王子さまの仮面2

 エスメロード王国第二王子、レオンハルト・エスメロード殿下の十歳の誕生祭は、盛大に執り行われることになった。城へ大勢の貴族たちを招いての誕生パーティーである。私たちオキデンス公爵家は、体調の優れないお母様を除き、三人揃って登城した。


 王家主催のパーティーともなると、規模が全然違う。招待客の人数も多く、誰も彼もがきらびやかに着飾っている。女性たちのドレスは色もデザインも様々で、場内をより華やかに彩っていた。用意されているお料理やお菓子だって、見た目も美しく、その上とっても美味しそうだ。


「す、すごいわね、ブラン」

「はい、姉さん……」


 私とブランは会場に入って同じように硬直し、感嘆の息を漏らした。


 お父様に付いて一通りの挨拶を済ませた頃には、私もブランもぐったりしていた。顔に貼り付けた笑顔がしばらく取れそうにない。人がいないバルコニーを見つけて、夜風に当たり、ようやく肩の力が抜けた。


「姉さん、飲み物頂いて来ましたよ」

「ありがとう」


 一気に飲み干して、ふうと息を吐く。ブランも私の隣で、同じように息を吐いた。そのタイミングが重なったことに、思わず目を見合わせる。


「姉さん、疲れたって顔に書いてありますよ」

「ブランもよ」

「姉さんって、こういう賑やかなところ苦手ですよね」

「何故それを……?」

「見ていればわかります」


 すごいな、ブランくん。


「人が多いとどうにも、緊張して……」


 すっかり気が抜けてしまっていたせいで、近づいてくる足音に気付かなかった。


「カノン、ブラン」


 突然名前を呼ばれて、ぎょっと振り返る。


「こんなところに居たの」


 そこには、貴公子然とした白皙の美少年がいた。


 レオンハルト殿下のような、誰をも虜にする輝かしさとも、ブランのような魔性の愛らしさとも違う、研ぎ澄まされた美しさがあった。


 名前を呼ばれて、それも呼び捨てにされたからには、知り合いなのだろうけれど。頭のてっぺんからつま先までジロジロ眺めてみたけれど――、心当たりがない。


「申し訳ありません、どちら様でしょうか」


 笑顔を貼り直しながら尋ねると、隣でブランが噴き出した。


「ちょっと。ブランどうしたの? 大丈夫?」

「いやいや姉さんが……」


 ブランの背中を擦る私の前で、少年は優雅に頭を垂れた。


「アックス・ウッドヴィルと申します」


 聞こえてきた声に、ぱちくりと目を瞬かせる。ブランは笑いを堪えるのに必死なのか、その背中が震えていた。


「は?」


 言われてみれば、つややかな黒髪も、深紅の垂れ目もアックスと同じだ。左目の下には、泣きぼくろだってある。


 でも私が知っているアックスは、髪の結い方だってきっちりしていなくて、なんだかもっとこうゆるっとしている。服だって動きやすいものばかりで、そんな貴公子みたいな堅苦しいものを着ているところを見たことが無い。そもそも、そんな服が着こなせるような、しゃんと伸びた背筋をしていない。あと顔ももっとだるそう。そんなにキリッとしていない。


