落ちこぼれの焔3

 魔法練習会は定期的に開催されることになった。時にブランやニーナ先生に助言をもらいながら、これといった進展もなく練習を続けている。


 一時間練習を続けたところで魔力が尽き、ふらふらとソファーにもたれかかった。


「もう魔力切れ?」

「うるさいわね」


 アックスと一緒に居ると、ペースが乱されるというか、気付けばお互い気安く接する仲になっていた。名前も平気で呼び合っている。


「はい」


 アックスが水の入ったグラスを渡してくる。言うことは容赦ないけれど、優しいところはあるのだ。


「ありがとう」


 冷たい水を一気にごくごく飲んで、息を吐く。


 魔法学校に入学したら、私はきっと、実技の授業についていけないだろう。魔力量っていう生まれついての才能が、人よりずいぶん劣っている。落ちこぼれだ。


 はあ、と口からため息が漏れる。


「私たち、たぶん、オブシオンに入学することになるのに」


 オブシオン魔法学校は、いわば、魔法使いのエリート校だ。国中の優れた魔力をもつ子どもたちが集められる、実力主義の学校。


 だけど、入学条件はもう一つあって――それは、高い授業料を支払えること。貴族の子だとか、大商人の子だとかがそうだ。オブシオン魔法学校は魔法の研究施設としての面も持っているから、つまり、資金源である。


 オキデンス公爵家はお金持ちだし、高い入学金も授業料も支払える。通いやすさから見ても、入学することになるだろう。


 アックス様はレオンハルト殿下の従者兼護衛だ。ウッドヴィル家初の魔法使いで、一族からの期待も大きい。何が何でも入学するはずだ。


「同じクラスに仲間がいてよかった」

「聞こえてるけど?」


 アックスも疲れてきたのか、火柱を仕舞って、私の正面に腰かけた。


「落ちこぼれコンビ結成ね」

「勝手にコンビ組むの辞めてくれる?」


 ふふっと私は笑うけれど、アックスは笑わない。怒っているわけではなくて、単にあまり笑わないだけ。そういうことが分かるようになってきた。


 一族の大きな期待を一身に背負って魔法を練習していること、隠しているだけで上達しないことを悩んでいるのだって、知っている。


 アックスというキャラクターは小説にはいなかった。けれど、目の前にアックスがいて、私と同じように悩んでいる。ブランだってそうだ。


 この世界が小説の中で、物語だとは思えなくなっていた。


 みんな考えていて、悩んでいて、生きている。現実だ。


 だから、オズワルド殿下は――。


「ねえ、アックス。聞いてもいい?」

「内容による」


 それもそうか、と苦笑してから、おずおずと口を開いた。


「オズワルド殿下って、会ったことある?」


 アックスが、わずかに目を見開く。


「……あるけど。何でそんなこと聞くの?」

「好きなの」


 それはもう、すごく。


「ええと、でも、直接会ったことはないの。……変だよね」

「そうだね」


 アックスは手厳しい。


 だけど、恋愛の好きとも違うこの感情を、うまく言い表す言葉を知らない。だから、好きとだけ口にした。


 オズワルド殿下は物語の冒頭で亡くなってしまうから、誰かの回想でしか出てこない。いつでも微笑みを湛えていた、優しい、ちいさな王子様。小説の中の彼が好きだった。現実の彼は、どんな人だったんだろう。何を考えていたのだろう。悩みはあったのだろうか。魔法は得意だったのだろうか。


 オズパレードの魔法爆発事故は、未だに原因が分かっていない。小説の中では、オズワルド殿下の魔力が暴走したことが原因とされていたけれど――もしそれが本当だったとしたら、彼は、とてつもない魔力を持っていたんじゃないだろうか。


