24 皹(承前)

「上原先輩、それって?」

 ライス中将にぼくが向けた発言に山下理緒菜が反応する。山下理緒菜が反応して驚いたように目を見開く。

「本当のことですか?」

 だからぼくは彼女に答える。

「本当かどうかは、あそこに控えたライス中将が教えてくれると思うよ」

 そしてすぐさまアメリカ軍厚木基地のボスであるライス空軍中将がぼくに向かって声を発する。

「よろしい。そこまで推測しているなら話しても良い。ただし、この場所以外では口外無用だ。それはわかるね」

「ではそれと同じようなことをぼくも主張しますが、ぼくは記者なので、必要があればそれを記事にします。そのことはご理解いただけますね」

「さすがにミスター・村上の部下だけのことはあるな。きみの発言や記事がアメリカ合衆国の国益に沿わぬ場合、我々はきみに対して然るべき手段を講じるが、それはわかるね」

「ええ、ですが……」とぼくが言いかけたところで別の声が割って入る。村上卓の威圧感のある低音がぼくとライス空軍中将との遣り取りの間に割って入る。

「無益な言い争いは止めにして先に進みませんか? こうしている間にも怪物はこの会議室のすぐ隣に異界を発生させているかもしれませんよ。そしてその異界がこの会議室と接触した場合、これまでの経緯から推察すると、上原と山下以外のわたしたち全員は怪物の餌食になる可能性がありますからね」

 村上卓のその発言に辺りがたちどころに静まり返る。

「そして上原および山下とこの場でわたしたちが同席しているということは、わたしたちが怪物と接近遭遇する可能性が一般人よりも高いということでもあるんですよ」

「なるほど、確かにそうだな」とライス中将が村上卓の意見を認めて言葉を紡ぐ。「いまのところ我々の誰一人UGM=怪物を恐れているとは思えないが、実際にそれを目撃したらどうなるかはわからんからな。まったく頭の痛い事態だよ」

 そういってライス中将が村上卓に集中して注いでいた視線を再びぼくたち二人の方に戻して明確に言う。

「まず第二の質問に答えるが、生体を利用した映像中継装置の開発は今回の件とは無関係に進められたものだ。機器自体は小さなものだが大変高価なので希望者を募って優秀な者たちから順に導入している。だから本日の兵士の死は我々にとっては大変な損害だ。それだけは正しく理解して欲しいと願う。もしもミスター・上原が、例えば脳内麻薬を利用して操り人形にした極悪犯罪者に映像中継装置を埋め込んで軍が利用しているとでも考えているとしたら、それこそまったくのファンタジーだ。詰まらぬ小説の読み過ぎであると断じよう。次に最初の質問に対する答えだが、こちらは倫理的には若干微妙だ。何故かといえば脳死者の生体器官を利用しているからだ。無論、法律的には何の問題もない。そしてこちらの方は今回の件に対応するために開発された。もっともそうはいっても、それに先立つ生体レーダーの研究は十数年も前から行われては来ているのだがね。虫の報せという感覚や所謂第六感は本当に存在すると軍は考えている。ただ現状では、それに十分科学的な説明ができないというのだけのことだ。……さて、この答えで納得していただけたかな、ミスター・上原?」

 ライス空軍中将にそう水を向けられてぼくは自分の態度を決める必要に迫られる。ライス中将は、例えば生体から取り出した信号をどのような方法で中継するのか、または脳死者から得た生体器官をどのように繋げて怪物探査装置としたのかという具体的な話は何もしていない。だが、ここでぼくがその事実を攻め立てたところで、おそらくライス中将は軍事機密だからと言って詳細を明かすことを渋るだろう。だから実際にそれを聞きだすことは不可能と言って良い。よって、ぼくは現時点でのライス中将の発言内容に納得することに決める。この場で一時的に納得して、先の中将の質問に答えることを了承する。