「人違いでは?」

「オレは今回レオンの従者じゃなくて、ウッドヴィル侯爵家の三男として招待されてるの」


 確かにこの淡々とした対応、この無表情、アックスである。


「レオンにはもう会った?」

「先ほど挨拶に伺いました」

「そう」


 アックスは視線を屋内へと向けた。


「レオンは向こうね」


 その視線の先、今日も一段と美しく、キラキラとしたオーラを纏う王子様がいる。いつもの穏やかな笑みを浮かべながら、彼よりも年上の青年たちと話をしていた。


「ちなみに今レオンと話してるのが、気性の荒い兄二人」

「……へえ」

「で、そのレオンと話したそうに暑苦しい視線を送っているのが、気性の荒い姉」

「……」


 そして私とお話しているのが、感情の起伏がほとんど無いアックス。なんとも不思議なご兄弟である。


「そして全員騎士団所属と……」

「まあね」


 適当に言ってみたことがあっさり肯定された。さすが、騎士家系のウッドヴィル家。


「次の騎士団長は誰なの?」


 またウッドヴィル家から出るんでしょう、の意味で尋ねると、アックスは分かりづらく得意げな顔をした。


「しばらくはうちの父だろうけど、次はたぶん……」


 アックスは兄たちの方を見たまま、さらりと答える。


「気性の荒い姉かな」

「えっ!?」


 これにはブランも目を丸くした。


 レオンハルト殿下の前で恥ずかしそうに頬を染める彼女は、華奢で可憐だ。剣を持てば、兄たちを凌駕するほどの実力をもっているのだろうか。


「かっこいい……」


 想像して頬がぽっとなる。


「オレが騎士団入ったらオレだけどね」


 せっかくお姉様の雄姿を妄想していたのに、邪魔をされた。すごい自信をお持ちらしいアックスをジロっと睨む。彼は気にしたふうもなく、殿下を見つめていた。


「レオンもそろそろ疲れてるみたい」

「そうなの? ……そうは見えないけど」


 いつもの笑みは、寸分違わずそこにある。


「レオン、本当はこういう賑やかなの、あんまり得意じゃないんだ」


 意外だった。殿下はいつだって、何でもそつなくこなしているイメージだ。今だって、少しの隙もなく、キラキラした王子様だ。


「アックスは?」

「得意でも苦手でもない」


 こっちも意外だ。苦手だとばかり思っていた。


「ブランは?」

「姉さんが居るなら何処でも大丈夫です」


 アックスに尋ねられ、ブランがにこりと即答した。


「そう」

「はい。……って何ですか、アックスさん。どうして僕の腕を掴むんですか。やめてくださいよ」

「カノン、借りてもいい?」

「え……ええ。どこまででも」

「姉さんっ?!」


 驚愕の表情を浮かべたままのブランが、ずるずる連行されていく。


「姉さん! 止めてください! アックスさん離して!」


 聞いたことも無いくらい焦った声だった。行ってらっしゃいと手を振りながら見送って、何か食べものでも頂こうかと屋内へ足を踏み入れようとした時、声を掛けられた。


「……随分と騒々しいね」


 苦笑交じりのそれに、慌てて頭を下げる。


「申し訳ありません、私の弟と友人が……」


 顔を上げて、そこいる人が誰なのかようやく気が付いた。


「……殿下。いつの間に?」


 彼はアックスの兄たちと話をしていたはずだったのに。


「アックスたちの騒ぎに乗じて」


 殿下がくすくすと笑う。その視線の先は、少し前まで殿下が居た場所で――今はアックスとブランが居た。ブランはアックスのお姉様に「何この可愛い子!」と詰め寄られてタジタジになっている。アックスはそんな彼女に悪態でも吐いたのか、一瞬ギロリと睨まれていた。


「気性の荒い姉……」


 殿下に視線を送っていた、いじらしい姿が嘘のようだ。


「気性の荒い?」

「え、いいえ! 今のは聞かなかったことにしてくださいませ」


 アックスのお姉様のためにも!


 食い気味にお願いすると、殿下はぎこちなく頷いた。


「う、うん。わかった」


 その返答に満足げに笑うと、殿下もほっとしたように笑みを浮かべた。


「ここは人が居なくていいね」


 彼の後に続くように、バルコニーへと逆戻りする。


「カノン嬢は休憩?」

「ええ、その……すみません」

「いいよ。僕も少し休憩」


 手すりに背を預け、殿下は息を吐いた。


「何か飲み物を頂いて来ましょうか?」

「ううん。大丈夫」


 金色の髪が月明かりに照らされて、きらきらと輝く。息を呑むほど美しいその人に、思わず見入ってしまった。


「ここに居て」


 その声が少し弱っているようで、アックスの言は正しかったのだと納得してしまった。


「意外です」

「……何が?」

「アックスが言ってました。殿下は賑やかなのが得意じゃないって」

「……ああ。うん。そうかもしれない」


 殿下は困ったように息を吐いた。それから私の方をじっと見て、口を開く。


「カノン嬢にお礼が言いたかったんだ」

「お礼、ですか?」

「うん。アックスのこと」

「あぁー……」


 目が泳ぐ。殿下が言いたいのは、きっと、魔法の練習会のことだろう。


「申し訳ありませんが、それで何か身になったとは思えませんけれど……」


 殿下がきょとんと目を丸くした。


「ブランが、勉強ではなくて足の引っ張り合いの間違いでは? と酷評してきたくらいです」


 ブランの顔真似のつもりで、私の吊り上がった目じりを両手で少し下げた。


「それに、私の家庭教師の先生による評価は――今まで見てきた生徒の中での史上最悪に出来が悪い、です」


 今度はニーナ先生の真似をして、眼鏡を持ち上げる振りをした。


「直接言われたことはありませんが、そのくらい思っている顔をしていましたから……」


 気まずさに目をそらす。


「そ、そんな……っ、ことは……」


 殿下の声は堪えるように震えていた。口元を抑えているけれど、誤魔化しきれていない。


「殿下。笑うところではありません」

「ごめん。……僕が言いたいのは……っ、そう……っ、ではなくて」

「……もういっそ笑い飛ばしてください」


 ふふ、と漏れる殿下の笑い声を聞きながら、はあと息を吐く。


 こんなに笑うからには、アックスの魔法が上達してないことも、私の成績のことも知られているのだろう。……小説のカノンは成績優秀だったはずなのに。


「カノン嬢」

「はい」

「僕がお礼を言いたいのは、他のことだよ」

「……お礼を言われるようなことをした記憶はありませんが」


 心当たりが何一つない。一緒に勉強するようになって三年ほど経ち、お互いに敬称無しで名前を呼び合うほどに距離も縮んだ。けれどその間に、殿下にお礼を言われるようなことをした覚えはない。


「アックス、笑ってたから」

「え?」


 衝撃の発言だった。今雷が落ちてもおかしくないほどに。明日隕石が降ってもおかしくないほどに。


「君の話をしてた時にね」


 ――え。目を見開く。


「そ、それは……」


 どくどくと心臓が鳴っていた。顔が真っ赤になっているのが分かる。


「……何らかの失敗談ですか?」


 もちろん、羞恥と怒りで。


「……そうだったかも」


 あいつめ! いったい、殿下に何を聞かせたんだ!