「カノン、追悼式で号泣してたんだっけ」

「何故それを……」

「レオンから聞いた」

「うっ……」


 思い出すと恥ずかしい。顔が熱くなる。真っ赤になった顔が見られないように、うつむいて誤魔化した。


「カノンって、ふつうの人だな。公爵令嬢とは思えないくらい、ふつう」

「それって褒めてるの? 貶してるの? どっち?」

「褒めてる」


 本当かなあ。ゆっくり顔を上げると、深い赤の瞳がじっと私を見つめていた。


「泣いたり、笑ったり、怒ったり。すごく、ふつうだ。レオンのそばにいると色んなご令嬢と会うけど、みんなこう……怖い。顔は笑ってても、何考えてるか分からない」

「アックスにも怖いものがあるんだ」

「さすがのオレも、ご令嬢たちと会う時は敬語使うよ」

「私もご令嬢ですが?」


 思い返せば、初対面の時から敬語じゃなかった気がするんだけど。


「オズワルド殿下の話はオレが聞かせてあげる」


 楽しく話が聞けるような雰囲気ではなかった。アックスの目は、真剣そのものだった。


「だから、その話、レオンの前でしないで」


 普段のアックスとは違う声音に、こくりと頷くことしかできなかった。






「オズワルド様って、どんな人だったの?」


 私の質問に、考える間もなくアックスが答えた。


「一言で言うなら、天才」

「天才?」

「何でも出来て、すごい人だった。子どもとは思えないくらい頭が良くて、どんな魔法だって簡単に使ってた」


 想像以上の話に、言葉が出なかった。


「王宮では、オズ様の再来だ、って言われてたくらい」


 驚きのあまり、ぽかんと口を開けてしまっていた。令嬢にあるまじき顔を見ても、アックスは気にせず話を続けた。


「でも別に、偉そうな感じじゃなくて、今のレオンみたいな感じ」

「レオンハルト殿下みたいな?」


 殿下と言えば、いつも微笑んで、きらきらしていて、優しい。オズワルド殿下もそんな王子様だったのだろうか。それで、オズ様の再来と言われるほどの天才で――超人過ぎる。


「レオンは猫被ってるんだ」


 ぽつん、とアックスが呟いた。


「猫っていうか、オズワルド殿下だけど。いつも笑ってるとことか、口調とか、そっくり真似してるの。レオン、本当はあんな感じじゃないんだよ」

「……あの、ええと、アックス。二人は仲が悪いのかと思ったんだけど、違うの?」


 レオンハルト殿下の前でオズワルド殿下の話をするなと言われたから、てっきり、話も聞きたくないくらい仲が悪いんだと思ったのに。


「仲は……良くも悪くもないよ。兄弟とはいえ、会うことはほとんどなかったし」

「それじゃあ、どうしてレオンハルト殿下にオズワルド殿下の話をしちゃいけないの?」


 じ、っとアックスが私を見つめた。踏み込み過ぎただろうかと身じろいだ私に、いつもの素っ気ない声が返ってきた。


「オレが聞かせたくないだけ」


 オズワルド殿下とレオンハルト殿下は異母兄弟だ。母親が違うのだから、政治的な対立やいざこざもあるだろう。


 オズワルド殿下の母君は、他国から嫁いできた方で、出産と同時に亡くなっている。一方、レオンハルト殿下の母君――現在の王妃殿下は、前王妃が亡くなった後迎えられた妃だ。彼女はオリエント公爵家の出で、レオンハルト殿下には強力な後ろ盾がある。


 オズワルド殿下に強い後ろ盾がなくても、存命中、表立って継承権争いは起こらなかった。


 たぶんそれは、オズワルド殿下がオズ様の再来と言われるほど、規格外だったからなのだろう。


「レオンハルト殿下は、ずっと、オズワルド殿下と比べられてきたのかなあ……」


 何となく、その気持ちが分かる気がした。だって私は、後から魔法の勉強を始めたブランに、あっという間に追い抜かれてしまったのだ。もちろん、悔しくないわけじゃない。比べられるのは嫌だ。でも、そのせいでブランと仲が悪くなるのはもっと嫌で――だから、アックスとこうして練習してる。


