第6話 危険な男子は魅力的

「よお、ゼット。お前たち知り合いだったのか?」


 出会ったのは頬にダビデの星を描いたエンジェル団のひとりだった。彼が眉間にしわを寄せた。


「違う」


 ゼットの言葉は短かった。


「ゼットの女になったのか?」


「違う」


 ルミルはつい、ゼットの言葉をまねた。


 ダビデの彼は相手にされないことに憤ったのか、シンゴさんを蹴ろうとした。弱い者を狙う卑怯者だ。ところがシンゴさんは、蹴りをひらりとかわし、首筋に手刀を入れた。彼が倒れた。気絶していた。


「お前の知り合いは、強いやつばかりだな」


 ゼットが道端に伸びた青年の背中に活を入れる。目覚めた彼は、シンゴさんに謝って逃げた。


「そんなことないわよ。ホワイト先生もシンゴさんも特別な人なのよ。きっと……」


 ゼットも同じでしょ、と言おうとして言葉を濁した。


 ゼットは通りの角にある大衆食堂に入った。昔ファミレスだった建物は、外壁には亀裂が走り、そこらじゅうに黒カビも生えていた。窓ガラスには、センスのないメニューが貼り付けてある。


 時刻は午後3時過ぎ、……昼の仕事が一段落した店内は閑散とし、脱力感に似た空気が漂っていた。


「あっ!」


 店の奥の席で声が上がった。そこにはレッドヘッドのジェイと青い髪の男がいて、焼肉をアテにビールを飲んでいた。


「いらっしゃいませ」


 ジェイたちと一緒に話し込んでいたミニスカートの店員が重たい腰を上げる。


「ジェイじゃない」


 ルミルは彼に向かって手を振った。自分からせしめた金で昼間からビールを飲んでいるのだろう。


「知っているやつか?」


 ゼットが訊くので、ジェイ以上にゼットはどうかしていると驚いた。


「超悪魔団のジェイよ。あの時、ゼットが追い払ってくれたでしょ」


「俺は追い払ってなどいない。そうか、あいつ、ジェイというのか」


 ゼットはジェイに興味を失ってようだ。窓際の席にかけた。


「何にしましょう?」


 店員がやってきて注文を聞く。


 ゼットがお好み焼きとミネラルウオーターを注文する。ルミルも同じものにした。


「ワシはオリーブオイルを。コップ半分で十分じゃ」


 シンゴさんが注文すると、店員が目を白黒させた。


「シンゴさんはロボットなのか?」


 ゼットがシンゴさんの瞳を覗き込む。


「私のおじいさんが設計したヒューマノイドなのよ」


 ルミルは、ほんの少しだけ自慢する。


「その人の名前は?」


大和やまとよ。鈴木大和」


「そうか……」


 ゼットが目を細める。その奥に怪しい光が宿ったことにシンゴさんは気づいたが、ルミルは違った。


「今日、大空洞に行ったのよ。大東西製薬跡地の地下の」


 ルミルは、ゼットの気を引くことに夢中だった。


「そうか」


「私が呼んだのに気付かなかったの?」


「ああ」


「あそこで何をやっているの?」


「お前には関係のないことだ」


「英雄オクトマンって、だれ?」


「それも関係のないことだ」


「私は、あなたのことが知りたいのよ」


「俺は知られたくない。どうしても知りたいというなら、お前のことから話せ」


 彼はそっけないようで、とても慎重だった。


「私はね……」と、ルミルは話し始めた。自分の好きな友達や遊びの話をし、嫌いな両親や勉強の話を……。


「両親が嫌いなのか?」


 彼が不思議そうにルミルを見つめた。


「親を好きな女の子なんていないわよ」


「勉強も嫌いなのか?」


「勉強の好きな子供なんて、いるはずがないでしょ」


「スラムには、勉強したくても出来ない奴が沢山いる」


「どうして?」


「備え付けの端末で受けられるのは義務教育までだ。高等教育の学費は無料でも、ここの連中には高等教育用の端末を買う金がない。学校まで通う乗り物もない。だからギャング団をつくってねている」


