王子さまの仮面3

『サイハテのオズ』の王子様、レオンハルト・エスメロード。


 学園で、彼に憧れない生徒はいない。見目麗しく、成績優秀。その上、優しくて穏やかな王子様。金髪碧眼の、誰もが描く理想の王子様。


 いつも絶やさない微笑みの裏側に、深い心の傷があった。オズパレードの魔法爆発事故で、彼は尊敬していた兄を喪ったのだ。


 誰にも弱音を吐けなかった彼は、ヒロインと出会い、ゆっくりと心を溶かされた。そうして、心を通わせていくのだ。




 現実の彼は、小説通りの美しさと羨望はそのままに、傷は、もっと深かった。


 優秀な兄を真似て、理想の王子様の仮面を被り続けている。本当の自分を出せないまま、劣等感に苛まれながら。






「カノン嬢もそう思うだろう?」


 その声に意識を引き戻される。


 彼は辛そうに顔を歪めていた。なのに――感動していた。


 目の前に、いるのだ。オズワルド殿下の真似をしていない、本当の、レオンハルト殿下がいる。


「あの日、あれほどまでに泣いていたんだ」


 穏やかな笑みのない彼の目が、射貫くように私を見ている。


「君は……兄上が好きなんだろう?」


 思わず、その手を取ってしまった。彼の両手を掴んで、顔の前でぎゅっと握る。


「はい! 大好きです!」

「やっぱり君も……」

「でも、レオンハルト殿下のことだって、大好きです!」


 今度は未確認生物でも見るような顔をされた。


「……うん?」


 ものすごく引いていらっしゃる。嫌そうな顔をされた。


「カノン嬢、俺は真面目な話をしているんだが」

「俺!」


 殿下がはっとしたように口を噤むが、もう遅い。思えば先ほどから自分のことを「俺」と言っている気がする。


 捕まれた手を振り解こうともがいているけれど、私だって意地でも離してやるもんか。


「幻滅しただろう?」

「え?」

「俺の正体がこんなに情けない男だなんて、誰だって幻滅するだろう」


 自棄になったみたいに言い捨てるから、思わずぴしゃりと言ってしまった。


「私は好きだって、言ってるじゃないですか」


 私の言葉に、彼はぴたりと動きを止めた。それから怪しむように、じとっと睨んでくる。この美しい人に、警戒心の強い猫みたいだなんて思ってしまった。


「嘘だ」

「本当です!」


 握った手に、ぎゅっと力を込めた。


 このお方は、オズワルド殿下の――理想の王子様の仮面を被っている。だから、褒められたって嬉しくないし、好きだと言われても信じられないんだろう。きっと、自分のことだと思えないから。


 だからいつまでたっても、優秀である自分に気付かない。自分を認めることが出来ない。殻に閉じこもって、本当の自分を出すことが出来ないまま、臆病になっていく。


 ――誰からも好かれることはない、と。


「レオンハルト殿下にだって、オズワルド殿下より優れているものがあります」


 弾かれたように顔を上げる。目の覚めるような青の瞳に、縋るような色があった。


「そんな……」


 けれど次の瞬間には、ふっと消えている。次第に眉が下がり、拗ねたように口を尖らせた。


「そんなもの、あるものか」

「いいえ、あります!」


 だってあなたは、『サイハテのオズ』のヒーローで、小説でも現実でも、誰もが憧れる王子様なのだから。


 ヒロインがレオンハルト殿下に憧れたのは、彼が王子様だからでも、綺麗な人だからでもない。殿下が、優しいからなのだ。いつも生徒たちの輪の中心にいる王子様なのに――隅で転んだヒロインに手を差し伸べてくれるような人だから、憧れたのだ。


 私だってそうだ。スリにあった私に手を差し伸べてくれたのは、殿下だ。怪我を治してくれたのは、殿下だ。どこの誰か分からない私に向かって、そうしてくれたのだ。彼は、私が貴族だから優しくしてくれたんじゃない。あの日スリに遭ったのがどんな人であったとしても、彼は、手を差し伸べたはずだ。そういうことが――本当は何よりも難しくて勇気ある行動が、当たり前のように出来る人だ。


 離さないようにきつく握りしめた手に、さらにぎゅっと力を込める。


「レオンハルト殿下はたくさん傷ついたでしょう。これからだって、傷ついてしまうのでしょう。――でも、それを、情けないとは言いません。誰にも、レオンハルト殿下にだって、言わせません」


