落ちこぼれの焔1
馬車の窓から見える景色が、ゆっくりと流れていく。隣に並ぶブランと私の正面に座っているのは、魔法史担当の家庭教師、ニーナ先生。今日もいつも通り、細い金縁の丸眼鏡をかけ、髪は後ろでぴっちり一つに纏めている。
「そろそろ、見えてきますよ」
馬車の中、初めての課外授業に浮足立つ私たちを前にして、ニーナ先生は普段と少しも変わらない生真面目な口調だった。
「とはいえ、中は見えませんが――この高い壁の向こうが、オブシオン魔法学校です」
馬車が緩やかに停止する。窓から、黒い壁を見上げた。
オブシオン魔法学校は、国民の誰もが憧れる、歴史と格式のある国内最大の魔法学校だ。創立者は南の魔女、シアン・オブシオン。全ての魔法の母とされる偉大な魔女だ。
王都オズの南側に広大な敷地を持ち、その周りは高い塀に囲まれている。その上で認識阻害の魔法までかけられているので、中がどうなっているかはさっぱり分からないのだ。
門をくぐることができるのは、入学を許可された者だけ。いずれ、私とブランはここに通うことになるだろう。ここは、『サイハテのオズ』の舞台だ。物語は、ヒロインのアリアがオブシオン魔法学校に編入してくるところから始まる。
ニーナ先生の合図で、また馬車がゆっくりと進み始める。黒い壁のある風景は、まだしばらく続きそうだった。
馬車はエメラルドグリーンの石畳の上を、ゆっくりと進んでいく。
「そういえばこの王都の道路は、建国時から変わっていないと聞いたことがあります」
「ブラン様、よくご存じですね」
ニーナ先生がくいっと眼鏡を持ち上げる。
「ですが、正確には――王都ではなく、国中の道路です」
この国の道路は全て、エスメロードの象徴である魔法石――エメラルドで作られている。その道は、建国時から増えたことも、形を変えたことも無いそうだ。
「エスメロード王国の道路は、大きな魔法陣になっています。オズ様が国を守るためにかけた素晴らしい魔法なんですよ」
オズパレードの魔法爆発事故でも、石畳にほとんど損傷がなかったそうだ。千年続く魔法なんて、本当にオズ様は規格外の魔法使いだったんだろう。
何年経とうと、オズ様は国を守っていてくれる。だからこの国の人たちは、オズ様のことが大好きだ。彼が見事なエメラルドグリーンの瞳をしていたそうだから、未だに、「緑色の目は縁起がいい」なんて迷信があるくらい。珍しくてめったにいないことも相まって、エスメロードの民たちは緑の瞳を有難がっている。
そういえば、ニーナ先生はいつも、爪をエメラルドグリーンに塗っている。ぴかぴかしておしゃれできれい、くらいにしか思っていなかったけれど――それも、迷信にあやかってのことだったのかもしれない。
千年間多くの人に踏みしめられても、いまだにつやつや光る石畳を見下ろしながらぼんやりしていた意識が、ブランの声に引き戻された。
「あ! 騎士団の演習場です!」
遠くに、演習場のシルエットが見え始めていた。
魔法の国エスメロードだけれど、意外なことに、宮廷魔術師よりも王立騎士団の方が歴史が古い。
「オブシオン魔法学校と、王立騎士団には、共通点があります」
ニーナ先生の目が私に向いた。
「身分を問わないこと、でしょうか」
「はい。その通りです。オブシオン魔法学校の門戸は広く、貴族でも、平民でも通うことが出来ます。騎士団は身分に一切関係ない、実力主義。技量のみで階級が決まっています」
「誰にでもチャンスがあるということですね!」
ブランが目を輝かせる。
「ええ。これらは建国時から続く伝統ですが、平等や公平といった思想の下というよりは――当時、身分のことを言える状況ではないほど、混乱していた時代だった、というのが大きいでしょう」
「な、なるほど……」
ブランの瞳が翳る。ニーナ先生が切り替えるように咳ばらいをした。
「せっかくですから、騎士団と、オキデンス家のお話をしましょうか」
騎士団と、オキデンス公爵家の歴史は、切っても切り離せない。
建国王には三人の子どもがいる。オズ様が王位を譲ったのは末弟、アルバ・エスメロード。オズ様に同行し、共に東西の魔女を討ったとされている。
