海賊のしらべ③
――少年が目を覚ますと、陽が落ちてしまったのか、辺りはすでに真っ暗だった。
少年の体は酷く冷えていたが、それでも感覚はまだ完全に失われていないようで、夜の闇を照らす暖かな光と熱を、肌で感じることができた。
彼の傍には火が燃えていた。パチパチと音を立てながら燃え盛る赤い炎を前に、少年は上半身を起こす。
「ようやく起きたか、小僧」
声がした方を見ると、たき火の前にヨハンが腰掛けていた。彼はつばの広い黒帽子を脱いで隣に置いており、彼の蒼い髭と蒼い髪、そして疲れ切った表情が、火の明かりに照らされて闇の中に浮かび上がっていた。
「ぼ、僕は……」
「お前みたいな死にかけのガキを、俺は以前何度か見たことがある。天国へ登る階段を踏み外さないよう、そいつらを誰一人として助けたことはなかったが……どうやらお前は、運が悪かったみたいだな」
そう語るヨハンの言葉を、少年は理解できないような表情で首を傾げていたが、やがて少しずつ目が
「やっぱり、本物の
「ほう、そいつは良かったな小僧。祝いに酒でも開けて酔いどれダンスでも踊るか」
「僕の名前はテテウです。小僧なんかじゃありません」
ヨハンはため息を吐いて肩を落とすと、少年の姿が目に入らぬよう、隣に置いていた帽子を手に取り、頭に深く被せた。そして、気を紛らわすためか、その辺にあった薪の中から丁度良い太さのものを選び、腰からナイフを抜いて表面をガリガリ削り始める。
「
そんな彼に向かって、テテウが好奇心に胸を弾ませながら尋ねたが、ヨハンは答えなかった。
「僕、あなたみたいな自由でカッコいい船乗り……いいえ、海賊になりたくて、いつもルッケラの港町に立ち寄っては、船乗りたちから話を聞いて回っていたんです。みんな、僕みたいな小さい子どもを相手になんてしてくれなかったし、帰りが遅くなってよく母さんに怒られていたけど……」
へへ、と小さく笑う少年。ヨハンは変わらず口を閉じたまま、木を削り続けていた。
「今日、村を賊に襲われて、僕を知る人は誰もいなくなっちゃったけれど、それでも僕、絶対に諦めませんから! 強くなって、自分の船を持って、空の海原へ勇敢に乗り出してゆく、
そう意気込むテテウに向かって、ようやくヨハンは木を削っていたナイフを止め、静かに口を開いた。
「――『心せよ。他人への尊敬は、己の意志を
「………はい?」
ヨハンは頭を上げ、帽子のつばの先に、きょとんとしているテテウの目線を合わせた。
「聖ハウルヌス言録、第十二章四節で、エザフはそう言ってる。過度な尊敬と崇拝は罪に成り得るってことさ。今のお前のようにな」
「そ、そんなっ! 人に憧れを抱いて夢を追うことの何が罪だって言うんですか?」
テテウは声を荒らげて言い返す。
「……それに、聖ハウルヌスの言葉を唱えている時点で、貴方も立派なエザフ教の崇拝者じゃないですか」
「俺はエザフを信仰してなんかいない。神なんざ、地上に住む者を言葉だけで言いくるめようとするつまらん男さ。……だが、周りの奴らはやけに神の言葉を信じたがるみたいでね。だから俺は、自分の話に説得力を持たせるために、神の言葉を引用しているのさ。俺的に考えて、神の言葉にも良し悪しがある。その良しとする部分だけを、お前に参考として話しただけに過ぎないんだ」
ヨハンは感情任せにそう言葉を連ねたが、それからすぐに自分が言い過ぎたことを悔いるように閉口して沈黙し、再び木を削り始めた。
「……僕、貴方の仰ることがよく分かりません。どうして
テテウがそう言うと、ヨハンはあきれたように鼻で笑った。
「船を持ってどうするっていうんだ? 自分の船を持ったところで、それは単に船長や船員として認められるためだけの道具としてしか機能しない。本当の自由を得たいなら、そんな道具なんかに頼らず、自分の脚でその地を踏んで歩いて見なけりゃ分からないのさ」
「でっ、でも、
テテウからそう言われて、ヨハンはふと削っていたナイフを止め、宙を仰ぐ。たき火の周りを囲う暗闇へ目を向け、暫しの間その闇の中に、かつて船を操っていた当時の自分を思い浮かべた。しかしすぐにその残像を頭から振り払い、再び前に向き直る。
「昔はな。今は、もう持っていない。その昔に思い知ったのさ。船なんかあってもロクなことはない、自分の脚で歩いた方がまだマシだ、ってな」
「そんな……」
ヨハンの言葉に、テテウは悲しそうな顔をして、目線をヨハンからたき火の方へ向けた。
「………僕、もし
「ほう、そうかい。なら残念だが、楽しい話もここまでだ。これ以上話すことは何もない。俺も疲れてるんだ。今日はもう寝ろ。明日、俺がお前をルッケラの孤児院まで連れて行く。そこでお別れだ」
「………はい」
テテウは弱々しい返事を返すと、たき火を背にして横になり、肩まで掛け布を引き上げて小動物のように丸くなった。暫くの間、テテウのすすり泣く声が聞こえていたが、やがて眠りに落ちたのか、ようやく静かになった。
ヨハンはたき火を前にして一人、孤独の中で考える。俺は間違ったことは何一つとして口にしていない。そう自分に言い聞かせながら。
だが、それでもヨハンは、心の中に渦巻く
「……この世界は、俺の考えだけで成り立ってる訳じゃない」
ふと、彼は一人そうつぶやいた。まるで自分に言い聞かせるように。
(ほう、ようやく気付いたか。散々突き放した後になって気付くとは、お前も鈍感なヤツだ。昔と何一つ変わっちゃいないな)
「お前は黙ってろ」
ヨハンは己の内側からしゃしゃり出てきたもう一人の自分にピシリとそう言い付けると、手元にあった削り途中の木に目を落とし、それから、こちらに背を向けて眠っているテテウへ視線を移した。
昔と何一つ変わらない――
(……そういえば、俺も幼い頃、よく自作した船の玩具を持って、湖へ遊びに出掛けていたんだっけか。紙だけで作ったお粗末な船長帽子を頭に載せて、「出航!」とか「錨を上げろ!」とか大声で叫んでいた。とうに忘れちまっていたが、昔の俺にも夢があったんだ)
「……お前と俺、似た者同士なのかもしれないな」
そう独り言ちて、ヨハンはふっと笑みをこぼすと、再びナイフを手に取って、手元の木を削り始めた。それまで何も考えなしに削るばかりだったその塊に、彼は何らかの形を見出したようだった。
その晩、暗闇に包まれた森からは、たき火の音と、木を削る音だけが、いつまでも響き続けていた。
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