地獄の番犬は飼い主の夢を見る③

「……で? このバカ犬が、炭鉱を案内してくれるって噂の犬なワケ?」


 黒犬に噛み付かれ、すっかり跡が付いて伸び切ってしまったスカートの裾を正しながら、ニーナが溜め息混じりに俺たちへ問いかける。


「そう、みたいですけど……本当にこのワンちゃんが案内してくれるのでしょうか?」

『いや、俺も分からん。本人に聞いてくれ』


 突如として現れた小さな案内人を前に、戸惑った表情を浮かべるラビ。そんな俺たちの様子を見ていた犬は、何を思ったのか、尻尾を振って勢い良く駆け出し始め、二人の周りを数回くるくる回ってから、どこかへ走り去っていった。


 しかし、俺たちから見えなくなる手前で犬はぴたりと立ち止まると、こちらを振り返ってじっとラビの方を見てくるのである。


「……ひょっとして、付いて来いって言ってるのかな?」


 ラビが犬の居る方へ近寄ると、黒い犬は再び脱兎のごときスピードで駆け出し、廃墟の奥へと消えてゆく。


 ラビたちが姿を消した犬の後を追いかけて進んでゆくと、その黒犬は錆びたレールの上に生えた草をみながら、俺たちがやって来るのを律儀に待っていた。


 その一連の行動を見て、俺たちは確信する。


「やっぱりこの子、私たちを何処かへ導いてる!」


 ラビが声を上げる。果たして導かれる先が、俺たちの行きたいと望んでいる場所なのかは定かではないが……


「――あ、また走って行きます!」

『後を追うぞ、ラビ!』


 レールの上を掛けてゆく黒犬の後を、俺たちは必死に後を付けて追いかけた。伸びたレールは町中を外れて森の中へと消えてしまっていたが、黒犬は構うことなく森の中へ飛び込み、道なき道を一陣の風のように早々と駆け抜けてゆく。


 黒犬に誘われつつ、進み続けること五分。それまで鬱蒼とした木々の立ち並んでいた森を抜けて、明るい陽の光が降り注ぐ場所へ出た。


 そこはうっそうとした森とは違って開けた草原になっており、切り立った巨大な岩の壁が立ちはだかっていたのだが、その壁の一点に、高さ六メートルほどの大きなトンネルが掘られていたのである。


「こ、これが鉱山の入り口!」


 トンネルにたどり着いた俺たちは、その巨大なトンネルの中へ突入してゆく黒犬の姿を見た。犬の姿は闇の中に消えて見えなくなってしまったが、遠くからワンワンと吠える声だけが聞こえてくる。


『どうやらここが炭鉱の入口らしい。とりあえずここまでの案内は上出来だな。俺たちだけじゃ、絶対こんな町外れにある入口なんて見つけられなかった』

「そうですね。小さいワンちゃんなのに、ここまで私たちを連れて来てくれるなんて、立派です!」

「いやでも、問題はここからじゃない? ちゃんとお宝のある場所まで連れてってくれるの? 炭鉱の中で迷子とか、マジ勘弁なんですけど」


 どうやらニーナはまだ、あの黒犬のことを完全に信用できないでいるらしい。ここから炭鉱の中に入ることになるが、ニーナの言う通り、出入口までの道が分からなくなって戻れなくなることが一番怖い。マップの無い地下迷路で迷うことはすなわち、俺たち全員の死を意味しているからだ。


 ラビたち捜索隊は炭鉱に入る準備を整えると、燃した松明を片手に、暗いトンネルの中へと進んでいった。



 炭鉱のトンネルの中は狭く、天井まで人間一人がやっと立てるほどの高さしかなかった。全て手掘りのトンネルには、所々に天井が崩れないよう板で補強されており、地面の上にはトロッコを引くためのレールが奥へ続いて伸びていた。


 数歩先は闇の中であるにもかかわらず、案内役の黒犬は炭鉱の中をまるで自分の庭のように元気いっぱいに駆け回っていた。


 そうして、ラビやニーナが道に迷うと、何処からともなく闇の中から黒犬が飛び出してきて、「こっちこっち」と指差すようにそちらへ駆けて行くのである。


「また道が二つに分かれましたね……」

『ああ、どっちも先は真っ暗だな。あの黒犬は?』

「そう言えば、姿が見えませんね……」

「やっぱりさぁ、私たちと遊ぶだけ遊んで、疲れて帰っちゃったんじゃないの? あんなバカ犬待ってられないよ。私の気配感知を使って先へ進みましょ」


 ニーナがそう言って枝分かれした右の道を進み始める。


 すると、その途端――


 ワンワン! ワンッ!


 突然背後から鳴き声がして、俺たちの間を縫って猛スピードで駆けてきた黒犬が、ニーナのお尻に噛み付いたのである。


「痛ったぁ‼︎ ちょ、何すんのよこのバカ犬っ!」


 ニーナが叫んだとき、俺は咄嗟に彼女の背後を警告する。


「おいニーナ! 後ろだ!」

「っ!」


 ニーナの背後で黒い大きな影が蠢き、こちらに赤く光る二つの目がギラリと光った。


「危ないっ!」


 ラビが咄嗟に持っていた松明を黒い影に向かって投げ付ける。松明の灯りがトンネルの闇を払い、中で蠢く巨大なモグラのような生き物を映し出した。


 ニーナは持っていた弓を引き、現れた化け物に向かって矢を放った。矢はモグラの額に深く突き刺さり、モグラは地響きのような低い呻き声を上げて後ずさると、背後に空いていた巨大な穴に足を取られ、そのまま奈落の底へ吸い込まれるように落ちていった。


「あっぶな……ガチで危機一髪だったじゃん」

『この黒犬がお前に噛み付いてなかったら、今頃ニーナはあの化け物モグラに食われていたかもしれない。仮にモグラが襲って来なかったとしても、この先にある底なし穴に落ちていたかもしれないな。どちらにせよ、右の通路を進んでいたら、お前の命は無かった』


 黒犬はニーナを左の通路へ連れ戻そうとするように必死になって彼女の服の裾を引っ張っていた。


「……このバカ犬が、私を助けてくれたってこと?」


 呆然とするニーナに向かって、俺はふざけた口調で言う。


『これでワンちゃんに貸し一つだぞ、ニーナ』

「なっ! う、うるさい! 別にあんなモグラの一匹くらい私一人でどうにかできたし!」


 顔を赤くして言い訳するニーナを、足元で黒犬が目を細くしてじっと見つめていた。まるで強がるニーナを前にあきれ返っているような、そんな表情に俺には見えた。

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