「宜しいでしょう。率直なお話をありがとうございました」

 そしてぼくはライス中将とこの場に居合わせた全員にぼくの仮説を開陳する。ぼくがたったひとりで暮らしている自宅の入った集合住宅の非常用内階段で超常現象研究家の颯波健吾に語ったことと同じ内容を話している。怪物がこの地でこれまでに得たこの地の論理に従う感情のサンプルについて話している。それが恐怖か憎しみであると話している。そして、ぼくと山下理緒菜が即座に怪物に捕らわれなかった理由について話している。恐れ(be afraid)か、怖れ(scared of)か、惧れ(dread)か、畏れ(hold somebody in awe)かはわからないが、人間で言えば、おそらくそれが「畏れ」ではなかったろうかと話している。

「もちろん、いまここで述べたことは、ぼくの直感がぼくに与えた単なるファンタジーです。次に怪物と出遭ったとき、ぼくと山下くんがもう一回怪物から逃れられるという保証は何処にもありません。怪物がぼくと山下くんに感じていたのは実は畏れではなくて、もしかしたらもう少し熟成させた方が美味しく味わえるような何かだったというオチが付くかもしれません。その場合には、次かそれ以降、ぼくたち二人が怪物に出遭ったとき、ぼくたち二人は確実に怪物の体内に取り込まれることでしょう。怪物の体内に取り込まれて、怪物にこれまでこの地で知り得なかった新しい想いか、またはそれを可能にした地球周辺領域の論理を与えるでしょう。付け加えれば、ぼくたちはいつでも一緒に行動しているわけではありません。それぞれがひとりで行動しているときに怪物と遭遇したときには何が起こるのか予想することができません。だから、ぼくたち二人が皆さんと違って特権階級にいるわけではありません。実はそこにそれほど大きな違いはないのかもしれません」

「単刀直入に聞くが、きみたちは現在、愛し合っているのかね? それが怪物を畏れさせているのかね?」

「ぼくと山下くんは現在確かに淡い恋人関係にありますが、それが怪物を畏れさせているのかどうかはわかりません。ただ、ぼくに言えることがあるとすれば、恐怖と憎しみの情以外の感情状態で怪物と接すれば即座に怪物には取り込まれないだろうという推論だけです。けれどもそれも時間が経って、怪物がそれらを憶えてしまえば、それから先のことは何とも言えません」

 そのとき会議室のスピーカーからメッセージが入る。それはライス中将宛のメッセージで、すぐにそれを受け取れと命じている。そこで会議を一時中断してライス中将が会議室を後にする。すると、ぼくの発言の最後の部分を聞いて何かを感じたのか、対UGM作戦会議の参加者としてその場にいたピート・ジェンキンズ小隊長がぼくと山下理緒菜に目配せする。それを村上卓が迷惑そうな顔つきで見つめている。

 数分後、会議室に戻ったライス空軍中将がその場に集まった全員に次の事実を告げる。

「本日正午過ぎまでに世界各地に約三十の正体不明物が降下したようだ。いずれも人口密集地帯ではなかったため大きな被害は生じなかったが、軍事衛星から観察したところ、その落下跡はUGMが落下した奥多摩湖と雲取山頂と太平山頂を結ぶ三角領域で見られた破壊の形状に近いという。また正午以降も落下物が複数見られたという未確認情報がある」

 そして一呼吸おいてライス中将が言葉を添える。

「諸君、どうやら人類はこれまでに経験のなかった未曾有の危機に見舞われた可能性を否定できないようだ」

 次の瞬間、会議室の壁に皹が走って、そこから闇が侵入してくる。赤くて濃厚で粘ついた闇が皹を拡げて会議室の中に侵入してきて、その場にいた全員の表情を固く歪に強張らせてゆく。(第二章・終)(未完)


 2011年04月に第二章を仕上げてから数年経ち、筆を折ったので、この続きはありません。しかし、かの思索超えを謳うのであれば、それも正しい選択だったと言えるかもしれません。

 当初考えていた第三章はパニックの描写後、ただ一人残された視点中心人物が変容した世界(街)を巡り歩くという内容でした。

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……変容、 り(PN) @ritsune_hayasuki

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