第7話 ゼットの殺意

 ルミルには、シンゴさんを貫いたゼットの剣が母親まで達したように見えた。


「イャー!」


 ルミルの悲鳴が轟く。


 実際、ゼットの剣は杏里に届き、かばうために出した腕に突き刺さっていた。


「やった……」


 ゼットの表情が緩んだ。彼は剣を引き抜く。それは一瞬で腕の形に戻った。


 ――ゴトッ――


 鈍い音がした。攻撃を受け止めた杏里の腕の肘から先が床に落ちていた。義手だった。


 シンゴさんは大きなダメージを受けていたが、両手でゼットの右腕を握っていた。主人を守るために、決してその手を放さない。そんな気迫があった。


「チッ……」ゼットが舌打ちする。自由な左腕を剣に変えると、シンゴさんの腕を肩から切り落とした。


 バランスを失ったシンゴさんが膝から崩れ落ちた。


「あなた、ファントムね」


 杏里が言った。


 ゼットが目尻を上げ、再び腰をやや落として攻撃態勢を取った。


 その時だ。「奥様!」と、アサさんの声がした。


 駆け込んできた彼女の拳がゼットの頬を打つ。彼の頭がガクンと揺れた。唇の端が切れて液体が飛んだ。


「アサさん、その子を殺さないで」


 杏里が命じる。ゼットは態勢を立て直すと、二撃目を試みることなく背を向けていた。


 風のように走り去るゼットをアサさんが追っていく。


「怪我はない?」


 その声でルミルは我に返った。目の前に不安をたたえた母の顔があった。


「ママ、わたし……」


 言葉が見つからなかった。視線は金属や人工筋肉がのぞく杏里の左腕断面に釘付けだった。母親の左腕が義手だと、その日、初めて知ったのだ。


「ルミル。彼とどこで知り合ったの?」


「ママ、親の敵ってどういうこと? それにその義手は……」


 ルミルは自分の疑問しか、頭になかった。


「それは後でゆっくりと説明するわ。それよりも今は対策をらないと。ルミル、あの男と付き合うのは止めなさい」


 母親の行動には愛情を感じない。その命令調に、ルミルの感情が跳ねた。


「嫌よ。友達になる約束をしたんだから……。でも……」


 母親とゼットの間で身が裂かれるようだ。言葉が見つからず自分の部屋に逃げ込んだ。


 ベッドに横になると、母親の壊れた義手を思った。それはまるでヒューマノイドの腕だ。もしかしたら母はシンゴさんと同じようなヒューマノイドなのかもしれない。だから自分に冷たく当たるのかもしれない。……母の身体を想像すると気持ちが落ち込んだ。