 吸い込まれそうなほどに透き通ったブルーの瞳が、大きく見開かれる。


「傷ついたことがある人は、その痛みが分かる人です。――人の痛みが分かる人は、人に優しくできる人です」


 完璧な王子様になれるのは、求められているものを正確に汲み取れるからだ。それはいつも人を見ているから。悔しくて、悲しくて、それでも――あなたが、人に優しいから。


「レオンハルト殿下の方がたくさん傷ついた分、きっと、オズワルド殿下より優しいはずです」

「……それは詭弁だ」

「そうかもしれません」

「……そもそも、優しいからなんだっていうんだ」


 そっぽを向く彼の耳が、ほんのりと赤い。


「優しくないよりずっといいと思います。素敵ですよ、優しい王子様」


 にこりと微笑む。彼はもう、手を振り解こうとはしていなかった。


「オレもそう思う」


 突如として、のんびりとした声が入ってきた。


「……アックス」

「これで二対一だね」

「別に勝負をしているわけじゃない」

「ブランもこっちだろ?」

「どうでしょう。姉さんには裏切られましたからね」

「ブラン!」

「申し訳ありません、殿下。姉さんは夢見がちなんです。優しいだけで王子様は出来ませんからね。――というわけで、僕は今回、殿下の味方です」


 にやり、とブランは小悪魔の笑みを浮かべている。


「どうですか、殿下。これで二対二ですよ。――ああ、でも姉さんは戦力になりませんからね。実質二対一です。勝ちましたね」

「ブランひどい!」

「ひどいのは姉さんの方です!」

「ブランの天使! 小悪魔! 可愛いの暴力!」

「……カノン。もしかして、それは悪口のつもり?」


 ぎゃんぎゃんと口論をする私たちと、いつも通りのアックス。殿下はその光景を見て――、溜息を吐いた。


「ここで姉弟喧嘩を始めるな」


 呆れたような物言い。疲れたような表情。王子様の仮面はもう無い。


「姉弟喧嘩じゃないよ。レオンとオレも入ってる」

「勝手に入れるな」

「魔法で勝負になったら、絶対に勝てますよ、殿下」

「ブランが的確に私たちを負かそうとしてくるんだけど……」

「オレは剣でもいいか?」

「本気ですか、アックスさん」

「いいか、カノン。レオンとブランが相手なら、殺られる前に殺るしかない」

「確かに……」


 息を呑む私の後ろから、はああと溜息が聞こえてきた。この短時間に二度目だ。


「城内での私闘は禁止だ」


 その冷たい声音と視線に、私たち三人はそろって肩を落とした。


「はい、殿下」


 怒られてしょんぼりとしている私たちを置いて、殿下は会場へ戻ろうとしていた。いつまでも主役が不在のままではまずいのだろう。


「オレたちも戻ろう」

「姉さん、まだ何も食べてませんよね?」

「ブランはオレの姉に餌付けされていた」

「餌付けって言わないでください」

「ブランが好きそうな甘いものがたくさんあったものね」

「カノンが好きそうなのは無いかも」

「姉さんの好物があったら、今ごろパーティー会場は阿鼻叫喚ですよ」

「……それもそうか」


 殿下の足がピタリと止まる。肩が震えていた。笑っている。


「それはそれでスッキリするかもしれない、ってレオンが」

「そんなこと言ってない」

「唐辛子テロ、ざまあみろって思ってたくせに」

「思ってない」

「まあでも、人が食べられるものじゃないから無理か」

「人の味覚にケチ付けないでくださる?」


 殿下は屋内に戻ってすぐ、人に囲まれていた。一瞬で王子様の顔に戻って、優しく微笑んでいる。


「やっぱり、すごい」


 つい見惚れて、足が止まった。ブランに促されて、少し急ぐ。


 みんなの後に続いて、屋内へ戻ろうとした時――声が聞こえた。聞き取れるか聞き取れないかくらいの、小さな声。夜風に乗って耳をくすぐったそれは、密やかだけれど、笑うような音だった。


 自然と、振り返っていた。


 いつからそこに居たのだろうか――バルコニーの手すりの上に、同じ年くらいの男の子が座っていた。


 人形かと思うほどに、美しい少年だった。シルバーブロンドの長い髪を、肩のあたりでゆったりと一つに纏めている。エメラルドの瞳は、木漏れ日のような柔らかな光を湛えていた。


 とてもこの世のものとは思えないほどに美しい、その少年と――確かに、目が合った。


「姉さん? どうしたんですか?」


 ブランに呼ばれて気が逸れた次の瞬間、その少年は、もうそこにはいなかった。





 背中をつうっと、冷たいものが伝った。心臓がドクドクと音を立てる。


 ――いや、まさか。


 今のって、もしかして。


 オズワルド様……?

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