「わ、忘れてください! 殿下! 今すぐ! 今すぐにです!」

「それは難しいな……」

「こうなったらアックスを燃やすしかない」


 杖を持ち憎きあいつの方へと足を向けた私の腕が、優しく掴まれる。


「カノン嬢」

「殿下。止めないでくださ……」


 最後まで言えなかった。殿下の目が、あまりにも真剣だったから。


「君のおかげだよ」


 私の手首を握る力が、少し強くなる。


「君がいなかったら、アックスはあの事故の日に取り残されたままだった」


 サファイアブルーの瞳の中で、月明かりが潤んで、揺らめいた。


「だから――、ありがとう」


 殿下の言葉が、じわじわと胸の内に染み込むように入って来て、返事をすることさえできなかった。ただただ、目の前の美しい人から、目が離せなかった。


 手がするりと離れていく。言いたいことは言い終わったらしく、「僕は戻るね」と彼が背を向けた。


「殿下は?」


 気付いたら、その背中に、そう問いかけていた。


「殿下はまだ、取り残されたままなんですか?」


 振り返った彼が目を見開く。その目の中に、揺らぐものはもう無い。


「カノン嬢?」


 殿下は、涙を堪えることすら、いとも簡単に出来てしまうんだろうか。アックスいわく、「オズワルド殿下を被っている」彼は――自分が泣くことすら、許さなかったんだろうか。


 パーティー会場で見た彼は、常に笑みを湛えていて、キラキラしていた。憧れの王子様そのものだった。隙のない、どの方向からも人に見られていることを意識した立ち振る舞いだった。


 たった、十歳の子どもが。


「どうして泣いてるの?」


 気づけば一筋、頬を伝っていた。


「あれ、どうしてでしょうか。おかしいな……」


 もらい泣きだろうか。殿下は泣いていないのに。殿下が泣けなかった分、引き取ってしまったのだろうか。次から次に溢れてくる涙を、手で強引に拭おうとすると――彼がハンカチを差し出した。


「……あ」


 それはまるで、あの日――追悼式の時のようだった。


「前にもこんなことがあったね」


 ハンカチを受け取らない私を見かねたのか、彼がそうっと涙を拭ってくれた。その手つきが、ひどく優しくて。それだけで分かった。――この人は、優しい人だ。


 生まれた時から優秀な兄と比べられ、周りに冷たくされていた。陛下は亡くなった妃を愛していて――現王妃殿下が産んだレオンハルト殿下のことを、気にかけなかった。彼を冷遇する人たちを、窘めたりしなかった。


 周りに優しくされなかった分、他人に優しくしなければいいのに。その方が、傷つかなくて済むのに。


 彼は、そうできない、優しい人だ。


「レオンハルト殿下は……っ」


 しゃくり上げながら、なんとか口を開く。


「オズワルド殿下の代わりに死ねばよかったって、まだ思ってるんですか」


 殿下は驚いたように目を見開いた。それから、傷ついたような、ぎこちない笑みを口元に作った。


「……聞こえてたの?」


 弱ったように眉を下げる彼の目を、しっかり見つめて答える。


「あの時は泣いていて何も言えなかったけれど、そんなこと、絶対、絶対、ないですから。あの事故で死んでよかった人なんていません。生き残って咎められる人だっていません。――殿下だって、そんなこと、本当は分かっているはずです……っ。なのに……」


 私に言われなくったって、殿下にだって、誰にだって、分かることだ。


「それでも、傷ついてしまうんですね」


 ハンカチを握った彼の手が、離れていく。昏い目をしていた。


「今でもたまに言われるんだ。――兄上の方が優れていたのに、と」


 彼の、自分自身を嘲るような笑みが、月明かりに照らされた。


「そう言われる度に、どうして事故で死んだのが兄上の方だったんだろうと考えてしまう。……俺は、兄上が亡くなってもなお、比べられ続けている。これからも、ずっとだ。何をやったって、――オズワルド様なら、と言われ続ける」


 彼の顔にはもう、いつもの穏やかな笑みは無い。


「情けない話だけれど、それが怖いんだ。ひどく怖い」


 悔しそうに顔を歪めて、諦めたように言った。


「――俺は何一つ、兄上には敵わない」

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