残る二人は剣を持ち、民を守った。それが騎士団の前身だ。彼らは後に公爵位を授けられ、それがオリエント家とオキデンス家である。つまり、私のご先祖様にあたるのだ。建国からの歴史を持つ両家は公爵家の中でも別格で、二大公爵家とも呼ばれている。
「――というわけなの」
うまく伝えられたかな、と顔を覗き込む私に、ブランがこくこくと頷く。
説明をしているうちに城下町についていて、私たちは馬車を下りた。魔法学校の前を通ったり、少し遠回りをしたけれど話していればあっという間、というものだ。
オズパレードの魔法爆発事故からそろそろ一年が経つ。順調に復興を続けている王都は、元の賑わいを取り戻し始めていた。
すべてが元通りになったわけではない。手が届いていない地域もあるし、まだ瓦礫が残っているところもある。お店だって、以前のように建物が立ち並んでいるわけではなくて、ほとんどが露店や屋台だ。
だけど、そんなこと関係ないみたいに、笑い声が響いている。私まで元気をもらってしまうくらい、街の人たちはたくましい。
お父様は王都の復興に尽力していて――まったくもって私の手柄ではないけれど、それがなんだか、誇らしかった。
緑の石畳の上を歩き、魔道具のお店を数件巡り、これからの授業に必要なものを買いそろえ、今日の授業はおしまい、ということになった。
「あの、ニーナ先生、お買い物がしたいんですけど、いいですか?」
「せっかくですからね。もちろん、構いませんよ」
「ありがとうございます!」
今日の服装はいつものドレスじゃなくて、街に馴染む、動きやすいワンピース。人の多いところは得意じゃないけれど、ブランとニーナ先生がいれば、私は大丈夫、無敵だ。だから、お買い物して楽しまなくちゃ損というものだ!
数分後には、両手に紙袋を抱えていて、ブランは青い顔をしていた。
「姉さん、それは……」
「カノン様……」
いつも生真面目に表情を引き締めているニーナ先生も、心なしか引いている。
「いいのよ! 全部美味しく食べきれるから!」
楽しくて、楽しくて、笑みがこぼれる。二人の表情には気づかないふりをした。
「あとで、本屋さんも覗いてみようね。それから、ブランが好きなお菓子も買って――、あ! お父様と、お母様へのお土産も!」
「そんなにたくさん持てませんよ」
「大丈夫っ!」
ブランは半ば諦めた顔で、「無理ですよ」と呟いていたけれど、甘い焼き菓子の香りがしてきたら、そわそわと目を輝かせていた。
「買いに行こっか。ブランの分と、お父様と、お母様の分」
「はいっ」
くるりと後ろを振り向いたところで、ドンッと何かがぶつかった。
「姉さんっ!」
衝撃で体がよろけ、支えようとしてくれたブランを巻き添えに転んでしまった。私たちを起き上がらせながら、ニーナ先生が叫ぶ。
「スリです!」
場が騒然とする。気づけば、両手に抱えていたはずの紙袋がない。
「えっ?!」
ニーナ先生の指が向く先で、男の人が紙袋片手に走り去っていた。
「えーーーーっ!?」
「姉さん、諦めましょう」
私のスカートに付いた汚れを払いながら、ブランがいう。残念そうに目を伏せているけれど――諦めるの、早すぎないか。さっきも青い顔をしていたし、もしかしたら、ちょっぴり喜んでないか。
「ブラン、魔法で捕まえてよ」
「無理です」
「ダメです!」
ブランとニーナ先生の声がぴったり重なる。
「そんなあ。私、楽しみにしてたのに……」
途方に暮れてため息が漏れたとき、ふいに、男が宙を舞った。
「――え?」
思わずブランの方を見る。自分じゃない、と首を横に振っていた。ニーナ先生も目を丸くしている。
男が逃げた先には――私と同じ年頃の少年が二人いた。フードを目深にかぶった少年と、黒髪の少年。
「あの人たちの魔法かな?」
男の手を離れて落ちてきた紙袋を、フードの少年が受け止める。
「いえ、あれは――」
ブランの目が、ぎょっと丸くなった。
「黒髪の少年が、スリの男を蹴り上げたんです」
「――――え?」
その言葉の意味が分からなくて、体が止まる。黒髪の少年は、平然と佇んでいる。疲れた様子も、息が乱れている様子もない。男は体格もよくて、どっしりしている。なのに。あの少年が、男を、高く蹴り上げた?