 ゼットはジェイのいる席を親指で指した。


「そうなんだ……」


 ゼットが話す貧しい暮らしというものを、贅沢な生活を送っているルミルは想像できなかった。


 店員がお好み焼きを運んでくる。


 小麦粉とキャベツ、ソースだけの味気のないお好み焼きだった。それを口に運ぶと安いソースの辛味だけが口の中に広がる。


 ルミルはミネラル水を飲んで、口の中を占領したソースの味を洗い流した。貧しい暮らしというものが、少しだけ理解できた気がした。


 隣ではシンゴさんが酸化したオリーブオイルを舐めるようにして飲んだ。


「ゼットも学校に行かないの?」


 ルミルは箸をおき、不味いお好み焼きを美味そうに食べるゼットを見つめる。


「俺は不法移民だからな。行く資格もない」


「不法移民?」


「怖くなったか?」


 視線をあげたゼットに向かって首を振る。


「べつに……。学校に行きたい?」


「学校に行かなくても、やりたいことはできるさ」


「ゼットの夢はなあに?」


「夢?」


「夢を持つのは自由だもの」


「確かにそうだ。ここいらの連中は、一発逆転を夢見て絵を描いたり歌を創ったりするやつが多い。芸術なら結果を出しさえすれば金持ちになれるからな」


「ゼットも金持ちになりたいの?」


「そんなものには興味がない。やりたいことが夢だというのなら、俺の夢は……。止めておこう」


 ゼットが口を閉じた。


「教えてよ。私が手伝えることかもしれないわ」


「俺は他人ひとの手を借りるつもりはない。第一、俺の夢はもうじきかなう」


「そうなんだ。良かったわね。それって、大空洞と関係があるの?」


 ゼットが眉間に皺を寄せ、首を左右に振った。


「俺の夢の話は終わりだ。それで、お前の話は何だ。話があるから、わざわざスラムまで来たのだろう?」


「お友達になってほしいの」


「お友達?」


 彼は笑わなかったが、首を縦に振ることもなかった。


「だめ?」


 ルミルは甘えるような声で訊いてみる。大概の男子はそうした態度に弱いものだ。


「俺は友達などいらない」


「友達は、たくさんいた方がいいのよ」


「それは善人ぶった人間の言うことだ。仲間がいれば力を借りて成功できると考えているからな。お前は、友達をたくさん作ってどうしたいんだ?」


 ルミルは、舞い上がっていた気持ちが落ちるのを感じた。


「どうもしないけど、たくさんいたら楽しいでしょ? 一緒に踊ったり、旅をしたり……」


「友達の中には悪いやつもいるだろう。そんな友達が沢山いたら面倒なことに巻き込まれるかもしれない」


「変なことを言うのね」


 ルミルの感情がけば立っていた。


「ああ。俺は変人だから友達はいらない。お前とも友達にはならない」


「そんなの普通じゃないわよ」


「俺は普通じゃないんだ」


「だから大空洞に潜っているの?」


「それは関係のないことだ」


「何か、目的があるのでしょ?」


 ゼットが苦笑する。


 笑われたのに、ルミルの気持ちは落ち着いた。不思議だった。


「ごめんなさい。私、なにも分からなくて」


「お前、天然だな」


「そうかな?」


「お前の祖父が鈴木大和なら、母親は杏里、父親は本宮地大だな?」


「そうだけど、どうして知っているの?」


「SET社の社長夫婦といえば、世界一の金持ちだ。誰でも知っているさ」


「そうなんだ……」


 ルミルは、母親の澄ました顔を思い出して嫌な気分になった。


「そうだな……」


 何かを思いついたように、ゼットがつぶやいた。


「俺と友達になりたいというなら、母親に会わせてくれ」


「ママに?」


 どうしてゼットはママに会いたいのだろう?……理由が理解できない。でも、彼との距離が縮まったような気がして嬉しかった。


「ああ。SETの社長の顔を拝んでみたいんだ」


「止めといたほうがいいわよ。きっと、がっかりするわ」


「どうしてだ?」


「ただのおばさんだもの」


「ただのおばさんでも、SETの社長だ」


 ルミルはウエアラブル端末で母親のスケジュールを確認した。


「それなら、家まで送って。夕方なら家にいるから」


「ああ、いいだろう。……父親もいるのか?」


「パパは、今頃はメキシコよ」


「メキシコ?」


「先週から武道大会が開かれているの」


「SETがスポンサーなのか?」


「パパは、覆面プロレスラーなのよ。だから知られていないけれど。……会社の仕事はママと叔母様にまかせっきりなの。今度はマスカラス3世と戦うんだって、張り切っていたわ」


「そうか、うらやましいな」


 珍しく、彼の表情に感情が宿っていた。


「私も好きなことだけをしているパパがうらやましいわ」


 ゼットがミネラルウオーターを飲み干して席を立つ。ルミルも慌てて立った。


 ルミルたちはロボット・タクシーに乗った。


「東部新都心の鈴木杏里宅へ」


 ルミルが告げると『了解しました』と自動運転システムが応えて車が動き出す。


「俺は金を持ってないぞ」


 ゼットが少年のように伏し目勝ちで言うので、ルミルは嬉しくなった。それが優越感というものだとまだ知らない。


『乗車料金が無いのですか?』


 自動運転システムが尋ね、車が減速する。無賃乗車ならすぐに降ろすか、警察を呼ぶことになる。


「それは心配いりません。私が払います」


 ルミルが腕輪に埋め込まれたチップを料金パネルにかざすと、『ありがとうございます』と音声が流れてタクシーは加速した。


「悪いな」


 ゼットがぼそりと言うと流れる景色に目をやった。


 タクシーは30分ほど走ると大きな屋敷の並ぶ東部新都心地区に入った。そこに住むのは富裕層で、他のエリアと景色が異なっている。その中でも一段と大きいのがルミルの家だ。タクシーはそのエントランス前に止まった。


「こっちよ」


 ルミルは喜びを隠さずに誘った。が、ゼットは足を止めて美術館のような屋敷を睨みつけていた。


 普段なら自分の仕事場に戻るシンゴさんが、ルミルと共に家の中に入ったのは、彼の量子コンピューターがリスクを計算していたからだった。


「ルミル、どこに行っていたの?」


 杏里が奥から顔を出すのと、問い質すのが同時だった。


「あら、お客様?」


 ルミルの背後にゼットの姿を見つけ、娘に向けた憤りを胸の内に収めた。


「ゼットさんよ。新しいお友達なの」


 ルミルは自分の世界が広がったことを自慢するように言った。


「そうですか。仲良くしてくださいね」


 杏里は微笑みを浮かべて頭を下げたが、ゼットはそうしなかった。


「あんたが、鈴木杏里……」


 ゼットに呼び捨てにされた杏里は、彼の顔をぽかんと見つめた。


「親のかたき、死ね!」


 叫ぶのと突進するのが同時だった。彼の伸ばした右腕が変形し、剣のように鋭く尖って杏里の胸めがけて伸びた。


 その時、ゼットよりもさらに早く動いたのがシンゴさんだった。


 ――ガツン――


 ゼットの腕は、杏里をかばったシンゴさんのボディーを貫いていた。

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