 それが、生まれてからずっとで。相手が、天才のオズワルド殿下。


「……そうだね」


 私の言葉に一瞬目を丸くしたアックスは、寂し気な声で呟いた。


 そういえば、噂話を聞いたことがある。国王陛下は、亡き妻を、死した後も愛していた――と。嫁いだ時、王妃殿下は冷遇され、彼女の立場は決して良いものではなかった。その噂話が本当だとしたら。――きっと、レオンハルト殿下の立場も……。


「陛下も使用人たちも、レオンに冷たかった。オズワルド殿下は天才だし、次期国王は間違いないだろうって、他の貴族たちも似たようなものだった。レオンのことバカにするばっかりで。そもそも、誰一人、レオンのことをまともに見ていないくせに」


 私の怪我を治してくれた時、レオンハルト殿下は呪文も唱えなかった。杖で軽く触れただけ。それでも、治癒の魔法は完璧だった。同い年だから、まだ、六歳か七歳のはずで――そんな子どもが出来ることじゃない。


「事故のあと、レオンの待遇は目に見えてよくなったんだ。貴族たちも、使用人たちも、手のひらを返すみたいに」


 その光景が目に浮かぶようだった。それでもレオンハルト殿下は、柔らかく微笑んで、誰もが望む王子さまであり続けようとするんだろう。アックスが言っていたみたいに、オズワルド殿下の真似をしながら。


 小説の中のレオンハルト殿下は、誰もが憧れる、理想の王子さまだった。かっこよくて、キラキラしていて、優しくて。完璧な王子様だった。傷も、痛みもない。雲一つない青空みたいな人。


 彼にも、私が知っているレオンハルト殿下と同じ、痛みがあったのだろうか。


「レオンには、味方と思える人がいないんだ」


 彼の言葉に、ぱちくりと目を瞬かせる。


「アックスが居るじゃない」

「オレは味方だけど、ダメだ。レオンにしてあげられるのは、心配することくらいしかない」

「でも、ずっと傍にいて、愚痴も弱音も……、他にもたくさん、話を聞いたんでしょう?」


 そうじゃなきゃ、今、こんなふうに私に話せないはずだ。


「きっと、殿下の力になってるよ」


 じっと深紅の瞳が私を見つめる。その目を、逸らしてはいけない気がした。しばらく見つめ合った後――、彼はふいと目を逸らした。


「何でこんなに、話しちゃったんだろう」


 はああ、と盛大に息を吐いた。


「レオンには、黙ってて。オレが言ったこと全部」

「もちろん」

「内緒話ついでに、もうひとつ」


 アックスの声音が、いつもの調子に戻る。素っ気なくて、気が抜けたような。馴れ馴れしいようで、突き放すような独特の喋り方。


「この前の唐辛子事件さ」

「事件って……」

「王妃殿下、笑ってたよ」

「え?」


 思い出したのか、アックスの頬が緩む。それにも驚愕した。


「魔法爆発事故以来、結構塞ぎ込んでたから。レオンもオレも、王妃殿下が笑ってるとこを見るの、久しぶりで。しかも、声上げて笑ってたから。余程ツボだったんだろう」


 笑ってる。アックスが、笑ってる。初めて見た。何となく口角が上がってるくらいだけど、いつもの無表情から見たら、これは笑ってる判定でいいと思う。


「俺とレオンもさ、本当は、こっそり笑ってた。オレたちもこっそり一口かじって、めちゃくちゃ辛かったけど、それも何か、おもしろくて」


 何故か分からないけれど、涙が出そうだった。目が熱くて、喉の奥に何かが詰まったような、涙が溢れる前のつんとした感じが襲ってくる。


「だって、次々使用人たちがくたばってくんだよ。いつも冷たいやつらが、バタバタ」


 笑うふりして、少し滲んだ涙を拭う。


「ざまあみろって、二人で笑った」

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