く痛みだ。
カノン・オキデンスとして新しい人生を始めてもなお、私は未だに、学校というものが苦手だ。
◇◆◇
「あなたの瞳は、心を揺さぶる不吉な色だわ」
小学校に入学してすぐの頃だった。担任の先生がそう言った。
「あの子が、かのんちゃん?」
「そう。見てよ、あの目」
たくさんの人が――一年生だけじゃなくて、上級生も、先生たちでさえも、私の顔を見に来た。
「気持ち悪い」
「こっちを見るな」
「呪われる」
「化け物」
やめて。やめて。
ぶたないで。突き飛ばさないで。笑わないで。睨まないで。
怖い。怖いよ。
ごめんなさい。謝るから、許してください。
お願い、やめてください。
お願いします。
どうしてそんな、嫌なことをするの?
◇◆◇
朝の光が、やわらかく部屋に降り注いでいた。小鳥のさえずりが聞こえてくる。
何故か、目の端から涙がこぼれていた。悲しい夢を見ていた気がする。うまく思い出せないけれど、泣きたくなるような痛みだけが、淀みのように心の奥底に沈んでいる。
涙を拭って、体を起こし、ぐぐっと背中を伸ばす。思い出せないなら、このまま忘れよう。今日も、いい天気だ。
ベッドから下りようとして、手が、足が、動きを止めた。
「おはよう、カノン」
さわやかな光の中、神々しい姿がそこにあった。
「え……?」
木漏れ日のような柔らかな光を湛えたエメラルドグリーンの瞳が、私を見つめていた。ゆったり一つに結われた銀白の髪が、きらきら輝く。
混乱する頭で、目覚めて二秒で浴びていい美貌じゃないことだけ理解した。
「えっと……」
どこかで、見たことがある。――そうだ。あの時、月明かりの下で、目が合った。
彼は、このお人形さんみたいな美しい少年は、レオンハルト殿下の誕生パーティーの時の!
「オズワルド様のオバケ!」
意識は未だ寝ぼけていたらしい。そんなことを口走ってしまって、慌てて口を閉じる。
「違うよ」
ふふ、と彼が笑う。思わず見とれてしまうほど愛らしい笑みだった。
「ぼくはイーストエッグ」
そう言う彼の笑みは、見た目の幼さに似合わず、どこか蠱惑的で――どくん、と心臓が跳ねた。
「十歳の誕生日おめでとう、カノン」
彼は誰なんだろうとか、どうして私の名前を知っているんだろうとか、どうやって私の部屋に入ったんだろうとか、色んな疑問が浮かんでは、はじけて消えていく。
「魔法学校に入学したら、オズワルドに会いにおいで」
その言葉が、私の意識のすべてを攫っていった。
「それって――」
その続きは、はくはくと空気を吐くだけで、声にならなかった。聞きたいことがたくさんありすぎて、何一つ言葉にならない。水の中をもがいているように、息苦しかった。
「時計塔で待ってるから」
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