「大丈夫? 怪我はない?」
いつの間にか、フードの少年が目の前に立っていた。
ぱち、と目が合う。目が覚めるような青だった。一度見たら忘れることなどできない、青の瞳。彼は私の顔を見て、僅かに目を見開いた。
『……俺が死ねばよかったんだ』
『兄上の代わりに』
追悼式で出会った、ハンカチを貸してくれた傷だらけの男の子。
お互いに黙ったまま、しばらくの間、まじまじと見つめ合ってしまった。一陣の風に髪がなびいて、きらきらと輝く。フードで顔を覆っても、気品ある佇まいは隠せない。
「おや。少し擦りむいてるね――失礼」
彼が杖を取り出して、私の手に触れさせる。軽く触れただけで、みるみる、傷口が塞がっていった。
幼い少年が、呪文も唱えなかった。呪文を唱えないなんて、熟練の魔法使いがやることだ。それに、治癒魔法は難易度が高い。その技術に、ブランも、ニーナ先生までもが目を丸くしていた。
「他に痛むところはない?」
「ええと、あの……ありません」
喉の奥の方で何かが絡まっているような違和感の中、何とか声にする。
「よかった。はい、どうぞ」
「ありがとう、ございます」
紙袋を受け取ると、彼が優しく微笑む。目が潰れそうなほど眩しい笑みだった。
「レオン、あいつ、突き出してきた」
黒髪の少年が来て、そう言った。ドクンと心臓が高鳴る。バクバクと、うるさくなっていく。
レオン。小説の中でも、彼は親しい人たちに愛称で呼ばれていた。
――きっと、彼だ。『サイハテのオズ』の王子さま。
レオンハルト・エスメロード殿下だ。
イエローブロンドの髪に、サファイアブルーの瞳。小説通りの色彩をした彼は、想像していたよりもずっと美しくて、眩しい。
整った容姿、落ち着いた佇まい、柔らかな笑み。憧れた王子様そのもので、まるで物語の中から出てきたようだった。絵に描いたように完璧な、金髪碧眼の王子さま。同い年のはずの王子さまは、まだ幼いというのに、どこか完成されていた。
「あのっ、あなたは――!」
そこから先は、言葉にならなかった。彼が困ったように微笑みながら、しーっと人差し指を口元に当てたのだ。
レオンハルト殿下は、庶民然とした服を着て、フードを目深にかぶっている。王子様のキラキラは隠しきれていない気がするけれど、おそらく、お忍びなのだろう。
もう一度お礼を言ったあと、彼らは踵を返した。去っていく彼らを見送りながら、グッと唇を噛む。
お礼の言葉だけで済ましていいのだろうか、何か。何か、できないだろうか。もっと気がきいたことはいえないのだろうか。
「――あのっ」
気づいたら、その背中を呼び止めていた。
フードの――レオンハルト殿下がくるりと振り向く。彼らを追いかけて、紙袋の一つを、ずいっと差し出した。
「あの、本当に、ありがとうございました。これはその、私の大好物で、よかったらお二人で召し上がってください」
彼が目を丸くする。黒髪の少年は、無表情のままじっとしていた。
「いいの?」
「はい。その、こんなことでお礼になるか分かりませんが」
殿下、と呼びかけることはできない。だけど、あなたが誰か分かっていて、私が誰なのか、伝えることはできる。
「宜しければ、今度、黄色の薔薇園を見にきてください」
殿下は微笑んだ。
「……そう、君が」
小さな声でそう言ったから、私がオキデンス公爵家の者だと伝わったはずだ。
「うん。わかったよ。それでは、またね」
殿下の言葉に、にっこりと微笑む。
「はい、また、是非!」
私と一緒に、ブランとニーナ先生も頭を下げた。お忍び中の殿下に最敬礼はできないけれど、このくらいならたぶん、お礼の延長に見えるだろう。
今度こそ彼らを見送って、背中が見えなくなったころ、ブランがぽつんと言った。
「姉さん、あれ、唐辛子ですよね」
「うん。そうよ」
「そのまま盗まれてた方が良かったんじゃないですか……」
「何で?」
「どなたか存じ上げませんが、高貴な方でしょう。彼に渡していいものじゃありませんよ」
そう言ったブランに、ひっそりと耳打ちした。
「殿下よ」
「――え?」
「だから、殿下よ」
ブランが白目になる。ニーナ先生も何故か、疲れ切った顔をしていた。
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