落ちこぼれの焔2

 オキデンス公爵家は、王都の西側に広大な敷地の邸宅を持っている。広い庭は丁寧に手入れされ、とりわけ、薔薇園は絶景だ。咲き誇る薔薇は、鮮やかな黄色一色。先祖代々、大切に受け継がれているものだ。


 薔薇園を一望できるガゼボで、私の正面に座って優雅に微笑んでいるのは、レオンハルト殿下である。


「素敵な庭園だね」

「ありがとうございます」


 今は、庭を駆け回っている犬たちがいない。殿下がゆっくり庭園を見られるように配慮した訳ではなくて――いつものことだ。私がいるからだ。悪役カノン・オキデンスは、犬にも猫にも嫌われるらしい。


「オキデンス邸の黄色のバラ園は評判だからね。いい時期に見られてよかったよ」

「光栄です、殿下」


 見にきてくださいとは言ったものの、本当に来てくださるとは思っていなかった。訪問を知らせる手紙が来た時、ブランとふたりで硬直してしまった。


「ところで、カノン嬢。先日のアレ、だけど」

「アレ?」


 首をかしげる私の隣で、ブランがびくっと体をはねさせる。その様子を、殿下の後ろに控えている黒髪の少年が一瞥した。


「アレは、唐辛子だよね」

「あっ! 唐辛子の話ですか!」


 嬉しくなってぱあっと声が明るくなる。殿下を前にした緊張もやわらいだ。


「あれはですね、ただの唐辛子ではないんですよ!」


 黒髪の少年のジロっとした視線が、今度は私の方を向いた。


「品種改良を重ね、さらなる辛さを追求した、私も大満足の逸品です」

「姉さん、その辺で……」

「一瞬にして天国と地獄、と大評判なのです!」


 殿下の目が丸くなった。


「あの唐辛子、本当に君の大好物だったの?」

「ええ! 私の大好物です!」

「本当に?」


 殿下は、ブランの方を向いて、確認するようにゆっくりと尋ねた。ブランは申し訳なさそうに顔を歪め、頷く。


「はい。残念ながら、本当に、姉さんの大好物です」

「残念ながらって何?」


 ブランは私を見上げ、にこりと可愛く微笑んだ。口を開く気配はない。だんまりを決め込むつもりらしい。


「……そ、そうか。いやでも」

「オキデンス嬢」


 殿下の後ろに控えていた少年が、ずい、と私に袋を差し出した。中には、先日渡した唐辛子が入っていた。


「大好物なら、今、食べて」

「え?」

「早く。オレたちの目の前で、食べて見せて」


 黒髪の少年は表情を変えないまま淡々としゃべっているのに、どこか圧のようなものを感じた。


 彼にせかされるまま唐辛子を手にとって、そのまま、一口かじる。うん。一瞬で地獄に落とされるほど辛い。舌が痺れる。痛い。おいしい。


「最高ですね……」


 にこにこの私を前に、殿下が青ざめた。


「本当に、大好物なんだ……」

「味覚おかしいの?」

「アックス!」

「いえ、姉さんの味覚がおかしいのは事実ですから……」


 さっきからすごく失礼なことを言われている気がする。唯一優しい殿下は、手を組んで項垂れていた。


「本当に、君の善意だったんだ……」


 小さく呟いた声を聞き返そうとしたら、彼はパッと顔を上げた。


「言いづらいんだけどね、その唐辛子を食べた料理人たちが寝込んでしまったんだよ」

「――え?」

「それでね、興味を持った使用人たちが次々口にして」


 さすがに私も、サァッと顔が青くなった。


「今、王子宮は一時的に人手不足なんだ」

「姉さん……何てことを……」

「中身を間違えたんじゃないか、あの一瞬で盗人が取り替えたんじゃないか、新手のテロか、色んな説が持ち上がって、こうして話を聞きに来たんだよ」

「結論、味覚のおかしいご令嬢の善意って。誰も予想しなかった」


 アックス様とやら、めちゃくちゃ言う。ひどいこと言われているはずなのに、隣でブランがうんうんと頷いている。私たち、仲のいい姉弟を目指してるのに、何で?


「アックス、その言い方、は……」


 レオンハルト殿下はやんわり注意しつつも、口元抑え、肩を震わせている。これはもしや、笑いを堪えている……?