 時が経ち、気持ちが落ち着くのに比例して疑惑が確固たる核を成した。


「やっぱり、はっきりさせなくちゃ」


 ゼットにうらまれる理由と、母の身体のどこまでが機械なのかを確認しないわけにはいかなかった。ゼットも母も、彼女の一部だった。


 ルミルは部屋を出た。


 リビングにもキッチンにも杏里の姿はなかった。書斎に向かうと僅かに開いたドアの隙間から声がした。


「……ファントムがいたのよ」


 誰と話しているのかな?……耳を澄ました。


「……スラム街よ。被害は確認できていないけど……ええ、……ええ、……とにかく実態をつかまないと。……最悪の事態も考えないといけないわ」


 最悪の事態?……イヤな予感を覚えた。


「……私?……ええ、腕を少し。でも、大丈夫よ。……うん、これから修理してもらうわ。……それじゃ……」


 盗み聞きしていたのが後ろめたく、その場を急いで離れた。最悪の事態とはなんだろう?……そのことをゼットと切り離して考えることはできなかった。


 翌日、ルミルは誰よりも早く起きた。実際は本人がそう思っているだけで、杏里は壊れた義手を直すためにSET社の研究所に向かっていた。


 ルミルは、母親を出し抜くことに成功したと満足して庭に出た。


「ルミルお嬢さま、どちらに?」


 車庫から新しいドローンを引っ張り出していると、シンゴさんが声をかけてきた。アサさんも一緒だ。


「シンゴさん、修理が済んだの?」


「これは新しいボディーですじゃ」


 シンゴさんがにんまりと笑顔を作った。


「予備があったのね。アサさん、彼を捕まえられた?」


「残念ながら、逃げられました」


「そう、……なのね」


 ホッとした。


「ルミルさまは、どちらに?」


「向日葵叔母さんのところに行ってくるわ」


 話しながらドローンに乗り込む。


「それならかまいませんが、スラムはいけない、と命じられていますので」


「わかってる。アサさんは心配しないで」


 ルミルはオートパイロットに命じて空に浮かんだ。それから、アサさんたちに聞かれないように行先を小声で言った。


 ドローンが滑るように動き出す。世間はまだ眠っていて道を走る車も少ない。


 ほどなく、大東西製薬ビルの跡地に到着した。驚いたことに、そこにホワイトが待ち受けていた。


「ホワイト先生、どうしてここに?」


「それは私の台詞せりふですよ。昨夜、社長から電話があって事情は聞いたわ。ついさっき、アサさんから連絡があったのよ。あなたが家を抜け出したって」


 彼女がやれやれとでも言うように首を振った。


「どうしてここがわかったのかしら?」


「シンゴさんのメモリーに残っていたのよ」


「そうなんだ……」


「ゼットが、杏里社長を親の敵と言ったのは本当なのね?」


 いつになくホワイトの口調は厳しかった。


「うん。いきなり刃物を出して、止めに入ったシンゴさんを突き刺したのよ」


「シンゴさんを刺すなんて、只者ではないわね」


 2人はドローンを茂みに隠し、地下大空洞の入り口に向かった。


 ルミルは英雄オクトマンの墓標の前で足を止める。隣に立ったホワイトが大樹を見上げた。


「オーヴァルの木とオクトマン。……分からないことが多いわね。それにしてもルミル、スラム街に1人で来るなんて、危険すぎるわ」


「昨日はシンゴさんと一緒だったし、今日は先生が一緒だから平気よ」


「私は社長に頼まれてきたのよ。私が来なかったら1人じゃない」


「えへっ、ごめんなさい」


 ルミルは両手をあわせて形ばかり謝った。


 その時だ。多くの警察車両が敷地を取り巻いた。


「ママが、警察に通報したのね。ひどいわ」


 ルミルが唇をかんだ。


「ゼットはシンゴさんを破壊したのですから、警察に追われるのは仕方がありません。それが社会のルールです。何よりも社長は、ルミルのことが心配なのですよ。黙って家を抜け出してしまうから……」


「私が悪いの?」


「ルミルがゼットと話したかった気持ちもわかります。どことなく謎めいた男性でしたから。でも、社長がルミルを心配する気持ちもわかる。……警察がここを包囲しているということは、ゼットはつかまっていないはず。とにかく、ここを離れましょう」


 2人はドローンに乗ると一気に高度を上げた。


 空を見上げる警官の顔が小さくなる。敷地周辺には数十台の警察車両と数えきれない人間とヒューマノイドの警察官がいて、ゼットを探すところだった。


 大東西製薬跡地を離脱したホワイトは、ルミルを先導して杏里に届けるつもりだった。が、空に上って1分もせずにウエアラブル端末からルミルの声がした。


『ママがシンゴさんのデータを調べたのなら、ゼットの家が危ないわ』


「家にも行ったの?」


 ルミルがゼットの家を訪ねたなら、シンゴさんのメモリーにはその場所が記録されている。杏里はその場所も警察に教えているだろう。


『中には入ってないけど、玄関までは行ったのよ。そこでゼットに声を掛けられたの』


「彼なら大丈夫ですよ。何とか逃げるでしょう」


 面倒な事態は避けて、我がまま娘を自宅に送り届けようと思った。


『無理よ。多勢に無勢というじゃない』


 やれやれ、とホワイトは嘆息たんそくした。固執こしつしだしたら、ルミルは納得するまで意見を変えることがないとわかっている。


「わかりました。では、そこへ行ってみましょう。場所は覚えている?」


『ええ。……ゼット、捕まったらどうなるの?』


 ルミルのドローンが前に出て、向きを変えた。ホワイトは彼女のドローンを追尾する。


「不法移民なら強制送還だけど……」


 ホワイトは、そこで言葉を止めた。日本には異種族の権利を認める法律も裁く法律も整備されていない。国内に異種族が住んでいないのをいいことに、日本の法整備は遅れている。……というより、日本政府は法整備を遅らせることで、異種族の移住を許さない理由にしているところがあり、それを国民も支持している。そんなことを、高校生のルミルに話しても理解できないだろう。第一、ゼットに本国というものがあるのだろうか?……それがわからないから、捕まったゼットがどうなるのか見当つかない。


 ホワイトたちは、数分でゼットの住む公営住宅が見える場所に着いた。アパートは人間とヒューマノイドで編成された武装警察に包囲されている。その外側を警官の十倍以上の数の野次馬が取り囲んでいた。

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