「あの……もしかして殿下、笑ってます?」

「笑ってない」


 食い気味でアックス様が答えた。


「いえ、笑ってますよね?」

「レオンはまだ笑ってない」


 この方、殿下に甘すぎでは? 首をかしげたところで、殿下と目が合った。


「あの、殿下。彼は殿下の従者でしょうか?」

「――え? ああ。紹介がまだだったね」


 目元を拭いながら殿下がいう。ほら、涙が滲むくらい笑ってた。


「彼は、僕の従者兼、護衛」


 その言葉に目が丸くなる。だって、その黒髪の少年は、明らかに同じ年頃だ。今日の訪問に付いてきたのも彼一人で、大人の姿はない。お忍びで城下にいたときも、そばにいたのは彼一人だった。


 私の動揺が伝わったのか、殿下が微笑む。


「僕の護衛はいつも、アックスだけだよ」

「えっ?!」


 まだ幼い王子様の護衛が、同じ年頃の子ども一人なんて、この国の偉い人たちは一体何を考えているのだろうか。

 私の考えていることなどお見通しなのだろう。殿下は悪戯っぽく笑って、彼の名を告げた。


「彼は、アックス・ウッドヴィル。さっきも言ったけれど、僕の従者で、護衛」


 ――ウッドヴィル?! 驚愕に目を見開く。そうだとするならば、確かに、護衛は彼一人で十分かもしれない。


 ウッドヴィル伯爵家は、代々王立騎士団長を務めている家だ。もちろん、王立騎士団は実力主義。彼らは常に実力で騎士団長になっているということだ。そしてその座を、誰にも譲ったことがないくらい、優秀な騎士を輩出している家系。


 ――その強さは、人間を辞めている、と言われるほど。


 それに、アックスという名には聞き覚えがある。おそらく、ウッドヴィル家の三男で――彼は、生まれてすぐ広く名を知られることになった。


 ウッドヴィル家は身体能力に恵まれ、代々優秀な騎士を輩出している一族だが、未だかつて魔法使いが生まれたことはなかった。つまり彼は、ウッドヴィル家史上初の魔力持ちなのだ。


 ブランも同じことを考えているのだろう。二人そろって、ぽかんとアックス様を見つめた。


「何?」


 垂れ目がちの深紅の瞳が、じとっと私たちを見つめた。よく見ると、左目の下には泣きぼくろがある。黒髪はゆるく一つに結っていて、服も靴も、動きやすさ重視といった感じだ。


「いえ……、あ」


 黒い革のグローブに、焦げたような跡があった。


「アックス様も火属性ですか?」

「え? ああ」


 私の視線に気づいて、彼もグローブに目を落とす。


「さっき焦がしたんだ」

「またか」


 私が唐辛子テロリストではないと判断したからか、アックス様はレオンハルト殿下の隣に腰を下ろした。


「先日会った時もね、アックスのグローブを買いに行ってたんだよ」


 火属性の魔法使いはグローブが必須だ。熱いし、火傷してしまうかもしれないから。私みたいに魔力が少なくて、小さな火しか灯せなくても、念のため着用する。


「アックスはね、いつも大量に買うんだよ」


 ――――ん?


「ええと、サイズが合わなくなったから新調したわけではなく?」

「大量にダメにしちゃうからね。毎回僕も付き合わされて、荷物持ちにされてるんだ」


 王子様を荷物持ちにするなんて、正気? 言いたいことが頭の中をぐるぐる回る。


「火力すごそう」


 思わず口をついて出た言葉に、レオンハルト殿下がふふっと笑った。


「確かにそうだね」

「なに、レオン。嫌味?」

「違うよ」


 殿下は常に微笑んでいて、アックス様は常に無表情で、素っ気ない。だけど、二人の会話の気軽さは、王子と従者の関係でありながら、普段から仲がいいことがよく分かる。


「そんなにたくさんグローブがいるなんて、すごいですね。私も火属性なんですけど、魔力が少ないから、グローブなんて、本当はいらないくらいで」

「コントロールが下手で、炎上するだけ。すごくないよ」


 アックス様は少し考えるような素振りを見せた後、言った。


「オレたち、足して二で割ったらちょうどいいかもね」


 本気で言っているのか、冗談で言っているのか、よくわからない物言いだった。だけどアックス様が言ってることは、すごく良いことに聞こえて、気付けば立ち上がっていた。ずいっと彼に詰め寄る。


「魔法、一緒に練習しませんか?」






 レオンハルト殿下とブランに見守られながら、杖を構える。


 アックス様の魔法は火力も勢いも凄まじく、ただ火を灯そうとするだけで杖から火柱が上がった。何度もグローブを焦がし、なるほど、これでは大量のグローブが必要になるはずだ。


 私の方は相変わらず、杖先に小さく火が灯るだけ。


 私たちの散々な様子に、いつも優しく微笑んでいる殿下も苦笑いだ。


「足して二で割れそうですか?」


 息抜きにとお茶とお菓子を持ってきてくれたブランが口を開く。そんなの、可愛い笑顔で言うことじゃない。ブランは最近、ちょっと、私に厳しい気がする。いや、小説のブランとかなり違うと思えば、いいことなのかもしれないけれど……。


「無理」


 アックス様が素っ気なく言って、私も首を横に振った。

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